<?xml version='1.0' encoding='UTF-8'?><?xml-stylesheet href="http://www.blogger.com/styles/atom.css" type="text/css"?><feed xmlns='http://www.w3.org/2005/Atom' xmlns:openSearch='http://a9.com/-/spec/opensearchrss/1.0/' xmlns:georss='http://www.georss.org/georss' xmlns:gd='http://schemas.google.com/g/2005' xmlns:thr='http://purl.org/syndication/thread/1.0'><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638</id><updated>2012-01-17T20:33:50.769+09:00</updated><title type='text'>ツキを呼ぶ感謝のことのはブログ</title><subtitle type='html'>「ツキを呼ぶ感謝のことのはブログ」にようこそ。
「ことのは」とは”言葉”のことです。
「はじめに言葉ありき」と言われるように、人は自分が発する言葉＜言霊＞通りの人生を歩むことになっています。言葉の不思議を中心にさまざまな出来事や出会いから気づかされたこと、本のことなど、心に残ったワン・シーンを綴っています。どこかで誰かのしあわせのためのご縁になれればうれしいと思っています（直接のご意見、ご要望はkansya385@gmail.comまで）</subtitle><link rel='http://schemas.google.com/g/2005#feed' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/posts/default'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default?max-results=100'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/'/><link rel='hub' href='http://pubsubhubbub.appspot.com/'/><link rel='next' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default?start-index=101&amp;max-results=100'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><generator version='7.00' uri='http://www.blogger.com'>Blogger</generator><openSearch:totalResults>262</openSearch:totalResults><openSearch:startIndex>1</openSearch:startIndex><openSearch:itemsPerPage>100</openSearch:itemsPerPage><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-6691583611754134645</id><published>2009-10-30T06:10:00.001+09:00</published><updated>2009-10-30T06:10:42.217+09:00</updated><title type='text'></title><content type='html'>エジソンの食事&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「食」のことでシンクロがまだまだ続いています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;先日は、発明王エジソンの食生活を教わる機会がありました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　エジソンは81歳の時、自らの生活について明らかにしたことがあったそうです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その内容は、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;１、 私は棺桶に入る数日前まで発明を続けるつもりである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;２、 毎日、パン、野菜、果物ばかりで、一日分が普通の人の一食分で、ほとんど肉食はせず、まれにイワシを食べるくらいだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;３、 自分が３時間くらいの睡眠で昼夜仕事ができるのは小食のためであり、その精力は菜食のおかげである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;エジソンの食事は菜食で、生食で、小食だったのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;小食だから睡眠時間が少なくても済み、菜食によって仕事に集中没頭できる秘訣をここで明らかにしてくれています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この食生活は、水野南北の開運の食生活にぴったりと通じるところがあり、大変、面白いですね。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-6691583611754134645?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/6691583611754134645/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=6691583611754134645' title='9 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/6691583611754134645'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/6691583611754134645'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2009/10/81.html' title=''/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>9</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-2540144868192815182</id><published>2009-09-16T06:43:00.001+09:00</published><updated>2009-09-16T06:43:45.695+09:00</updated><title type='text'></title><content type='html'>安楽な人生を送るために生まれてきた人はいない&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「人は幸せになるためにこの世に生まれてきています」。&lt;br /&gt;しかし、その一方で、&lt;br /&gt;「安楽な人生を送るためにこの世に生まれてきた人は一人としていない」のもまた事実です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;なぜかというと、この世にやってくる前にいたあの世というのはとても安楽な世界なんです。&lt;br /&gt;大概のことが思った通りになります。しかも思うとすぐに叶い目の前に現れます。&lt;br /&gt;この世とはまた全然違うんですね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ですから、安楽に過ごしたいのであれば、この世にやってくる必要はまったくないわけです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;人は、この世に、思い通りにいかないことに巡り会い、つらく、苦しい思いをするためにやってきているのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかも、そんな安楽な世界からこの世に無理やり連れ込まれてきた人は一人としていません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;すべての人が自分で「どうか行かせてください。お願いします」と強く懇願してやってきています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;また、この世にやってくるにあたり、自らの人生で起こることの多くを“自ら決めた上で”やってきているといわれています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;思い通りにいかない、つらく、苦しいことは誰が決めたわけでもなく、自分でこうしようと決めたことばかりなのですね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その多くは、これまで生まれてきて超えられなかった“課題”であるようです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;人は過去に幾度もこの世での人生を送っています。&lt;br /&gt;そして、以前に失敗したにも関わらず、気づきがないがために何度も同じ失敗を繰り返してきています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ブライアン・L・ワイスの「前世療法2」にはこのような実際の事例が紹介されています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ダンというアメリカ人の男性は、恋人であるメリールーがいつも人前で他の男に媚（こ）びを売ることに、我慢できませんでした。それが何度も続くので、彼はついに嫉妬（しっと）で怒り狂い、彼女の「首をへし折ってやりたい」とまで思いつめるようになります。しかし、退行催眠でダンが知ったのは、過去世で彼が彼女を何度も殺していたという事実でした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ダンは何度も生まれ変わりをしながら同じ苦しみを背負う人生を送りながら、繰り返し、繰り返し学ぶ機会を与えられてきたわけです。&lt;br /&gt;彼の課題は彼女を解放し、そして自らを彼女への執着から解放して、嫉妬の感情から心を自由にすることにあったのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自分の目の前に現れることは、自分が仕掛けた「時限つき体験爆弾」のようなものです。&lt;br /&gt;自分がこの世で体験したいと思うことが時間割ごとに仕掛けられています。正確には自分で仕掛けてあります。&lt;br /&gt;その課題は貴重な限りある（寿命ある）この世での時間を無駄にしていましますので、必ず自分が超えられる課題のみになっています。&lt;br /&gt;超えられない問題、難題は決して起こらないのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そして、その体験、課題は、自分の魂の成長につながることばかりです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;体験をして、そこで「これらのことは自分に必要なことなんだ」と明るく前向きなポジティブな気持ちになり、すーっと受け入れた瞬間に課題は“合格”となり、カルマは消えていきます。&lt;br /&gt;自分の前で嫌な、つらい思いの原因になっていた人や事柄さえも、自分のその体験のためにわざわざ現れていたことに気づく時がやってくることでしょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;課題を乗り越えた時の歓びのために人はわざわざこの世にやってきているわけです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ですから、嫌なこと、つらいことがあって当たり前なんだ、自分が超えられないことはないんだというポジティブな気持ちで、日々を過ごしてください。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;せっかくの良き機会です。「多くの経験」をしてください。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;多くの経験から多くの学びを得て、持ち帰ることが自らの歓びと成長になるのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;多くの体験から、多くの歓びと幸せがもたらされるよういつも祈っています。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-2540144868192815182?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/2540144868192815182/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=2540144868192815182' title='5 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/2540144868192815182'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/2540144868192815182'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2009/09/l2.html' title=''/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>5</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-7089828664513095013</id><published>2009-09-14T06:46:00.001+09:00</published><updated>2009-09-14T06:46:46.328+09:00</updated><title type='text'></title><content type='html'>「君は日出る国の生徒だ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;以前にこのブログでご紹介したことのある占部賢志（うらべけんし）さんの著書の続編である「続　歴史の『いのち』」にアルゼンチンと我が国との浅からぬ友好の歴史が描かれています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;アルゼンチンは長いスペインの支配下から1816年を迎えようやく独立します。その後、ヨーロッパやアメリカに対しても与（くみ）しない独自のスタンスをとっていたため、独立国として格段の緊張を強いられる状況にあったそうです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;こうした背景の中、近隣で10倍の人口を持つ清国と戦争をすることになった日本への関心と共感は高まり、当時、欧米列強ではありえなかった対等な関係に立つ画期的な通商条約が日本とアルゼンチンとの間で1894年に締結されます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「ヨーロッパからの圧力に屈せず、アメリカ主導の米州諸国会議の枠組みからも一定の距離を保ち、他国に左右されない独立を堅持する基盤とは何かを求めて已まなかったアルゼンチンにとって、日本は肖（あやか）りたい手本と映っていたのである」&lt;br /&gt;と占部さんは記しています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そのアルゼンチンの日本への関心が頂点を迎えたのが日露戦争でした。日本への研究はますます進展していったそうです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;なぜ日本が強国・ロシアに勝てたのか世界各国の関心事となっている中でアルゼンチンの研究は世界の中でも最も的確な分析をしているといわれたそうです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;アルゼンチンの新聞「ナシオン」には当時、次のような記事が書かれています。&lt;br /&gt;「大砲の大小、銃の軽重、巡洋艦、魚雷艇、装甲艦の性能などあれこれといった技術者の間で長談義される問題は、専門家の屁理屈以外の何物でもない。勝利をもたらすのは爆薬や威力ではなく、人間なのである。日露両国民の精神は十世紀も十五世紀もかけて形成されてきたものであり、その結果として四千五百万人の日本人が一億三千五百万人のロシア人を打ち破ったのである」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;明治の日本人には、アルゼンチンの人々が高く評価するほどの高い国民性が随所に見られたようです。占部さんは日露開戦の詔勅（しょうちょく）と同時に出された文部大臣訓令を紹介しています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「『（前略）今や露国と事を構うるも固と是れ平和を永遠に克復するが為なれば、学生生徒が客気に駆られ露国民に対して嘲罵（ちょうば）を逞（たくま）しくし、延きて他の外国民にまで悪感を懐かしむるが如きことになかたしむるは、子女の教育上最も注意を要する所なり』。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;開戦必至の前夜ですから、日本国内には、ロシア憎しとする声は高まっていました。敵愾心（てきがいしん）に駆られた大人たちのあいだには「ロスケ」なる言辞が飛び交い、当時の子供達は至るところで耳にしていた。子供というものは大人の真似をしたがるもので、勢い教室の中でも口にするものが出てくる。&lt;br /&gt;こうした空気を察知した文部省は、開戦の詔勅とともに全国の小学校に向けて、敵と雖（いえど）も侮蔑するなかれと戒める訓令を発出したというのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;このような倫理性を体した国柄に共感する一方で、西洋文明を融通無碍（ゆうずうむげ）に取り入れ近代化に邁進（まいしん）する闊達な精神も重要な勝因としてアルゼンチンは称賛して已みませんでした。&lt;br /&gt;なかでも『五箇条の御誓文』に注目し、第四条「旧来ノ陋習（ろうしゅう）ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ」、第五条「智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ」に示された開明性を取り上げ、「多くの熱心な学生をイギリス、ドイツ、フランスの学校や工場、およびアメリカの研究所や大学へ留学させ、四〇年間にわたって習得した西洋文明のすぐれた弟子なのである」と評価したそうです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;このアルゼンチンの対日観は、大東亜戦争に敗北した日本に対しても失せることはありませんでした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;敗戦後にアルゼンチンに移住した、現地日本語紙「ラプラタ報知」の編集主幹高木一臣氏の回相談が「続　歴史の『いのち』」に記されていますので、紹介させていただき、この記事の仕舞いとしたいと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;我が祖国・日本を離れ、このアルゼンチンに来て、五十年が経ちました。一九五一年六月、私は全くスペイン語を知らないでこの国にやってきました。当時、無一物の私は、無料の国立夜間小学校のあることを知り、強引に校長先生にお願いして入学を許されました、そして、日本の大卒でしたが、子供たちと机を並べて勉強を始めました。&lt;br /&gt;小学校を終えると、次に夜間の国立中学校に入学しました。二十六歳の時でした。&lt;br /&gt;入学して一年、歴史の授業での出来事です、先生は生徒を名指ししし、教壇に呼びだして復習してきたかどうかを質問します、その時、「ホセー、前に出ろ」「ファン、前に出ろ」と名前で呼ぶのが常でした。ところが私の場合、なぜか「高木」と名前で呼びません。&lt;br /&gt;「『日出（い）づる国』の生徒よ！前に出ろ（アデランテ　アルームノ　デル　パイスデ　“ソル　ナシャンテ”）と呼んだのです。&lt;br /&gt;私はこれに対し、「先生、『日出づる国』の生徒よ、という呼び方はやめて下さい」&lt;br /&gt;と言いました。&lt;br /&gt;「なぜか？」と反問する先生に向かって私は、「先生、太陽は落ちたのです。日本はもう『日出づる国』ではなくなったのです」と答えました。&lt;br /&gt;しかし、先生は、「君が『太陽は落ちた』と言うのは、日本が戦争に敗（ま）けたからか」&lt;br /&gt;と質（たず）ね返してこられました。&lt;br /&gt;私は「そうです」と答えると、先生はキッとした厳しい顔つきになりました。そして、&lt;br /&gt;「君は間違っている！日本が『日出づる国』であるのは、戦争に強かったからではない。日本はアジアで最初に西欧文明を取り入れて、わがものとし、世界五大郷国の仲間入りをした。このことに示されるように、『西洋文明』と『東洋文明』という全く異質の文明を統一して、世界文明を創り上げる唯一の能力をもった国である。この難事業をやり遂げたのは、日本において他にはない。日本がこの能力をもちつづける限り、日本は『日出づる国』であるのだ。戦争の強弱などという問題は、『西洋文明』と『東洋文明』の統一という大事業の前には、取るに足らぬことなのだ。君は日本が戦争に敗けたからといって、卑屈になる必要など毫（ごう）もない。俺は『日出づる国』の人間なのだという誇りと精神を失わず、胸を張って歩きたまえ」&lt;br /&gt;と私に向けって言われたのです。&lt;br /&gt;私はこれを聞いて、涙が溢（あふ）れ出るのを押さえられませんでした。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-7089828664513095013?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/7089828664513095013/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=7089828664513095013' title='4 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/7089828664513095013'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/7089828664513095013'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2009/09/1816-101894.html' title=''/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>4</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-6791279170864213779</id><published>2009-09-11T02:54:00.001+09:00</published><updated>2009-09-11T02:54:20.777+09:00</updated><title type='text'></title><content type='html'>個性&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「自分の作品に責任なんて持てません。だって私が作っているのではなく、神様に作らせていただいています」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この言葉は、寝食を忘れて作品に没頭したと言われる天才版画家、棟方志功さんの言葉です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;はたから見ると、熱情の画家ピカソと同様に芸術のエネルギーに満ち溢れ、才能の塊のように見える棟方志功さんですが、彼の心の中ではそのような偉大なる力とのつながりが働き、すべてを「お任せ」していたのだなとこの話をうかがった時、私は大いに感動いたしました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;現代は、「個性」を前面に出すことがとても重要なことであるかのように取り上げる風潮があります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;中でも、“個性の最前線”にいつでもいるよう求められているのが、いわゆる「アーティスト」と呼ばれる世界の人たちです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この世界の人たちは、はたからそう評価されるだけではなく、自らも個性を売り物にしている人が数多くいます。&lt;br /&gt;また、若い人たちも、個性的であることが存在理由であるかのように、「私は、私は」「僕は、僕は」をフルタイムでアピールする人生を送っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;でも、そんな「個性」について、画家の東山魁夷（かいい）はこんな風に述べています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「一見、逆説のように聞こえますが、むしろ自分を意識しないとき個性は現れるのではないでしょうか。&lt;br /&gt; &lt;br /&gt;自己の主張を強く押し出すといいますが、果たしてそれが本当に自分を認識しているのか、疑問に思うこともあります。個性は自分が認識しているものではないところに現れているように思います。&lt;br /&gt;個性と自己主張は同じものではありません。&lt;br /&gt;私の絵には自己主張の迫力というものはあまり現れていません。でも、自分が受けた感動を素直に表していくと、そこに自分の本当のものが現れているのではないかという気がします」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;個性は自己主張とはやはり異なるものなのですね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;すべての人が魂の中に自分の光を持っています。&lt;br /&gt;「神様の器」に近づけば近づくほど、その魂の光が発し出します。&lt;br /&gt;それが個性であるように私も思います。&lt;br /&gt;「個性」は探し出すものではなく、すでに持っているものなのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「神様の器」に近づくための方法はいろいろなことがありますが、ひとつは「楽しむこと」にあるように思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自分の目の前のことを楽しむことです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今を楽しめずに、明日に楽しみがあると思うから苦しみが生まれます。&lt;br /&gt;今を楽しめずして、明日に楽しみはないということを多くの神人、聖人が昔から教えてくれています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「論語」雍也（ようや）篇にも、こうあります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「これを知る者はこれを好む者にしかず。これを好む者はこれを楽しむ者にしかず」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;どんなことも、これを知っているというだけでは、それを好きだという人の力には及ばない。そして、それが好きだという人よりも、それを楽しんでいる人はもっと上である。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-6791279170864213779?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/6791279170864213779/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=6791279170864213779' title='2 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/6791279170864213779'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/6791279170864213779'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2009/09/blog-post.html' title=''/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>2</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-5663156413261560967</id><published>2009-08-27T13:47:00.000+09:00</published><updated>2009-08-27T13:48:00.811+09:00</updated><title type='text'></title><content type='html'>自在&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「自在」であること。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;いつも心がけていることですが、なかなか簡単にはできないことです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「自在」は、私がいつも考えている「執着」とも深くかかわることでもあります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「いつも神様の器でありたい」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そう願って日々過ごしていますが、気づくと、神様とは程遠い「私の器」になった自分がドシンと目の前に鎮座していることがしばしばです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;悪いことに「執着」しない方がいいのは、不幸や不運が改善するどころか、「深刻化」か「延長化」しかしないためです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;良きことへの「執着」もまた、そのことが、魂の大切なスペースを占領してしまいます。&lt;br /&gt;このため、成長のための新たな良きことが入ることができなくなり、通過して他の人のところに行ってしまうことになります。&lt;br /&gt;また、「良きこと」と思っていたことも、その瞬間は良きことと思えても、“今”を過ぎれば過ぎるほど熟れ始め、形が変わり、消えて行くことにもなってしまいます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;実は人は、この瞬間にも、死んでいるのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そして、次の瞬間には、生まれています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;死んでは生まれ、死んでは生まれの連続が人生なのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;だから、いつでも生まれ変わることはできます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;やり直すに、何かを始めるに、「遅い」ということはないのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自分のやるべきこと、神様からのメッセージ、それらはすべて目の前の“今”にこそあるのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今ここに生きている真心込めて生きている人を神様は応援してくれます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そのように生きていると、自分の「天命を全う」できます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;このことは、神様からのお勤め、お役目が終わらない限りは（天命を全うするまでは）、いかなることがあろうと、生命を奪われることはないという確たる自信を持った生き方ができることにつながるのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「自在」を思う時に、思い出すいくつかの話があります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この中からふたつのお話を今日はご紹介したいと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ひとつ目は、私の好きな良寛さんの逸話です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;庄屋の阿部定珍（さだよし）さんは、良寛さんへの主な施し主でした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ですから、良寛さんは阿部さんの家に托鉢（たくはつ）にやって来ることがたびたびありました。遅くなると、阿部さんの家に泊めてもらうこともありました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そんな関係ですから、食事時の、食膳の位置も決まっていました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;良寛さんは無頓着な性格です。食器などがいつもと違っていても、目の前にお膳が置かれていると、「いただきます」と言って、箸を取り、食べてしまいます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;時には、魚の汁物が出されていても、知らないかのごとく食べました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それに気づいた家の者が、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「あれっ、良寛さま、それは鱈（たら）汁ですよ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;と教えると、そこで初めて、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「あっ、そうですか」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;と言って、食べるのをやめたそうです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今のお坊さんのことはよく知りませんが、昔のお坊さんは殺生を固く戒めていましたらから、食べ物も肉や魚をまったく口にしませんでした。良寛さんもそうした「決まりごと」の厳しい時代に生きているのですが、目の前に鱈汁が出されてくると感謝していただいてしまいます。&lt;br /&gt;「それには魚が入っていますよ」と言われるので、「はい、そうですか」と素直に箸を置きます。&lt;br /&gt;良寛さんは神様の器になりきれた人ですので、目の前のことはすべて神様からのお役のように、いただきもののように、素直に、歓びを持って、受け入れていきます。&lt;br /&gt;「いけませんよ」と言われたのも、人の口を借りて神様から言われたかのごとく、素直に受け入れます。&lt;br /&gt;とっても、「自在」ですね。&lt;br /&gt;とっても良寛らしい逸話だと私は思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;もうひとつは、道一和尚さんの話です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ある日、彦根の清涼寺の道一和尚さんが足にお灸をしていました。&lt;br /&gt;すると、そこに旧知の医者がやってきました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「和尚さん、今日は不浄日です。不浄日にお灸をすえると悪いことが起こりますよ」&lt;br /&gt;と注意しました。和尚はすぐに、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「ああ、そうですか。では、やめることにしよう」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;と言って、灸箱を片付けてしまった。医者は二時間ほど歓談して帰っていきました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;医者が帰ると、和尚はまた灸箱を取り出してお灸をすえにかかりました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それを見た小僧さんが、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「和尚さん、今日は不浄日ということでしたが、大丈夫なんですか」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;と聞きました。すると、道一和尚さんはのんびりとお灸をすえながら笑って答えました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「心配しなくてもいいんだよ。不浄日はいま、帰ってしまったよ。わしは禅僧じゃ。浄、不浄には惑わされないだけの修行はしてきたつもりじゃよ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「なるほど、そういうことだったのですね」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;道一和尚さんも、よく知る医者から言われたら、そうではない立場にあろうと、「そうか、そうか」と言って、お灸をやめてしまう。「不浄日」が帰り、不浄日が過ぎ去ってしまうと、再びお灸をのんびりと始める。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;目の前の今にきちんと向き合い、応えながら、意地を張り固まることなく、自由に、素直に生きています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ここにも素晴らしい「自在」があります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;先人たちの息吹にふれて、少しずつでも、今この人生で、「自在」を持った生き方ができるようになりたいものですね。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-5663156413261560967?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/5663156413261560967/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=5663156413261560967' title='5 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/5663156413261560967'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/5663156413261560967'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2009/08/blog-post_27.html' title=''/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>5</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-1291125625574905544</id><published>2009-08-25T19:59:00.001+09:00</published><updated>2009-08-25T19:59:35.671+09:00</updated><title type='text'></title><content type='html'>岡潔さんが語る「情緒」そして「明治以前の日本人」2&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私が岡潔さんのエッセイを読んで一番学びとなることは「情緒」の大切さと合わせて、「明治以前の日本人」のことを教えてくれることにあります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;当たり前のことほど、（当たり前だから）記録として残されていないものです。&lt;br /&gt;日本は「言挙（ことあ）げ」しない国ですからなおさらですね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;明治の初頭に、日本人はぐずぐずしていると亡ぼされるかもしれないという恐怖から、西洋の物質主義を無批判に取り入れた。&lt;br /&gt;以降日本人は、この物質主義の水の中に住み続けている。今の日本人は、初めに時間・空間というものがあって、その基盤の上に自然があって、自然の一部が自分の肉体即ち自分である、一切はこんなにもはっきりしていて、これで一切の説明がつく、としか思えないらしい。これを物質主義といっているのである。&lt;br /&gt;物質主義だから、人は肉体が死ねばそれっきりだとしか思えない。皆そう思って、そのつもりで人生の計画をたてている。&lt;br /&gt;本当は僅々七十年ぐらいでできることなんか何一つないのだから、無理に勝手な理屈をつけて、計画がたったといっているのである。&lt;br /&gt;しかし明治以前の日本人は、死ねばそれきりなどとは思っていなかったのであって、この一生をながい旅路の一日のごとく思っていたのである。そして私もそう思っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;明治以前の日本人は「死ねばそれきりなどとは思っていなかった」のですね。私はこの話を初めて聞いた時、とってもうれしかったことを今でもよく覚えています。&lt;br /&gt;「そして、私もそう思っている」&lt;br /&gt;私も一緒です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;次の言葉も私の好きな、大切にしている岡さんの日本人へのメッセージです。&lt;br /&gt;「こんな役割が日本人にはあるんですよ！」と岡さんが日本人にエールを送ってくださっているわけです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ところで、道元禅師であるが、禅では毎朝観音菩薩を拝むのであるが、その時つねに「願うこと」は、「我より先に人を渡さん」という歌をよんでいる。&lt;br /&gt;日本民族を代表して七百年前に道元禅師がこう言明してしまったのだから、私たちはこの誓いを破るわけにはいかない。&lt;br /&gt;それで観音菩薩と同じさとりの位までは行けるが仏になってしまってはいけない。&lt;br /&gt;それで私たち日本民族は、渡せる（即ち仏にできる）ほどの人たちは皆渡してしまって、最後に自分たちが渡ることにするほかない。&lt;br /&gt;そのとき一言「ご苦労さんでした」といってもらえれば望外である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そして、最後にこの一文を。&lt;br /&gt;「自然が美しければ自分がうれしい」&lt;br /&gt;「人が喜んでいると自分もうれしい」&lt;br /&gt;こうありたいなといつも思っていることです。まだまだですが、ほんのちょっぴり指先が触れられる瞬間があります。いつかは、ギュッと。・・・昔の、本当の日本人に。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;日本人は、だいたい明治以前には、自然とか人の世とかをそのまま自分の心の内容だと思っていました。&lt;br /&gt;自然が美しければ自分はうれしいし、他人が喜んでおれば自分もうれしいというふうでした。&lt;br /&gt;そういう広々とした心が本当の自分なのだと、仏教は教えております。それを真我と申します。&lt;br /&gt;仏教がはいる前から日本民族はそう思っていました。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-1291125625574905544?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/1291125625574905544/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=1291125625574905544' title='4 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/1291125625574905544'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/1291125625574905544'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2009/08/2.html' title=''/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>4</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-1066198405597142068</id><published>2009-08-24T20:57:00.001+09:00</published><updated>2009-08-24T20:57:37.096+09:00</updated><title type='text'></title><content type='html'>岡潔さんが語る「情緒」そして「明治以前の日本人」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;世界的な天才数学者で憂国のエッセイストである岡潔（おか　きよし）さんの著書を久しぶりに読み返し、改めて日本人としてこの世にやってきたことへの歓びと感謝の想いにひたり、感じ入りました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;岡さんは日本人の素晴らしさは「情緒」にあるといつもおっしゃっています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;岡さんのおっしゃる日本人は、私が日ごろから目指してはいるけれど、なかなかこの指でふれることのできないでいる美しき情緒豊かな日本人です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「人と人との間にはよく情が通じ、人と自然の間にもよく情が通じます。これが日本人です」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そう日本人のことを岡さんは端的におっしゃっています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「たとえば、すみれの花を見るとき、あれはすみれの花だと見るのは理性的、知的な見方です。むらさきの色だと見るのは、理性の世界での感覚的な見方です。そして、それはじっさいにあると見るのは実在感として見る味方です。&lt;br /&gt;これに対して、すみれの花はいいなあと見るのが情緒です。これが情緒と見る味方です。情緒と見たばあいすみれの花はいいなあと思います。芭蕉もほめています。漱石もほめています」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自然環境へ意識を向けるようになった現代にも深く通じる言葉も残してくれています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「情緒の中心の調和がそこなわれると人の心は腐敗する。社会も文化もあっという間にとめどもなく悪くなってしまう。そう考えれば、四季の変化の豊かだったこの日本で、もう春にチョウが舞わなくなり、夏にホタルが飛ばなくなったことがどんなにたいへんなことかわかるはずだ。これは農薬のせいに違いないが、農薬をどんどんまいてはしごをかけて登らなければならないような大きなキャベツを作っても、いったい何になるのだろう。キャベツを作る方は勝手口で、スミレ咲きチョウの舞う野原、こちらの方が表玄関なのだ。情緒の中心が人間の表玄関であるということ、そしてそれを荒らすのは許せないということ、これをみんながもっともっと知ってほしい。これが私の第一の願いなのである」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;芭蕉の有名な句の解釈が私は日本人の情緒に根差した句であることをすでに忘れ、「情けは人のためならず」と同様に、異なる解釈をする人が多くなっているように思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;秋深き隣は何をする人ぞ&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;という芭蕉の句がありますが、芭蕉は小我を自分だとは思っておりません。真我こそ自分だと思っていたのです。人と自分との間には情が通じ合う。自然と自分との間にも情が通じ合う。だから、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;秋深き隣は何をする人ぞ&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;という句の本当の意味は、つまり芭蕉が一番強くいおうとしていることは、秋も深まると隣の人が何をしているんだろうと非常になつかしい。なつかしさというあたたかさがあるのです。表面には何をしているかわからないという淋しさもありますが、句の底にあるのはあたたかさなのです。底があたたかくて、表面が冷いーーこれが芭蕉のいう「人の世の哀れ」であります。これが芭蕉の俳句の真髄（心）です。芭蕉は俳諧は万葉の心なりといっています。だから万葉のころもそうだったのです。また万葉は、日本に文字が伝わるとともにすぐに書き残されたものです。だから日本においては上代もそうだったのです。本当の日本人は情が中心であり、それが自分であります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;『草枕』に関しては、私も恥じかしながら、「小我」の解釈をしていたようです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;人として一番大切なことは、他人の情、とりわけ、その悲しみがわかるということです。これについては釈迦も孔子もキリストも口をそろえてそういっています。夏目漱石は『草枕』に初めに「情を棹（さお）させば流される」と書いているではないかという人もありますが、終わりまで読んでください。「憐」という字に終わっていますから。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-1066198405597142068?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/1066198405597142068/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=1066198405597142068' title='2 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/1066198405597142068'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/1066198405597142068'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2009/08/blog-post_24.html' title=''/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>2</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-7589832035681999456</id><published>2009-08-22T17:20:00.001+09:00</published><updated>2009-08-22T17:20:40.834+09:00</updated><title type='text'></title><content type='html'>「二度とない人生だから」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;地下鉄に乗っていると、膝の上に置いてある鞄の上に、小さな虫が飛んできました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;小指の先ほどもない小さなカナブンのような虫でした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;地下鉄の中までどうやって来たの？と思わず、尋ねていました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;寡黙な虫は、誰かの鞄や肩の上にそっと乗っかって、一度乗ってみたかった地下鉄に飛び乗ったのかもしれません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「二度ない人生（虫生）」なのだから、やりたかったことを思いきってやってみて、楽しみたかったのかなと思ったりしました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;でも、ふと私と一緒で、虫さんもお日様が大好きで、そろそろ、その姿を見たいんじゃないかなと思ったので、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「おとなしく鞄の上に乗っていたら、地上まで私が連れて行くよ。まだ遊びたければ飛んでいけばいいよ」と心の中で虫さんにささやきました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;すると虫さんはぴたりと動くのをやめて、おとなしくなりました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;地下鉄の中で20分ほど時が過ぎ、東京駅に着くまで、虫さんはじっと鞄の同じ場所にとまっていました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;エスカレータに乗り、出入り口まで階段を昇り、地上に出た時も、虫さんはやはり鞄にしっかりとくっついてそこにいました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;お日様があふれんばかりにあたりを照らしていました。&lt;br /&gt;夏の光が、あらゆるものの影をくっきりと黒く刻み込んでいました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;虫さん、今回の冒険はこれで一応、終了です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;次はどんな旅が待っていてくれるんでしょうね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;皇居の周りの緑がすぐそこに見える街路樹の葉の上に私は虫さんをそっと放ちました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;文中に使わせいただいた「二度とない人生」のフレーズは、坂村真民（しんみん）さんの詩のタイトルからお借りしました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この詩の中の大好きなフレーズである&lt;br /&gt;「一匹のこおろぎでも　ふみころさないように　こころしてゆこう　どんなにか　よろこびことだろう」&lt;br /&gt;を思い出したからです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;坂村真民さの「二度とない人生だから」をおしまいにご紹介します。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「二度とない人生だから」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;二度とない人生だから&lt;br /&gt;一輪の花にも&lt;br /&gt;無限の愛を&lt;br /&gt;そそいでゆこう&lt;br /&gt;一羽の鳥の声にも&lt;br /&gt;無心の耳を&lt;br /&gt;かたむけてゆこう&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;二度とない人生だから&lt;br /&gt;一匹のこおろぎでも&lt;br /&gt;ふみころさないように&lt;br /&gt;こころしてゆこう&lt;br /&gt;どんなにか&lt;br /&gt;よろこぶことだろう&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;二度とない人生だから&lt;br /&gt;一ぺんでも多く&lt;br /&gt;便りをしよう&lt;br /&gt;返事は必ず&lt;br /&gt;書くことにしよう&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;二度とない人生だから&lt;br /&gt;まず一番身近な者たちに&lt;br /&gt;できるだけのことをしよう&lt;br /&gt;貧しいけれど&lt;br /&gt;こころ豊かに接してゆこう&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;二度とない人生だから&lt;br /&gt;つゆくさのつゆにも&lt;br /&gt;めぐりあいのふしぎを思い&lt;br /&gt;足をとどめてみつめてゆこう&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;二度とない人生だから&lt;br /&gt;のぼる日　しずむ日&lt;br /&gt;まるい月　かけてゆく月&lt;br /&gt;四季それぞれの&lt;br /&gt;星々の光にふれて&lt;br /&gt;わがこころを&lt;br /&gt;あらいきよめてゆこう&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;二度とない人生だから&lt;br /&gt;戦争のない世の&lt;br /&gt;実現に努力し&lt;br /&gt;そういう詩を&lt;br /&gt;一遍でも多く&lt;br /&gt;作ってゆこう&lt;br /&gt;わたしが死んだら&lt;br /&gt;あとをついでくれる&lt;br /&gt;若い人たちのために&lt;br /&gt;この大願を&lt;br /&gt;書きつづけてゆこう&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「さて、お待ちどおさま。虫さん、またどこかで逢いましょう」と心の中で虫さんにささやき、その場を後にしました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;すべてはつながっています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;すべては「ひとついのち」です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「二度とない人生だから」、大いに歓んで、楽しんで、幸せに生きていくんだよ～！&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-7589832035681999456?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/7589832035681999456/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=7589832035681999456' title='5 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/7589832035681999456'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/7589832035681999456'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2009/08/20.html' title=''/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>5</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-7649174629613492310</id><published>2009-08-15T16:44:00.001+09:00</published><updated>2009-08-15T16:44:09.229+09:00</updated><title type='text'></title><content type='html'>「シャボン玉」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今日15日は終戦記念日でした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;正午はちょうど電車の中にいましたので、車内で、戦没者の方々への追悼と感謝の想いを胸に、黙とうを捧げさせていただきました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;作家の神渡良平さんが作詞家の野口雨情さんのことを書いている一文を知人が教えてくれました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この文が、お盆の時期、64回目を迎える終戦記念日とタイミングを同じくして届いたことは、「シンクロ」であろうと強く感じ、大切に受け取らせていただきました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;詩人の野口雨情は若い頃、長い間、芽が出なかった。詩人仲間の三木露風（ろふう）も相馬御風（そうまぎょふう）もどんどん頭角を現し、新聞雑誌に原稿を書き、ラジオにも出演したものの、雨情だけは鳴かず飛ばずだった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;雨情は諦めて樺太に渡り、商売を始めたが、うまくいかず、夜逃げ同然で内地に逃げ帰って、小樽で小さな新聞社に入った。しかし上司とうまくいかず、精魂尽き果ててしまった。そんなある日、初めての子を授かった。女の子だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;雨情はすっかり元気を取り戻し、その子に緑と名付け、眼に入れても痛くないほどに可愛がった。ところがその子はわずか一週間しか生き長らえることができず、天国に召されてしまったのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;失意のどん底に落とされた雨情は新聞社を辞め、札幌に出た。新しい職場を得たものの、うまくいかず、また辞めた。三つ目の職場でもうまくいかず、そこも辞めた。そして負け犬となって故郷の茨城県磯原町に帰り、酒に入り浸る生活になってしまった。自分のことを「花の咲かない枯れススキ」と自嘲（じちょう）していたのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ところが、ある夜、夢の中に娘が現れ、眼に涙をいっぱい浮かべて泣いていた。その顔を見た瞬間、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「これはいかん。このままでは、あの子に合わせる顔がない。わずか一週間しか生きることができず、自分の人生にすら挑戦できなかった娘！　それに比べたら自分はどうだ。父母から健康な体をいただき、すでに二十数年の人生を送っていながら、自らの人生を諦め、酒に逃げていた！　何とか、立ち直らなきゃ・・・」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;と思った。そこから雨情の立ち直りが始まった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「緑、お父さんはお前の代わりにいい仕事をするからな。どうか天国から見守って、励ましてくれ！」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;こうして作った童謡が人々の心を打ち、作詞家として知られるようになっていった。異国の地に売られていった女の子の寂しい心情を歌った「赤い靴」、カラスのお母さんの愛を歌った「七つの子」も雨情の作詞によるものだが、「シャボン玉」もまた、幼くして死んだ娘に再起を誓った歌である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;シャボン玉飛んだ&lt;br /&gt;屋根まで飛んだ&lt;br /&gt;屋根まで飛んで&lt;br /&gt;こわれて消えた&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;シャボン玉消えた&lt;br /&gt;飛ばずに消えた&lt;br /&gt;生まれて直ぐに&lt;br /&gt;こわれて消えた&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;風、風、吹くな&lt;br /&gt;シャボン玉、飛ばそう&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;以上が、皆さん、ご存じの「シャボン玉」のいわれです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;読み終えて、ふと懐かしくなってひとり口ずさんでいたら、不覚にも涙が込み上げてきました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;緑ちゃんは、さぞかし、お父さんのことが心配で、心配で仕方なかったのでしょうね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;雨情さんが緑ちゃんへの想いの丈を込めてつづった「シャボン玉」の詩が、心の中で幾度もこだまする今日という一日でした。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-7649174629613492310?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/7649174629613492310/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=7649174629613492310' title='6 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/7649174629613492310'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/7649174629613492310'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2009/08/15-64.html' title=''/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>6</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-7701216233617141248</id><published>2009-08-14T10:56:00.001+09:00</published><updated>2009-08-14T10:56:54.324+09:00</updated><title type='text'></title><content type='html'>滅多に生まれられない&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;お盆ですね。&lt;br /&gt;大切な、愛おしい、切ない、「送りし人」をお迎えして、偲び、懐かしみ、感謝していると、この世とあの世との距離がぐんと近くなったような気がしてきます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;慌ただしい日常からつかの間離れて、心落ち着けて自分と向き合えるという意味では、やはりこの世にいる者にとっても大切な数日であります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そんなお盆のひとときを心穏やかに過ごしながら、&lt;br /&gt;お釈迦様と弟子のアーナンダが交わしたお話を思い出しましたので、ひとつご紹介いたします。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;お釈迦様はある時、アーナンダと共に道を歩いていました。&lt;br /&gt;立ち止まってしゃがみこんだお釈迦様は、地面の土をつまんで爪の上にのせ、アーナンダに振り向いて、こう言いました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「アーナンダよ、この爪の上にのっている土と、地面にある土は、どちらが多いと思いますか」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;アーナンダは、お釈迦様の爪の先についた土と足元の地面の土をじっと見比べて、さも当たり前という表情でこう答えました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「お釈迦様、それは地面の土の方が間違いなく多うございます。爪の上の土はほんのちょっぴりです」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;すると、お釈迦様は、アーナンダに、やさしい笑顔を向けて、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「アーナンダ、その通りですね。この世に命をいただいて、生まれてくるものは、この地面の土ほどたくさんあります。&lt;br /&gt;しかし、人間として生まれてこられるものは、この爪の上の土ほどしかないんです。&lt;br /&gt;人間には滅多に生まれられないんです。&lt;br /&gt;ですから、命というものは本当に大切にしていかなければならないんですよ」&lt;br /&gt;とおっしゃいました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;生きていると、つらく、悲しく、苦しいことがたくさんあると思いますが、この世に人として生まれてくるのは大変に難しいようです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自ら願い、祈って、永年待ち続けて、ようやくこの世にやってこれるそうです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ですから、この世に来ている人は、全員が、「自ら願い求めてやってきた人」ばかりなのですね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;修行のため、魂の成長のために、その理由の記憶を今は損なっていますが、&lt;br /&gt;「自分がなぜあんなにも激しく、切なくこの世にやってきたかったのはなぜなのか」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「自分がこの世にやってきてやろうとしていたことは何なのか」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そうしたことを考えてみる機会としてこのお盆という季節を過ごしてみるのも時にはいいかもしれませんね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ここで、ご縁をいただいた皆さんのあふれるほどの幸せと、天命を見つけ、全うされることをいつも祈っています。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-7701216233617141248?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/7701216233617141248/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=7701216233617141248' title='2 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/7701216233617141248'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/7701216233617141248'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2009/08/blog-post_14.html' title=''/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>2</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-1758609227069458879</id><published>2009-08-10T17:45:00.001+09:00</published><updated>2009-08-10T17:45:30.523+09:00</updated><title type='text'></title><content type='html'>すべては意（こころ）より成る&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;お釈迦様の論語といわれる「法句経」は423句で構成されています。&lt;br /&gt;この法句の第一、第二のお言葉にはこうあります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「意（こころ）こそもと」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;すべては意（こころ）より成る　　意（こころ）こそすべてのもと&lt;br /&gt;けがれたる意（こころ）もて　　かたらいまたふるまえば&lt;br /&gt;苦しみはたえまじ　　わだちの車にそうごとく&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;すべては意（こころ）より成る　　意（こころ）こそすべてのもと&lt;br /&gt;清らかな意（こころ）もて　　かたらいまたふるまえば&lt;br /&gt;楽しみはつきせず　　影の形にそうごとく&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;お釈迦様は、法句経のまず最初で、人の人生に起こる幸、不幸、運、不運はすべて、自分の意思によって決まっていると説かれているのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;人生を明るくするのも、暗くするのも、歓びあふれた幸せなものにするにも、暗く悲しく不幸せにするのも自分の意（こころ）次第と宣言しているのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そして、&lt;br /&gt;「意（こころ）を言葉にし、行動に表した時に、人生の現われが起こる」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;これがこの世の仕組みだと教えてくださっているのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この法句は、&lt;br /&gt;汚れた意（こころ）を持って言動し、行動すれば、あなたの人生に苦しみが絶えることはなくなる。それは牛車の車にわだちがぴったりと付き添ってゆくようなものである、と言っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その一方で、清らかな意（こころ）を持って言葉とし、行動をすれば、楽しみは尽きることのない人生となる。それはまるで人から決して離れることのない影のように、常に憑き従うのである、と述べられています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この人生を決定する大切な、意（こころ）を清らかにするためにはどうすればいいのでしょうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それは「執着」をしないよう、心掛けていくことです。&lt;br /&gt;イヤなこと、悲しいこと、つらいことが起こっても、それをギュッとつかみ、長く握りしめないようにすることです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「執着」にからめとられてしまわないようにする、良い方法があります。&lt;br /&gt;私は毎朝、このことを心に宣言しています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この世を生きて行くのだから、イヤなこと、悲しいこと、つらいことは起こったり、見たり、聞いたりする。その時は、私は、それに対して、しっかりと向き合っていく。&lt;br /&gt;しかし、どんなことに遭おうと、見ようと、聞こうとも、私の心は、決して「汚れる」ことはない。「清い」ままで、いかなることも、何人も汚すことはできない&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;と宣言し、心に決めるのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（このことは「六根清浄（ろっこんしょうじょう）」という祝詞に記されていますので、次回、ご紹介させていただきます）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;臨済宗の山田無文老師が生前、この法句経の“意こそもと”について、ある女性の生き方をあげて、紹介されていらっしゃいました。&lt;br /&gt;長く私の心に残っているお話でしたので、そのままごここで紹介させていただきます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;霊雲院の檀家に、ある夫人がいられる。最も古い目白女子大の出身であるが、今日八十の高齢をもってなお矍鑠（かくしゃく）として家庭裁判所につとめ、社会のひずみを治す医者として、往診に暇ない人である。&lt;br /&gt;結婚して初めて生まれた長男が小児麻痺で、いわゆる精薄児として生まれられた。その子を抱えて若い夫人は、どんなに悩まれたことであろう。&lt;br /&gt;苦悶の末ついに求められたのは宗教であった。まずＡ宗教の門を叩かれた。その宗教では、「そういう障害のある子供の生まれたことを神の恩寵（おんちょう）だと思え、そのためにあなたが教会へ来て教えを聞くようになったのだから」と教えられたが、いくら考えても、この不憫（ふびん）な幼子を抱いて神の恩寵とは頂けなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;次にＢ宗教に走ると、その宗教では「それは先祖を祭っていない祟（たた）りだから、先祖の霊を厚く弔（ともら）え」と教えられたが、これも納得いかなかった。もし自分が先祖だったら、どんなに苦しくても、子孫に祟（たた）るような非情なことはしないであろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;最後に、主人の坐禅の師である霊雲院の宗徹和尚のところへ連れてこられた。宗徹和尚は茶を呑みながら、いとも無造作に「それはなあ、仏さまからのおあずかりした大切な子じゃぜ、大事にしてあげや」と言われた。&lt;br /&gt;その一言で、あれほど悩み抜いた夫人の意（こころ）が初めて納得いったというのである。禅というものは難しいものだとばかり敬遠して、主人がいくら奨めてもお訪ねする気になれなかったが、たったこの一言で一切の悩みが解決したのである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;仏さまからおあずかりした子なら自分の責任ではない。大事にしてあげましょうと、安心して育てられるようになった。そして後から生まれる子供たちにもよく言い聞かせ、「兄さんは仏さまからおあずかりした大切な兄さんだから、大事にしましょう」と言うて、家中で温かく育てられた。&lt;br /&gt;今日五十すぎても、よだれをくって「ああ！　ああ！」と言うておるような兄さんであるが、みんなが大事にして、ご家庭の中は至極円満で、老後を楽しんでいられるのである。先日、久しぶりにお目にかかると、「この頃は兄ちゃんが一番よく働いてくれます」と言われる。それは近年小児麻痺や精薄児を抱えたお母さん方が多くなって、「いっそ、この子と心中してしまいたい」ほど悩まれた揚句、この兄ちゃんの話を聞いて、わざわざ訪ねて来られ、その幸福な姿を見て、みんな感激し、母も子も救われるというのである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;障害のある子を持って、それを仏さまのおあずかり子と正直に受け取り、温かく育てられた、夫人の意（こころ）こそ清らかであったと思う。幸福は影の如く、今も夫人の姿に添うて離れない。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-1758609227069458879?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/1758609227069458879/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=1758609227069458879' title='5 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/1758609227069458879'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/1758609227069458879'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2009/08/423.html' title=''/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>5</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-5725455972770299201</id><published>2009-08-09T09:11:00.001+09:00</published><updated>2009-08-09T09:11:55.872+09:00</updated><title type='text'></title><content type='html'>真言（マントラ）の不思議&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この1カ月ほど、毎週末に埼玉・秩父に観音様を訪ねています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;観音様にお逢いし、頭を垂れ、まず最初に唱えるのが「真言（マントラ）」です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;真言密教を日本に中国から持ってきたのが空海さんです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;密教は悟りを開いた人への教えとして伝わってきました（悟りを開く前の人には顕教（けんきょう）という教えがあります）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この密教が伝える真言には大変に不思議な力があります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;空海さんに関わる真言として有名なのが、&lt;br /&gt;「虚空蔵菩薩（こくうぞうぼさつ）様」の真言です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「のうぼう　あぎゃしゃ　ぎゃらばや　おんまりきゃ　まりぼり　そわか」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;これを100万回唱えると抜群の記憶力がもたらされ、仏典をすべて理解できるようになると言われています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;空海さんはこれを四国の室戸岬で唱え続け、100万回唱え終えた時、悟りを開きます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;悟った瞬間、最初に目に飛び込んできた洞窟の先に広がる「空」と「海」を見つめて、今日から「空海」として生きていこうと決心します。&lt;br /&gt;私はこの話を聞いて、故郷の青い空と海が思い出され、懐かしさが込み上げてきて、むしょうに帰りたくなったことを覚えています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ただ、この虚空蔵菩薩様の真言を100万回唱えると誰でも悟りを開けるわけではないようです。実際、空海さんが悟りを開くまで、この真言によって誰一人として悟りを開けた人はいませんでした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;真言は、唱える人の「執着」の度合いによって、叶える力が異なるといわれています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;空海さんは、きっと人並み外れて執着の少ない人だったのでしょうね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は、観音様巡りで、般若心経を唱えます。&lt;br /&gt;般若心経の要諦は、最後の真言にあるとおっしゃる方がいらっしゃいます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「羯諦（ぎゃてい）　羯諦（ぎゃてい）　波羅羯諦（はらぎゃてい）　波羅僧羯諦（はらそうぎゃてい）　菩提薩婆訶（ぼじそわか）」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この真言を唱えるだけで、願い、想いが叶うというわけです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;お経の中には読んでみようとして、まったく読み方がわからない言葉がたくさんありますが、この真言もまさにそうです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;実は、真言には、翻訳したり、講釈したりしてはならないというしきたりが古くからあるのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;このため、中国の聖人たちは、インドの梵語（ぼんご）の“音”を苦労しながら漢字に当てはめて書き写していきました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;般若心経をインドから中国に持ってきた玄奘三蔵(げんじょうさんぞう＝三蔵法師)様の弟子の慈恩大師も、「インドの正音は、秘密の句であり、翻訳すると霊験はなくなる。だから梵語のままにしてあるのだ」とおっしゃっています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ですから、般若心経の最後の真言も、梵語の“音”をそのまま漢字に当てはめているので、あのように不思議な表記になるのですね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;さて、この真言の不思議な力、願いを叶える素晴らしい力について、日本には数多く面白い話が残されています。&lt;br /&gt;その中からひとつご紹介したいと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;真言は、執着の度合いによって叶えられる力が異なってくることとは別に、唱える人がその意味を知っていてもいなくても差し支えないという特徴があります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;知らなくてもひたすらその霊験を鏡のような心になって、一心に信じ切って唱えると素晴らしい効果が発揮されるのです。&lt;br /&gt;そういう意味では「素直」という要素が重要なのかもしれません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;昔、四国にあらゆる病気を治すと評判の老婆がいました。&lt;br /&gt;その治し方が大変不思議で、患者に触れることもなく、老婆が呪文を唱えると、その瞬間に病気がぱたっと治ってしまうのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その呪文がまたとてもかわっています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「大麦小麦二升五合」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;と唱えるだけなのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そんなある日のこと。お節介な坊さんが現われて、老婆にこう言いました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「あんたが唱えているのは、金剛経のなかの『応無所在、而生其心（おうむしょじょう、にしょうごしん）』という句があって、それの覚えぞこないだよ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そうしたところ、老婆のまじないはそれからパタリと効かなくなってしまったそうです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一心に信じ切っていた想いが、坊さんのひと言によって心の中に羞恥心が生まれ、曇らせて、霊験をなくしてしまったのですね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;悟りを開いて神様のようになっていなくても、真言の叶える力は素晴らしいものがあります。&lt;br /&gt;この世はやはり「人の世」です。悟りに達しなくても、願いがあり、それを叶えるために一所懸命に唱えてきた人がどれだけたくさん過去にいらっしゃったことでしょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;また、数々の聖人、神人といわれる方々が、真言を唱えることで、“願いが叶う道”を拓いてくださっています。&lt;br /&gt;般若心経もそうですが、唱えると、一瞬にして、この願いが叶う道につながるようになっているのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;日ごろから執着をなくすよう心がけていくとなおさら願い事が叶うスピードが増していきます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;執着は“私”であり、“私”が入ると“欲”が曇りとなりますから、どうしても真っ直ぐに伝わらなくなります。&lt;br /&gt;日ごろから自分（私）に関わりのある人の幸せだけでなく、今は関わっていない人、いつかは関わるだろう人、今世では関わらないけど、来世以降では関わる人、過去世でお世話になって人（このへんまで含めてくると、「すべての人」になってきます）の幸せを祈る習慣を週一回でも二回でもつくっておくといいかもしれません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私もすべての人が、そして、ブログで出逢った皆さんが元気で、幸せでありますように、と毎朝晩、祈っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;良き日々をお過ごしくださいね。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-5725455972770299201?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/5725455972770299201/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=5725455972770299201' title='3 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/5725455972770299201'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/5725455972770299201'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2009/08/1-100-100-100.html' title=''/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>3</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-4674407125471933916</id><published>2009-08-02T12:43:00.001+09:00</published><updated>2009-08-02T12:43:58.813+09:00</updated><title type='text'></title><content type='html'>すべては「ひとついのち（ワンネス）」。すべての原因は自分の内にある&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この世のものはすべて、「ひとついのち」です。&lt;br /&gt;周りにいる他人も、動物も、植物も、物も、目にするすべてが関わりがあり、つながりを持っていて、自分とひとつのいのちになっています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;このことを「ワンネス」とも言うようです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「身近な愛おしい人は『ひとついのち』になりたいけど、職場のイヤなあの人は『ひとついのち』なんかじゃない」というのは、その気持ちはわかりますが、やはりちょっと違うようです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;すべては「ひとついのち（ワンネス）」とわかると、自分の身の回りで起こることはすべて自分に＜原因＞があるということがわかってきます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;でも、すべては「ひとついのち」であることがわかってからでないと、すべての問題の原因が自分であると理解するのはなかなか難しいようです。&lt;br /&gt;「自分という個」と、それに対する「他の個」「その他大勢」という構図では、自分の問題は人や周りのせいにしたくなりますし、人の問題まで自分が原因であるとは許容できないものだからです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ましてや、他人から「すべての原因はあなたにある」「あなたの周りの問題は、すべてあなたに原因がある」なんて唐突に言われると、無性に腹が立ったり、聞く耳を無くしたりして、とてもじゃありませんが素直には受け入れられないものです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それでも、この世が「ひとついのち（ワンネス）」であることに気づくように、神人、聖人といわれた人々が説いてきたのには、それ相応の理由があるのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自分の目の前に現れをすべて自分のこと（自分が原因である）と認め、お詫びし、感謝し、愛すると、人生が幸せに、良き方向に変わっていくからです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;不思議なほど、目に見えて良き現われが起こるようになるのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;このすべての原因が自分の内にあるということについて、とてもわかりやすく教えてくれる話があります。中国であった実話です。&lt;br /&gt;ずいぶん前に読んだのですが、どこかに書かれていたのかなかなか見つけられずにいたのですが、ハートさんからブログにプレゼントをいただき、お礼の記事を書く時に、ふと手に取った本にその話を見つけることができました。ハートさん、気づきと導きをいただきましたことに、心から感謝いたします。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この話は、心理学者のカール・ユングの友人で、宣教師として中国に渡り、「易経」などを翻訳しヨーロッパに伝えたリヒアルト・ヴィルヘルムという人が、中国で実際に体験したお話です。&lt;br /&gt;私はこれまでに幾度かこの話を聞く機会があったのですが、立花大敬先生の記事が読んで一番、コトリと心の中に落ちるものがあり、納得できましたので、そのままご紹介させていただきたいと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼がある地方にいた時、その土地は大旱魃（かんばつ）でした。もう何ヶ月も雨が降らず、田畑の植物は干（ひあ）上がって、枯死（こし）寸前でした。&lt;br /&gt;そこで農民たちが相談して、雨降らしの名人という評判の人を招きました。&lt;br /&gt;数日後、その名人がやってきました。&lt;br /&gt;見たところ、本当にみすぼらしい、ヨボヨボの老人で、ヴィルヘルムにはとても、その老人がそんな特殊な能力の持主のようにはみえませんでした。&lt;br /&gt;その老人は、一軒の家の提供と日に三度の食事の差し入れを要求して、その家にとじこもってしまいました。&lt;br /&gt;中の様子をうかがっても、しんと静まりかえっており、太鼓や鉦（かね）をたたいて祈ったり、お経を上げたり、呪文をとなえたりしているようにはみえませんでした。&lt;br /&gt;ところが、三日目に突然雲があつまって、ド、ドッと大雨が降り、農民たちは大喜びで雨の中で踊りまわったそうです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ヴィルヘルムは家から出てきた、その雨降らしの名人に、「いったいどうして雨を降らせたのですか」とたずねました。老人は次のように答えました。「私は雨を降らせようとしたわけじゃありませんよ。&lt;br /&gt;この土地にやって来た時、この土地がこんなにも干枯（ひから）びているのは、私の心がうるおいを失って砂漠化しているせいだとわかりました。&lt;br /&gt;それで私は家に閉じこもって、この土地をこんなにしてしまった私のあやまりをおわびしました。おわびの心が深くなってゆくにつれて、私の心にうるおいがもどって来、心の乱れが整理されて調和のとれた姿となってゆきました。&lt;br /&gt;そして、それ（その心の状態）が本物になった時、この土地の不調和の状態もおしまいになり雨が降ったのです。&lt;br /&gt;私は決して雨を降らそうと思ったわけじゃないのですよ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;身の回りで起こったことを変えたい時、その原因は自らの内にすべてはあります。&lt;br /&gt;この中国の老人は枯れた天候でさえ、自らの心がうるおいを失っていたからだと、すべてを自分のことと受け止めています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自らで、すべての元は自分にあり、と受け止めて（ひとついのちを理解できると自然に、当然自分の責任！と感じられるようになります）、自分の心の内で、お詫びし、感謝し、愛して、豊かな心に変えていけばいいのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自分がすべてに責任を負えるから、人生をガラリと明るく澄みきった歓びにあふれたものに、変えていけるんですね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「目の前に広がる世界は、すべて自分のものなのです」。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「すべては私に責任がある！」と自ら進んで宣言できた時、本当の意味での「自分の人生」が始まるのではないでしょうか。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-4674407125471933916?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/4674407125471933916/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=4674407125471933916' title='6 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/4674407125471933916'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/4674407125471933916'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2009/08/blog-post.html' title=''/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>6</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-3849805763290219502</id><published>2009-07-16T10:13:00.001+09:00</published><updated>2009-07-16T10:13:08.924+09:00</updated><title type='text'></title><content type='html'>「腹八分目」は神様への感謝につながります&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「腹八分目」が大切であると言われますが、これは食べ過ぎないことが健康や美容に良いということだけでなく、それ以上に大切な意味があります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一升の食べ物が目の前にあれば、それをすぐにすべてを自らの口に入れるのではなく、まず先に「二分」を神様に捧げるという天地自然への「感謝」の気持ちが大切なんですよと教えてくれているのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　また、食べ過ぎない習慣を持つと運命もよくなるようです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それ以上に怖いのは、腹一杯食べる習慣をつけた人には低級霊が憑（つ）きやすくなります。&lt;br /&gt;　この世を去り肉体はなくなったのに、食べることに未練を持ち、執着している低級霊が生きている人に乗り移り、その人の身体を借りて、自分の口に食べ物を入れようとするのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;このことは日本と世界の未来を予見した書として有名な岡本天明氏が自動書記した「日月神示（ひつきしんじ）」にも次のように紹介されています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「食物、食べ過ぎるから病になるのぢゃ。不運となるのぢゃ。&lt;br /&gt;　腹十分食べてこぼれる、運はつまってひらけん。この判りきったこと、何故に判らんのぢゃ。ツキモノがたらふく食べていることに気づかんのか。食べ物接すればツキモノ改心するぞ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自分に憑いている憑依霊まで改心できると記されていますね。&lt;br /&gt;ダイエットできて、低級霊からの憑依から免れ、憑いてしまっていても改心させられて、何といっても神様への感謝につながるのですから「腹八分目」は言うことないですね！&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「腹八分目」でみんなで幸せになりましょう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-3849805763290219502?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/3849805763290219502/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=3849805763290219502' title='5 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/3849805763290219502'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/3849805763290219502'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2009/07/blog-post_16.html' title=''/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>5</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-7373687171287375953</id><published>2008-09-13T11:19:00.008+09:00</published><updated>2008-09-13T14:25:49.859+09:00</updated><title type='text'>「幸せのソフト」インプット記念日</title><content type='html'>　毎朝続けている日課がいくつかある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　朝日を拝む「日拝」や守護霊へのあいさつ、般若心経を唱えることなどと共に日課としているのが、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　中川昌蔵さんが提唱されている&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「幸福になるためのソフト」の暗唱である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今日一日、親切にしようと想う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今日一日、明るく朗らかにしようと想う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今日一日、謙虚にしようと想う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今日一日、素直になろうと想う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今日一日、感謝をしようと想う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　人によっては「こんな当たり前のことを毎朝、暗唱してるの？」と言われるかもしれないが、僕なりにいろんなことを学んできた中で、この５箇条のシンプルな言葉を我が身に刷り込ませることは、これから生きていく上でとても大切なことであるとの直感があったので即、半紙に筆で書き記し、トイレの中の目に付くところに貼り付けた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さらに魅了されたのが、その方法論で、以前にもご紹介したが、中川さんが、「この『幸せのソフト』は実行してはダメ、意識して実行すると失敗する」とおっしゃっている点である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　その理由を中川さんは、「なぜかというと、コンピューターというハードにはソフトが不可欠なように、人間は肉体というハードがあり、そのハードにもソフトが不可欠なのです。親切というソフトが必要なのですが、ソフトをつくる前に人に親切にしたら失敗してしまうのです」&lt;br /&gt;　「現代人の右脳はよく働かなくなっているが、それは物質世界の中で育ち、小学校から大学まで理論や数学や権利意識ばかり教育して左脳人間を作り上げた結果である」&lt;br /&gt;　「だから右脳にソフトをインプットすることが必要になってきたのである」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　と自著「不運より脱する運命の法則」の中で説明している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　頭で考えてから行動が起こるのではなく、心が対象をとらえた瞬間に身体が自然に動くようになってはじめてこの「幸せのソフト」のインプットが完了したことになるのだ、と僕なりに解釈させてもらった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　いつかはそんな日がくればいいなと楽しみにしながら日課としてきたわけだが、&lt;br /&gt;　先週、「あれ、これは『幸せのソフト』がインプットされたのかも！？」と思う体験をした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　どういうことをしたのかについて細かに書くのは気恥ずかしいので止すが、電車の中で、そしてその電車を降りて公共施設の建物の前で、困っている人がいるのに立ち会い手助けすることができたのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　その時、いずれも頭の中で「どうしようかな」「こうしてあげると助けられるかな」と考え、「そうしてあげよう」と決めて身体が動いたわけではなく、&lt;br /&gt;　困った人を見た瞬間、身体が動いていて、手助けを終えたあとで、「あれっ、身体が勝手に動いた～」と自分に驚いてしまうという体験であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　こんな体験は初めてのことであり、しかも１時間ほどの間に２度も続いたので、&lt;br /&gt;　「もしかしたら幸せのソフトがインプットされたのかな？今日は記念日かもしれない」とひとり喜んだという次第である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　まあ、本当にインプットを終えたとしても「心の鏡」が曇っているような時には起動しないだろうから、これからも良き心がけが必要であろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　もちろん「幸せのソフト」を暗唱する日課も続けていくつもりである。&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-7373687171287375953?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/7373687171287375953/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=7373687171287375953' title='279 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/7373687171287375953'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/7373687171287375953'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/09/blog-post_13.html' title='「幸せのソフト」インプット記念日'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>279</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-6486434565711749261</id><published>2008-09-12T06:42:00.002+09:00</published><updated>2008-09-12T06:46:54.262+09:00</updated><title type='text'>何気ない思い込みで60％の人が良くもなるし悪くもなく「プラシーボ効果」</title><content type='html'>　「プラシーボ効果」というものがある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　権威のある先生がうどん粉を「これは身体に大変よく効く薬ですよ」と患者さんに言えば、約60％の人には効いてしまうことを「プラシーボ効果」という。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　聞くところによると、新薬の効果はプラシーボ効果に５％を上乗せした65％に効けば認められるということになっているらしい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　人は少なくとも「なにげない気持ち」「思い込み」だけで60％の人がかなり瞬時に「良く」もなるし、「悪く」もなるということらしい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　無意識下の「潜在意識」が影響を受けるということなので、結構面倒な話のような気がする。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ひとつの対処法は、近くで悪口、陰口、愚痴、不平不満が聞こえてきたら、「即、非難！」である。ウンウンとうなずくなどもってのほかである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　「では自分の口がそれを言い始めた時はどうすればいいのか？」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　・・・、それはどこにも非難しようがないので、出てこないようにするか、その時はまったく思っていなくても明るく朗らかな言葉をどんどん口にして、言葉に心を磨いてもらいましょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-6486434565711749261?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/6486434565711749261/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=6486434565711749261' title='3 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/6486434565711749261'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/6486434565711749261'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/09/60.html' title='何気ない思い込みで60％の人が良くもなるし悪くもなく「プラシーボ効果」'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>3</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-1988202550076348496</id><published>2008-09-07T11:18:00.007+09:00</published><updated>2008-09-12T06:44:34.594+09:00</updated><title type='text'>大敬先生の「般若心経」講義⑧「ひとつ命」にすべてはつながる</title><content type='html'>&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SMM7eg4s59I/AAAAAAAAAV4/QCaVegs9jgE/s1600-h/%E8%81%96%E8%A6%B3%E9%9F%B3%E2%97%8E.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://4.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SMM7eg4s59I/AAAAAAAAAV4/QCaVegs9jgE/s200/%E8%81%96%E8%A6%B3%E9%9F%B3%E2%97%8E.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5243099786599262162" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　いよいよこれで最後となります。&lt;br /&gt;　観音様です。&lt;br /&gt;　般若心経の「無智亦無得、以無所得故（むちやくむとく　いむしょとくこう）」の10文字のところを読むと観音様が現れて、「よし、よし」と笑みをうかべてうなずいてくださると空海さんはおっしゃっています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　自分の知恵がない「無智」、&lt;br /&gt;　自分の能力がない「無得」、&lt;br /&gt;　自分のものとすることはない「無所得」。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　宇宙には大きな響きが広がっているそうです。&lt;br /&gt;　そして、その響きに同調するメロディーを描くと願いごとはすぐに叶います。&lt;br /&gt;　逆にこれに反する思いの目標はなかなか叶わないし、叶わない方がいいのです。&lt;br /&gt;　歴史上、名を残していますが、多くの人々の犠牲のもとで地位を築いた織田信長や豊臣秀吉の子孫は不幸でした。願いが叶ったからいいというわけではないのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　観音様は、音、響きを感じています。&lt;br /&gt;　その人の持っている個性でその音、響きに同調できるようにすることが大切です。&lt;br /&gt;　自分の能力ではない&lt;br /&gt;　自分の力ではない&lt;br /&gt;　自分の所有ではない&lt;br /&gt;　そんな同調の方法なのだと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　僕は42歳から思いのままの人生を送らせていただいております。&lt;br /&gt;　近頃はそんな思いのままもなくなって、「思い及ばぬ人生」を感じられるようになってきた気がします。&lt;br /&gt;　宇宙全体の思いを感じます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「思い及ばぬ人生」が観音様の生き方なのです。&lt;br /&gt;　今日、この場所にいらした方の中にはそんな世界を見通せる人が出てくるのかもしれません。僕は30世紀に向けて自分ができることをしていこうと思っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　観音様は、手に蓮（はす）の花をもっています。なぜこの花をもっているのでしょうか。&lt;br /&gt;　蓮の花は別々に咲いているように見えますが、水の中の泥の下では根はつながっています。&lt;br /&gt;　命はひとつなのです。そのシンボルが蓮の花です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　宇宙の響きもこの蓮の花と同じく、ひとつにまとまろうとしています。&lt;br /&gt;　その流れに合わない願いは、叶いません。&lt;br /&gt;　「ひとつ命」というゴールにすべてがつながっているのです。&lt;br /&gt;　それがわかってくると、ふっと思うことが叶うようになってきます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　野ギツネになったお坊さんの昔話があります。お坊さんが五百回生まれ変わりをするのですが、因果によってずっとキツネになっています。&lt;br /&gt;　そのことに悩み、苦しみ、さまざまなことを心みますが人間ではなくいつもキツネとして生まれることになってしまいます。&lt;br /&gt;　そして、とうとう、ある時、「自分はキツネでいいや（キツネとして生きていこう）」と思った瞬間、キツネとして生きていくことが終わり、人間として生まれ変わることになるというお話です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　【呪の章】&lt;br /&gt;　「呪」は口＋祝という文字からできています。&lt;br /&gt;　宇宙全体にはある響きが響いています。これに同調できるかが大切なのです。&lt;br /&gt;　では、この宇宙の響きとはどういう響きなのでしょうか。&lt;br /&gt;　それは、「祝福の響き」なんです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　般若心経の「大神呪（だいじんしゅ）」とは、大いなる祝福のことです。&lt;br /&gt;　「大明呪（だいみょうしゅ）」は、喜びと光明でいっぱいということです。&lt;br /&gt;　「無上呪（むじょうしゅ）」は、高く澄みきった祝福、&lt;br /&gt;　「無等等呪（むとうどうしゅ）」は、すべての人に平等に与えられ、包み込まれているということです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　同調すると自分がこの響きを響かせられるようになる。これが「無等等呪」なのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　【真言の章】&lt;br /&gt;　般若心経の終章はこうです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「羯諦羯諦　波羅羯諦　波羅僧羯諦　菩提娑婆賀　般若心教」&lt;br /&gt;　（ぎゃてい　ぎゃてい　はらぎゃてい　はらそうぎゃてい　ぼうじそわか　はんにゃしんぎょう）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　お釈迦様が悟られた時に叫ばれたのがこの言葉だったのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それぞれの意味は、&lt;br /&gt;　「羯諦（ぎゃてい）」は、着いた、&lt;br /&gt;　「波羅（はら）」は、目的地（ゴール）に、&lt;br /&gt;　「波羅僧（はらそう）」は、ゴールに皆一緒に着いた、&lt;br /&gt;　「菩提（ぼうじ）」は、ひとつ命の成就、&lt;br /&gt;　「娑婆賀（そわか）」は、めでたく、ありがたし、&lt;br /&gt;　です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これらの言葉は、「完了形」として表されています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　お釈迦様は悟りによって、人類の最後を確認されました。&lt;br /&gt;　それが「ひとつ命」を悟ることが目標ということでした。&lt;br /&gt;　「ひとつ命」になった、皆が同じ悟りとなったという目標です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　【成果の章】&lt;br /&gt;　「思いを実現するというのも、欲なのではないのか」と聞かれることがあります。&lt;br /&gt;　悟りを教えないということで失望される方もいます。&lt;br /&gt;　確かに悟ろうとすることも欲です。&lt;br /&gt;　しかし、「ひとつ命」だけを目標にしていたら、人は伸びないのです。&lt;br /&gt;　すべてを欲として認めた上で、仕事、配偶者、人、物事との関わりを、一つひとつ自分なりにきとんとやっていくことが自分を伸びていくことになるのです。&lt;br /&gt;　欲を翼にして悟りをひらくということを、お釈迦様もおっしゃっています。&lt;br /&gt;　自分の目の前にこそ大切なことがあり、きちんと向き合っていく心に「ひとつ命」というゴールがあるのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;人　　人　　人　　人　　人　　人　　人　　人　　人　　人　　人　　人　　人　　人　　人　　人　　人　　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これで立花大敬先生の「般若心経講座」はひとまず終了です。&lt;br /&gt;　このブログを読んでくださっている友人、知人の中には般若心経を読まれている人、書かれている人が数多くいらっしゃり、また僕が縁となり始められた方々もいらっしゃるので、大敬先生のこの貴重なお話は可能な限りありのままの形でお伝えするのが僕の役割だなと思い、メモ帳を横にしながら悪戦苦闘しつつご紹介してまいりました。&lt;br /&gt;　ただ、個人的に新しい仕事が入り、本格的に向き合うことになるなど、身辺が急に慌ただしくなったため（僕はこれも般若心経の、そして大敬先生の講演を聞けた御陰だと思っています）に、ずいぶん時間を要してしまいました。読んでくださっていた方、また、気をかけてくださっている方には心よりお詫び申し上げます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　また、この連載の途中には、驚き、喜ぶ、しかし、恐縮して冷や汗が背筋を流れるような出来事がありました。&lt;br /&gt;　福岡・北九州での大敬先生の「禅の会」に参加された方から、東京の講演の内容を書きつづったブログがあるとこの禅の会で知り、ブログを読ませてもらいましたという丁重なメールをいただいたのですが、その僕のブログの存在を教えてくださったのがなんと“大敬先生本人“だというのです。&lt;br /&gt;　僕はメールを読みながら初めて自分の身体が固まるという経験をしました。&lt;br /&gt;　とはいえど、講演の紹介を途中で止めるわけにもいかず、暑さとは別のひんやりした汗を流しながら、書きつづり、なんとか本日書き終えました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　連載の書き出しでもお断りしていますが、表記は一人称で記してありますが、それはなるべくありのままの形でお伝えしたいという思いからで、作業は聞き取ったメモを文章にまとめていく作業ですので誤字、脱字や先生の主旨をきちんとくみ取れていない表現などがきっとあると思います。&lt;br /&gt;　この点、ご了承、ご容赦ください。また、お気づきの点がありましたら、ご面倒でもぜひお教えください。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私は、大敬先生とのご縁によって学んだこの「ひとつ命」の教えを大切にして目の前のことに真心をもって喜びの気持ちを持って臨み、前に進んでまいりたいと思います。&lt;br /&gt;　読んでくださっている皆様におかれましてもこの心による想いの実現法で幸せをつかんで喜びと光の存在になり、周りの人たちにその喜びと光を分け与えてあげてほしいと願っています。これからもどうぞよろしくお願い致します。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-1988202550076348496?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/1988202550076348496/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=1988202550076348496' title='2 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/1988202550076348496'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/1988202550076348496'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/09/blog-post.html' title='大敬先生の「般若心経」講義⑧「ひとつ命」にすべてはつながる'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SMM7eg4s59I/AAAAAAAAAV4/QCaVegs9jgE/s72-c/%E8%81%96%E8%A6%B3%E9%9F%B3%E2%97%8E.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>2</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-3720232788362447184</id><published>2008-08-31T07:39:00.005+09:00</published><updated>2008-09-05T08:11:38.847+09:00</updated><title type='text'>大敬先生の「般若心経」講義⑦弥勒の教え</title><content type='html'>&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SLnN6Z_HK-I/AAAAAAAAAVw/tqJVMgLtu8k/s1600-h/%E5%BC%A5%E5%8B%92%E8%8F%A9%E8%96%A9%E2%97%8E.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://4.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SLnN6Z_HK-I/AAAAAAAAAVw/tqJVMgLtu8k/s200/%E5%BC%A5%E5%8B%92%E8%8F%A9%E8%96%A9%E2%97%8E.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5240446044713987042" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　次に、弥勒（みろく）菩薩です。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　般若心経の「是故空中、無色無受・・・、無眼界乃至無意識界」の部分がそれで、ここを読むと弥勒様が現れて、「そうだ、その通りだよ」と拍手して励ましてくださると、空海さんは説いています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　弥勒さんは心と世界の関わりの様相を詳しく分析研究した「唯識学」をつくった方です。&lt;br /&gt;　本当にあるのは「思いの響き」だけということをおっしゃいました。ですから、音に耳をすませています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「種子（しゅうじ）」&lt;br /&gt;　「薫習（くんじゅう）」&lt;br /&gt;　という言葉があります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「種子」はいつも震えています。&lt;br /&gt;　プラニド形といって振動で変化する紋様があります。&lt;br /&gt;　江本勝さんの言葉によって変化する水の結晶もこのためです。&lt;br /&gt;　種子の響きが姿を変えていきます。&lt;br /&gt;　人には「本音」というものがあります。&lt;br /&gt;　「私は幸せ、私は幸せ」と念じている人がなぜ不幸になるのか？&lt;br /&gt;　これは、そう言うたびに私は不幸、私は不幸と思っているからです。&lt;br /&gt;　今の不幸を意識しているから不幸になります。&lt;br /&gt;　そうした意味で「本音」に気をつけましょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「薫習」は、横にいるだけで自分にも薫りが移るということ。&lt;br /&gt;　共鳴現象もそうですが、これを使うと効果を見込めます。&lt;br /&gt;　たとえば、成功者の本を読んだり、講演を聞いたりすることもそうです。&lt;br /&gt;　「薫習の法」ともいいます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私は東京好きです。東京には繁栄の気があります。&lt;br /&gt;　繁栄の気にふれるために訪れたりしています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「随喜法」も良いですね。&lt;br /&gt;　成功した人がいたら「ふん、何さ」と言うと成功を否定したことになるので、その人は成功しません。&lt;br /&gt;　人の成功を喜んであげることが、その波動を受け、自分の成功になるのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　金光教の教祖さんは、「悪口を言う人がいたら、逃げろ」と言っていたそうです。&lt;br /&gt;　悪口の波動は強烈なのですね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　普賢さんは白像に乗り、文殊さんはライオンという乗物に乗っていましたが、弥勒さんは乗物に乗っておられません。これは、弥勒さんにはもう乗物は必要ない。ただ、天命とひとつになっていれば、おのずと想い通りになってゆくのだからと知る段階に達しておられるからです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-3720232788362447184?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/3720232788362447184/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=3720232788362447184' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/3720232788362447184'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/3720232788362447184'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/08/blog-post_31.html' title='大敬先生の「般若心経」講義⑦弥勒の教え'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SLnN6Z_HK-I/AAAAAAAAAVw/tqJVMgLtu8k/s72-c/%E5%BC%A5%E5%8B%92%E8%8F%A9%E8%96%A9%E2%97%8E.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-4312651365912487151</id><published>2008-08-26T11:10:00.005+09:00</published><updated>2008-09-05T08:11:02.769+09:00</updated><title type='text'>大敬先生の「般若心経」講義⑥文殊菩薩の心の法</title><content type='html'>&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SLNmwTkbXEI/AAAAAAAAAVo/KVkji5tovm0/s1600-h/%E6%96%87%E6%AE%8A%E8%8F%A9%E8%96%A9%E2%91%A1.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://2.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SLNmwTkbXEI/AAAAAAAAAVo/KVkji5tovm0/s200/%E6%96%87%E6%AE%8A%E8%8F%A9%E8%96%A9%E2%91%A1.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5238643771634834498" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　次は「文殊（もんじゅ）菩薩」です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　般若心経の本文では「是諸法空相（ぜしょほうくうそう）～不増不滅」までが文殊さんの出番です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　文殊菩薩は、ライオンに乗っています。姿は子供で、身体は黒く、手には剣（つるぎ）をもっています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「不生不滅　不垢不浄　不増不滅」&lt;br /&gt;　スクリーンの上で生き、そして滅びる。&lt;br /&gt;　人は無意識に自分自身を制限しています。&lt;br /&gt;　人は時間の中で物事をとらえます。そこには経歴のブロックがあったりします。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　禅の神様である仰山（きょうざん）禅師は、ある日、夢を見たとおっしゃいました。&lt;br /&gt;　その夢には、お釈迦様と文殊菩薩が会合しており、その隣の３番目の席が空いていました。&lt;br /&gt;　禅師は、その席にすっと座ったところ、「今日は３番目に座った人が説法をする日です」と言われました。&lt;br /&gt;　仰山さんは「差別を絶しています」と言って説法を締めくくります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この夢物語で仰山さんは私たちに何を伝えようとしているのでしょうか。&lt;br /&gt;　お釈迦様と文殊菩薩の隣の席ですから、普通なら気後れして逃げ出してします。&lt;br /&gt;　自分にはふさわしくないと自ら決めてしまい、自らを制限し、限定してしまいます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　でも、人生では、今のあなたにふさわしい「空席」は決してこないし、今のあなたにふさわしい「仕事」も絶対やってきません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　仰山さんは答えは「席があったら坐りなさい」、「仕事がきたらやりなさい」ということです。&lt;br /&gt;　グズグズ文句なしに、思い切って、サッと席に着き、サッと働き出せば、必要な能力も、必要な智慧も、次々限りなくわきあがってくるものだと言っているのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　金光教の教祖の湯川さんのお話で、10年間病気だった人をお祈りして治してあげようとすると、どれぐらいで治るのかと訊ねられた。&lt;br /&gt;　「１日で治します」と言うと、&lt;br /&gt;　「10年も病気だったのに１日で治るわけない」と言う。&lt;br /&gt;　「じゃあ、1週間で治しましょう」と言うと、&lt;br /&gt;　「10年、病気だったのに１週間ですか？」と今度は訊かれたという話があります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　世界は１刹那（せつな）で切れているのです。&lt;br /&gt;　「不垢不浄」は、けがれていない、きれいでないということです。&lt;br /&gt;　罪の意識で病気になり苦しむ人がいます。&lt;br /&gt;　「私はダメな人間だ」「私は汚（けが）れてしまった」「過去にこんな罪を犯しているから取り返しがつかない」・・・&lt;br /&gt;　他人の評価に自分をゆだねているんです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　人は“光”そのものです。“光”は汚れることができないし、傷つくこともできません。そして、“光”は歩みを止めることもできません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「不増不滅」は、増えたり減ったりしない、この世はスクリーンに映ったドラマなのですよ、とうことです。&lt;br /&gt;　10円は描きやすいのに、100万円は描きづらいと自分が思っているだけなのです。&lt;br /&gt;　描く手間は一緒です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　自らが描き出した映像の世界に、のめりこみ、巻き込まれることによって、人は思い通りの人生を送れなくなるのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　スクリーン上で展開されている“増減ゲーム”からひとまず眼を放し、心の豊かさを持ちましょう。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　心さえ、たっぷりうるおって、あったかくて、光いっぱいの明るさをたもっていれば、豊かさのシンボルである“お金”ぐらい、いくらでもやってきます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　文殊さんは「思いを断つことが大切」とおっしゃっています。&lt;br /&gt;　だから、剣を持っていて、その「光の剣」で絶つ。&lt;br /&gt;　文殊さんはウジウジをスパッと断っているのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-4312651365912487151?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/4312651365912487151/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=4312651365912487151' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/4312651365912487151'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/4312651365912487151'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/08/blog-post_26.html' title='大敬先生の「般若心経」講義⑥文殊菩薩の心の法'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SLNmwTkbXEI/AAAAAAAAAVo/KVkji5tovm0/s72-c/%E6%96%87%E6%AE%8A%E8%8F%A9%E8%96%A9%E2%91%A1.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-5848023425758302949</id><published>2008-08-24T17:42:00.006+09:00</published><updated>2008-08-26T11:15:23.642+09:00</updated><title type='text'>大敬先生の「般若心経」講義⑤普賢菩薩の心の法</title><content type='html'>&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SLEjxXXp-zI/AAAAAAAAAVg/rjeqMI3Ay2g/s1600-h/%E6%99%AE%E8%B3%A2%E8%8F%A9%E8%96%A9.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://2.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SLEjxXXp-zI/AAAAAAAAAVg/rjeqMI3Ay2g/s200/%E6%99%AE%E8%B3%A2%E8%8F%A9%E8%96%A9.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5238007172602395442" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　【菩薩の章】です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　空海さんは、般若心経を唱えると、文章につられて「菩薩（ぼさつ）」が次々と現れる、そして、あなたの想いの実現のために協力してくださるようになると説いています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　菩薩の出現の順番は①普賢（ふげん）菩薩、②文殊（もんじゅ）菩薩、③弥勒（みろく）菩薩、④観音菩薩です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「色即是空　空即是色」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　普賢菩薩は、白い象に乗っています。目標を立てて、それを願いとして、行（実践）をする時に、その人を守り、指導してくれるのが普賢菩薩です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　般若心経の「色不異空（しきふいくう）～亦復如是（やくぶにょぜ）」というところを読むと、普賢菩薩が現れると空海さんはおっしゃっています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「色即是空（しくそくぜくう）」とは、映像はなくすべてスクリーンは真っ白ということ。&lt;br /&gt;　「空即是色（くうそくぜしき）」は、真っ白なスクリーンなのでどんなことでも描ける。どんな映像も自由なんですよ、ということです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　“心さん”に「イライラ」「不幸」「ぷんぷん」と書いている上に「幸せ」と書いても、「幸せ」は実現しません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「幸せ」と書く前に、その前に書き込まれている悪い文字を消さなくてはいけないですね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　しかし、どうやって消すのか。消せないからみんな困るのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　普賢さんはその消す方法を、「行ですよ」と言っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　消す方法のひとつは、般若心経唱えることです。&lt;br /&gt;　肉体にエネルギー持っていくと心にエネルギーが行かなくなります。ですから、読むとすっきりします。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　もうひとつ「足運び法」があります。このことも昔の人はよく知っていました。&lt;br /&gt;　目標が決まったら神社でもお寺でも教会でも自分の足で歩いて行ってみる。&lt;br /&gt;　「御百度参り」がありますが、目標のため100回お参りしてみてください。続けてやらなくてもいいのです。足を運び、100拝してみる。すると、心がすっきりする。目標がはっきりするのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この他に、「善行回向法」もいいですね。&lt;br /&gt;　これは、良いことをすることで心を広くする方法です。&lt;br /&gt;　「エネルギー増える」ことが功徳が積まれることです。&lt;br /&gt;　「徳」とは、人生において使用可能な心のエネルギーのことなのです。&lt;br /&gt;　禅では「功徳」を大事にしています。&lt;br /&gt;　エネルギーないというのは功徳がないということです。&lt;br /&gt;　人が誰もついてこないのは功徳がないためです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　スポーツすることもいいです。「スポーツ法」ですね。&lt;br /&gt;　スポーツをして、その後、天に向かって「幸せになるぞー！」と叫ぶ。&lt;br /&gt;　すっきりした心で実現を願うので、叶います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　以上のようなことが、普賢菩薩の方法としてあります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-5848023425758302949?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/5848023425758302949/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=5848023425758302949' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/5848023425758302949'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/5848023425758302949'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/08/blog-post_24.html' title='大敬先生の「般若心経」講義⑤普賢菩薩の心の法'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SLEjxXXp-zI/AAAAAAAAAVg/rjeqMI3Ay2g/s72-c/%E6%99%AE%E8%B3%A2%E8%8F%A9%E8%96%A9.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-8952049943208723326</id><published>2008-08-22T06:21:00.004+09:00</published><updated>2008-08-24T17:55:09.210+09:00</updated><title type='text'>大敬先生の「般若心経」講義④この世の仕組み</title><content type='html'>　【概説の章】&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　五蘊皆空（ごうんかいくう）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　五蘊とは「色」「受」「想」「行」「識」のこと。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　命は「永遠の光」です。&lt;br /&gt;　昔からずっとそうでした。&lt;br /&gt;　でも、それだけではおもしろくないので神様は“心さん”をつくりました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　光が“心さん”に降り注ぎ、当たって通り抜けると、そこには世界ができます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この世界のことを「色」と言います。&lt;br /&gt;　その「色」を見て、「受」けとり、「想」い、心に描きこむことを「行」と言います。&lt;br /&gt;　“心さん”がドラマつくることが「識」。&lt;br /&gt;　この「色」→「識」までを「刹那」と言います。&lt;br /&gt;　一巡、一巡でこの世はプツッ、プツッと切れているのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「心に書き込むと、そこに命の本質である光が当たり、「世界（人生のドラマ）」が現れる」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この仕組みを先人は発見した。これが「五蘊」です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「悪循環」はよく知っている方が多いと思うので、「善循環」の例をあげますと、&lt;br /&gt;　この人イヤだなと思う人のことを、ひとつでも良い点を探すように心がけて「ちょっといい人」にすると、それが心に書き込まれ、ドラマ（目の前の世界）でも「ちょっといい人」になる。&lt;br /&gt;　また、良いところを探して、「結構、いい人」と書き込むと「結構、いい人」としてドラマに現れる。&lt;br /&gt;　この世はそういう仕組みになっているのですよ、と教えてくれているわけです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　“心さん”は、ドラマが大好きです。書いたことをすぐにドラマにします。&lt;br /&gt;　「想」まではカット（除去）可能ですが、一度“心さん”に書いたものはカットできません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「観自在菩薩」という神様はこのことを発見して、この世の問題を解決された方です。&lt;br /&gt;　観自在菩薩とは、観ることが自在であり、どんなことでも観ることができるということ。&lt;br /&gt;　観ることで世界を作り直せる、世界を自由につくれる方です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　①観方を味方にする&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　②「心」が先で「形」は後&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　心に映ったことは世界として現れます。&lt;br /&gt;　問題だなと思うことは、心に映る前に消すということです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ある方が、結核にかかり、その直後、「心を変える」この仕組みに気づき、最初は無理しながらでも笑うことを練習すると結核がすっかり治ったという話もあります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　人は一人ひとりが、本質は光です。&lt;br /&gt;　「永遠の光」が自分なのです。&lt;br /&gt;　「永遠の光」のイメージを心に映せるようになると、長生きできるし、豊かに生きられるようになります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　根本は「我は光なり」です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　禅宗はこの光を目指す宗派でもあります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この“心さん”の仕組み、「我は光なり」を自分のものにしていくと気をつけなくてはいけないことが出てきます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「スムージング現象」が起こるのです。&lt;br /&gt;　良いことも悪いこともパッ、パッ、パッとすぐに結果として現れるようになります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　生活の中で、お薦めするのは、「日拝」です。「日拝」がいい。&lt;br /&gt;　日の出を礼拝する。朝日を心に刻み込む。&lt;br /&gt;　最低100回やると変わってきます。&lt;br /&gt;　般若心経もいらないほどです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-8952049943208723326?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/8952049943208723326/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=8952049943208723326' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/8952049943208723326'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/8952049943208723326'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/08/blog-post_22.html' title='大敬先生の「般若心経」講義④この世の仕組み'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-4291793220095902461</id><published>2008-08-20T06:27:00.005+09:00</published><updated>2008-08-22T06:25:47.126+09:00</updated><title type='text'>大敬先生の「般若心経」講義③”心に任せる”と願いごとは叶う</title><content type='html'>　【経題の章】です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　般若心経は“心のお経”です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　心の性質を「摩訶（まか）」「般若（はんにゃ）」「波羅蜜多（はらみった）」の３つあげています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「摩訶」は、大きい、という意味です。心の大きさを表しています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　心というと、“ハート”と言って心臓ぐらいの大きさを連想するかもしれませんが、心は身体より大きく、そこには山や月、太陽も入るぐらい大きいのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「般若」は知恵のことです。&lt;br /&gt;　“心さん”は頭がいい。すべてを知っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　外出した帰り、電車の中で雨が降り始めました。&lt;br /&gt;　リックサックの中には大事な本が入っています。&lt;br /&gt;　濡らしたくないので、&lt;br /&gt;　「雨が降ったけど濡れないでよかった」と奥さんに言っている自分をイメージします。&lt;br /&gt;　駅に着くと小雨になっていました。&lt;br /&gt;　効果はあったけど、「僕の力はこの程度かな」と思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そう思いながら空を眺めていると、車がすっと横にくる。&lt;br /&gt;　窓が開いて、「どこまで行かれるのですか？」「それなら、よかったら乗りませんか」と声をかけられる。&lt;br /&gt;　本は無事濡れませんでした。&lt;br /&gt;　“心さん”がすべて知っているので、“心さん”に任せておいたらいいのです。&lt;br /&gt;　自分の力ではなく、心に任せる。&lt;br /&gt;　しかし、任せられない人が多いようです。&lt;br /&gt;　私のような“弱虫”ほど任せられるようです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　頼み方も大事です。&lt;br /&gt;　「雨をやみなさい」というような自然現象を変えようとするお願い事はよくないようです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「波羅」はゴール（目標）のことです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「蜜多」は行った（行ってしまった）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　“心さん”はイメージを自動的に形にしてしまうという力を持っているのです。&lt;br /&gt;　私はこれを「お自動さん性」と呼んでいます（笑）&lt;br /&gt;　自動的にゴールに行ってしまうのです。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　「あくび」をします。実は少し前に自分の前にいる人があくびをしていた。周りの行動が自分に影響してくるのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「病気、治れ」とイメージすると病気になります。&lt;br /&gt;　「治れ」という否定語のイメージはなかなか難しいようです。&lt;br /&gt;　ですから、&lt;br /&gt;　「健康になれ、健康になれ」とイメージすることが大切です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「広い心」は思いを実現します。&lt;br /&gt;　「のびのびした心」「弾力のある心」「温かい心」「明るく潤いのある心」が心のエネルギーを高めます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　願い事の「目標」をまず集中してつくります。きちんと確立すると、寝ていても目標は心の中で生きています。&lt;br /&gt;　「お任せ」しておくと、“心さん”は目標に向かって飛んでいきます。&lt;br /&gt;　そのためには「仕事など日常生活をしっかりする」ということが大切。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　目の前のことを大切にしないと、“心さん”が目標に飛んでいけないようです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-4291793220095902461?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/4291793220095902461/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=4291793220095902461' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/4291793220095902461'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/4291793220095902461'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/08/blog-post_20.html' title='大敬先生の「般若心経」講義③”心に任せる”と願いごとは叶う'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-5653612138172310919</id><published>2008-08-13T12:55:00.005+09:00</published><updated>2008-08-20T06:33:06.010+09:00</updated><title type='text'>大敬先生の「般若心経」講義②読むだけで成功体験につながる</title><content type='html'>　大敬先生の２時間の講演の醍醐味を少しでも直接お伝えさせていただくために、講演内容の概要という形で今回はご紹介いたします。&lt;br /&gt;　話の流れも内容もほぼ忠実に記したつもりですが、なにせメモからの文章起こしですので誤解、誤表現、誤字等があるかもしれません。ご容赦いただいたうえで、お気づきになられましたら、後学のためにぜひお教え下さい。よろしくお願い致します。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【般若心経講座　―心による想いの実現法―】&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　般若心経は、「目標達成のお経」です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　インドから般若心経を持ってきた玄奘三蔵（げんじょう　さんぞう、三蔵法師）は長き旅の間、大変な苦労をされたが、苦難に直面すると般若心経を唱えることで乗り越え、目標を達成することができたといわれています。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　江戸時代に、塙保己一（はにわ　ほきいち）という人物がいました。&lt;br /&gt;　９歳で盲目となり、江戸に出てきたが己の境遇、人生に絶望し16歳で自殺するも助けられ生き残りました。&lt;br /&gt;　「学問したい」という希望を持ち続けている保己一は按摩（あんま）を習い、始めます。&lt;br /&gt;　しかし、お代はお金ではなく、本を読んでもらうとしました。そして、抜群の記憶力でその内容を覚え、学んでいったのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　その噂を聞いた旗本の松平氏が感心し、保己一を呼んで一日おきに朝４時から８時まで勉強させてあげることを約束しました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「源氏物語」を聞かせてもったことに感動し、保己一は34歳で文献をまとめる作業を手がけることを決意します。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この時、目標を達成させるために、保己一がやったことは、般若心経を読むことでした。&lt;br /&gt;　1000日間、毎日100巻唱えることを神に約束しました。計10万巻唱えることを誓ったのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　41歳で刊行始めます。弟子も増え、作業は順調に進みました。&lt;br /&gt;　しかし、保己一、47歳の時に火事に遭い、それまでの全てが燃えてしまいます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これには弟子達も深く落胆し、師である保己一に涙ながらに「先生、これでもうすべて終わりです」と訴えます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　しかし、この時、保己一は、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「お前らには手も足も頭もある。それに俺にはない目もあるじゃないか。やり直しや」&lt;br /&gt;　と笑顔で述べ、再建を目指します。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そして、74歳で記録や手紙にいたるあらゆる資料をまとめ編纂した「群書類従」をとうとう仕上げることができたのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　その後も生涯に渡って保己一は、般若心経を１日100回唱えたそうです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　保己一にまつわる有名な話は他にもあります。&lt;br /&gt;　ヘレン・ケラーが保己一の伝記を読んで大いに励まされ、発奮したのです。&lt;br /&gt;　ケラーは、初来日した際、渋谷の保己一縁の地をまず訪れ、保己一の銅像をさわり、机にふれて&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「自分が今あるのは、この人の御蔭です」と言ったそうです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　鍵田忠三郎（かぎたちゅうざぶろう）は、奈良市長も務めた政治家ですが、38歳の時、結核になりました。　&lt;br /&gt;　当時、結核は不治の病で、医者から「残り２年の寿命」と診断されます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　鍵田は、弱ったからだで四国のお遍路に行くことを決めます。１番札所から歩みます。進んでも、進んでも死にません。でも、28番札所までたどり着いた時、倒れてしまいました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　病状は悪化し、病床で一度息を引き取ります。しかし、間もなく再び息を吹き返しました。&lt;br /&gt;　この時のことを鍵田は「大きな命を知る」と述べていますが、臨死体験を経て再び生を得たのです。&lt;br /&gt;　起き上がり、検査した時には結核はすっかり無くなっていたのです。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　「おまけの人生」と生き返ったと鍵田は述べ、生きている間に般若心経を100万巻あげるとの約束を神と交わします。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　保己一にして10万巻なのに、これの10倍です。&lt;br /&gt;　この約束によって鍵田は簡単には死なないという運命を得ました。&lt;br /&gt;　神様との約束だから、果たすまで長生きすることになるからです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　神様との約束にはこうした工夫も実は必要なのです（笑）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「シェルドレイクの仮説」というものがあります。&lt;br /&gt;　これは「直接的な接触が無くても、ある人や物に起きたことが他の人や物に伝播する」という学説で、「経験の場」ができると、次に他の人の経験がたやすくなるということを説いています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そうした意味で、般若心経は、先人が般若心経による目標達成の“経験の場”を開いてくれているといえます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　般若心経は読むだけでそうした成功体験につながるのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-5653612138172310919?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/5653612138172310919/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=5653612138172310919' title='3 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/5653612138172310919'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/5653612138172310919'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/08/blog-post_13.html' title='大敬先生の「般若心経」講義②読むだけで成功体験につながる'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>3</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-7910142775214831494</id><published>2008-08-12T10:32:00.006+09:00</published><updated>2008-08-20T06:33:53.131+09:00</updated><title type='text'>大敬先生の「般若心経」講義①「先人はすごいものを残してくれました」</title><content type='html'>　立花大敬先生の10年ぶりとなる東京講演会のテーマは「般若心経」であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　このブログでもこれまで何度か「般若心経」について書いてきたが、僕は５年ほど前から写経を書き始め、これまで900枚ぐらい書いてきたが、その内容、意味等についてはあえて考えないようにしてきた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　なぜなら、写経を教わった方々から「意味とか中身は深遠すぎてわからないものなんだよ」「私もひたすら書いているだけ」などと言われてきたからだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　その当時、すでに２万巻とか３万巻をひとりで書いてきた人から「わからない」といわれるとやはりそれなりの信憑性がある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　また、般若心経は中学生の頃から諳（そら）んじ（させられ）、それなりの興味はあったので、写経を書き始めるずっと前に般若心経本を数冊か読んだことがあったが、「なんだかよくわからない」という記憶しかなかったので、そういうものなのだろうと思い込んでいた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それが、ここ数ヶ月、般若心経の解釈に関して興味を持ちなさいというシンクロがいくつか起こっていた。&lt;br /&gt;　そのへんはブログで紹介していないが、難解でうまく言葉にできるまでは至っていないためで、「この世の仕組み」「人が向かうべき未来」を示す叡智（えいち）が般若心経には記されているらしいというところまではぼんやりわかってきた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そして、立花大敬先生が東京で講演するということを偶然知り、その場で満席だろうなと思いながら電話してみるとまだいくつか空席があると聞かされてすぐに予約し、10日の講演会を待った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　講演当日、穏和な笑顔をうかべた大敬先生は、開口一番、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「般若心経は目標達成のお経です」と述べられた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　過去、人類には数々の般若心経による成功体験がすでにあり、そのため、現代の人が唱えることでその偉大な成功体験に繋がっていく流れができているのだそうだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そして、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「先人達は、すごいもの（秘法）をこの般若心経という形で、残してくれました」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　と般若心経のその「すごさ」について話し始めた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「般若心経に関わっていてよかったな～」と以前、玄蔵三蔵の旅の話を聞いた時に思ったことがある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;a href="http://kansya385.blogspot.com/2008_05_01_archive.html"&gt;http://kansya385.blogspot.com/2008_05_01_archive.html&lt;/a&gt;（５月17日付）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今回の話はそれと同じぐらい、いやそれ以上に、般若心経に関わっている方々にとって大いなる歓びとなる話であると僕は確信する。&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-7910142775214831494?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/7910142775214831494/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=7910142775214831494' title='1 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/7910142775214831494'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/7910142775214831494'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/08/blog-post_12.html' title='大敬先生の「般若心経」講義①「先人はすごいものを残してくれました」'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>1</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-8840552354400709612</id><published>2008-08-11T05:57:00.007+09:00</published><updated>2008-08-12T11:00:47.989+09:00</updated><title type='text'>「休息時期」が明けて西郷さん銅像清掃と大敬先生</title><content type='html'>　夏風邪が良くなってきたと思ったら、パソコンが・・・、と続き、「どうやら休息時期だったのか」と気づく。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　双方の細かな「原因」も次第にわかってきたら、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「すべての『因』に感謝する『心』が『恩』」である」という言葉に出会う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　こんなシンクロにも感謝、感謝です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　10日日曜日は、月１で行くことに決めた上野の西郷さん周辺の清掃に行き、それを終えて午後からは渋谷で立花大敬先生の講演に向かう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　教師になったために、事実上10年ぶりだというこの講演は主催者の社長との古いつきあいから実現したことを会場で知った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「定年が５年後なので、次は早くて５年後です」という貴重な貴重なご縁だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　表情、語り口、そして発する気すべてがやさしさにあふれた人だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　講演を終え、日帰りで福岡に帰るために、参加者の間をリックを背にさりげなく去っていく先生を見つけた。&lt;br /&gt;　誰も気づかないようなのでその背に声をかけ、今日のお礼と「福岡に今度うかがいます」と伝えると、「ぜひ、いらしてください。向こうではゆっくりお話できます」と、近くで見ると舞台上よりも、もっとやさしさにあふれたその笑顔をたたえながらそう返答していただき、握手して別れた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　講演内容は「般若心経」についてだったが、想像を遙かに超えるすばらしい内容だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　頭の中を整理して近くご紹介したいと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-8840552354400709612?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/8840552354400709612/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=8840552354400709612' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/8840552354400709612'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/8840552354400709612'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/08/blog-post_11.html' title='「休息時期」が明けて西郷さん銅像清掃と大敬先生'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-6219867177785209990</id><published>2008-08-06T06:07:00.012+09:00</published><updated>2008-08-11T06:17:47.681+09:00</updated><title type='text'>「天界の禅者大いに語る」の中のいい話</title><content type='html'>　10日日曜日に立花大敬先生の講演に参加できることになった。&lt;br /&gt;　数ヶ月前から著書を通じて感銘を受けていたが、九州をフィールドとして活動されている方なので、まさかこんなに早く直接話を聞けることになるとは思ってもみなかったからとってもうれしい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　テーマは「般若心経」についてである。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　今年はさまざまな方向からこの「般若心経」に関するシンクロが続いているので、自分にとって何か大切な意味があるのかも知れないと思い、異なる著者の解説に目を通してきたが、そうした意味でも10日は楽しみである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　大敬先生の古い著書「天界の禅者大いに語る」を昨日、読んでいた。&lt;br /&gt;　東京は朝から天気が不安定で、場所によっては集中豪雨となり、事故が発生するほどだった。&lt;br /&gt;　仕事の訪問先を辞し、町を歩いていると雷が鳴り、空が真っ黒く変わってきたので、コーヒーショップに寄り、窓に面した席に腰掛け、「天界の禅者大いに語る」の続きを読んでいた。&lt;br /&gt;　しばらくすると大粒の雨粒が窓を叩き、それを合図とするかのようにして大雨が激しく降り始めた。&lt;br /&gt;　そんなあまり日常的ではない状況で読んだからではないと思うが、読み終えてしばらく心を落ち着けるために本を閉じ、雨空を眺めていなくてはならないほど胸にしみるいい話があったので、ちょっとご紹介したいと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;これは、内垣日親先生の御本の中にあった話です。&lt;br /&gt;　先生は若い頃、たしか姫金神教という大阪森の宮にある教会で、その教祖について修行しておられました。&lt;br /&gt;　ところが、そのおばあさん教祖は、自由に雨を降らせたり、止めたりされるのです。先生は、それが不思議でしょうがない。いったい、どんな呪文をとなえ、どんな印をむすべば、そんな事ができるのか知りたかった。それで、ある時、思い切って、教祖さんに質問したのです。&lt;br /&gt;　「いったい、どうやって雨を降らせたり、止めたりするんですか」&lt;br /&gt;　すると教祖は言われたのです。&lt;br /&gt;　「ああ、そんなこと、簡単やがな。それはなあ、私が空に向かってなあ、雨を降れ、というたらな、雨が降ってくる。雨よ止まれ、いうたらなあ、雨が止むんや」&lt;br /&gt;　それで、先生はギャフンときてしまったのです。まことにそうにちがいないと納得されたのです。&lt;br /&gt;　この教祖さまは、まことに一点の私心もない、術も策もない、そんなまるで子供のような無邪気なお方であったそうです。&lt;br /&gt;　お金に困っている信者さんが来たら、あるだけのお金をさっとあげてしまう、そんな風なお方であったそうです。&lt;br /&gt;　ひとつだけ、私が最も感動した話を紹介します。&lt;br /&gt;　この内垣先生は、もうその頃には、この教会の副管長になって、教団の一切を取りしきっておられました。&lt;br /&gt;　ところでが、神様から教会を出よ出よといわれる。この教団の神様が言われるのです。出てヨーガの勉強をせよと言われる。それがたび重なるので、内垣先生は、教祖にそのことを相談したのです。&lt;br /&gt;　「私が出たら、この教会は、たぶんつぶれてしまうでしょうがどうしましょうか」&lt;br /&gt;　この教祖はすぐに言われました。&lt;br /&gt;　「よろしい、出ていきなさい。この教会ぐらいつぶれてもかまいません。それであんたが大きくなったらいいのやから」&lt;br /&gt;　どうですか、こんなに私心のないお方なのです。&lt;br /&gt;　そんな＜まこと＞のお方だから、その人の言葉は＜真言（まこと）＞になる。そして＜真事（まこと）＞となり必ず実現するのです&lt;/strong&gt;。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-6219867177785209990?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/6219867177785209990/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=6219867177785209990' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/6219867177785209990'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/6219867177785209990'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/08/no.html' title='「天界の禅者大いに語る」の中のいい話'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-4207783023507860576</id><published>2008-08-05T06:04:00.005+09:00</published><updated>2008-08-06T06:08:34.205+09:00</updated><title type='text'>祈りは通じる</title><content type='html'>　元カリフォルニア大学の心臓病専門の教授であったランドルフ・ビルド氏は、祈りが病気を癒すのか実験をした。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　自分の病院の心臓病の患者をAとBに分ける。&lt;br /&gt;　コンピュータを使いランダムに分け、その分類は医師も看護婦も患者も知らないようにする。&lt;br /&gt;　Aは祈ってもらうグループ、Ｂは祈りを受けないグループとした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　祈り手は宗派にかかわらず募集し、患者の名前、症状を教え、毎日その人のために祈るよう依頼した。&lt;br /&gt;　そして、祈り方はその人に任せた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　その結果は次のようなものであった。&lt;br /&gt;　①ＡはＢに比べて抗生物質が必要であった人が５分の１だった。&lt;br /&gt;　②Ａでは心臓病のため肺気腫になった人がＢの３分の１だった。&lt;br /&gt;　③Ａには、のどに管を入れることが必要になった人はいなかったが、Ｂには１２名いた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この実験から、祈りは病気を癒すことがわかった。&lt;br /&gt;　また、宗教や宗派でその有効性が変わるわけでなく、「想い」が身体を超えて相手の病気を癒すことが明らかになった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　祈りは確実に通じるのである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-4207783023507860576?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/4207783023507860576/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=4207783023507860576' title='2 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/4207783023507860576'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/4207783023507860576'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/08/blog-post_05.html' title='祈りは通じる'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>2</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-2480890684925765754</id><published>2008-08-03T10:08:00.008+09:00</published><updated>2008-08-05T09:43:48.725+09:00</updated><title type='text'>「西郷さんの御陰」</title><content type='html'>&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SJUI_AwhR1I/AAAAAAAAAVQ/GZHy0s9Yhx8/s1600-h/æå´ãã.JPG"&gt;&lt;img id="BLOGGER_PHOTO_ID_5230096420888987474" style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 10px 10px 0px; CURSOR: hand" alt="" src="http://1.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SJUI_AwhR1I/AAAAAAAAAVQ/GZHy0s9Yhx8/s200/%E6%9C%9D%E5%B4%8E%E3%81%95%E3%82%93.JPG" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　先週のことになるが、敬天愛人フォーラム21が主催する講演会にお邪魔してきた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今回は、奄美大島出身で、島唄の第一人者である朝崎郁恵さんの講演である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　７月はじめに、上野の西郷さんの銅像周辺の清掃に参加したのがご縁で、声をかけていただき、講演会には初めての参加となる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　神田駅すぐの会場に開演時刻７時の２０分前にうかがうと、「西郷隆盛会館」にはすでに定員枠に近い３０人ほどの参加者が集まり、熱気にあふれていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　受け付けをすませ空いているスペースを見つけて座り、会場を見回すと女性の参加者が結構多いこと、そして年輩者が多いことに気づく。平均年齢は６５～７０歳といったところで、僕などはダントツの“若手入り”であることは間違いない。&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SJUJW1i-Q9I/AAAAAAAAAVY/ynSFUsyqlEk/s1600-h/æ¬å¤©æäººãã©ã¼ã©ã"&gt;&lt;img id="BLOGGER_PHOTO_ID_5230096830196237266" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 10px 10px; CURSOR: hand" alt="" src="http://1.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SJUJW1i-Q9I/AAAAAAAAAVY/ynSFUsyqlEk/s200/%E6%95%AC%E5%A4%A9%E6%84%9B%E4%BA%BA%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%A060.JPG" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　定刻ちょうどに開会。まずは起立して、国家「君が代」斉唱であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「思想的に右も左もなし。西郷さんが歩まれた通り、我々は真ん中を歩んでいく。歌いたくない方は歌わぬももちろん良しとしております」との司会者の断りがあった後、国家斉唱が始まる。それにしても、おじいさま方は良い声をしていらっしゃる！&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　その後もすぐには講演には入らない。西郷さんの好んだ言葉である「敬天愛人」の教えを、そして上野公園の西郷さんの銅像の台座にも刻まれている「西郷隆盛を称える辞（ことば）」を内（うち）代表世話人が一小節ずつ諳（そら）んじるのに続いて全員が声をそろえて唱えていく。老若男女関係なく、まるで寺子屋の生徒のように。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この日の朝崎さんの歌う島唄は哀切あふれるものであった。歌に先立って朝崎さんから「島唄は島（奄美大島）の歴史を歌っているのだ」との説明があったが、沖縄の島唄の明るさをイメージとは明らかに異なっていた。単に選曲がそうだったのかもしれないけど。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　奄美大島は西郷さんの流刑の地である。この地で家庭を築き、本人も一時期はこの地で終生暮らすと考えていた場所である。&lt;br /&gt;　そして、どこにいても人をこよなく愛する西郷さんは、島の人々には教育者として思想と教養を伝え、島民に自立自尊の気概の大切さの種をまく役割も担った。&lt;br /&gt;　朝崎さんは７０を過ぎたが、新たな挑戦を今後も続けていく決意を西郷さんに伝えたくて、今夜は”奉納”のためにここで歌うことにしたと説明した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　公演後の懇親会は大変活気あふれる宴となった。南九州の宴は老若男女関係なく元気あふれ、熱のこもったものになるのだが、そのことを知らない他の地の出身の方は最初は少々驚かれたことだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　宴もたけなわになった頃、参加者一人ひとりによる自己紹介が行われ、これがなかなか印象深いものであった。&lt;br /&gt;　代表世話人の内さんが奄美大島同様、西郷さんが流刑されたことのある沖永良部島の出身であることもあってか、同島の出身の方や喜界島の方など島出身の方も数多くいらっしゃっていた。&lt;br /&gt;　この島の出身の年輩の方々があいさつの中で西郷さんを語る時、必ずといっていいほど、「今の自分たちがあるのは西郷さんの御陰なんです」とおっしゃるのだ。&lt;br /&gt;　話をよくうかがってみると、島の家庭の多くは子供の教育をことのほか大切にするのだそうだ。親は自分の食べるものを削ってでも子供を学校にあげようとする。これは、西郷さんが島に来てから芽生えた考え方で、その教えを得た環境で育ったからこそ、自分たちは島を離れても堂々と生きていけるのだと皆さんが笑顔で話してくれた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　西郷さんは、昨年、生誕180年を迎え、今年は181年目である。&lt;br /&gt;　それだけの歳月を経てなお、「あなたの御陰で今の私たちがある」と言われる西郷さんという人物を思い、慕いながらうまい酒を酌み交わすことの出来たすばらしきひと夜であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-2480890684925765754?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/2480890684925765754/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=2480890684925765754' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/2480890684925765754'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/2480890684925765754'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/08/blog-post_03.html' title='「西郷さんの御陰」'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://1.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SJUI_AwhR1I/AAAAAAAAAVQ/GZHy0s9Yhx8/s72-c/%E6%9C%9D%E5%B4%8E%E3%81%95%E3%82%93.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-547213284987841717</id><published>2008-08-02T14:46:00.006+09:00</published><updated>2008-08-03T10:21:44.272+09:00</updated><title type='text'>「ノルウェイの森」が映画化</title><content type='html'>　最近はあまりにもネガティブな報道が過ぎるので、テレビも新聞もほとんど見ることはないが、友人に知らされて、思わず「えっ！？」と一瞬、固まってしまい、その後なんだか懐かしくうれしくなったニュースが、村上春樹の小説「ノルウェイの森」が映画化されることになったという知らせである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ちょうど20年前に出された作品である。村上サイドからなかなか許可が出ないという話はずいぶん前に何かで読んだ記憶がある。&lt;br /&gt;　当時、村上作品はデビュー作から読んでいて、新刊が出るというのでウキウキしながら本屋に向かったら、あの上下巻が真っ赤、真緑のクリスマスのような派手な表紙である。２冊を手に持って、レジに並んでいるのが少し恥ずかしかったことを今でも覚えている。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　そして、この作品で村上春樹は一躍メジャー作家の仲間入りをし、僕にとってはなんだかちょっぴり遠い存在になったような寂しさを感じた作品である。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　映画化については、非現実的な登場人物がいない分、他の作品に比べると映像化しやすいような気がするのだが、ずいぶん長い歳月を要したものである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　昔、「風の歌を聴け」が映画化されたことがあり、しかも大森一樹がメガホンを握ると知り、これは結構観れと踏んで劇場に行ったら、とんでもなくひどい作品だったという経験がある。この作品で“僕”を演じていたのはなんと小林薫だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そうした意味では、ベトナム系フランス人の監督が異なる文化からクールな観点で撮るということになれば、いい選択なのかもしれない。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　20年前に読んだ記憶なので不確かだが、作品全体を通して“静謐さ”がただよっていたように思う。特に僕の中では静かに降り続ける雨のシーンが随所に思い浮かんでくる。「雨を上手に撮れる監督だったらいいな」と思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　“僕”がガールフレンドと古い木造住宅の二階のベランダから火事を眺めるシーンが、まるで自分が経験したことのように今でも強く印象に残っている。そのシーンも映像で観てみたいなと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　2010年に公開されるそうである。その前にキャストが誰になるのかも楽しみである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-547213284987841717?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/547213284987841717/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=547213284987841717' title='2 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/547213284987841717'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/547213284987841717'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/08/blog-post.html' title='「ノルウェイの森」が映画化'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>2</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-37277595555517127</id><published>2008-07-30T13:10:00.005+09:00</published><updated>2008-08-02T14:48:49.539+09:00</updated><title type='text'>夏風邪</title><content type='html'>　夏風邪をひいたらしく、この２週ほど体調がすっきりしない。&lt;br /&gt;　回復期に入っているけど、その谷間のようでモチベーションがまったく上がらない。&lt;br /&gt;　こういう時はネガティブなことを引き寄せがちになるものとどこかで覚悟している。&lt;br /&gt;　その通り、連日、結構、重いテーマや思い相手との関わりが続く。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この２年ほど冬場も風邪ひとつひかなかったので、何かの変化、何かのメッセージなのだろうと考え、原因や意図を探索するが、「これだ！」という答えも鈍った頭では浮かばない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　結局は、いつも通り早起きし、朝日を拝む「日拝」を行い、右肩の上にいる守護霊に本日もよろしくとあいさつし、「幸せのソフト」として以前ご紹介した「親切」「明るく朗らか」「謙虚」「素直」「感謝」の五カ条を心の中で唱える。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「再来週いっぱいでとりあえずこの世を終わりにします」&lt;br /&gt;　と神様に言われてたとしても、きっと今ならこの習慣で連日変わらずいくな、という感じがする。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　男として尊敬している大好きな知人からおととい&lt;br /&gt;　「自裁すること考えたけどやめた」&lt;br /&gt;　と言って、手渡された&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ジョー・ヴィターリ、イハレアカラ・ヒューレン著「ハワイの秘法」を読む。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　表紙を見た瞬間、「こんなことあるんだ」と驚いた。&lt;br /&gt;　待ち合わせた時間より早かったので、本屋に寄り、手にして迷いに迷い「まだ家に読んでいない本があるから次回にしよう」と買い控えたその本だったからだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「今回のメッセージはこの本の中にあるのかもしれない、いや、きっとそうのだろう」とどこかで確信しながらぺージをめくる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' 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rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-5306010856765831163</id><published>2008-07-29T10:35:00.007+09:00</published><updated>2008-07-30T13:17:08.249+09:00</updated><title type='text'>秩父観音巡礼に想う　「知足のつくばい」</title><content type='html'>&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SI51ejEKmjI/AAAAAAAAAVI/xRqp_gkfrdc/s1600-h/%E7%9F%A5%E8%B6%B3%E3%81%AE%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%B0%E3%81%84.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://1.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SI51ejEKmjI/AAAAAAAAAVI/xRqp_gkfrdc/s320/%E7%9F%A5%E8%B6%B3%E3%81%AE%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%B0%E3%81%84.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5228245385092962866" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ご存知の人もいらっしゃると思うが、京都の竜安寺には「知足のつくばい」がある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「つくばい」とは用を足した後に手を洗う場所のこと。石の中央には四角く穴が彫られていて水がたまるようになっている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　四角の中央の穴を「口」という文字にたとえ、上下左右の文字と組み合わせて右回りに読むと、「吾唯足知」。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「吾（われ）、唯足（ただた）ることを知る」となる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これは禅の格言である&lt;br /&gt;　「知足の者は貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」を示したもの。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　急な石段を登り、ようやくたどりいついた31番札所の観音院の境内で、お詣りの前に手を洗おうと視線を下げたところに、この「知足のつくばい」はあった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　本家の京都・竜安寺の「知足のつくばい」を寄贈したのは水戸黄門で有名な水戸光圀（みつくに）である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「自分におごり、高ぶりが見えたら、いついかなる時もいさめてくれ」と家臣にいつも言っていた自らを厳しく律することのできる名君でもあった。&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-5306010856765831163?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/5306010856765831163/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=5306010856765831163' title='1 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/5306010856765831163'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/5306010856765831163'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/07/blog-post_29.html' title='秩父観音巡礼に想う　「知足のつくばい」'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://1.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SI51ejEKmjI/AAAAAAAAAVI/xRqp_gkfrdc/s72-c/%E7%9F%A5%E8%B6%B3%E3%81%AE%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%B0%E3%81%84.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>1</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-3433556536378772888</id><published>2008-07-27T07:06:00.008+09:00</published><updated>2008-07-29T11:31:52.870+09:00</updated><title type='text'>秩父観音巡礼に想う　「銀座まるかんの案内板」</title><content type='html'>&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SIuhGCB1fDI/AAAAAAAAAUo/hywwLTdSgzA/s1600-h/ç§©ç¶æ¡åæ¿ã¾ããã.JPG"&gt;&lt;img id="BLOGGER_PHOTO_ID_5227448917489450034" style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 10px 10px 0px; CURSOR: hand" alt="" src="http://3.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SIuhGCB1fDI/AAAAAAAAAUo/hywwLTdSgzA/s200/%E7%A7%A9%E7%88%B6%E6%A1%88%E5%86%85%E6%9D%BF%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%81%8B%E3%82%93.JPG" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「観音様」の導きに関わると思われる現象がかなり多いため、「秩父観音巡礼に思う」というタイトルははずしていたが、今回はちょっと復活。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　観音様巡りをしていてふと気づき、感心したことがある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それは、観音巡礼の３４か所あるお寺すべてに銀座まるかんが、「案内板」を寄贈していたことだ。&lt;br /&gt;　１番札所から５、６番札所ぐらいまでは「昔懐かしのアニメの一休さんを模したイラスト付きの案内板があるな～」くらいにしか気にとめていなかったが、案内板の裏側にまるかんの関係者の名前が記されているのが目に入り、それから注意して確認していたら、すべてのお寺にまるかんが寄贈していることがわかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ご存じの方も多いと思うが、銀座まるかんの社長は斉藤一人さんという人で、９３年から全国の高額納税者番付で１０位以内にただ一人、１１年連続で入る。ある意味、歴代の日本人の中でももっともお金に愛された人物のひとりである。 &lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SIujWTB2GRI/AAAAAAAAAUw/4VeLWiMVe-w/s1600-h/ã¾ãããéåº§æ¬ç¤¾.JPG"&gt;&lt;img id="BLOGGER_PHOTO_ID_5227451395954055442" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 10px 10px; CURSOR: hand" alt="" src="http://1.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SIujWTB2GRI/AAAAAAAAAUw/4VeLWiMVe-w/s200/%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%81%8B%E3%82%93%E9%8A%80%E5%BA%A7%E6%9C%AC%E7%A4%BE.JPG" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　人として、商人としての生き方、考え方に関する著書も数多く出していて、その多くがユニークで大変におもしろいのでご一読を。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　巡礼地に案内板を寄贈することで営業面での効果を単にねらったものではないということは一人さんの著書を読めばわかる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　秩父巡礼地という歴史と伝統のある場所は、そう易々とは関わりを持てるものでもない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　世話になった旅館の女将さんとたわいのない話をしていると、&lt;br /&gt;　「観音様を巡り祈願すると不思議なほど営業ノルマが達成できると言って、休日に観音様をまわっている女性グループがたくさんいますよ」と言っていたこともどこかで関わりがあるのかも知れない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　観音様は奥が深い。一度の巡礼で見える部分はごく限られたものであると心しよう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　観音様に対して多くのお年寄りが熱心に手を合わせ祈る横で、今日も一休さんもどきのまるかん案内板がニッコリ笑いかけていることだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「やる気のある会社の取り組みの凄味をひとつ垣間見たような気がするな～」と思い出しながら改めて感心していたら、仕事で銀座まるかんの前を通ることになってしまった。&lt;br /&gt;　玄関外に無料のくじ引きがあることに気づいた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　神社でもおみくじを引くことなど滅多にないが、この縁に感謝して引いてみた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　手にした紙にはこう書&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SIuj0qxXqlI/AAAAAAAAAU4/3ompOnvgyHQ/s1600-h/ã¾ãããããå¼ã.JPG"&gt;&lt;img id="BLOGGER_PHOTO_ID_5227451917723478610" style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 10px 10px 0px; CURSOR: hand" alt="" src="http://3.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SIuj0qxXqlI/AAAAAAAAAU4/3ompOnvgyHQ/s200/%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%8F%E3%81%98%E5%BC%95%E3%81%8D.JPG" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;かれていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「私は前進します　みんなが待っている所まで　ひとり」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　なんだか意味深な感じもするが、素直に「よし、前進しよう」と思った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-3433556536378772888?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/3433556536378772888/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=3433556536378772888' title='2 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/3433556536378772888'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/3433556536378772888'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/07/blog-post_27.html' title='秩父観音巡礼に想う　「銀座まるかんの案内板」'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://3.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SIuhGCB1fDI/AAAAAAAAAUo/hywwLTdSgzA/s72-c/%E7%A7%A9%E7%88%B6%E6%A1%88%E5%86%85%E6%9D%BF%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%81%8B%E3%82%93.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>2</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-6678831650438513156</id><published>2008-07-26T08:12:00.006+09:00</published><updated>2008-07-27T07:12:46.595+09:00</updated><title type='text'>夏祭り前夜</title><content type='html'>&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SIpeyhiVHkI/AAAAAAAAAUg/XU3miMzlrnQ/s1600-h/%E5%A4%8F%E7%A5%AD%E3%82%8A%E5%89%8D%E5%A4%9C.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://4.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SIpeyhiVHkI/AAAAAAAAAUg/XU3miMzlrnQ/s200/%E5%A4%8F%E7%A5%AD%E3%82%8A%E5%89%8D%E5%A4%9C.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5227094539605712450" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　夏祭りのシーズン到来。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　靖国神社の御霊祭りから日本の祭りが始まるという人もあり、そうであれば今年はその始まりに立ち会えたことになるのでうれしい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　地元でも今日から２日間、夏祭りが始まる。&lt;br /&gt;　この日は毎年、会場に敷物を広げ、酒や肴を持ち寄って、盆踊りを眺めながら、近所の友人、知人らと飲み語らうのが恒例行事となっている。数日前から夏祭りで会いましょうとの声を掛けられる機会が増えて、気分はますます盛り上がってくる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　午後早い時間から太鼓を打つ音も鳴り響いてくることだろう。本格的な夏の到来を告げる音にも聞こえる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　２週間ほど前から夏祭りの実行委員の人々が、櫓（やぐら）を組んだり、ちょうちんを下げたりし始めていた。本番３日ほど前には会場の準備もほぼ終了している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　本番は大いに楽しみだが、個人的に毎年楽しみにしているのが、「祭り前夜」である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　夏祭りの前の夜、ずらりと下げられたちょうちんすべてに灯がともり、深夜までともされ続けるからだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　僕はこの町に移ってきた初めての夏、仕事で遅くなり駅からの暗い夜道を歩いていた。&lt;br /&gt;　帰宅途中にある夏祭り会場のグラウンドまで来た時、数多くのちょうちんの赤っぽい淡い光で煌々（こうこう）と照らされている非日常的な空間が目の前に現れ、僕は驚いてその場に一瞬、立ちつくした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　誰一人いないグラウンドの隅のベンチに腰掛けて、しばらく何をすることなくその風景を眺めていた。自分だけの空間のような気がして、なんて贅沢なんだろうとその空間にしばし身を任せるままにしていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　前夜に深夜近くまでに全てのちょうちんを点灯させている本当の理由は知らないが、たぶん電球のコンディションを確認しているのではないかと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　省エネが声高に言われるご時世になったから、来年もまたこの“前夜”が続けられるかどうかはわからない。今年は写真に納めさせてもらった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-6678831650438513156?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/6678831650438513156/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=6678831650438513156' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/6678831650438513156'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/6678831650438513156'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/07/blog-post_26.html' title='夏祭り前夜'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SIpeyhiVHkI/AAAAAAAAAUg/XU3miMzlrnQ/s72-c/%E5%A4%8F%E7%A5%AD%E3%82%8A%E5%89%8D%E5%A4%9C.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-30090815562651584</id><published>2008-07-25T06:55:00.005+09:00</published><updated>2008-07-26T08:18:02.195+09:00</updated><title type='text'>立花大敬先生の「道」</title><content type='html'>　&lt;br /&gt;　先日、掲載した立花大敬先生の「食事係の心構え」がおもしろい！との感想を友人がメールで送ってくれたことに勇気を得て、感謝（このツボは自分だけなのかと思っていたのでホントに嬉しかったです！）の気持ちを込めて、立花さんの本の中でもうひとつ僕が心動かされた話をご紹介します。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　立花さんの人となりを知るうえでも、参考になる文章だと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　またまたちょっと長いのですが、ご容赦を！&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;道&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　僕の前に道はない&lt;br /&gt;　僕の後に道はない&lt;br /&gt;　僕の一歩が道となり&lt;br /&gt;　次の一歩が道となる&lt;br /&gt;　僕が道だ&lt;br /&gt;　僕が道だ&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今回はこの詩の意味を考えてみましょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私は若い頃、自分が歩むべき道がわからなかったのです。途方に暮れて、誰か「君の道はこれだ」と教えてくれる人はいないか、自分の道を指示してくれる書物はないかとさがし求め続けました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　何度も『これだ！』と思いこみ、裏切られるという体験をくりかえしてきて、四十を過ぎてようやく、そんな道なんて実は無かったんだと気づきました。それが、『僕の前には道はない』です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　なぜないのでしょうか。&lt;br /&gt;　それは実に単純なことで自分は自分であって人ではないからなのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私はイエスでもないし、ブッダでもありません。私は私という、この広い宇宙にたった一つの独自の生命体なのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それは、イエスでもブッダでも同じことです。&lt;br /&gt;　イエスは、イエスという独自の生命体にふさわしい、こうでしかあり得ないという道を歩まれました（そして、今も、もう地球での体験などケロッと忘れて、“今”の道を歩みつづけておられるでしょう）。ブッダもブッダだけが歩み得る道を見事に歩まれました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　でも、それはイエスの道であり、ブッダの道であったのです。&lt;br /&gt;　それは私の道じゃない。イエスさまの足跡を私がたどって歩いていっても、それによって私といういのちの独自性を発揮することはできません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ある有名な禅僧の弟子Aさんがいました。Aさんは師匠がなくなられた時、かたみの老眼鏡をもらったのです。Aさんはその時以来そのメガネをかけはじめたのです。まだ若い人だったのに、お師匠さまのマネをしたいのでしょうね。わざわざ不便をしていたのです。そして、年をとって、「ようやく、師匠のメガネでハッキリモノが見えるようになりました」と喜んでおられました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これも何だか変でしょう。イエスの道、ブッダの道をその通り歩もうというのも、これとまったく同じことなのです。人のメガネをかけないで、自分の眼でしっかり見る、あるいは必要なら、自分の今の眼の状態にピッタリのメガネをかけることです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　モーゼの前に現れた神は『アイアム　ザット　アイアム』とおっしゃいました。&lt;br /&gt;　これは、平たく訳すと、『私は私だ（オレはオレだ）』という意味です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　神とは何かというと、そのように、自分が何か外の存在を頼ったり、進むべき道を教えてもらおうと依存せず、自分が自分の今・ココにしっかり腰をすえている、その姿を“神”というのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ホトケ&lt;br /&gt;　ほっとけ&lt;br /&gt;　あんたはあんた&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　イエス&lt;br /&gt;　きりすて&lt;br /&gt;　あんたは&lt;br /&gt;　あんた&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私の絵葉書に、子猫を描いて、『へたくそでも自分の足で歩こうね』と買いてあるのがあります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私のこれまでの人生の歩みぶりは、紆余曲折（うよきょくせつ、曲がりくねっていること）があって、人から見てずいぶんカッコ悪いものかもしれませんが、私はイエスにしろ、ブッダにしろ、道元禅師にしろ・・・、これらの方々の歩き方をマネしませんでした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　カッコ悪くても、へたくそでも、自分の足で、自分の判断で、自分の全責任で、一歩、一歩、ヨロヨロでも、オロオロでも、進んできました。&lt;br /&gt;　これが私の生きる道で、これが僕にしか歩めない、僕だけの独自の道であったのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　どんなにちっぽけでも&lt;br /&gt;　どんなにみすぼらしくても&lt;br /&gt;　自分でつくったもの&lt;br /&gt;　自分のいのちだから&lt;br /&gt;　湧き出したもの&lt;br /&gt;　それが一番輝いている&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　風が吹けば&lt;br /&gt;　転べばいい&lt;br /&gt;　穴があったら&lt;br /&gt;　落ちればいい&lt;br /&gt;　どっちへどう転んでも&lt;br /&gt;　君は君なんだから&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　過去にもいろんなことがありました。『生活能力がないヤツ』と言われたり、『三十にもなってウロウロしているのか』としかられたり、軽蔑の眼に出会うことも多かったのですが、これらはすべて過去のことです。過去とは過ぎ去って、もう無いから過去といいます。&lt;br /&gt;　もうないんだから、アカンタレの大敬さん、甲斐性無しの大敬さんも、もう無いのです。&lt;br /&gt;　以前の私は、そんな、人から見た“大敬像”で、自分を決めつけてしまって、そんな“決めつけ”にもとづいて、自分の歩み出す方向を決めるというようなバカなことをしていました。&lt;br /&gt;　四十をすぎて、ようやく『僕の後に道はない』と気づいて、今・ココの自分が、まっ新（さら）な、『はじめの一歩』を踏み出せるようになりました（八十からでも、百歳からでも人は新しく生まれ変わることができます。なぜなら過去はないからです）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　雲門禅師はある月の十五日の日に、弟子たちに次のように質問されました。&lt;br /&gt;　「十五日以前のことは問わない。十五日以後のことを一言いってみなさい」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　『十五日以前のことは問わない』、過去はもうないんです。以前は社長だった、以前はアカンタレだった・・・、すべてもう消え去ってないのです。&lt;br /&gt;　このように、過去をすべてリセットしてしまって、また、まったく道のない未来の大地に向かって立った今、『君はどのように一歩を踏み出してゆくのか、一言で言ってみなさい』とおっしゃっているのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この方向に踏み出せば、先に毒ヘビがいるかもしれない、この方向に行けば、落とし穴があるかも知れない、こちらに行けば宝物に出会うかもしれない、・・・。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この雲門さんの問いに対して、弟子たちは答えることができませんでした。&lt;br /&gt;　そこで雲門さんは、「私なら、日々是好日（にちにちこれこうにち）と歩いて行くよ」と答えました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　どの日も、どの日も好日、最高の日。&lt;br /&gt;　毒ヘビに出会ってよき日、落とし穴に落ち込んでも最高の日！と僕は歩いていくよとおっしゃっているのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私が、人に依存せず、私の全責任で決断し、思い切って踏み出した道、この道はすべての比較を超越して最高の道、絶対の道です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　わがいのちは強く、たくましいのです。毒ヘビに出会っても、落とし穴におちこんでも、そのことを栄養分に変えて、一層大きく成長していくのです。&lt;br /&gt;　だから、安心して悩んでいい、迷っていい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これらすべての経験をふまえて、私たちは必ず、いつの日か、“ひとつのいのち”の故郷（エデンの園）に帰りつくことが決まっているからです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今日（きょう）ノ&lt;br /&gt;　生日（いくひ）ノ&lt;br /&gt;　足日（たるひ）ニ&lt;br /&gt;　（祝詞（のりと）の一節より）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-30090815562651584?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/30090815562651584/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=30090815562651584' title='2 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/30090815562651584'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/30090815562651584'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/07/blog-post_25.html' title='立花大敬先生の「道」'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>2</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-6772340909777072208</id><published>2008-07-24T06:24:00.005+09:00</published><updated>2008-07-25T07:01:21.910+09:00</updated><title type='text'>我が家に神棚がやってきた</title><content type='html'>&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SIeixds7nHI/AAAAAAAAAUY/wA6XI5U77kI/s1600-h/%E7%A5%9E%E6%A3%9A%E3%81%8C%E3%82%84%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://2.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SIeixds7nHI/AAAAAAAAAUY/wA6XI5U77kI/s200/%E7%A5%9E%E6%A3%9A%E3%81%8C%E3%82%84%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5226324863257123954" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　我が家に神棚を設けた。&lt;br /&gt;　あまりにも自然な流れでやってくることになったので、これも観音様の導きなのかもしれないなと思った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　知り合いに神棚を商いとする人が何人かいるが、大きく仰々しいものは意識してやめた。&lt;br /&gt;　「小さくても立派に神棚してます」というタイプの神棚を選んだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　またひとつ自分と向き合うよき機会に恵まれたと感謝している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これから神棚を持つ生活の始まりである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-6772340909777072208?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/6772340909777072208/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=6772340909777072208' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/6772340909777072208'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/6772340909777072208'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/07/blog-post_24.html' title='我が家に神棚がやってきた'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SIeixds7nHI/AAAAAAAAAUY/wA6XI5U77kI/s72-c/%E7%A5%9E%E6%A3%9A%E3%81%8C%E3%82%84%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-83980624400533196</id><published>2008-07-23T12:02:00.003+09:00</published><updated>2008-07-24T06:30:38.635+09:00</updated><title type='text'>今日が「お金がどんどん入ってくる財布」取り替えの日</title><content type='html'>　５月に古神道の秘術の中にも「お金がどんどん入ってくる財布」と巡り会う方法があると教わり、ご紹介した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この方法は至って簡単で、&lt;br /&gt;　「甲子（きのえね）の日に財布を買うこと（もしくは作ること）」。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　その「甲子の日」が、本日７月２３日（水）なのである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　甲子とは干支（かんし）６０通りの中で一番始めに当たる「物事の原点の日」。&lt;br /&gt;　この日を持って新しい財布を手にすると、それまでの苦しい状況ややりくりに困った内実を消し去り、豊かなお金の巡りへと導きがあるのだそうだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ちなみに、次回の「甲子の日」は、約２カ月後の「９月２１日」。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ご興味がある方は「善は急げ」！&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-83980624400533196?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/83980624400533196/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=83980624400533196' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/83980624400533196'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/83980624400533196'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/07/blog-post_1552.html' title='今日が「お金がどんどん入ってくる財布」取り替えの日'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-2534156813327463342</id><published>2008-07-23T06:57:00.006+09:00</published><updated>2008-07-23T12:04:16.372+09:00</updated><title type='text'>秩父観音巡礼に想う　「食事係の心構え」</title><content type='html'>　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　秩父巡礼を始めて間もなくすると不思議なことが続々と起こり始めた。&lt;br /&gt;　問題が解決したり、不安が解消されたりといった現象的なことだったり、人や物事との思わぬ喜びと驚きの出会いだったりした。&lt;br /&gt;　不思議なこととはいうけど、たいがいは「あれっ、これは今までにない流れだな」と僕自身が感じることで、人には伝えにくいような些細なことも多いので決して大層なことばかりではない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　自分自身に変化があるから、目の前の現象が変化するわけだが、変化のきっかけを与えてくれているのは観音様なので、「やはり観音様はいるのだな～」と僕は今回の旅を通じて確信した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今日はその中からうれしい作者との出会いについて。&lt;br /&gt;　その人は、「立花大敬先生」。&lt;br /&gt;　なぜ、「先生」をつけるのかというと、現役の高校教師だからだ。&lt;br /&gt;　簡単にプロフィールを紹介すると、&lt;br /&gt;　1948年大阪生まれ。大阪大学にて生物工学を研究。19歳（大学在学中）、禅に入門。以後、曹洞、臨済等の諸老師に指導を受けてきた。42歳、天命を知る。48歳、『しあわせ通信』を開始。著述、講演活動を展開中。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　著書も数多く出されているが、書店売りはほぼまったくといっていいほどされていない。だから名前だけは聞いていたが、一冊も読んだことはなかった。&lt;br /&gt;　それが、朝４時に起きて巡礼の準備をしている時、ポンと立花大敬さんの名前が頭に浮かび、出発前で慌ただしいにもかかわらず、ネットで探し、通販で注文していた。&lt;br /&gt;　その本が届き、読み始めたのだがおもしろいこと、おもしろいこと。&lt;br /&gt;　禅の世界の人なので道元さんやお釈迦様がよく出てくるが、時には旧約聖書や故事にまで話題を広げながら、神々のこと、言葉のこと、この世の仕組みのことなどをわかりやすく紹介している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この中からまずは電車で読みながら思わず吹き出しそうになったお話をひとつ（ただ、知人に読んでもらっても全然笑ってもらえなかったので、「笑える」部分は差し引いて読んでください）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;　道元禅師が説かれた「食事係の心構え」について紹介してきました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　でも、こんなのはみんな無駄でつまらないことに思えますね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　世界はこんなに広いのに、ちっぽけな、うす暗い台所にこもって、トントントン、キュウリを切っている。何とつまらん、面白くないことをやっているんだろう、なんて思ったことはありませんか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　でも、あえてそんなくだらない作業に身を入れ没頭してゆけば、そこに宇宙的なものが宿ってくるから不思議なんです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　無心にトントントンと大根を切る、そのひびきが宇宙いっぱいに広がって、そのひびきで世界の安定をサポートしているんだといえば驚かれますか。本当はそうなんですよ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　二流、三流の人が本を書いたり、講演したりしています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　本物の、一流の聖者は台所で人しれず、トントントンと漬物を切っています。そのトントントンが聖書以上の聖書であり、仏典を超えた仏典なのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　無着（むじゃく）という僧が典座になって、台所で仕事をしていた時、光輝く文殊ボサツが突然カマドの前に出現されて、「無着よ」と呼びかけられました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　すると、無着は、「うるさい、今仕事中だ。邪魔するな」と丁度手にもっていたひしゃくで文殊さまを打って追い払いました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今、私がするこの作業には大宇宙がこもっているんだ。文殊といえど、イエスといえど、この宇宙的なわざの邪魔をすることはできないぞというゆるぎない大信念を持っておられたのですね。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　お坊さんって、悟りを開くために毎日毎日厳しい修行をしているんです。&lt;br /&gt;　それを導く役割も担う菩薩さまがせっかく現れてくれて「おい、無着よ」と声をかけてくれているのに、「あっち、行け」とひしゃくで打って追い払うんですよ。&lt;br /&gt;　その情景を想像すると、僕はなんだかおかしくなって笑いが込み上げてきて仕方がなかったです・・・。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-2534156813327463342?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/2534156813327463342/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=2534156813327463342' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/2534156813327463342'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/2534156813327463342'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/07/blog-post_23.html' title='秩父観音巡礼に想う　「食事係の心構え」'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-3986830573300340611</id><published>2008-07-21T15:31:00.007+09:00</published><updated>2008-07-23T06:59:15.560+09:00</updated><title type='text'>秩父観音巡礼に想う　　「オン　ニコニコ　ハラタテマイゾ　ソワカ」</title><content type='html'>&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SIQuaVRGc-I/AAAAAAAAAUQ/HwKJlqgXm8Y/s1600-h/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%8B%E3%82%B3%E5%9C%B0%E8%94%B5.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://2.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SIQuaVRGc-I/AAAAAAAAAUQ/HwKJlqgXm8Y/s320/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%8B%E3%82%B3%E5%9C%B0%E8%94%B5.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5225352497576965090" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　18番札所の「神門寺（ごうとくじ）」の境内に、そのお地蔵さんはいらっしゃった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　静かで穏やかな笑顔をたたえながら。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　名は「ニコニコ地蔵尊」。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　解説の碑には、ニコニコ地蔵の縁起がこう記されている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　お地蔵様の御真言をオン　カカカビ　サンマエイ　ソワカ　という。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ある和尚は、わかりやすく　「オン　ニコニコ　ハラタテマイゾ　ソワカ」　と唱えた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　カカは母の心限りなく大きく、広く、深い愛情をいう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　お地蔵様は何時どこでもすばらしいほほえみを浮かべてすべての人々をいつくしみ、あたたかく見守っていてくださる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「疲れた身体をこの笑顔に癒され、ユニークなご真言を目にして笑みを浮かべ、新たな気持ちで再び巡礼の歩みを始めた人々がこれまで数多くいたことだろう」と秩父の澄んだ青空を眺めながら思った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-3986830573300340611?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/3986830573300340611/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=3986830573300340611' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/3986830573300340611'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/3986830573300340611'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/07/blog-post_4331.html' title='秩父観音巡礼に想う　　「オン　ニコニコ　ハラタテマイゾ　ソワカ」'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SIQuaVRGc-I/AAAAAAAAAUQ/HwKJlqgXm8Y/s72-c/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%8B%E3%82%B3%E5%9C%B0%E8%94%B5.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-9221047574771009710</id><published>2008-07-21T04:50:00.004+09:00</published><updated>2008-07-21T15:37:02.484+09:00</updated><title type='text'>「延命十句観音経」ここで聴けます</title><content type='html'>　命を延ばすというお経「延命十句観音経」の音声がYouTubeで聴けると友人が教えてくれた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;a href="http://jp.youtube.com/watch?v=tWQHIVgdO9E"&gt;http://jp.youtube.com/watch?v=tWQHIVgdO9E&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　般若心経も人それぞれ唱え方に微妙な違いがあったりするので「これが正解！」というものはないのだと思う。何かの参考になればと思いお知らせします。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　延命十句観音経は、江戸時代に白隠禅師という臨済宗のお坊さんが、北野天神の神様に、このお経を広めて多くの人を苦難から救い出してほしいと頼まれたことから始まったそうだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　白隠禅師は「延命十句観音経霊験記」という本を書いていて、この中にはお経を唱えて救われた人々の体験談が数多く集められているらしいので、近く読んでみようと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-9221047574771009710?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/9221047574771009710/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=9221047574771009710' title='3 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/9221047574771009710'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/9221047574771009710'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/07/blog-post_21.html' title='「延命十句観音経」ここで聴けます'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>3</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-3465354446819570249</id><published>2008-07-20T08:00:00.007+09:00</published><updated>2008-07-21T04:52:19.714+09:00</updated><title type='text'>トランプにみる宇宙の法則</title><content type='html'>　トランプを裏返しておいて、「スペードが出てほしい、スペードが出てほしい」と強く思いながら、トランプをひくと、スペードが出る確率がグンと上がる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　次に「ハートよ、出るな、ハートを、出るな」と強く思い、トランプをひくと、意外なことにハートの出る確率もやはりグンと上がるのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これはいくつかの「宇宙（神様と言ってもいいかもしれない）の法則」をよく表している。&lt;br /&gt;　心に描いた思いは、必ず叶えられる。強く何度も思うともっと叶えられるようになる。&lt;br /&gt;　しかし、「いい」と「悪い」の区別は基本的にされない。「いい」にしろ「悪い」にしろ、思うとそのイメージの強さが叶えられてしまう。意識するとそれが目の前に現実化されるわけだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　だから、人や会社や家庭への不平不満、愚痴、陰口、悪口を人のこと、自分じゃないこととして言っているつもりでも、宇宙の立場としては「その人に現象として叶えてあげればいいんだな」ということになる。&lt;br /&gt;　このため、悪口を言った相手は（改心して）良い人に変わるどころか、その人が言った通りのいじわるで陰湿でどうしようもない相手としてさらにパワーアップしてその悪く言った人の目の前に登場することになる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　もうひとつは、この宇宙の法則を知るとネガティブナことは考えない、関わらないということがとても大切だということがわかってくる。&lt;br /&gt;　イヤなことが起こっているということは、以前、イヤなことの“種”を自分がまいているからなのだ。&lt;br /&gt;　その“種”をまいたのがどんなことで、いつのことだったのかと探す（基本的に数ヶ月、数年前の一瞬のことを思い出すのはかなり難しい）よりも、イヤなことがあった時にはそのことに対して、（本当は思っていないけど）「ありがとう」と言って言霊（ことだま）でその“イヤな流れ”をそれっきりで断ち切った方がいい。その方が幸せになるためにはずっと簡単だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そして、それ以降は、なるべくイヤなことを思わないようにする。&lt;br /&gt;　じゃあ、自分のクセでイヤなこと、不幸なことを思ったらどうすればいのか・・・・&lt;br /&gt;　それは簡単である。宇宙の法則では、イヤなこと、不幸なことをふと思っても、それに“気づく”とキャンセルされるので、すぐに「あ、今の間違い、間違い」「なかったことにしてください」「キャンセル、キャンセル」と思えばいのである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　あとは良いことを考える、自分に心地良いことを考えていく、ただひたすらに。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　すると、良いこと、幸せなことの”種”が次々とまかれているので、しばらくすると良いこと、幸せなことが目の前に次々と起こるようになる。&lt;br /&gt;　この時も、「なんで」「どうして」と思わないで、素直な気持ちで感謝する。するとずっと続きます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　その先には「悟り」があるらしい。「いい」も「悪い」も超えて心をからっぽに澄み切った状態にして、目の前に現れること、起こることを「ありがとう」と喜んでいると自分ではびっくりするような幸福と感謝に満ちたことが次々と起こるという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ここまでたどり着きたいものですね～&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-3465354446819570249?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/3465354446819570249/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=3465354446819570249' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/3465354446819570249'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/3465354446819570249'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/07/blog-post_20.html' title='トランプにみる宇宙の法則'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-8868065608013117507</id><published>2008-07-19T08:01:00.005+09:00</published><updated>2008-07-20T08:02:25.740+09:00</updated><title type='text'>命を延ばすお経「延命十句観音経」</title><content type='html'>　「延命十句観音経」と出会った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　秩父の３４観音様巡礼の途中から不思議な“現れ”が始まったが、これもまたそのひとつの“現れ”なのだろうと強く感じる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ともに歩いた人たちにも同じように、これまで経験したことがない“現れ”が起こっているようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　観音様の導きなのであるとそれぞれが信じている。ありがたいことである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この「延命十句観音経」は命を延ばすといわれている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　医者が見放したような病気の方のために家族の方が何千回、何万回と唱えられてその病気が消滅してしまったという話が実際に数多くあるそうだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　三千回唱えたあたりで消滅する。残り七千回をお礼と今後の健康のために唱え一万回が標準であるという方がいる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　健康な方でも一万回唱えると不思議な境地を得て物事が驚くほど無理なくスムースに流れるようになる、苦しみが消えていくとおっしゃる方もいる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　大変短いお経である。身近に病でつらい思いをされている方がいれば、そのことと自分が向かい合えるきっかけになれるし、治るならそれ以上のことはない。僕も治ると信じたい。お経自体、“信じる”ことのエネルギーの固まりそのものだから。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　緊急でない人も、連続してやれる数でもないので、無理なく楽しみながら自他の健康を祈願しながらやってはいかがかと思う。心落ち着くものである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;延命十句観音経&lt;br /&gt;えんめいじっくかんのんきょう&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;観世音　　南無仏　　与仏有因　　与仏有縁&lt;br /&gt;かんぜおん　なーむーぶつ　よぶつーいん　よぶつーえん&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;仏法僧縁　　常楽我浄　　朝念観世音&lt;br /&gt;ぶっぽうそうえん　じょうらくがーじょう　ちょうねんかんぜーおん&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;暮念観世音　　念々従心起　　念々不離心&lt;br /&gt;ぼーねんかんぜーおん　ねんねんじゅうしんきー　ねんねんふーりーしん&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-8868065608013117507?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/8868065608013117507/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=8868065608013117507' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/8868065608013117507'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/8868065608013117507'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/07/blog-post_19.html' title='命を延ばすお経「延命十句観音経」'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-5670502984812637918</id><published>2008-07-18T05:35:00.008+09:00</published><updated>2008-07-19T08:03:20.554+09:00</updated><title type='text'>靖国神社「御霊祭り」</title><content type='html'>&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SH-tmO5CusI/AAAAAAAAATw/OZrBY64LwvM/s1600-h/å¾¡éç¥&amp;shy;ãï¼.JPG"&gt;&lt;img id="BLOGGER_PHOTO_ID_5224084965117049538" style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 10px 10px 0px; CURSOR: hand" alt="" src="http://4.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SH-tmO5CusI/AAAAAAAAATw/OZrBY64LwvM/s200/%E5%BE%A1%E9%9C%8A%E7%A5%AD%E3%82%8A%EF%BC%91.JPG" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　靖国神社の「御霊祭り」を最終日に訪ねた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　東西線に乗り九段下駅で降りて地上に上がるとそこはすでに多くの人であふれている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　第一の鳥居の下から、遠くに大村益次郎の銅像が見えるが、その下はどこまでも人、人、人・・・、そこをかきわけながら前に進む。&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SH-uKlFXVnI/AAAAAAAAAT4/xN8Qwrf-ipo/s1600-h/å¾¡éç¥&amp;shy;ãï¼.JPG"&gt;&lt;img id="BLOGGER_PHOTO_ID_5224085589549602418" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 10px 10px; CURSOR: hand" alt="" src="http://3.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SH-uKlFXVnI/AAAAAAAAAT4/xN8Qwrf-ipo/s200/%E5%BE%A1%E9%9C%8A%E7%A5%AD%E3%82%8A%EF%BC%92.JPG" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　時折、立ち止まり、見上げる薄暮のうっすら茜色に染まる空は美しい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　普段は人混みは大の苦手でなるべく近寄らないようにしているが、祭りのにぎやかさはまた別。&lt;br /&gt;　平日、静かに澄んだ気が満ちた靖国さんの境内が、あふれる祭りの熱気で別の場所のようだが、いくら人が押し寄せようとどこかに節度を感じるのはこの場の持つ清明さがゆえか。&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SH-ur1ZEuFI/AAAAAAAAAUA/7Ox0u6G9VeQ/s1600-h/å¾¡éç¥&amp;shy;ãï¼.JPG"&gt;&lt;img id="BLOGGER_PHOTO_ID_5224086160862918738" style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 10px 10px 0px; CURSOR: hand" alt="" src="http://1.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SH-ur1ZEuFI/AAAAAAAAAUA/7Ox0u6G9VeQ/s200/%E5%BE%A1%E9%9C%8A%E7%A5%AD%E3%82%8A%EF%BC%93.JPG" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　第二鳥居をくぐり、神門まで来るとグッと人数も落ち着いてくる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　本殿には列ができていて、先頭にたどり着くと、職場の同僚２人と横に一緒に並び、英霊に頭をたれる。&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SH-vJGA3AYI/AAAAAAAAAUI/Yu8MWXrzojw/s1600-h/å¾¡éç¥&amp;shy;ãï¼.JPG"&gt;&lt;img id="BLOGGER_PHOTO_ID_5224086663540965762" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 10px 10px; CURSOR: hand" alt="" src="http://1.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SH-vJGA3AYI/AAAAAAAAAUI/Yu8MWXrzojw/s200/%E5%BE%A1%E9%9C%8A%E7%A5%AD%E3%82%8A%EF%BC%94.JPG" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　この地をすぐには去りがたく、にぎやかな境内に戻り、夜店に席を確保して、献杯かと思ったが、「いや、乾杯だろう」ということで杯をあげる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　普段より量は飲んだつもりはないが、まわりの早い酒に気分を良くしながら御霊祭りの夜はふけていく。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-5670502984812637918?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/5670502984812637918/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=5670502984812637918' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/5670502984812637918'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/5670502984812637918'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/07/blog-post_18.html' title='靖国神社「御霊祭り」'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SH-tmO5CusI/AAAAAAAAATw/OZrBY64LwvM/s72-c/%E5%BE%A1%E9%9C%8A%E7%A5%AD%E3%82%8A%EF%BC%91.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-1242178951090579028</id><published>2008-07-17T10:04:00.011+09:00</published><updated>2008-07-18T05:45:51.355+09:00</updated><title type='text'>上野の西郷さんの周辺清掃に初参加</title><content type='html'>&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SH6jrK1Uf7I/AAAAAAAAATY/8xRI5NU_Lgc/s1600-h/è¥¿é·ãããæ¸æï¼.JPG"&gt;&lt;img id="BLOGGER_PHOTO_ID_5223792579834052530" style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 10px 10px 0px; CURSOR: hand" alt="" src="http://1.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SH6jrK1Uf7I/AAAAAAAAATY/8xRI5NU_Lgc/s320/%E8%A5%BF%E9%83%B7%E3%81%95%E3%82%93%E3%80%80%E6%B8%85%E6%8E%83%EF%BC%91.JPG" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　日曜日の朝、上野公園に向かう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　西郷さんの銅像周辺を清掃するためだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　JR神田駅の近くに「西郷隆盛に学ぶ『敬天愛人フォーラム２１』」というグループがある。&lt;br /&gt;　わかりやすく言えば“西郷隆盛ファンクラブ”のようなもので、僕は知人の紹介で今月はじめに、代表世話役の内（うち）弘志さんを紹介された。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　知人に１年ほど前に、携帯電話のメールアドレスを訊かれ、やりとりしたところ、次に会った時、「西郷さんが好きなんですか？」と訊ねられた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「ええ、そうです。どうしてご存知なんですか」と僕が言うと、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「メールアドレスです」と笑って答えられた。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　１０年以上前から僕の携帯のメールアドレスは&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「keiten-aijin（敬天愛人）」である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「天を敬い、人を愛する」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　西郷さんがもっとも好んだ言葉のひとつで、本人が揮毫した書も有名である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　でも、１０数年このアドレスを使ってるが、“西郷ファン”であることを見抜いたのはこの知人が初めてであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　何を思ったのか、「aijin（愛人）！？」と言って、僕の顔を見ながらニヤニヤした人は数人いたけど。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　内さんから、「敬天愛人フォーラム２１」では３年ほど前から上野の西郷さんの銅像周辺の清掃を行っていることを聞いた。&lt;br /&gt;　老若男女を問わず、鹿児島出身でない方々も西郷さんを敬愛するという一念を持って毎月１度、集まってボランティアで掃除をしていると聞き、薩摩（鹿児島）出身の者として故郷の大先輩を敬愛する者として黙って見過ごすわけにはいかない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ぜひ参加させてくださいとお願いし、１３日、日曜日の集合時間午前９時の３０分前には銅像前に到着していた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　一番乗りで銅像をながめながら待っていると、内さんが最初に到着。その後、参加者の皆さんがふらりといらっしゃり、今回は計７人で清掃開始となる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　まずは、西郷さんの銅像の前に横一列になり、これより清掃を始めさせていただきますとお断りのご挨拶をし、一礼する。&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SH6kMrwEgZI/AAAAAAAAATg/Q2C2fNtc-uE/s1600-h/è¥¿é·ãããæ¸æ.JPG"&gt;&lt;img id="BLOGGER_PHOTO_ID_5223793155606086034" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 10px 10px; CURSOR: hand" alt="" src="http://3.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SH6kMrwEgZI/AAAAAAAAATg/Q2C2fNtc-uE/s320/%E8%A5%BF%E9%83%B7%E3%81%95%E3%82%93%E3%80%80%E6%B8%85%E6%8E%83.JPG" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　４人は西郷さん銅像の周辺をタオルで拭き、３人は上野駅側の大階段を帚ではわく。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　上野公園には清掃業者の人が関わっているのでいつも園内はキレイになっている。&lt;br /&gt;　それでも水を絞ったタオルでごしごし拭くともっとキレイになり、気持ちいい。&lt;br /&gt;　拭き掃除を終えたので、階段の掃除の手伝いにも出かける。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　その間にもうひとつやらなくてはいけないのがカメラ撮影。&lt;br /&gt;　フォーラムの皆さんは、西郷さんを敬愛しているだけあって、いずれの方々も素朴で心温かな方ばかり。３年に及び掃除も純然たる奉仕でやっており、そのためかＰＲ意識の希薄。写真のような活動記録がほとんどないのだ。&lt;br /&gt;　ということで、本日は即席の“記録班“にも変身した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　第一印象が温厚で、おつきあいしても変わらずそうであることがわかった代表世話人の内さんだが、こと西郷さんの話になると俄然、熱を帯びてくる。表情まで変わるくらい西郷さんへの思いは高まる。&lt;br /&gt;　最初に会った時に、だんだん熱を帯び、気が高まってくる内さんを見ながら、僕は背筋がゾクゾクと寒くなった。&lt;br /&gt;　西郷さんのことで内さんが熱く語れば語るほど、周辺に霊が集まってきているのがわかったからだ。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　西郷先生を尊敬する者同士として、同郷の者同士としてすぐにうち解けたこともあり、僕は感じたままを内さんに言った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　内さん「霊ですか、はははは」と笑っただけだった。&lt;br /&gt;　僕もイヤな気のする霊体験ではなかったので、一緒に笑った。&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SH6mCBZlWkI/AAAAAAAAATo/ABRn50r46k8/s1600-h/è¥¿é·ãããæ¸æï¼.JPG"&gt;&lt;img id="BLOGGER_PHOTO_ID_5223795171462044226" style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 10px 10px 0px; CURSOR: hand" alt="" src="http://2.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SH6mCBZlWkI/AAAAAAAAATo/ABRn50r46k8/s320/%E8%A5%BF%E9%83%B7%E3%81%95%E3%82%93%E3%80%80%E6%B8%85%E6%8E%83%EF%BC%92.JPG" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　そんな内さんだが、この日撮った写真の多くに、白いモヤのような霊の姿が映っている。&lt;br /&gt;　やはり思った通りである。&lt;br /&gt;　澄み切った夏空の下で、西郷さんを慕う人々の姿を見ながら、やはり向こうの世界で西郷さんを愛する霊たちもきっと喜んでいてくれるに違いないと僕は確信した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　始まりと同様に、西郷さんにご挨拶と一礼をして清掃は無事終了。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　毎月、第２日曜日の９時から上野公園西郷さん銅像前に集まり１時間～１時間半ほど清掃している。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　多くの方々にお時間をつくって一度ご参加してほしいと願う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「西郷隆盛に学ぶ『敬天愛人フォーラム２１』」のホームページはこちらです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 &lt;a href="http://www.keiten-aijin.com/"&gt;http://www.keiten-aijin.com/&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　また、今月２５日には朝崎郁恵特別講演会も開かれるので、こちらもどうぞ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　＜朝崎郁恵プロフィール＞&lt;br /&gt;　1935年奄美大島生まれ。奄美諸島で古くから歌い継がれてきた島唄の第一人者。島唄の研究に情熱を傾けた父辰恕の影響を受け、天性の素質を磨いた朝崎はすでに10代で天才唄者として活躍していた。現在、東京を中心に活躍中。後進の育成を図るとともに、日本各地の芸能や各国の民族音楽とも交流し、新しい島唄の創作に力を注いでいる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　１９５９年　映画「エラブの海」のバックミュージックとして島唄を担当&lt;br /&gt;　１９８２年　奄美島唄朝崎曾を主催&lt;br /&gt;　１９８４年　国立劇場にて第1回独演会「朝崎郁恵 奄美を唄う」&lt;br /&gt;　１９８９年　NHKテレビ「この人'89」に出演&lt;br /&gt;　１９９０年　NYカーネギーホール及びLAにて「奄美大島民謡の夕べ」を開催&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　日時：平成２０年７月２５日（金）&lt;br /&gt;　時間：１９：００～２１：００&lt;br /&gt;　場所：西郷隆盛会館（東京・神田駅すぐ）&lt;br /&gt;　人員：先客４０名&lt;br /&gt;　会費：３千円　食事付き、奄美の黒糖酒（３０度）呑み放題　&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-1242178951090579028?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/1242178951090579028/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=1242178951090579028' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/1242178951090579028'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/1242178951090579028'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/07/blog-post_17.html' title='上野の西郷さんの周辺清掃に初参加'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://1.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SH6jrK1Uf7I/AAAAAAAAATY/8xRI5NU_Lgc/s72-c/%E8%A5%BF%E9%83%B7%E3%81%95%E3%82%93%E3%80%80%E6%B8%85%E6%8E%83%EF%BC%91.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-4018391993354902202</id><published>2008-07-16T05:35:00.004+09:00</published><updated>2008-07-17T10:15:00.477+09:00</updated><title type='text'>「馬鹿」の始まりは「愚痴」</title><content type='html'>　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　不遇の時は「愚痴」が口を突いて出やすいもの。でも、よした方がいい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「愚痴」は梵語（ぼんご）で「モーハ」といい、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それがなまって「馬鹿」になったといわれる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「馬鹿」の元は「愚痴」だったのである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「愚痴」を言えば言うほど頭の巡りは良くない方向に向かうということかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　では、不遇の時はどう過ごせばいいのだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それぞれにいろんな過ごし方の知恵があると思うが、&lt;br /&gt;　歌人・石川啄木は不遇の時の過ごし方をこう歌った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「友がみな　われより偉く見ゆる日は&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　　　　花を買いきて　妻とたのしむ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-4018391993354902202?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/4018391993354902202/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=4018391993354902202' title='2 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/4018391993354902202'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/4018391993354902202'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/07/blog-post_16.html' title='「馬鹿」の始まりは「愚痴」'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>2</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-4857391379712175239</id><published>2008-07-15T09:41:00.004+09:00</published><updated>2008-07-16T05:37:14.882+09:00</updated><title type='text'>「魂の波動を高めるためには」</title><content type='html'>　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この質問は、前回で終了したはずの「私の遺言」で、佐藤愛子さんが中川昌蔵さんに投げかけた問いである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　大変、印象深かったのに、うっかり記しもらしていたので、ちょっとご紹介。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　では魂の波動を高めるのはどうすればいいのでしょうという質問に対して、中川氏はこう答える。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　「難しいことは全くありません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　学問も知識も必要ありません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　人は一人では生きられない。私は生かされているーー。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　そのことを認識し、ありがとうございますという感謝の気持ちを表現すればいいのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　感謝することで魂の波動は上がります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　実に簡単なことです」&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-4857391379712175239?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/4857391379712175239/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=4857391379712175239' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/4857391379712175239'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/4857391379712175239'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/07/blog-post_15.html' title='「魂の波動を高めるためには」'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-4019648633976311220</id><published>2008-07-13T15:24:00.006+09:00</published><updated>2008-07-15T09:44:22.499+09:00</updated><title type='text'>佐藤愛子「私の遺言」③　幸福になるためのソフト</title><content type='html'>&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SHmf0b6LGkI/AAAAAAAAATQ/gJh0G06f7c8/s1600-h/%E7%A7%81%E3%81%AE%E9%81%BA%E8%A8%80.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://4.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SHmf0b6LGkI/AAAAAAAAATQ/gJh0G06f7c8/s200/%E7%A7%81%E3%81%AE%E9%81%BA%E8%A8%80.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5222380966106569282" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「私の遺言」もこれでひとまずは最後。&lt;br /&gt;　この作品の後半には、前にこのブログで書いた中川昌蔵さんが登場する。&lt;br /&gt;　江原氏、相曽氏、そして中川氏（初っぱなは美輪明宏さんでした！）・・・、霊能者として役割は大きく異なるようだが、いずれもそうそうたる顔ぶれが登場してくる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ここで、中川氏が自身の著書にも書いている&lt;br /&gt;　「幸福になるためのソフト」&lt;br /&gt;　という五箇条があるので紹介しておきたい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「今日一日、親切にしようと想う。&lt;br /&gt;　　今日一日、明るく朗らかにしようと想う。&lt;br /&gt;　　今日一日、謙虚にしようと想う&lt;br /&gt;　　今日一日、素直になろうと想う&lt;br /&gt;　　今日一日、感謝をしようと想う。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ここからは少し長い文章になるが、この五箇条に秘められた意味を知ってもらうためにはどうしても必要だと思うので、抜粋掲載することにする。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「これを紙に書き、いつも見える場所（トイレが最適という）に貼って毎日見ては心に染み込ませることが大事であるといわれる。教訓カレンダーにあるようなそんな他愛のない言葉、と多くの人は思うだろう。実は私もそう思った。だが次につづく文章を読んだ時、私の中で何かがコトンと胸に落ちた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「実行してはダメです。&lt;br /&gt;　意識して実行すると失敗します。&lt;br /&gt;　なぜかというとコンピューターというハードにはソフトが不可欠なように、人間は肉体というハードがあり、そのハードにもソフトが不可欠なのです。親切というソフトが必要なのですが、ソフトをつくる前に人に親切にしたら失敗してしまうのです」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　人間の大脳は左右二つに分かれているが、左脳は外部からの教育を受け、体験を積むことによって育つが、右脳は自分で啓発し反省することで成長する。右脳の感性は四次元世界の能力で、自分以外のものに価値を発見して喜びを感じる性質がある。&lt;br /&gt;　宇宙は物質の世界とエネルギーの世界と精神の世界から出来ている。神は人間の大脳を左右二つに分けて、左脳は物質の世界に、右脳は精神の世界に対応する能力を与えられた。そして左右の脳がバラバラに働いて混乱しないように脳梁（のうりょう）という連絡路を作り左右の脳が情報を交流し合うように配慮してある。&lt;br /&gt;　現代人の右脳はよく働かなくなっているが、それは物質世界の中で育ち、小学校から大学まで理論や数学や権利意識ばかり教育して左脳人間を作り上げた結果である。中川氏はいう。だから右脳にソフトをインプットすることが必要になってきたのであると。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　世には「善行をほどこせ」という言葉がある。だが善行をしなければならないという意識によって善行をすることは、波動を高めることにならない。剛情我慢はいけない。無理に立派な人になろうとしてはいけない。　大切なことは『想う』ことなのだ。その想いがいつか身についていること、それが大事なので、だからトイレに貼って朝夕眺めて、右脳に『スリ込む』のである。考えてみれば昔のおとなはみな、子供に対してこの『スリ込み』を行ったものだった。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　以上、抜粋。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　土曜日の午前中はなんだか拍子抜けしていた。&lt;br /&gt;　この５週間、土曜日は朝５時前には目覚め、秩父の観音様巡りに出かけていたのに、それを終えてしまったため、時間の過ごし方をどうすればいのかやや持てあまし気味だったからだ。&lt;br /&gt;　実際にはやらなければならないことが山積みになっているので、そんな悠長なことは言っていられないのだが、気が抜けたような感じがどこかにある。&lt;br /&gt;　それでも、朝、目覚め、日拝をし、友人らにメールを送り、墨をすって写経を書き、その筆で、上記の中川さんの五箇条を半紙に書いて、トイレに貼っておいた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　焦って実行する必要はないのだ。僕の魂がこの身体を自然に動かすその時まで気がついた時にこの“幸福になるための文章“をのんびりと読み上げていればいいのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さて、さて、幸福はすでに動き始めている。それまでにやることも一杯ある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「目の前のこと、目の前のこと」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-4019648633976311220?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/4019648633976311220/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=4019648633976311220' title='2 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/4019648633976311220'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/4019648633976311220'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/07/blog-post_13.html' title='佐藤愛子「私の遺言」③　幸福になるためのソフト'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SHmf0b6LGkI/AAAAAAAAATQ/gJh0G06f7c8/s72-c/%E7%A7%81%E3%81%AE%E9%81%BA%E8%A8%80.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>2</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-8282170275804491893</id><published>2008-07-11T06:57:00.009+09:00</published><updated>2008-07-13T15:28:45.038+09:00</updated><title type='text'>佐藤愛子「私の遺言」②　日拝</title><content type='html'>　長年、霊に悩まされる佐藤愛子さんは、邪霊の引き寄せとはまた別の強烈な引き寄せを発揮するかのように霊能力に優れた人々と巡り会っていく。&lt;br /&gt;　そうした特別な人々とのやりとりがこの「私の遺言」には詳しく記されていて興味深い。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　霊能者の中には現在、「オーラの泉」等で有名人になっている江原啓之さんも登場している。&lt;br /&gt;　今でこそ日本を代表する「スピリチュアル・カウンセラー」となっているが、この当時はまだ２０代の“紅顔の霊能少年”で、佐藤さんの北海道の別荘の浄霊に関わるが、若く未熟であったためか佐藤さんの願いを達せられず悩む場面も描かれている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　こうした数々の霊能者の中で、特段に優れた霊能を有する者として本書に登場するのが、「相曽誠治（あいそせいじ）氏」である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「原始神道の真髄を究めた神道の大家。神人合一の境地を拓かれた聖者」と評され相曽氏はこの時８３歳。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　初対面の場面では&lt;br /&gt;　「・・・改札は混雑していた。その混雑の中からいかにも穏和な、『田舎の村長さん』という趣の、質素な背広に中肉中背の身を包んだ素朴な老人の姿が浮き上がるのが見えた。自身、威厳、何もない。ただ感じるのは初対面の人という気がしない、理由のわからない懐かしさのようなものだった」&lt;br /&gt;　と佐藤さんは第一印象を述懐している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　つきあいの始まった相曽氏は８０代半ばで富士山の山頂での神事を日帰りで行い、阪神大震災を一週間前に電話で「近々、地震が来ます。ご用心なさって下さい」と注意をうながすなど、佐藤さんの常識や理解を超えた能力を垣間見せ、驚かせる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　富士山の山頂まで行き日帰りで神事をする相曽さんに「なぜそんなことができるのか」と訊ねた佐藤さんに返した答えはとてもユニークなものだ。&lt;br /&gt;　「天狗（てんぐ）が助けてくれますので」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　発生を予測した阪神大震災の時の言葉はこうだった。&lt;br /&gt;　「神さまはお心を痛めていらっしゃいます」であり、&lt;br /&gt;　「私どもの力及ばず、とうとうこうなりました。申しわけありません・・・」&lt;br /&gt;　というお詫びの言葉だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「一億数千万人の日本人の中の、いったい何人が、神戸の震災を『神の警告』であると認識するだろう。それを声高にいう者は嘲笑されるのがおちである」と佐藤さんは思いながらも、相曽さんに訊ねずにはいわられなくなり、こう訊く。&lt;br /&gt;　「どうすればよろしんでしょう？」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そう訊く佐藤さんに相曽氏はひと言こう言う。&lt;br /&gt;　「日拝を欠かさないことです」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「それだけですか」&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　と念を押すと、&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　「それだけです」&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　という答えが返ってくる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この相曽さんが強く勧めている「日拝」とは、太陽を仰ぎ祈ることである。&lt;br /&gt;　「太陽を仰いで太陽神の分魂（わけみたま）をいただき、毎朝、魂を更新すること」である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「不祥事や霊障は心の乱れや身の不浄があるために魔がつけ込んで生じる。それゆえ常に心すべきことは嘆いたり悲しんだりしないことで、悲嘆する前に慎み畏（かしこ）んで神にお詫びをし、魂を入れ替えることが必要である。即ち太陽の分魂を体内に取り入れて新しいものに変えていただくーーこれを日拝鎮魂法という」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「我々の身体の丁度、お臍（へそ）の裏側に太陽神経叢（そう）がある。腹部と背骨との間に太陽のように十六条の光芒を放つ神経の束のことである。それが自律神経で、大脳の延髄の方から脊髄に伝わってきている。この太陽神経叢は自律神経を調整するので五感が適度に沈静化され、感覚は六感、七感に移って雑念妄想が遮断（しゃだん）されてやがては正しい霊感や直感の世界に入っていくことが可能になるという」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「そこでその方法だが、朝の大気の清浄な時間にまず太陽を仰いで息を吸い込み、「アマテラスオホミカミ」と唱える。この時、「アマテラス」の「ス」のところで、「スーッ」と息を吸い込み、それから「オホミカミ」とつづけ、最後の「ミ」を言い切ると、息を継がずに「アマテラス」に戻る。息を吸うのは「ス」の音一カ所だけである」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「日本の国を浄化し国の穢（けが）れを祓（はら）うには、これしかない」と相曽氏は言う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　佐藤さんは「しかし、穢れを祓うどころか、多くの人は国が穢れて行っていることにすら気がついていないのではないか」と嘆く。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　このくだりは読み、２ケ月ほど前から続けている毎朝の「息長（おきなが）の呼吸法」に「アマテラスオホミカミ」の呼吸も加えた。&lt;br /&gt;　毎朝の日課が穢れの祓いとなり国の浄化に少しでも関われるのであればうれしいことである。&lt;br /&gt;　そこまで大それた事と無関係であっても、生まれたての日の出を前にして心落ち着け拝むことはとても心地よく、終えると何とも言えないすがすがしさが心身を満たすことが徐々にわかるようになってくる。&lt;br /&gt;　この導きに僕は感謝している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-8282170275804491893?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/8282170275804491893/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=8282170275804491893' title='4 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/8282170275804491893'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/8282170275804491893'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/07/blog-post_11.html' title='佐藤愛子「私の遺言」②　日拝'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>4</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-2924226898819410683</id><published>2008-07-08T13:39:00.008+09:00</published><updated>2008-07-11T07:08:57.638+09:00</updated><title type='text'>今宮神社の大ケヤキの中に現れた仏様の写真</title><content type='html'>&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SHLxrZrmWTI/AAAAAAAAATI/5wXH3zx3pP0/s1600-h/%E4%BB%8A%E5%AE%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E5%A4%A7%E3%82%B1%E3%83%A4%E3%82%AD%E2%91%A5.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://4.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SHLxrZrmWTI/AAAAAAAAATI/5wXH3zx3pP0/s400/%E4%BB%8A%E5%AE%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E5%A4%A7%E3%82%B1%E3%83%A4%E3%82%AD%E2%91%A5.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5220500646006249778" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　埼玉県秩父市の「今宮神社」の境内にそびえたつ大ケヤキは、樹齢がおよそ１０００年で県の天然記念物に指定されている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　徳川家康が秩父に来た時に、この大ケヤキを見て、思わず馬から降り、時のたつのも忘れて見上げたという。その時、馬をつないだのがこのケヤキで、「家康駒つなぎのケヤキ」と呼ばれているそうだ。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　先日、訪れた際、近年、不思議な霊験があったと境内を案内してくださった氏子総代の方が説明してくれた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「新聞社の方が取材に来てカメラマンが大ケヤキを撮影したのですが、その写真の中にケヤキの中に仏様が姿を現わしているものがあったんです。とても驚きました」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そう聞いて、大ケヤキをじっと見てみたが何も見えない。目の前には立派なケヤキの木が悠然とそびえたっているだけである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　総代に案内の礼を言い、数枚写真を撮ってその場を後にした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それから数日後、写真を整理していると、その大ケヤキの写真に行き当たった。&lt;br /&gt;　写り具合を確かめるためにパソコンの画面を見ながらマウスをクリックし拡大すると、そこには、はっきりと「仏様の姿」が写っていた。&lt;br /&gt;　その姿は、木の中に鎮座（ちんざ）し、顔はやや右前方を向き、法衣（ほうえ）から合掌しようと持ち上げられた手元までもがうかがえる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　肉眼ではまったく見えなかったのに、不思議なことである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　写真に見入りながら、徳川家康公が、このケヤキを見た瞬間、「思わず馬から降り、時のたつのも忘れて見上げた」という故事を思い出した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　日本史を飾った家康という人物の目には仏尊の姿がありありと見えていたのだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　読者の皆様の末永き健康と幸せを祈り、ここにアップしました。&lt;br /&gt;　この写真、さらに他のアングルから撮った写真が欲しい方は上記のメールアドレスまでご一報くだされば、後日メールにてお送りいたします。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-2924226898819410683?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/2924226898819410683/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=2924226898819410683' title='1 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/2924226898819410683'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/2924226898819410683'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/07/blog-post_08.html' title='今宮神社の大ケヤキの中に現れた仏様の写真'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SHLxrZrmWTI/AAAAAAAAATI/5wXH3zx3pP0/s72-c/%E4%BB%8A%E5%AE%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E5%A4%A7%E3%82%B1%E3%83%A4%E3%82%AD%E2%91%A5.JPG' height='72' 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/&gt;　「もしもやな、君が先に死んで、死後の世界があったら、『あった！』といいに幽霊になって出て来てくれよ。オレが先に死んだら、教えに来てやるから」&lt;br /&gt;　「遠藤さんの幽霊なんか来ていらん！」&lt;br /&gt;　と私はいい、話はそこまでで終わった。その前にも一、二回、死後のあるなしについて遠藤さんが訊いたことがあったと思う。&lt;br /&gt;　遠藤さんが亡くなった翌年の五月の中旬だった。私は夜遅く、江原啓之さんと電話の長話をしていた。心霊についての質問やら相談をする時は、いつも夜の十一時こ頃である（それほど江原さんはスピリチュアリズム研究所の仕事が忙しく、日中は時間がとれなくなっていたのだ）。その時、話の途中で江原さんは突然、&lt;br /&gt;　「あ、ちょっと・・・・待って下さい・・・・」&lt;br /&gt;　といって言葉を切ったかと思うと、&lt;br /&gt;　「今、佐藤さんの部屋に遠藤先生が見えています」&lt;br /&gt;　といった。&lt;br /&gt;　「多分、遠藤先生だと思います。写真で拝見しているのでわかります。茶色の着物姿で、そこの部屋の壁に懸っている絵を眺めたり、今はデスクの上に書きかけの原稿がありますね、それを見て・・・・人さし指で下の方のも持ち上げてニヤニヤしながら見ておられます・・・」&lt;br /&gt;　私は言葉が出ない。私は十畳の洋室を書斎兼寝室にしている。その時はベッドに腰をかけて受話器を耳にあてていた。勿論、私には何も見えず、何の気配も感じない。「遠藤先生がこういっておられます。死後の世界はあった、こっちの世界はだいたい、君がいった通りだ・・・」&lt;br /&gt;　私の身体を戦慄（せんりつ）が走った。驚きや怖ろしさではなくそれは間違いなく感動の戦慄だった。私は思い出したのだった。遠藤さんの生前の、あの会話を。&lt;br /&gt;　――もしオレが死んだら、教えに出て来てやるから・・・・。&lt;br /&gt;　遠藤さんはそういった。そしてその約束を守って出て来てくれたのだ・・・・。&lt;br /&gt;　呆然（ぼうぜん）としている私の中には何ともいえない懐かしさと嬉しさがこみ上げてきた。わっと泣き出したいような熱いものがたちのぼってくる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　読みなながら、僕の胸の中にも熱く込みあがってくるものがあった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　愛しい人、かけがえのない人は、死後もこうしてまた見守り続けてくれているのである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-1641857021688288104?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/1641857021688288104/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=1641857021688288104' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/1641857021688288104'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/1641857021688288104'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/07/blog-post_07.html' title='佐藤愛子「私の遺言」①　約束を守り、霊になって訪れた遠藤周作'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-485570496136286100</id><published>2008-07-04T12:02:00.004+09:00</published><updated>2008-07-07T15:04:33.823+09:00</updated><title type='text'>世の中で最も高価な“借り物”</title><content type='html'>　世の中で最も高価な“借り物”は何か。&lt;br /&gt;　パッと浮かぶのはまず「お金」がある。小さい金額だとなんとかなるが、大きくなればなるほど返済を含めて大変になる。&lt;br /&gt;　そうなると「お金を使うのではなく、お金に使われるようになる」から怖い。&lt;br /&gt;　その他には、高額な宝石や衣類などがあるかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さて、この世で目に見えるもので、最も高価な“借り物”の回答だが、&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　それは自分の「身体」である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「『身体』は借物じゃない。自分のものだ」と言う人がいるかもしれないが、身体は死を迎えても、魂はその後も永遠に生き続ける。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　魂はこの世で「身体」という肉体を借りて、人の生（人生）を送る。長くても１００年ぐらいの“耐用年数”だから、そのへんになるとすべての人に“死”が訪れる。&lt;br /&gt;　魂に死はないので再び四次元世界に戻り、次の転生輪廻（てんせいりんね）を普通は待つことになる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　魂が肉体を借りてこの三次元の世に来る目的は、魂のレベルを浄化し、成長、向上させることである&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　しかし、生きていく間にはこの肉体や大脳による欲望や感情に振り回され、引きずられ、なかなか浄化向上できない。&lt;br /&gt;　ただ、これはレースにおける“障害物”のようなもので、魂を磨くためには必要不可欠なものであるようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　借り物としての“高価さ”を示す証拠に、身体を粗末に扱い自殺した人は必ずは暗黒界（地獄）に行くことが決まっている。表現はいろいろあるが、東洋も西洋も、死後の世界に通じる能力を持つ人の意見は、「自殺だけはやってはいけない」「自殺者の行く先は、他の人間とは異なる『地獄』」であるという点で不思議と一致している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　日本人の年間自殺者はゆうに３万人を超えている。&lt;br /&gt;　もっとも高価な借り物である「身体」を粗末にした代償は他に比べようがないほど重く過酷だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「自分の人生を最後まで生き抜くこと」が、この世に生まれた者にとって大切な使命であるということを改めて考えてほしい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' 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rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-6443981482511358374</id><published>2008-07-03T05:34:00.007+09:00</published><updated>2008-07-04T12:03:28.748+09:00</updated><title type='text'>「中川昌蔵の世界」④　年齢～若さを保つ知恵～</title><content type='html'>　「中川昌蔵の世界」もここまででひとまずは終了。&lt;br /&gt;　最後は、「年齢」について。&lt;br /&gt;　きっと女性は必読の話だと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　中川さんは「人間には３つの年齢がある」と言う。&lt;br /&gt;　それは、&lt;br /&gt;　① 戸籍上の歳&lt;br /&gt;　② 肉体の歳&lt;br /&gt;　③ 精神の歳&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ある経営者の集まりで、中川さんは相談を受ける。&lt;br /&gt;　中小企業の社長をしていた夫が急に亡くなったので、それまで専業主婦をしていた奥さんが代わって社長をしている。しかし、半年たっても誰も言うことを聞かず、困ってノイローゼになっているという相談だった。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　中川さんはその奥さんにこうアドバスをした。&lt;br /&gt;　「あなたは地位は社長になったけれど、自分で社長とは思っていないでしょう。自分でも思っていないのに、社員が『社長』と言って尊敬するわけではありません。あなたが会社のことを知らなくてもよいのです。よくわかっている人を専務にして、あなたは、自分が社長であるということを自分によく言い聞かせなさい。そのためには、トイレのドアの裏に『私は社長だ』と大きく紙に書いて貼り、入るたびに声を出して読みなさい」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「社長というのは本人に能力があるに越したことはないが、そうでなくても、できる人間を雇い、適切な指示を与えていけばよい」　&lt;br /&gt;　「人間は能力も無視できないが、全て『その気』にならないとダメ」&lt;br /&gt;と中川さんは述べる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そして年齢の話に続く。&lt;br /&gt;　「私は女性に、40歳以上にならないようにと言っています。つまり、40歳を過ぎたら、60歳くらいまではずっと『40歳』で押し通してしまいなさいということです。&lt;br /&gt;　そうすれば１年もすればその顔（雰囲気）になってきますから、50歳になっても40歳のままでいられ、周りからも若く見られるのです。&lt;br /&gt;　ところが、自分自身で「ああ、もう50歳になった」と思えば、年相応の顔をしなくてはなどと自分でしわを寄せてみたりします。&lt;br /&gt;　人間は寝ているときは、しわはありません。70歳すぎの人でも寝顔は40歳くらいに見えますし、80歳や90歳のお年寄りでも、死に顔にはしわがありません。しわというのは意識がつくるものなのです」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「皮膚は意識を持っており、大脳のとおりに動きます。大脳が『疲れた』といえば疲れた顔になり、『うれしい』と思えばうれしい顔になり皮膚もつやつやします。&lt;br /&gt;　また、悲しいときは悲しい顔になるというように、人間は実によくできています。&lt;br /&gt;　それをうまく利用させてもらい、「私は40歳です」と鏡に向かって言い聞かせていれば、ずっと40歳のままでいられるのです。そして60歳を超えたら少しギャップがありますので、今度は「49歳です」で通し、50代、60代の大台にのせないことです。そうすればいつまでも若々しくいられるというわけです」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そして、この章は、最後をこう結ばれている。&lt;br /&gt;　「何事もそうですが、自分が思うように『私はこうだ』と思う込むことが大切です。&lt;br /&gt;　そうすれば雰囲気というものがつくられます。雰囲気は自然にできるものではなく、本人とその周辺からつくられるものです」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-6443981482511358374?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' 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src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-8447038117771674364</id><published>2008-07-01T06:58:00.006+09:00</published><updated>2008-07-03T05:37:44.260+09:00</updated><title type='text'>風邪を治すまじない</title><content type='html'>　３週続けて週末に足を運んでいる埼玉・秩父の観音様巡礼の旅もとうとう佳境に入ってきた。&lt;br /&gt;　古い日本建築の建物やお地蔵様をはじめとする仏像、自然豊かな風景など、あまりにすばらしいので写真を撮りすぎてしまい、それを取り込んだ自宅のパソコンがダウンするというハプニングがあった。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt; &lt;br /&gt;　巡礼の旅のことは後々ゆっくりと綴るとして、&lt;br /&gt;　今日は、「風邪が治る古神道のお呪（まじ）い」について。&lt;br /&gt;　以前教えていただいていたので、数ヶ月ほど前に熱が出て学校を早退してきた息子に試したところ、身体が温まって発汗が進み、３時間ほどで38度を超えていた体温が36度前半にまで下がった。回復も早くその効き目を確認していた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これはおもしろいと思い、このお呪いを鹿児島にいる妹に伝えておいたところ、先週、同級生の子供さんが自分の誕生日なのに発熱してしまい参っているという話を聞いたので、教えてあげたらしい。&lt;br /&gt;　３、４時間後、その同級生から妹に電話があり、急に汗をたくさんかいて、あっという間に熱が下がり、気分良く部屋でもう遊んでいると驚きの声でお礼を言われたと、当人は同級生以上に驚いて僕に電話があった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　妹の同級生の素直さに感心するとともに、古神道の呪術の奥深さをさらに堪能させられた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　現代の化学薬は即効性はあるが、他の臓器を確実に痛める。&lt;br /&gt;　まったく薬を用いずに病が治るのならいうことはない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　こうした現象と結果を見ると、先日ここでも書いた、ダライ・ラマの主治医が言った「病気の原因」は、&lt;br /&gt;　「病気には３種類あって、内臓が傷んでいるもの（いわゆる病気）が３分の１、細菌が入り込んだものが３分の１、霊が病気を起こしているものが３分の１である」&lt;br /&gt;　という話が妙に説得力を持つ。&lt;br /&gt;　３番目の霊を原因とする病気には現代薬で対処できるものはなく、それにこだわると薬害で命取りにさえなりかねない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これまでにもいくつか紹介してきたこの古神道の病気に対する呪術は霊祓い、浄化の手法である。&lt;br /&gt;　必ず効くとは断言できないが、少しの手間だけで、薬を飲まずに解熱できれば身体への負担も少なく幸いだと思うのでここに記しておきます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　【風邪を治すまじない】&lt;br /&gt;　朝、少々の焼き味噌を作る。同時に、煎じたての香りよいお茶を用意する。&lt;br /&gt;　茶碗に入れたお茶を持って、玄関に行き、玄関の敷居に焼き味噌を置いて、呪文を小声で唱えながら、焼き味噌にお茶をかけて玄関の外に流す。&lt;br /&gt;　「二端（にばな）の茶をあげるから出ておいで」&lt;br /&gt;　流したら、戸を閉めて、振り返えらずに居間に戻る。&lt;br /&gt;　焼き味噌とお茶の香りに誘われて、風邪はいずこへと去って行く。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　また、おまじないじゃないんだけど、その呪文の後に湯呑みにわずかな醤油を入れて、そこに熱いお茶を注いで飲んで床に入る。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この時期の風邪には皆さん、くれぐれもお気をつけて下さい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" 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rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/8447038117771674364'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/07/blog-post.html' title='風邪を治すまじない'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>1</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-7423438764056831396</id><published>2008-06-27T11:32:00.011+09:00</published><updated>2008-07-01T07:01:07.479+09:00</updated><title type='text'>南天と竹酢液、そして「ちょうどいい」</title><content type='html'>　南天の鉢植えを探していたが半年間ほど見つからなかった。&lt;br /&gt;　南天は「難転（難を転じる）」と通じるため古くからめでたい木とされている。&lt;br /&gt;　今もお祝い事に出てくる赤飯にはその南天の葉が敷かれている。腐敗防止の効能があるためらしい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「探していた」といっても縁があればきっと出会えのではないかと信じて、自分が直接出会う中でのみ探し続けていたのだから、そう易々とは見つからない。&lt;br /&gt;　この出会いに「ネットでポン！」はふさわしくない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そうした思いがとうとう叶ったのか、縁の花が突然花開いたのか、職場近くのお寺の縁日で見つけ、南天の鉢植えが手元に舞い込んできた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それから３ケ月ほどが経ち、どれだけ我が家の難を転じてくれたかは定かではないが、はっきり気づかされたことがあった。&lt;br /&gt;　それは、あれほど気をかけて探していた頃にはまったく巡り会うことのなかった南天が、普段歩いている道々にいくつも植生していたということである。&lt;br /&gt;　道すがら何十回も、何百回もその横を歩いていたはずなのに、まったく目にとまることなく僕は生活していたということになる。&lt;br /&gt;　風に揺れる南天の葉を見ながら、そのことに少しショックを受けた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　竹酢液（ちくさくえき）を使い始めて２ヶ月ほどになる。&lt;br /&gt;　飲む前に聞いていた通り、免疫力が上がっているようで身体の調子が確かにいい。&lt;br /&gt;　僕にとっての一番の効用は何といっても“早起きになったこと”である。&lt;br /&gt;　今朝も５時前に自然に目覚め、近所の公園で昇ったばかりの朝日に向かいながら「長息（おきなが）の呼吸」をしてきた。数日前からは守護霊にも一日の始まりのご挨拶する習慣も加わった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　うれしいことも増えた。周囲の人々に喜んでもらえたことである。&lt;br /&gt;　竹酢液２５０㍉リットルの原液は１０リットルの水に２、３滴ぐらいまで薄めて使うため、全然減らない。　話をすると興味を持ってくれる人が多いので、欲しい人には小分けしてプレゼントすることにした。そうこうしているうちに今では僕の周りでは22歳から70歳まで総勢20人ほどが竹酢液を飲んでいる。&lt;br /&gt;　先週も２人の女性からリクエストがあり小分けにして渡したばかりだ。&lt;br /&gt;　この女性とは職場のおばさま方である。&lt;br /&gt;　職場のおばさま方にはずいぶん前に竹酢液の話はしていたのだが、その際には特に目立った関心は示されなかった。&lt;br /&gt;　無理したあげるものでもないのでそのまま何もなく今に至っていたのだが、急に「絶対、飲みたい」と言い出した。どうしたのだろうと思い、理由を訊ねると、なんてことはない「韓国ドラマ」の影響だった。&lt;br /&gt;　李王朝時代を舞台にしたドラマで国王付きの医者が非常に良い漢方薬のとして竹で出来た水、すなわち「竹酢液」を王様に飲ませて病気を治すシーンがあったらしい。&lt;br /&gt;　ここからは勝手な推測だが、お煎餅をかじりながらドラマを見ていると、そのシーンが映し出された。何気なく見ていたが、頭の片隅で「あれっ、竹の水って話、誰かがどこかでしてたよなぁ～、確か・・・、あ、そうだ」・・・といったところだと思う。&lt;br /&gt;　おばさま方にとって、僕の言葉は韓国ドラマの太刀持ち、露払いでしかなかったわけである・・・かなしすぎる。&lt;br /&gt;　とはいうものの、竹酢液をお渡しした翌日からは会社の水はオバサマ方のおかげですべて竹酢液入りの水に切り替わっていた。うれしい限りである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　先々週、友人と横浜で飲んでいると&lt;br /&gt;　「最近、毎日が楽しくて仕方ない」と友人が言う。&lt;br /&gt;　以前に、「お釈迦さまによると、自分のまわりの環境も人もすべてが自分に『ちょうどいい』ことになっているらしいよ」と話していて、「全部がちょうどいい」と思えるようになったら世界ががらりと変わったらしい。&lt;br /&gt;　身の回りの環境の方は何ひとつ変わっていないのに、自分の心が変わるとある日突然、人はとっても幸せになれるのだ。&lt;br /&gt;　相手を変えようとすると時間がかかる。なら自分が変わった方がずっと簡単だというのも「あり」かもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　とにかくうれしい話でうまい酒を飲んだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　人の思考が変化すると、それまで見えなかった世界が見えるようになったり、未来から訪れる人や出来事が「うれしい」「幸せな」ことばかりになってきたりする。&lt;br /&gt;　だからこそ、普段から「良き思考」と「良き言葉」を持つよう心掛けたいものである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ベランダを覗くと、梅雨の晴れ間に陽を浴びた小さな白い花を咲かせていた。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　「南天の実になる花と思はれず」（正岡子規）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-7423438764056831396?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/7423438764056831396/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=7423438764056831396' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/7423438764056831396'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/7423438764056831396'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/06/blog-post_27.html' title='南天と竹酢液、そして「ちょうどいい」'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-6646426059426995008</id><published>2008-06-26T08:45:00.005+09:00</published><updated>2008-06-27T11:34:41.156+09:00</updated><title type='text'>「中川昌蔵の世界」③　憑依について</title><content type='html'>　この世には霊がいっぱいいる（ようである）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「日本人の中には、死んだら終わりで、神や霊の存在を信じないという人が半数を超えています。欧米ではキリスト教が正しく教えていますので、信じないほうが少数派ですが。&lt;br /&gt;　アメリカでは60％くらいの人は、死後の世界があり、魂はそこへ行くのだということを、（信じなくても）情報として持っていますね」（中川さん）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この数字の通りだとすれば、日本は世界の中でも、霊界に行けずに浮遊する霊がうじゃうじゃいる有数の国になっているのかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ただし、中川さんによると、&lt;br /&gt;　「（霊は）そこにいるだけ。それを感じる人がいるだけで、向こうから働きかけてくることはできない」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　“うじゃうじゃ“霊がいようが、生きている人々はさほど心配する必要はないというわけだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ただ、「憑依（ひょうい）はある」と中川さんも言っている。&lt;br /&gt;　「『死んだら終わりだ』と思っていた人が死んでどうしたらよいのかわからなくて困っているとき、偶然同じ波動の親切そうな人を見つけて『この人に付いていけばなんとかなりそうだ』と、憑いてしまうというものです。&lt;br /&gt;　ですからまったく因果関係はありません。&lt;br /&gt;　ちょうど、迷い犬にエサをやったら家まで付いてきて離れないというようなものです。これが８割くらい占めています。２割くらいは地縛（じばく）霊ですね」（同）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ダライ・ラマの主治医によると、病気には三種類あって、内臓が傷んでいるもの（いわゆる病気）が３分の１、細菌が入り込んだものが３分の１、霊が病気を起こしているものが３分の１だそうで、中川さんも「それは正しいと思います」と強調している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　実際に、鬱（うつ）病になる人の中でも、憑依によってなってしまっている人も多いようで、この場合の特徴は、心身不調が原因でなる鬱病の回復がゆるやかであるのに対し、ある日突然、スッと治ってしまうことである。&lt;br /&gt;　僕もこれに似た経験をしたことがあるが、現代医学では「憑依」の治療や治療薬の投与は行っていないので治らない人はず～っと治らないということが起こる可能性があるからこわい。ほとんどの人が強烈な薬浸けにさせられる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　憑依に関しては、僕もコンディションによっては「憑かれてしまう」もしくは「憑いてしまう」こともあると思っている。&lt;br /&gt;　対策法は以前ここで書いた通りで、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　普段から「疲れた」と言わないようにすること。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　その替わりに「ツイている」を口癖にする。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そうしておけば、ほとんどの浮遊霊は憑いた人の思考を後押しする性格を持っているので、不思議なくらい「ツイている人生」が始まる。&lt;br /&gt;　これを知らないで「疲れた（憑かれた）、疲れた」と言っている人は、強烈に「疲れた人生」がスタートし、次第に病気になり、暗くツラい人生になっていく。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　中川さんは憑依への対策をこうアドバイスしている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「自分自身に恨みの波動などがあって、それが強い場合に、共鳴共振して憑依されるわけで、明るく楽しく生きている人は憑依されませんから安心してください」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-6646426059426995008?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/6646426059426995008/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=6646426059426995008' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/6646426059426995008'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/6646426059426995008'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/06/blog-post_26.html' title='「中川昌蔵の世界」③　憑依について'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-7582734836634868802</id><published>2008-06-24T14:45:00.007+09:00</published><updated>2008-06-26T08:49:41.675+09:00</updated><title type='text'>ふたつの“ありがとう”に感謝</title><content type='html'>&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SGCKuVP2DUI/AAAAAAAAAS4/DuFxZ2BJYQw/s1600-h/%E5%B2%A9%E6%89%8B%E3%83%BB%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E5%86%85%E9%99%B8%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%80%80%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%8C%E3%81%A8%E3%81%86.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://2.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SGCKuVP2DUI/AAAAAAAAAS4/DuFxZ2BJYQw/s200/%E5%B2%A9%E6%89%8B%E3%83%BB%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E5%86%85%E9%99%B8%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%80%80%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%8C%E3%81%A8%E3%81%86.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5215320897077251394" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　今日は朝からふたつの「ありがとう」に出会えて幸せな気持ちになれた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ひとつ目は、このブログとリンクしていただいているnozomiさんの「ダニエルさんちのフランス便り」の６月23日付「一日中学教師」を読んで。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　フランスの子供たちにHAIKU（俳句）を教えるという“難事”が、臨場感たっぷりに生き生きと描かれていて楽しく読ませてもらった。&lt;br /&gt;　読み進み、１時間の授業を終えた途端、拍手が起こり、教室を立ち去る子供たちがnozomiさんに向かって「ありがと～！ありがと～！」と日本語で口ぐちに言っているくだりは、その情景がありありと目に浮かんできて胸がジンと熱くなった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　江本勝さんの「ありがとうの水」で立証されているように、人は水でできているのだから、たくさんの「ありがとう」をもらって、身体の中で自然に幸せな美しい結晶がたくさん結ばれていったことだろう。&lt;br /&gt;　nozomiさん、お疲れ様でした。そして、本当によかったですね～&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　もうひとつの「ありがとう」は&lt;br /&gt;　岩手・宮城内陸地震で被害にあった岩手・宮城内陸地震の被災地にある宮城県栗原市立築館（つきだて）中学校の生徒が石灰で校庭に「ありがとう」の大きな文字を描き続けているというニュースだった（写真は読売新聞）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　毎日新聞には記事としてこう記されている。&lt;br /&gt;　「同中はけが人など被害はなかったが、市内では大きな被害が出て、自衛隊が災害派遣された。この事態に生徒会長の鈴木悠真さん（１４）＝３年＝の周囲で「感謝の気持ちを表したい」という声が上がった。美術部員らが横断幕を作り、国道に向け張り出した後、「空で活動している人にも伝えたい」との声が出て、１９日夕、グラウンドに石灰で縦約１０メートル、横約１５メートルの文字で「ありがとう」と書いた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　副操縦士としてヘリに乗務していた自衛隊東北方面航空隊の坂倉孝史三等陸尉（２７）が２１日、飛行中に白い文字を見つけた。「見た瞬間、自分たちにかけられた言葉だと分かりました」。初の災害派遣で、連日の出動に疲れはピークだったが、「うれしかった。人の役に立っていることを実感した」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　２３日に同僚ら４人で同中を訪れた坂倉陸尉は「短い一言で元気をもらいました」と感謝しきり。鈴木さんは「気付いてもらえてうれしい。復旧のために頑張っている人たちにこれからも感謝の気持ちを伝えていきたい」。クラブ活動で線が消えるが、当分書き続けるという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　災害派遣に訪れた自衛隊の皆さん、連日の活動本当にお疲れ様でした。&lt;br /&gt;　そして、ありがとうございました。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　また、被災に遭われた方々の一日も早い復興を心より祈ります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　最後に、ふたつの「ありがとう」に感謝いたします。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-7582734836634868802?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/7582734836634868802/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=7582734836634868802' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/7582734836634868802'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/7582734836634868802'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/06/blog-post_6041.html' title='ふたつの“ありがとう”に感謝'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SGCKuVP2DUI/AAAAAAAAAS4/DuFxZ2BJYQw/s72-c/%E5%B2%A9%E6%89%8B%E3%83%BB%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E5%86%85%E9%99%B8%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%80%80%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%8C%E3%81%A8%E3%81%86.jpg' height='72' 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/&gt;　おじいさんがそこを掘ると、また大判小判がザックザク。おじいさんは大喜びです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ポチはもう疲れてしまいました。&lt;br /&gt;　もう十分に金銀財宝は手に入れたし、もういいじゃない。おじいさん、もう帰ろうよ。&lt;br /&gt;　そう言って、首輪を引っ張っておじいさんをせかしましたが、&lt;br /&gt;　おじいさんは「もう一本やろう、もう一本だけ」と言って聞きません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「もう帰りましょうよ、おじいさん」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「もう一本探せ、もう一本。ポチポチ探すんだ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「おじいさん、帰りましょうよ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「いいや、帰さん。もう一本探せ！」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　押し問答になった末に、ついにポチは切れてしまい、振り向きざまに言いました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　「離さんか！　じいさん」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-5227283341398750569?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/5227283341398750569/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=5227283341398750569' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/5227283341398750569'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/5227283341398750569'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/06/blog-post_24.html' title='花咲じいさんとポチ'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-3252832052180299831</id><published>2008-06-23T06:32:00.006+09:00</published><updated>2008-06-24T04:42:24.109+09:00</updated><title type='text'>「中川昌蔵の世界」②　「死後の世界はない」と信じている人は結構大変かも</title><content type='html'>　人は死ぬと、地上に近い方から天に向かって幽界、霊界、神界とあって、霊界の規則では、死んだら直接霊界に行くことになっているそうだ。&lt;br /&gt;　でも、霊界に直接行けない人々が数多くいるようで、この人たちが霊界の下にある幽界という地上界と重なり合った世界に、死んだ霊でありながらウロウロしているらしい。&lt;br /&gt;　その死んでも霊界に行けずにいる霊には２種類あり、まず一つは、死んだら終わり、死後の世界など絶対に信じないという人の霊。&lt;br /&gt;　「実際には死んでいるのですが、自分で自分を見ると肉体はあるし、自分は生きているので、死んだのか生きているのかわからないというものです。これを浮浪霊といいます。今どうなっているのか、どこへ行ったらいいのかわからず、迷っているのです」（中川）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　二つ目は交通事故や戦争などで瞬間的に死んだ人の霊。&lt;br /&gt;　「あっという間の出来事だったため、自分が生きているのかどうか、よくわからないのです。交通事故で衝突したところまでは覚えているのですが、見ると車は大破していても自分は五体満足で血も流れていない。『ああ、奇跡的に助かった』と思い、死んでいることに気が付きません」（同）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　この突然の死後の状況はブルース・ウィリス主演の「シックス・センス」という映画の中で、シャマラン監督が描いた世界とまったく同じである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「死後の世界を信じていない人」は本来行くべき霊界に行けずに、幽界をさまよっているという話は、人が生きている時の想念がいかに強烈であるかを示していて興味深かった。&lt;br /&gt;　死後にまで影響を及ぼすほど強烈だからこそ、現世での思いのあり方を大切にしていかなくてはならないのだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「死後の世界」をまったく信じないでいると“幽界でウロウロ”になるそうだが、これはそんなに難しく考える必要はなくて、「死んだから向こうの世界があるみたいだな～」という程度の認識でいいらしい。欧米ではキリスト教など宗教がこの役割を担ってくれているとのこと。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ビジネスでの成功と「死後の世界を信じる、信じない」という死生観にも相互関係があると中川さんは話している。&lt;br /&gt;　「死後の世界を信じない人には、社会的地位の高い人もいるのですか」という問いに対して、中川さんは、&lt;br /&gt;　「いいえ。ほとんどいません。死後の世界を知らないで成功するという人は、まずいませんね。死んだら終わり、死後の世界などないという人は、自分の力だけで行けると思っていますから、たとえ一時的に成功したとしても長続きはしないのです。&lt;br /&gt;　ですから、成功している人はほとんど、死後の世界について、ある程度情報を持っていると思います」&lt;br /&gt;　と答えている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　見えない力の「御陰」をいただけるよう意識を広げていくことが、ビジネス成功の根本にも深く関わってくるということは成功者と言われる人の手記や講演等に接して感じていたことなので、妙に納得できた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　このことは「守護霊との対話」には記されていないが、死後の世界にはおどろおどろしい印象がつきまとうが実はこの世と死後の世界は”合わせ鏡”のような関係になっているといわれる。&lt;br /&gt;　双方が影響を受け合っており、厳密には死後の世界で起こったことがこの世で起こるという仕組みになっている。&lt;br /&gt;　中川さんが言う「成功している人はほとんど、死後の世界について、ある程度情報を持っていると思う」という話はこの点ともぴったりと合致していて興味が尽きない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-3252832052180299831?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/3252832052180299831/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=3252832052180299831' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/3252832052180299831'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/3252832052180299831'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/06/blog-post_23.html' title='「中川昌蔵の世界」②　「死後の世界はない」と信じている人は結構大変かも'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-2283392901894517296</id><published>2008-06-22T14:47:00.010+09:00</published><updated>2008-06-23T06:34:29.286+09:00</updated><title type='text'>「中川昌蔵の世界」①　守護霊を通してのみ神仏とコミュニケーションはとれる</title><content type='html'>　臨死体験を経て霊界とつながる能力に目覚めたことが契機になって２部上場までさせた自社の「中川無線電機」から身を引き、その後の人生を講演活動を中心に「人はなんのために生きるのか」「人の幸せとは何か」「霊界とはいかなるところなのか」を伝え続けることに捧げて2002年に没した中川昌蔵氏に以前から興味を持っていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　インタビュアーを小林正観さんが務めた「守護霊との対話　―中川昌蔵の世界―」という著書があることを知り、通販で注文（書店売りはしていない）し、読んでみたところ、大きな新たな発見がいくつもあった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　その中でも、特に興味深かった点をいくつか紹介する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　まずは、タイトルにもある「守護霊」について。&lt;br /&gt;　人間は神社やお寺に足を運び、神仏にお願い事をするが、実際には神仏とは直接のコミュニケーションはとれないのだそうだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　では、誰が神仏とコミュニケーションとれるのか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それは「守護霊」を通してのみ可能になるのだそうだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　中川さんは、「私たちの祈りは守護霊を仲介してのみ神仏に届くようです。守護霊にお祈りする、お願いするということを身につけるといいでしょう」とアドバイスしている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　神社やお寺に行って多くの人はお願い事をするが、&lt;br /&gt;　「神は、そこに来た時点でその人が何を思い、願いに来たのか、すべてをお見通しであるのだから、わざわざお願いを口にする必要はない。感謝の言葉だけでよい」と僕も教わってきたが、これも、神仏と唯一コミュニケーションできる守護霊が自分に変わって説明、お願いしてくれているからと考えるとすっきりと合点がいく。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　守護霊はすべての人についていてくれて、その人の力になるよう日夜奔走してくれているらしい。&lt;br /&gt;　大変、ありがたいことだと僕は思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　では、その守護霊とどう具体的にかかわっていくことが良いのだろうと考えながら、読み進んでいたわけだが、終章を前に、中川さんはわかりやすく、誰もができる「守護霊とのつきあい方」をアドバイスしてくれていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「守護霊がいて、お世話になっていることを確信し、疑わないことです。そして、『守護霊さん、ありがとう』とか、朝『おはようございます』と毎日一回言えばよいのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　つまり守護霊の存在を認めるということです。あとは「ああしてほしい」「こうしてほしい」など言わなくても、守護霊はあなたの心を読み取ってやってくれますから、任せておけばよいのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　３～５ヶ月では無理ですが、それを１０年も続ければ、夫婦のように意思が伝わるようになり、あなたが何かを思ったときに守護霊がすぐに見て「これはやった方がいい」とか「やめた方がいい」と教えてくれます。あとは守護霊に任せておけばよいのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　簡単明瞭で、技術も何もいりません」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「見えない世界と自分とを結ぶ唯一の存在である『守護霊』との上手なつきあいから自分の人生の幸せの実現は始まる」ということを中川さんはわかりやすく教えてくれたと同時に、その「極意」をさらりと伝えてくれていることに僕は深く感謝している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「さあ、今日から守護霊さんとゆっくりと会話を始めることにしよう！」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-2283392901894517296?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/2283392901894517296/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' 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src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-1473551137777577271</id><published>2008-06-20T10:20:00.008+09:00</published><updated>2008-06-22T14:49:38.540+09:00</updated><title type='text'>毎日が「良い天気」（天気が「悪い日」はないんです）</title><content type='html'>　そう言うようにしてから約２ヶ月がたつ。&lt;br /&gt;　「そう言わないようにしてから」と言ったほうが正しいのかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「天気がいい」&lt;br /&gt;　と言えば、普通、“晴れた日”のことを指すものだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今のような梅雨の時期には雨の日が多いので、&lt;br /&gt;　“今日も天気が悪いな”とうらめしそうに天を仰ぐ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　でも、天気に“晴れ”、“曇り”、“雨”などはあっても、&lt;br /&gt;　「良い」、「悪い」はないということに気づかされた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　だから、&lt;br /&gt;　「今日は天気が悪いですね」&lt;br /&gt;　「今日は天気が良くないですね」&lt;br /&gt;　「今日はあいにくの天気ですね」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　といった言葉は口にしないことにした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ということで、土砂降りの日でも「良い天気」となるわけだが、さすがにバシャバシャ雨の降る日に人前で「良い天気ですね」というとオツムを疑われるので、&lt;br /&gt;　「土砂ぶりですね」&lt;br /&gt;　ということにしている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そうは言うものの、今でも気を抜いていると&lt;br /&gt;　雨空を見上げながら「明日は出かけるんだけど、天気は良いのかな～」とつぶやいていたりするのだから、まだまだ未熟だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　天はきっと「これって悪い天気なんですかね」と僕に訊ねたくてしかたないだろうと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　天気は”天国言葉”を口にし、”地獄言葉”をグッと飲み込む習慣を身につけるためにとても良い相手なのかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　誰にとっても、３６５日、一生の間、毎日が“良い天気”なのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-1473551137777577271?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/1473551137777577271/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=1473551137777577271' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/1473551137777577271'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/1473551137777577271'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/06/blog-post_20.html' title='毎日が「良い天気」（天気が「悪い日」はないんです）'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-8448122283776391606</id><published>2008-06-19T09:22:00.007+09:00</published><updated>2008-06-20T10:22:30.783+09:00</updated><title type='text'>聖書は「この世の仕組み」を教えてくれる</title><content type='html'>　久しぶりに聖書について。&lt;br /&gt;　前回同様、聖書の中に記された文章から、この「ことのは（言葉）ブログ」なりに考えさせられる言葉を（とってもたくさんあるので、機会を見て少しずつ）ご紹介する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;「あなたは、自分の言葉によって正しいとされ、また自分の言葉によって罪とされる」（マタイ 12:37 ）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;/strong&gt;このブログの主旨を簡潔に表現した文章である。&lt;br /&gt;　人の人生は自分が口にする言葉でかなりの部分が決められていく。&lt;br /&gt;　何気なく使っている言葉によって、「良いこと」も「悪いこと」も起こっている。&lt;br /&gt;　言葉によって「自分の人生が作り出されている」ということに気づくと、人生というものがとってもわかりやすくなり、未来が楽しく、明るくなる。&lt;br /&gt;　そういう意味で「自己責任」なのだと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;　イエスは彼らに言われた、&lt;br /&gt;　「もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。&lt;br /&gt;　しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、&lt;br /&gt;　あなたがたの罪がある」 （ヨハネ福　 9:41）&lt;/strong&gt;　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これも「思考」によって自分の人生が規定されていくということを教えてくれている。&lt;br /&gt;　悲観的に思い、考える人にはその通りの「悲観すべき現実」が”しばらくすると”目の前に現れる。&lt;br /&gt;　逆に楽観的に前向き思い、考える人には、その通りの現実が”しばらくすると”現れる。&lt;br /&gt;　難しいポイントは”しばらくすると”にある。&lt;br /&gt;　人はイヤなことがあると、その原因を身近に探るが、たいていはここ数日の自分の素行を振り返る。&lt;br /&gt;　しかし、思考や言葉が引き寄せて現実化するまでの時間はまちまちで一週間の時もあれば、１ヶ月の時もあるし、３ヶ月の時も、１年や２年、それ以上過去の時もある。&lt;br /&gt;　でも、悩む必要はなく、対処法は簡単。&lt;br /&gt;　普段から明るく、楽しく、前向きな思考と言葉を使っていればいいのである。&lt;br /&gt;　すると最初の「良いこと」がたどりつくと、ずっと「良いこと」ばかり続くことになる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　もうひとつはテレビなど情報をどう調整するかが、いかに大切であるかをこの聖書の言葉は伝えていると思う。&lt;br /&gt;　最近、悲惨な事件や事故が多いが、人はそうしたものをあえて見たがり、知りたがる。これからますますこうしたニュースは増えるだろう。&lt;br /&gt;　こうした情報は自分の心にジワジワと影響を与え、本当は自分には関係ないのに、意識を向けることで、自分自身に悲惨な物事をゆっくり、ゆっくりと引き寄せが始まることになる。&lt;br /&gt;　情報が入ってくる機会を調整して、なるべくそうしたネガティブな情報にふれないようにすることをお薦めする。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;「死も生も、舌の力に支配される」（旧約聖書　箴言（しんげん）18：21）&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　これは最初の新約聖書の言葉と同じく、人の人生は言葉の力で多くを決められているということを伝えてくれている。&lt;br /&gt;　同じことを言うにしても、口にする言葉で自分が「幸せ」になるか「不幸せ」になるか決まると言われれば「よく考えるようにしよう」と思うはずだ。&lt;br /&gt;　この「仕組み」を知っている人は、自分が発する言葉にはものすごく慎重に気を使うようになる。&lt;br /&gt;　明るく、楽しく、すがすがしい言葉を使うようになると、間もなくすると目の前の出来事や人間関係、新たな出会いなどが変わってくる。&lt;br /&gt;　はっきりとわかるように”現れ”が変化するのでぜひ楽しみながらやってもらいたいと思う。&lt;strong&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-8448122283776391606?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/8448122283776391606/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=8448122283776391606' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/8448122283776391606'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/8448122283776391606'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/06/blog-post_19.html' title='聖書は「この世の仕組み」を教えてくれる'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-9208938556086448764</id><published>2008-06-18T14:18:00.008+09:00</published><updated>2008-06-19T09:28:21.043+09:00</updated><title type='text'>「今昔物語」の中の観音様の話</title><content type='html'>　日曜日から埼玉・秩父の観音様巡りを始めた。&lt;br /&gt;　仕事に追われているせいもあって準備万全とはいえない中での初日となったわけだが、翌月曜日に古本屋でパッと目に入ったのが、瀬戸内寂聴さんの「愛と救いの観音経」だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　観音様は準備不足をやはりお見通しだったらしい。さすがである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　巡礼の作法には「御本尊を念じ、合掌して読経」とある。&lt;br /&gt;　読経は「般若心経」「観音経」「十句観音経」「本尊名号」「回向文」などとされている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　僕は「般若心経」はそらんじられるので、初日はそうしていたのだが、寂聴さんの本と出会わせていただいたことで、「『観音経』のこと、観音様のことをもう少し知っておきなさいというメッセージが届いたな」と思った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「観音経」は御経というより、観音様のことが紹介されている“物語”である。&lt;br /&gt;　寂聴さんは本書の中で「観音経」について&lt;br /&gt;　「『観音経』の中では、およそ私たち人間が考え得る幸福のすべては、観音さまを信じさえすれば与えられるということになっています。また苦しみという苦しみ、不幸のことごとくは、観音さまを信仰しさえすれば救ってくれると説かれています。何という頼もしい観音の威神力でしょう」&lt;br /&gt;と説明している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　また、&lt;br /&gt;　「私たち凡夫は何といっても、現実に信仰の御利益をこの世で与えてくれることを望んでいます。それが卑しい、つまらない願いで、本当の信仰はそんなものではないと、理屈でわかっていても、やっぱり、苦しい時の神頼みで、その願いがこの世でかなえられることを心の中では切望しています。それをかなえてくれるのだからこんな嬉しいことはないわけです」&lt;br /&gt;　観音様には現世利益を求めてお願い事をしても許されるのだということを僕は初めて知った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ここで観音様にまつわる話が数多く収められている「今昔物語」の中から、寂聴さんが取り上げた物語をひとつご紹介する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　今は昔、丹後の国に成合（なりあい）という山寺があった（今、京都府宮津市府中）。&lt;br /&gt;　ここに貧しい僧が修行のためにこもっていた。&lt;br /&gt;　寺は高い山にある上に、この年は雪が深く、寺はすっぽりと大雪に覆われ、人の往来がまったくできなくなってしまった。&lt;br /&gt;　孤立した僧は食料も尽き果て断食して数日が過ぎ、あとは餓死を待つばかりとなった。&lt;br /&gt;　僧はひとり凍える寒さの中、気力も体力も尽き果て、しのびよる死を感じながら、観音様に助けてくださいと必死に祈った。&lt;br /&gt;　「観音様、観音様、たった一度、観音様の御名を唱えるだけで、ありとあらゆる願いをかなえて下さるとかねがね教えられてきました。私は年来、観音様を心から信じ奉ってきましたのに、仏前で餓死するとはあまりにも情けないことです。高位高官を望むとか、重い罪の報いを許して下さいというならば難しいでしょうが、ただ今日一日の命をつなぐだけの食物を、ほんのわずかいただきたいんです。お慈悲でございます。どうかそれをお恵みください」&lt;br /&gt;　と祈りながら、ふと、寺のすみの壊れた壁から外を見ると、そこには狼に殺された猪がいるのを見つけた。&lt;br /&gt;　「これこそ観音様が恵んでくださったものだ」と思ったものの、自分は年来、御仏を信じ奉ってきた出家の身である。&lt;br /&gt;　「いまさら飢えたとはいえ獣が食べられようか。仏法では、この世に生きとし生けるものはみな前世で父母だと教えられている。自分は餓死寸前とはいえ、どうして父母の肉をむさぼり喰うことができようか。まして生き物の肉を食べた者は、仏に見捨てられ仏縁を断たれて、死んで悪道に墜（おと）されるという。だからこそすべての獣は人を見ると逃げ去るのだ。生類の肉を喰えば、如来も菩薩も見捨てて遠く去っていかれるというではないか」&lt;br /&gt;　と繰り返し反省した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　しかし、人間の心の弱さ、愚かさには勝てず、後世の罰の苦も考えず、今の飢えの苦しみに耐えられず、ついに刀を抜いて猪の左右の腿（もも）の肉を切り取って、鍋に入れて煮て食べてしまった。&lt;br /&gt;　その味はこんなにおいしいものがこの世にまたとあろうかというもので、つい今までの飢餓の苦しさもすっかり忘れ、満ち足りた気分になった。&lt;br /&gt;　けれども、飢えがおさまってしまうと、やはりとんでもない重罪を犯したことが悔やまれて、泣き悲しんでいた。&lt;br /&gt;　やがて雪がやみ、里の人々が僧のことを心配して山の上の寺に上がってくる足音や話し声が聞こえてきた。&lt;br /&gt;　僧はあわてて、ともかく猪を煮散らした鍋を片づけて隠そうと気を焦らせるが、人々がそこまで来ていて間に合わない。鍋には食い残したものが入ったままだった。僧はたいそう恥ずかしく情けない気持ちになった。&lt;br /&gt;　そこに人々はどやどや入ってきた。&lt;br /&gt;　「ああ、生きていてよかった。ずいぶん長くなるから餓死しているんじゃないかと心配していました。お坊さん、この大雪をどうやって過ごされたのですか」&lt;br /&gt;　と言って寺の中を見回ってみると、鍋の中に木片を入れて煮て食い散らかしてある。&lt;br /&gt;　「お坊さん、いくら腹が減って飢えたからといっても、木を煮て食う人がありますか」&lt;br /&gt;　と気の毒がっていると、里から来たひとりが突然、「あっ」と大きな声をあげた。&lt;br /&gt;　人々がその声の方を見ると、男が観音様を指差している。なんと観音様の左右の腿（もも）が無残にも生々しく削り取られているのだ。&lt;br /&gt;　これは僧が切り取って食ったのだろうと、里の人はあさましく思って、&lt;br /&gt;　「お坊さん、同じ木を食うなら寺の柱でも切って食べたらどうですか。どうしてまた観音様の御身体を切り取って傷つけなさったのです」&lt;br /&gt;　と詰め寄り、なじった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　僧が驚いて観音様を見ると、人々の言う通り、左右の腿が痛々しく切り取られている。&lt;br /&gt;　その時、僧は&lt;br /&gt;　「さて、あの時煮て食った猪は、観音様が自分の飢えを憐れんで助けてやろうと、猪の姿になり、御身を食べさせてくれたのか」&lt;br /&gt;　と気づき、ありがたさと貴さに胸潰れる思いで、人々に向かって「実は・・・」と事の次第を正直に語り始めた。&lt;br /&gt;　これを聞く者たちは、皆感動して涙し、観音様のお慈悲を貴くありがたく思わない者はなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　僧は仏前に坐り、観音様に向かって謹んでこうお願いした。&lt;br /&gt;　「もしこのことが、観音様のお示しになったありがたい霊験（えいげん）でありますなら、どうか元のお姿にお戻り下さい」&lt;br /&gt;　すると、祈る目の前で、その傷ついた左右の腿が元のように完全に成り合わされて修復されていった。&lt;br /&gt;　それを見た人々は、再び深く感動してありがたさに泣かなかった者はなかったという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この霊験によって、この寺は「成合（なりあい）」と呼ばれるようになった。そして、この観音様は今も変わることなくおいでになるそうだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　観音様がどのような神様であるかをよく表した物語である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" 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href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/9208938556086448764'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/06/blog-post_18.html' title='「今昔物語」の中の観音様の話'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-8310197529744997441</id><published>2008-06-17T07:17:00.008+09:00</published><updated>2008-06-18T14:23:13.501+09:00</updated><title type='text'>名前、呼ばれていますか？</title><content type='html'>　久しぶりに風水の方からでおもしろい話を聞いたのでご紹介したいと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さて、あなたは、「最近、名前を呼ばれていますか？」&lt;br /&gt;　苗字ではなく、下の名前でである。&lt;br /&gt;　意外に「確かに、ここんとこ呼ばれていないな～」という人が多いのではないだろうか。&lt;br /&gt;　実家にいれば親から名前を呼ばれる機会があると思うが、自立して一人暮らしでもしていると自宅と会社が主となるので、近くに友人でもいない限り、「○○さん」と苗字で呼ばれることばかりになる。&lt;br /&gt;　結婚して子供ができれば「お母さん」や「ママ」、「お父さん」や「パパ」と夫婦間でも呼び合う場合が多い。孫でもできれば夫婦間はなおさらである。&lt;br /&gt;　女性は特に、「○○ちゃんのお母さん」とか「奥さん」と呼ばれるので男性より名前で呼ばれることは少なくなりがちだ。&lt;br /&gt;　とはいえ、ご主人にとって奥さんは自分の「お母さん」でも「ママ」でもない。もちろん奥さんにとってもご主人は自分の「お父さん」でも「パパ」でもない。&lt;br /&gt;　お互いの関係性を正しく表現しない名称は、お互いを否定することにつながり、運気が正常に作用しなくなってしまう。&lt;br /&gt;　「照れくさいと思うかもしれないが、夫婦間では、きちんと名前で呼び合うことが、お互いの運気を向上させることにつながる」のだそうだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　言霊（ことだま）の観点からみても、名前は自分だからこそ与えられた大切な言霊である。&lt;br /&gt;　この名前の言霊を呼ばれなくなるとその人個人が持つ運気がどんどん消耗していくことにもなる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　以上、これらの多くは「風水」での運気の話である。&lt;br /&gt;　原則はどうお互い同士で呼び合おうがそれはそれぞれの自由である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今回のことで、改めて自分の名前が呼ばれる機会ということについて考えてみると、その相手というのは「親・親族、兄弟、友人、夫婦」であることがわかる。&lt;br /&gt;　人生の中で、「自分の名前を呼んでくれる人」がいかに特別な存在であるかを考えさせられる良き機会になったように思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　特にすでにこの世にはいない大切な人が自分の名を呼んでくれた往事の声音が耳の奥に聞こえてくるように気がして、その時の姿と表情を思い出すと胸が激しく震えた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-8310197529744997441?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/8310197529744997441/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=8310197529744997441' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/8310197529744997441'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/8310197529744997441'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/06/blog-post_17.html' title='名前、呼ばれていますか？'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-126068349051366527</id><published>2008-06-16T11:21:00.005+09:00</published><updated>2008-06-17T07:19:53.276+09:00</updated><title type='text'>喜捨はした人が「ありがとう」</title><content type='html'>　時々、托鉢（たくはつ）をするために街角に立っているお坊さんを見かける。&lt;br /&gt;　お坊さんが持つお椀の中にお金を入れて「喜捨」をすると、一般的に手を合わせるか、お経を読んでくれる。&lt;br /&gt;　托鉢は、当然のことながら、お坊さんたちが食べる物に困ってお金を恵んでくださいというために立っているのではない。&lt;br /&gt;　お寺の事情もさまざまだとは思うが、たいがいのお寺は贅沢はできないにしても３度のご飯ぐらいは普通に食べられる。&lt;br /&gt;　彼らがやっている托鉢は、人々のためにやっているのである。&lt;br /&gt;　２６００年ほど前にお釈迦様は弟子たちに対して、「托鉢に行きなさい」と薦めた。&lt;br /&gt;　そして、「托鉢は貧しい人のところに行きなさい」と言った。&lt;br /&gt;　弟子たちは「貧しい人のところには行きなさんな」とお釈迦様が言い間違えたのだと思い、問い直した。&lt;br /&gt;　しかし、お釈迦様は「違う。お金を持っている人のところにはいかなくていい。貧しい人のところに行って喜捨を求めてきなさい」と再び念を押したそうだ。&lt;br /&gt;　人々の幸せをたえず願っているお釈迦さまの教えである。「喜捨」は、喜捨をするという行為がその人の人生を幸せに、豊かにするために設けられているものなのだ。&lt;br /&gt;　お釈迦様は弟子たちにこう説明した。&lt;br /&gt;　「お金持ちは喜捨ができる。しかし、貧しい者たちは喜捨するという大切なことから遠く離れ、苦しみの世界から抜け出せずにいる。貧しい人々を救い出すのです」&lt;br /&gt;　だから、昔から「喜捨」をした人の方が、「ありがとう」と言って立ち去るのが正しいのである。&lt;br /&gt;　もちろん、喜捨の多寡（多い少ない）は自分が困らない範囲中での話である。&lt;br /&gt;　今は年配の方もそうしたことをご存じなく、「お礼も言わないクソ坊主」と立腹する人がいるそうだが、「喜捨」は救いへの導きのひとつの方法であり、「喜捨」をした人が「ありがとう」と言うものであることを身近な大切な人にはそっと教えてあげてほしいと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-126068349051366527?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/126068349051366527/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=126068349051366527' title='2 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/126068349051366527'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/126068349051366527'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/06/blog-post_16.html' title='喜捨はした人が「ありがとう」'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>2</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-8987485284430669737</id><published>2008-06-14T09:25:00.010+09:00</published><updated>2008-06-16T11:24:17.179+09:00</updated><title type='text'>「マイトレーヤの手形」の画像　癒しパワーがかなりすごい！</title><content type='html'>&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SFMQaaznEeI/AAAAAAAAASo/PrdnzZSH-UY/s1600-h/ãã¤ãã¬ã¼ã¤ãæå½¢4.JPG"&gt;&lt;img id="BLOGGER_PHOTO_ID_5211527239856230882" style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 10px 10px 0px; CURSOR: hand" alt="" src="http://2.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SFMQaaznEeI/AAAAAAAAASo/PrdnzZSH-UY/s400/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A4%E3%80%80%E6%89%8B%E5%BD%A24.JPG" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　このブログでも以前紹介したゲリー・ボーネル氏は著書「５次元世界はこうなる」の中で、ロンドンにキリストの再来がすでに住んでいて、近い将来、公の場に姿を現すことになると書いていた（０７年12月20日付）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　欧米のキリスト教徒のことをご存知の方はおわかりになると思うが、キリストの再来なる人が本当に公衆の面前に登場し、その場でちょっとした奇跡でも起こしようものなら間違いなくキリスト教圏はパニックになる。信じる人、信じない人の抗争も想像つかないほど激しいものになるだろう。&lt;br /&gt;　余談だが、８年前に仕事で訪問した際に大変お世話になったノルウェー人が木曜日に来日し、夕食を共にした。雑談になったので「リインカーネーション（輪廻転生）は信じてる？」と聞いたら、「信じてない」と答えた。&lt;br /&gt;　「どうして」と問うと、「キリスト教では（輪廻転生を）信じてないから」と言うので、信仰の教義はさまざまな面で絶対なんだなと妙に感心した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　このキリスト（キリスト的なこと！？）に関わることになるのだが、知人から先日、「おもしろいモノを手に入れたから送るから」と連絡があり、数日後、封筒に入った郵便物が届いた。&lt;br /&gt;　開けてみると、中には「手形」が入っていた。&lt;br /&gt;　手形といってもお金の替わりの証書の方ではなく本物の「人の手の形」である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そこには、「マイトレーヤの手形」と書かれていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　サンスクリット語の「マイトレーヤ」とは弥勒菩薩（みろくぼさつ）のことである。 &lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SFMSIq_Kn2I/AAAAAAAAASw/SWc7YYEnU2I/s1600-h/å¼¥åè©è©.gif"&gt;&lt;img id="BLOGGER_PHOTO_ID_5211529133985275746" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 10px 10px; CURSOR: hand" alt="" src="http://2.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SFMSIq_Kn2I/AAAAAAAAASw/SWc7YYEnU2I/s200/%E5%BC%A5%E5%8B%92%E8%8F%A9%E8%96%A9.gif" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　仏教の世界では、弥勒菩薩はお釈迦様の次に悟りを開き、末世には人々を救済するためにこの世に現れるという言い伝えを持つ菩薩だ。&lt;br /&gt;　一番有名なのは首を傾げた姿が優美な京都広隆寺の弥勒菩薩像である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さて、本題の「マイトレーヤの手形」であるが、覚醒（悟りを開いた）した人物の手形で、スペイン・マドリードの鏡に突然出現したものであるらしい。&lt;br /&gt;手形と一緒に、説明文も入っていたので、そのままここに記載する。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　「英国人著作家ベンジャミン・クレーム氏によれば、これまで、すべて、あらゆる宗教がそれぞれの名前で待望している方、世界大使マイトレーヤの間近な出現の微であるという。&lt;br /&gt;　この写真は、最も最近の途方もない奇跡を示している。マイトレーヤご自身の手形がスペイン・バルセロナのある家の浴室の鏡に奇跡的に現れた。単なる手の痕ではなく、立体的なイメージで、細部まで映し出されている。&lt;br /&gt;　最初にシェア・インターナショナル誌（2001年10月号）に掲載されたが、この“手”は、マイトレーヤの癒しのエネルギーと助けを喚起するための手段である。&lt;br /&gt;　自分の手をこの手の上に置くかただ見つめることによって、マイトレーヤの癒すと助けを（カルマの許す範囲で）喚起することができるのである。マイトレーヤが完全に姿を現され、私たちがその顔を見るまでの間、彼はこのような形で私たちのすぐそばにいてくださるのである。&lt;br /&gt;　1977年７月以来、マイトレーヤはロンドンに居所を置き、ご自分の出現に備えてこられた。彼は現代の問題に関心を持つ一人の現代人としてやって来られた。宗教の指導者としてではなく、もっとも広義の教育者として、自由と正義と平和の創造を鼓舞するためにやって来られた。その道を準備するために、140信のメッセージをベンジャミン・クレーム氏を通して与えられたが、そのメッセージを要約すると、「分かち合って世界を救いなさい」ということである。&lt;br /&gt;　間もなく私たちは世界の主要テレビネットワークで彼の顔を見、そして平和への唯一の道として分かち合いと正義への呼びかけを聞くであろう」&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＜以上、抜粋＞&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この説明文を読んで、ボーネル氏が著書の中で書いていたこととまったく同一人物のことを指しているのだとすぐにわかった。&lt;br /&gt;　さまざまな微（奇跡）が世界各地で起こっているようだが、&lt;br /&gt;　「自分の手をこの手の上に置くかただ見つめることによって、マイトレーヤの癒すと助けを（カルマの許す範囲で）喚起することができるのである」&lt;br /&gt;　という点にひかれた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　早速、僕も手形の上に手をかざしてみたが、かなり驚いた。&lt;br /&gt;　この手形が、マイトレーヤのものなのかキリストの再来と言われる人物のものなのか、今のところ知り得ないことだが、この手形の写真から確実に強い「気」が出ていたからである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　スキャナして画像データにしても同じく変わらず強い気を発してるので、ここでご紹介することにした。&lt;br /&gt;　説明文の通り、この画像に手を置き、見ることでひとりでもなんらかの「癒し」と「助け」につながるのであれば、これほど嬉しいことはない。&lt;br /&gt;　この画像データが別途、必要な方がいらっしゃれば、前回の「竹の中の女の子」同様、メールで送ります。ブログ上記のメールアドレスまでご一報ください。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-8987485284430669737?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/8987485284430669737/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=8987485284430669737' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/8987485284430669737'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/8987485284430669737'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/06/i.html' title='「マイトレーヤの手形」の画像　癒しパワーがかなりすごい！'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SFMQaaznEeI/AAAAAAAAASo/PrdnzZSH-UY/s72-c/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A4%E3%80%80%E6%89%8B%E5%BD%A24.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-8716814992898461385</id><published>2008-06-13T06:29:00.006+09:00</published><updated>2008-06-14T09:31:01.354+09:00</updated><title type='text'>予言者・エドガー・ケイシーの治療法「花粉症」対策にはこれ！</title><content type='html'>　オリーブオイルの効果はかなり良いようで、腸の通じが快調になったとの喜びの声をいくつもいただいた。&lt;br /&gt;　年に１、２度ぐらいしか便秘にならない僕の場合は効き過ぎる感じなので２、３晩に１度飲む程度でいいかもしれないと思っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　現在、実際に試しているケイシー療法をもうひとつご紹介する。&lt;br /&gt;　「花粉症」対策である。&lt;br /&gt;　僕は秋はブタ草、春はスギの花粉症に７，８年前から悩まされてている。&lt;br /&gt;　昨年から「もう悩まない」と決めたのでずいぶん楽になったが、それでも鼻炎がひどい期間は味覚も鈍くなり、食べる喜びが半減することはさびしいことである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ケイシーの「花粉症」対策へのアドバイスは、&lt;br /&gt;　「モロヘイヤを食べること」。&lt;br /&gt;　モロヘイヤの葉を１０枚以上、毎日食べることで症状は大きく改善できると述べている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　季節的にもモロヘイヤが手軽に入手できる時期なので、刻んで粘りの出たモロヘイヤを冷や奴の上にのせて食べているが大変おいしい！&lt;br /&gt;　これで秋の花粉症が少しでも改善できたらうれしい限りである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-8716814992898461385?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/8716814992898461385/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=8716814992898461385' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/8716814992898461385'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/8716814992898461385'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/06/blog-post_13.html' title='予言者・エドガー・ケイシーの治療法「花粉症」対策にはこれ！'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-5604784684665730177</id><published>2008-06-12T12:43:00.008+09:00</published><updated>2008-06-13T06:34:05.285+09:00</updated><title type='text'>預言者・エドガー・ケイシーが薦めるユニークなダイエット方法</title><content type='html'>　昨日に続き、預言者・エドガー・ケイシーの健康自然療法。&lt;br /&gt;　今回のテーマは「ダイエット」！&lt;br /&gt;　60、70年前から「ダイエット」の相談があったんだーと変なところに感心しながら読み進んでみると、方法はもっとユニークで思わず笑ってしまう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そのダイエット方法は、&lt;br /&gt;　「食前と就寝前に100％のブドウジュースを飲む」という至って簡単な方法である。&lt;br /&gt;　120ｃｃのコップに４分の３のブドウジュースを入れ、残り４分の１には水を加えて、３度の食事と就寝の30分前に５～10分ゆっくりと時間をかけて飲むだけ。&lt;br /&gt;　ブドウは赤ブドウ酒用のコンコード種がお薦めらしいが、見つからなければ100％ジュースでいいらしい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ついでに「やせる体操」をやると効果は倍増！&lt;br /&gt;　直立してゆっくりとかかとをあげ、同時に空気を吸って、両手を頭上にできるだけ高く上げていく。&lt;br /&gt;　つま先立ちのまま、上体を限度いっぱいに前に倒す。&lt;br /&gt;　しばらくは、つま先立ちで、両手の指先を床につけた体勢のままで我慢する。&lt;br /&gt;　呼吸は毎回かかとをあげ、同時に両手をあげるときにする。&lt;br /&gt;　この体操の終わり２回は、頭と首の動きを加える。&lt;br /&gt;　頭を後ろに曲げて、だんだんと前方へ持っていく。そして左右に曲げてまわす。&lt;br /&gt;　毎日、朝晩５分間ぐらいをメドにやること。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これも万人に効果があるとは確約できないが、ブドウジュースは排泄を改善し、体重調整を図ってくれるそうなので、やる方みんなに効果が発揮されるよう祈りたい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" 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href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/5604784684665730177'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/06/blog-post_12.html' title='預言者・エドガー・ケイシーが薦めるユニークなダイエット方法'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>1</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-103122412692621502</id><published>2008-06-11T06:21:00.008+09:00</published><updated>2008-06-12T12:45:14.125+09:00</updated><title type='text'>エドガー・ケイシーの健康アドバイス「オリーブオイル」</title><content type='html'>　古神道の健康術をいくつかご紹介してきたが、今回はエドガー・ケイシーの健康術を紹介する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　エドガー・ケイシーは、人類史上もっとも霊能力に富んだ人物のひとりである。スピリチュアルの世界に関わる人で彼の影響を受けていない人はいないといわれるほどの大きな存在である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ケイシーは1877年にアメリカ・ケンタッキー州に生まれる。農家の長男として生まれたケイシーは小さい頃から不思議な能力があり、周囲にいる大人には見えない“子供”と遊び、周囲には見えない”誰か”を紹介しようとするエピソードなどが数多く残されている。&lt;br /&gt;　父親の事業の失敗で１６歳から仕事を始めなくてはならず、さまざまな職業を転々としたのち、２３歳の時には過労が原因で失声症になる。治る見込みがないため、声を使わなくてもいい写真技師になった。&lt;br /&gt;　声を失って１年が経とうとしている頃、同じ町に住むアル・レインという人物がケイシーに催眠療法を試す提案をしてくる。１５歳の時にケイシーが示した不思議な能力を催眠術で引き出せないかと考えたのだ。&lt;br /&gt;　1901年、催眠状態に入ったケイシーに、レインが「声の出なくなった原因を述べなさい」と暗示を与えると、ケイシーは驚くべきことに、正確な医学用語を使って喉の状態を診断した。&lt;br /&gt;　さらに「その治療法を述べなさい」と暗示を与えると、ケイシーは何の苦もなく治療法をスラスラと述べた。ケイシーは自分のまったく知らない医学用語を縦横無尽に駆使して診断したことに驚き、さらにその治療法によって声を回復できたことに本人も周囲も大きな衝撃を受けた。&lt;br /&gt;　後にこの催眠状態であの世の知恵に結びつく方法を「リーディング」と呼ぶようになる。&lt;br /&gt;　ケイシーのこの不思議な能力は次第に有名になり、多くの難病患者がケイシーの催眠診断を求めるようになって、そのアドバイスを受けて健康を回復する人が後を絶たなかったそうだ。&lt;br /&gt;　健康以外にも物理や化学、電気工学、考古学、神学、心理学、政治経済など、さまざまな分野の質問がケイシーに寄せられ、それに対してことごとく有用な回答を与えた。そして６７歳で亡くなるまでに１万４０００件以上のリーディングを行った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「ケイシー療法」ではさまざまな具体的な病気に対してその治療法が明示されている。&lt;br /&gt;　この中から健康維持・増進の点で「オリーブオイル」を飲む記述がよく出てくるのでこれについてご紹介する。&lt;br /&gt;　方法は簡単。寝る前にオリーブオイル（食用のバージン）を大さじ一杯～３杯飲むだけ。そのまま飲んでも、お湯で流し込んでもよい。&lt;br /&gt;　オリーブオイルには粘膜を活性化させる作用がある。人の唇から肛門までは、その粘膜でできており、この経路につまっている老廃物を排泄してしまう働きがあるそうだ。&lt;br /&gt;　昔から地中海沿岸の子供達は、おなかが痛くなったり頭が痛くなると、お母さんやおばあちゃんからコップ半分のオリーブオイルを飲ませてもらって治していたそうだ。そして、この方法は現代にも続いている。&lt;br /&gt;　消化器から排泄の悪い腸の老廃物がつまって、その反射で頭痛や関節痛、皮膚病で困っている人には寝る前のこのオリーブオイルは特に効果的であるそうだ。&lt;br /&gt;　国産品と輸入品いずれでもかまわないようで、僕は大さじ１杯しか飲まないが確かに効果があるのが実感できる。身体の中の毒素やアクを外に出すデトックス効果を助長させているのであろう。誰にでも効くかどうかは確約できないが、便秘症の方などで化学薬を好まない人は試してみる価値があると思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-103122412692621502?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/103122412692621502/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=103122412692621502' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/103122412692621502'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/103122412692621502'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/06/blog-post_11.html' title='エドガー・ケイシーの健康アドバイス「オリーブオイル」'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-6228481608021592311</id><published>2008-06-10T06:42:00.008+09:00</published><updated>2008-06-11T06:23:17.350+09:00</updated><title type='text'>元気をくれるさまざまなこと</title><content type='html'>　朝日とともに行う息長（おきなが）の呼吸がうまくできるようになったのか、18回終えると身体の芯に力がみなぎるような爽快感を得られるようになった。&lt;br /&gt;　一日の始まりを告げたばかりの朝日のエネルギーはやっぱりすごい！&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　朝日をじっとみつめながら呼吸法をやっていると太陽がとても早く動いているのに気づく。&lt;br /&gt;　実際には地球が秒速466㍍というとてつもない速さで回っているのだが、“相手”が動いているようにみえるからおもしろい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　人生を大きく左右する「引き寄せの法則」もまさにそうで、良いことも悪いこともすべて自分が引き寄せている。でも、良いことであれ、悪いことであれ、出来事が起こると、向こうからやって来ているような“錯覚”に陥る。&lt;br /&gt;　そうなってしまう一番の理由は、良い（悪い）思いを送ってから、出来事が自分にたどりついて「現実化」するまでに時間差があるからである。&lt;br /&gt;　わかりやすく言うと、良いことばかり思うと決めて実行したとしても、最初の良い現実化が来るのが３日かもしれなし、３週間後かもしれないし、10年後かもしれない。たいがいはその間にあきらめたり、悪い思いを持ってしまう。&lt;br /&gt;　ただし、「良いことばかり思う」ことを続けられたら、最初の現実化が届いて以降は、ずっと良いことの連続の日々である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そんなようなことを話ながら、先週はニューカレドニアの友人と有楽町で酒を酌み交わしていた。&lt;br /&gt;　彼女は以前ここでも紹介した中村天風の本を薦めてくれた人でもある。&lt;br /&gt;　フランスに嫁いだブログ「ダニエルさんち」の同級生がもたらしてくれたご縁でメールのやりとりを始め、このほど実家への帰国に際して時間をつくってくださって初めてお会いできた。&lt;br /&gt;　ニューカレドニアで学校の先生をし、通訳などの仕事もされているだけあって抜群の文章力にこれまでも感心していたのだが、まさにその通りの聡明で心の豊かな魅力的な方だった。&lt;br /&gt;　同級生からは「あなたたちは出逢うべくして出逢うのだと思います」というメールをもらっていたが、その予想の通り、旧知の友と久しぶりに会って語らっているような楽しく、そしてゆったりとくつろいだ気分で時間を過ごせた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　いろんなおもしろく、有意義な話ができたが、&lt;br /&gt;　「子供たち（生徒たち）から救われた」という話がとても印象的だった。&lt;br /&gt;　教職で出会う子供たちの言葉や行為、しぐさ、存在そのものに元気をもらい、救われることがたくさんあり、その御陰で今があるのだということだった。&lt;br /&gt;　成人している教え子が島には数多くいて、今でもさまざまなところで声をかけてもらえるのだそうだ。&lt;br /&gt;　１０年、２０年経つと顔も変わりわからないのではないかと思うが、歳をとっても変わらない部分があるのでたいがいは覚えていて、逆に教え子の方もそれに驚くという。&lt;br /&gt;　いくつになっても、たとえかなり太って見た目は大きく変わったとしても変わらないところ・・・、それは「目」なのだそうだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そうした子供たちとの話を聞いて、「よき人生を歩まれている」と僕は思った。&lt;br /&gt;　数時間はｱｯという間に時間が過ぎ、またの再開を約束してわかれた。&lt;br /&gt;　数日後に、無事、帰国したというメールと一緒に、写真が送られてきた。&lt;br /&gt;　そこには鳥がタネを運んできて屋根の上で育っているという熟れたトマトが写っていた。&lt;br /&gt;　こうした豊かな自然が彼女の元気のもとであるんだなと再認識するとともに、僕もまたその写真から新鮮な果実のような元気をいただくことができた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-6228481608021592311?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/6228481608021592311/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=6228481608021592311' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/6228481608021592311'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/6228481608021592311'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/06/blog-post_10.html' title='元気をくれるさまざまなこと'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-3916404777244732411</id><published>2008-06-09T07:08:00.004+09:00</published><updated>2008-06-10T06:44:54.230+09:00</updated><title type='text'>日曜日から秩父三十四カ所観音霊場巡り</title><content type='html'>　&lt;br /&gt;　日曜日（15日）から埼玉・秩父の観音様（三十四カ所観音霊場）巡りをすることに決めた。&lt;br /&gt;　巡礼コースは全長100キロほどということなので、全５、６回になると思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　前々から行きたいなと思い、最近は口にするようにしていたら、地下鉄・有楽町線に乗って何気なく見た車内の中吊り広告に「秩父三十四観音　期間限定６年ぶりの総開帳」という文字が踊っているのが目に飛び込んできた。&lt;br /&gt;　期間も３月１８日から７月１８日までとある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この期間をのがせばご開帳は６年後である。&lt;br /&gt;　「今がその時だ、行こう」と素直に決めていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　我が家から埼玉県秩父駅までは片道３時間ほどかかるが、準備よくこの１ヶ月ほどで「早起き」が定着しているので問題ない。&lt;br /&gt;　お寺に６枚ずつ収める「写経」も５０枚ほど書いてあるので、これから時間をつくってコツコツと書いていけば大丈夫。&lt;br /&gt;　友人２人の同行も決まり、心強い。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　あとは体力だが、２年前までは屋久島の縄文杉を大学登山部ＯＢという知人と一緒に駆け上がるようにして登った「（過去の）実績」を信じるしかない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　観音様たちにお会いできるのが今から楽しみである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-3916404777244732411?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/3916404777244732411/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=3916404777244732411' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/3916404777244732411'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/3916404777244732411'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/06/blog-post_09.html' title='日曜日から秩父三十四カ所観音霊場巡り'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-3325369609340177517</id><published>2008-06-08T07:44:00.007+09:00</published><updated>2008-06-09T07:10:25.261+09:00</updated><title type='text'>肉食は霊気を汚す</title><content type='html'>　霊性を上げるのに、最も簡単で有効なのは食事の改善し、菜食中心にすることであると聞いた。&lt;br /&gt;　その数日前には、腎臓や肝臓、膵臓の病気の改善食は「肉食を絶つ」という共通した一文が入っているのが目に止まっていたので、ここ最近のシンクロは「肉食」であると気がついた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　僕は、肉より魚の方が好きだが、普通に肉を食べている。&lt;br /&gt;　歳を重ねて若い頃よりは食べる機会が減った程度で、これまで厳しく制限することなどまったくしていない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　だが、「肉食は霊気を汚す」らしい。&lt;br /&gt;　「霊性なんて関係ない」という人もたくさんいるが、人はすべからく霊的存在である。&lt;br /&gt;　無意識下での出会い（引き合い）や別れ（反発）をひとつとっても誰もが経験している。悪しき波調を受けやすい受けづらいかどうかは人生にとってもかなり重要だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　肉類には殺した動物の悪想念がべったりとくっついているらしい。この悪想念を体内に摂（と）り入れることになり、過度になると波調を粗（あら）くし、霊性を墜（お）とさせていくことになる。&lt;br /&gt;　医学的にも動物性油は、人間の体温では融解できないので、血液を汚して血管をつまらせ、病気の原因になることはよく知られている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　本来の食事は「自分の性から遠く離れた植物性のものであって、同類である動物性のものは好ましくない」。したがって野菜や穀物が理想的なのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「聖書」の創世記にもこんな言葉がある。&lt;br /&gt;　「わたしは全地のおもてにある種を持つすべての草と、種のある実を結ぶすべての水とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。また地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這（は）うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　古今東西を問わず「神書」といわれる文献の中には「肉食への戒め」に関する記述が多い。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　なるべく肉類を避ける、せめて牛や豚の類は避ける食生活を心がけようと思う。&lt;br /&gt;　神経質になる必要はないが、野菜、穀物中心の食事である。&lt;br /&gt;　それは、日本古来からの食事でもある。&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-3325369609340177517?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/3325369609340177517/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=3325369609340177517' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/3325369609340177517'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/3325369609340177517'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/06/blog-post_08.html' title='肉食は霊気を汚す'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-2398120011819177791</id><published>2008-06-07T11:03:00.010+09:00</published><updated>2008-06-08T07:46:42.901+09:00</updated><title type='text'>「国宝・薬師寺展」がものすごい人気</title><content type='html'>&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SEn15s_yUbI/AAAAAAAAAR4/Hbx_8j4jIbE/s1600-h/è¥¿æ´åç©é¤¨.JPG"&gt;&lt;img id="BLOGGER_PHOTO_ID_5208964815710736818" style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 10px 10px 0px; CURSOR: hand" alt="" src="http://4.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SEn15s_yUbI/AAAAAAAAAR4/Hbx_8j4jIbE/s200/%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8.JPG" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　東京・上野の国立博物館で「国宝・薬師寺展」が開催されている。&lt;br /&gt;　平城遷都１３００年を記念して行われているもので、国宝の「日光菩薩立像」「月光菩薩立像」が２体そろって寺外では初めて公開されたことが話題を呼んでいる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　しかも今回は普段、薬師寺では両菩薩像の背にある「光背」がとりはずされたお姿で初めて披露されるということなので、「これはぜひ、拝見したい」と思い、最終期日の８日を直前にし、仕事を前日までにやりくりして時間をつくって木曜&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SEn2lgR4HsI/AAAAAAAAASA/_wE95ItbwMw/s1600-h/æ¥åè©è©å¨èº«.jpg"&gt;&lt;img id="BLOGGER_PHOTO_ID_5208965568211197634" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 10px 10px; CURSOR: hand" alt="" src="http://2.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SEn2lgR4HsI/AAAAAAAAASA/_wE95ItbwMw/s200/%E6%97%A5%E5%85%89%E8%8F%A9%E8%96%A9%E5%85%A8%E8%BA%AB.jpg" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;日&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SEn4DeF-EFI/AAAAAAAAASI/3GTsb1psmx4/s1600-h/æåè©è©å¨èº«.jpg"&gt;&lt;img id="BLOGGER_PHOTO_ID_5208967182532087890" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 10px 10px; CURSOR: hand" alt="" src="http://3.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SEn4DeF-EFI/AAAAAAAAASI/3GTsb1psmx4/s200/%E6%9C%88%E5%85%89%E8%8F%A9%E8%96%A9%E5%85%A8%E8%BA%AB.jpg" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;の午後、上野に向かった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　１時半過ぎに会場の国立博物館に到着すると、入場券売場には列ができている。&lt;br /&gt;　「けっこう混んでるな」と思いながら列に並ぼうとすると、前列の横に、&lt;br /&gt;　「130分待ち」&lt;br /&gt;　と書かれたボードを掲げた係員がいる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　近くの係員に「130分」の事情を訊ねると、来場者が多いために入場制限をしており、入場券を買って門から入っても、建物前から入場は制限されていて、館内に入るまでに約130分は待たなくてはいけない状況にあると教えてくれた。係のお兄さんもかなりお疲れの様子で、主催者側にとっても想定外の混雑になっていることがうかがえる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　空を見上げるとすぐにでも雨が降ってきそうな空模様。それでも並んで待って観覧したいところだが、夕方には仕事が一本入っている。&lt;br /&gt;　仕事はキャンセルできず、並んで２時間待つと３０分も見られない、もしくは何にも見られないことにもなりかねないので、残念だがあきらめることにした。&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SEn_daxovDI/AAAAAAAAASQ/6EQvPSyOhM4/s1600-h/è¥¿é·ããéåæ¨ª.JPG"&gt;&lt;img id="BLOGGER_PHOTO_ID_5208975324899490866" style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 10px 10px 0px; CURSOR: hand" alt="" src="http://1.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SEn_daxovDI/AAAAAAAAASQ/6EQvPSyOhM4/s200/%E8%A5%BF%E9%83%B7%E3%81%95%E3%82%93%E9%8A%85%E5%83%8F%E6%A8%AA.JPG" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　国立博物館を後にし、上野公園の中を歩きながら、ディズニーランドのアトラクション並みに多くの人々を「薬師寺展」が引きつけていたことに感心するとともに、見ることはできなかったことは残念だったが「とってもいいことだな」とうれしくなった。&lt;br /&gt;　日本人の“豊かさ”の一面を少し見せてもらえたような気がした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そして、僕は、「今回はご縁がなかったが、日光、月光の菩薩像には、いつか必ず薬師寺に直接会いこう」と心に決めた。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　まだ時間はゆったりとあるので、のんびり散歩気分で、我が郷土の偉大な大先輩である西郷隆盛の銅像を久しぶりに見に行く。&lt;br /&gt;　修学旅行の中学生や観光客らしい人たちが銅像やその前に立って写真を撮っていてにぎやかだ。&lt;br /&gt;　軍服を着た、いかめつい鹿児島市内の銅像とは対照的に上野の西郷さんは着物に兵児（へこ）帯姿で、右側には愛犬を連れていてなんとなく微笑ましい。&lt;br /&gt;　明治時代、この銅像の披露式に出席した西郷夫人は「これはうちの人じゃなか（い）」と言ったそうだが、これは顔かたちについてもそうだったらしいが、西郷さんは相手にとても細やかに気を配る人で、面前でこんな服装は絶対にしないということを言いたかったための夫人の言葉といわれている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　西郷さんが好きな言葉として有名なのが「敬天愛人」である。 &lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SEoASw_s7tI/AAAAAAAAASY/KEHNHtEgnYA/s1600-h/ä¸éåæè¦³é³.JPG"&gt;&lt;img id="BLOGGER_PHOTO_ID_5208976241397133010" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 10px 10px; CURSOR: hand" alt="" src="http://4.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SEoASw_s7tI/AAAAAAAAASY/KEHNHtEgnYA/s200/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E5%8D%83%E6%89%8B%E8%A6%B3%E9%9F%B3.JPG" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　僕も西郷さんの人生を学ぶうちにこの言葉にひかれ、10年ほど前から携帯電話のアドレスにも使わせてもらっている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　目に見えぬ絶対的な存在のことを思い、感じ、向き合いながら生きていくと自分自身が人としていかに生きていくか「自主自尊」の精神が育まれ、自分が巡り合わせいただけるすべての人々に感謝の思いを抱きながら、やさしく、愛おしさが胸に広がったことであろう。&lt;br /&gt;　また、人にやさしく、愛するようになればなるほど、自分自身が豊かになり、目に見えぬ存在にますます感謝と敬意の思いを抱いていく西郷さんの生き方を勝手に思い描く。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　西郷さんの銅像からすぐ近くにある上野公園内の「東叡山寛永寺」で千手観世音菩薩を拝む。&lt;br /&gt;　千手観音の真言は&lt;br /&gt;　「おん　ばさら　だるま　きりく」&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SEoA66Bl4zI/AAAAAAAAASg/aPVQA8IEPe4/s1600-h/ä¸éå¼è²¡å¤©.JPG"&gt;&lt;img id="BLOGGER_PHOTO_ID_5208976931015746354" style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 10px 10px 0px; CURSOR: hand" alt="" src="http://1.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SEoA66Bl4zI/AAAAAAAAASg/aPVQA8IEPe4/s200/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E5%BC%81%E8%B2%A1%E5%A4%A9.JPG" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　階段を下りて不忍池に向かい、「寛永寺不忍池弁天堂」で弁天様を詣る。&lt;br /&gt;　弁財天の真言は&lt;br /&gt;　「おん　そらそばてい　えい　そわか」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　関わる人の健康や病気回復等の思いを抱きながらの参拝であることは神はすでにお見通し。&lt;br /&gt;　僕はいつも通り、真言３回、住所、名前ののち、&lt;br /&gt;　先日、赤荻先生もブログで書かれていたが、言葉にするのは、ただただ「感謝の言葉」のみである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-2398120011819177791?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/2398120011819177791/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=2398120011819177791' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/2398120011819177791'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/2398120011819177791'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/06/blog-post_07.html' title='「国宝・薬師寺展」がものすごい人気'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SEn15s_yUbI/AAAAAAAAAR4/Hbx_8j4jIbE/s72-c/%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-2179488086913819998</id><published>2008-06-06T22:12:00.007+09:00</published><updated>2008-06-07T11:15:44.725+09:00</updated><title type='text'>「風邪を治す古神道の秘術」は効き目絶大</title><content type='html'>　長男が今朝から体調不良で、38度１分の熱を出して学校を午前中早々に早退（はやび）けしてきた。&lt;br /&gt;　どうやら風邪のようなので、「古神道の風邪を治す秘術」を行ってみることにした。&lt;br /&gt;　先の冬は誰一人としてインフルエンザどころか風邪ひとつひかなかったので、幸いなことに試すこともなかったので、これが初めて試す機会となった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「古神道の風邪を治す秘術」とは、&lt;br /&gt;　少々の焼き味噌を作る。同時に煎じたてのお茶をつくり用意する。&lt;br /&gt;　茶碗に入れたお茶と焼き味噌を持って戸口に行く。&lt;br /&gt;　戸の敷居に焼き味噌を置いて、&lt;br /&gt;「煮端（にばな）の茶をあげるから出ておいで」&lt;br /&gt;と小声で唱えながら、茶碗の茶をかけて焼き味噌を敷居の外に流す。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　流しだしたら戸を閉め、振り返ることなく居間に戻る。焼き味噌とお茶の香りに誘われて、風邪はいずこへと去っていく。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　また、これとは別に、&lt;br /&gt;　湯呑みにわずかな醤油を入れて、そこに熱い番茶を注いで、それを呑んで、床に入るという方法も効果的であるそうだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この２つの方法をお昼前にやってみた。&lt;br /&gt;　番茶を飲む頃には、長男は「身体が熱くなってきた」と言い、それからひと眠りして１時間ほど寝たあと、体温を測るとなんと36度１分に熱が下がっていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　その後も熱は上がら今に至っている。&lt;br /&gt;　今夜までは油断はできないが、「さすが古神道の威力」であると感心した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　誰もが効くのかは定かではないが、体験者としてひとつのよき情報となればと思いお伝えしておきたいと思った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-2179488086913819998?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/2179488086913819998/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=2179488086913819998' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/2179488086913819998'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/2179488086913819998'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/06/blog-post_06.html' title='「風邪を治す古神道の秘術」は効き目絶大'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-7319137846006172663</id><published>2008-06-05T06:18:00.009+09:00</published><updated>2008-06-06T22:14:55.545+09:00</updated><title type='text'>松下幸之助のポジティブな言葉</title><content type='html'>　松下電器の創業者である松下幸之助のことを僕はよく知らないが、昨年、松下氏の年少の頃のおもしろい話を聞く機会があり、それから興味をひかれるようになった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　松下少年の実家は事業に失敗して没落。このため、小学校を４年で中退して９歳で大阪に丁稚奉公（でっちぼうこう）に出される。&lt;br /&gt;　その頃の話だと思うが、お使いを頼まれた松下少年は川辺で船を待っている。&lt;br /&gt;　しかし、泳ぐことがまったくできない松下少年は少々緊張気味。&lt;br /&gt;　船が到着し、人々が次々と乗り込む中、列の最後尾あたりにいた松下少年も船に乗る。&lt;br /&gt;　すると、向こうから船めがけて走ってくる男がいる。&lt;br /&gt;　船頭がもう出発の時間だから間に合わないよ、と大声で伝えるが、男はかまわず船に飛び乗ろうとする。すでに動き出した船に脚をかけようとしたものだから男は体勢を崩してしまう。何でもいいからつかもうと手を伸ばした先には松下少年の肩があった。&lt;br /&gt;　松下少年は男と一緒に、川の中にまっさかさまに落ちていく。&lt;br /&gt;　男はすぐに泳いで船縁（へなべり）につかまってきたが、松下少年は「僕、泳げないんです、助けて～、助けて～」とおぼれながら大声で叫んでいる。&lt;br /&gt;　船客のひとりの男が川に飛び込んで松下少年を救出し、なんとか無事船に引きあげてくれた。&lt;br /&gt;　半死半生で横になっている松下少年を見ながら、船客は「この少年はなんてツイてないんだ。偶然手を伸ばしたところにいるんだもんな。この子のこれからの人生も心配だよな。まったく、かわいそうに」と気の毒そうに話している。&lt;br /&gt;　横になっていた松下少年も少しすると落ち着きを取り戻して起きあがり、助けてくれた人に何度も何度もお礼を言ったあと、こう言ったという。&lt;br /&gt;　「かなづちで、おぼれて死にそうな僕のそばにあんなに泳ぎのうまい人がいて、命を助けてもらえた。&lt;br /&gt;　僕はなんてツイている人間なんだろう！」と。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これ以外にも有名な話だが、&lt;br /&gt;　小学校もろくに出ていない松下幸之助は「商売の神様」と言われるようになってからも常々口にしていた言葉があった。&lt;br /&gt;　「僕は学校を出ていない。でも、その御陰でわからないことがあると恥ずかしがらずに誰にでもすぐに聞くことができる。なんツイているんだろう」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ビジネスの大成功者である松下幸之助はケタはずれのポジティブな思考と言葉を持つ人物でもあったのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　今回、読んだ大久光著「松下幸之助の私は『この生き方』を大事にしてきた！」にはこうしたエピソードはまったく記されておらず、その点では期待はずれだったが、いくつかの金言に出会うことはできた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「『運を天に任せる』、あるいは『人事を尽くして天命を待つ』という。&lt;br /&gt;　自分の判断や自分の意志によって努力することは、必要があることもまた事実だ。&lt;br /&gt;　何もかも人事において解決できると思うのは、不遜なことでもあるし、神ならぬ人間にはそれだけの力はとてもない。そう思っているぎりぎりまで努力し、あとは天命にゆだねるという潔さが必要である。&lt;br /&gt;　そこには安心立命もあるし、それがあることによって、また持っている力がいっそう心おきなく引き出され、大きく発揮できるのである」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「もしあのときこうだったら、というような仮定に立って、過ぎたことを振り返ってみるようなことがよくある。&lt;br /&gt;　そうすれば、今ごろはもっと違った状態になっていたかもしれないなどと、いつもまでもクヨクヨ考える。　しかし、人生に“もし”はない。&lt;br /&gt;　ということは、あとになって悩んだりすることがないように、常に最善を尽くす生き方をすることが大切になる。&lt;br /&gt;　そうした生き方において、事が成就しないのであれば、それもまた仕方がないだろう。そのように受け止めることが、また大切だ。そうした中から、清々（すがすが）しさのようなものが生まれるのだ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-7319137846006172663?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/7319137846006172663/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=7319137846006172663' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/7319137846006172663'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/7319137846006172663'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/06/blog-post_05.html' title='松下幸之助のポジティブな言葉'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-353274845894422778</id><published>2008-06-04T09:12:00.005+09:00</published><updated>2008-06-05T06:22:33.250+09:00</updated><title type='text'>テレビは「怪物」</title><content type='html'>　以前読んだ本の中で斎藤一人さんが、テレビは「怪物」と述べていた。&lt;br /&gt;　この「怪物」に気をつけないと冷静な判断ができなくなると警鐘を鳴らしていた。&lt;br /&gt;　それはなぜなのか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「テレビの影響力ぐらい知っている」「自分はテレビの言いなりになんかなっていない」「何が正しいか正しくないか、ちゃんと自分で考えている」とみんなが思っている。&lt;br /&gt;　でもそこが危ないのだ。&lt;br /&gt;　なぜならテレビは見ている人をだまそうなんてしていない。テレビはただ、視聴者が見たいものを映しているだけだからである。&lt;br /&gt;　テレビが映すものはほとんどが事実である。ただし、事実のほんの一部で、しかも視聴者が見たいと思うことだけを映している。&lt;br /&gt;　だから、テレビの中に自分の見たいものを見つけた人は「やっぱりそうか」「私の思っていた通り」だと信じる。&lt;br /&gt;　そしてテレビは本当のことを映すものだと信じるようになる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　人は元々、不安なものを見たい、知りたいという心理を持っている。&lt;br /&gt;　イヤなことが起こるなら、早めにそれを知っておきたいと思う心が人間にはあるからだ。&lt;br /&gt;　だからテレビでは不安なことばかり放送する。そうやっておけば視聴者が見るからだ。&lt;br /&gt;　実際には景気は悪くなるはずがないときでも、テレビで不況だ、不況だと言っていると、本当に不況になってしまう。みんながそれを信じてしまうので、本当にモノが売れなくなってしまうからだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　また、本当の不況のときにはみんが解決法を求めるようになる。&lt;br /&gt;　すると、テレビはみんなが喜びそうな解決法ばかりを放送しはじめる。&lt;br /&gt;　それがあまり根拠のない方法でも、視聴者がいかにも信じそうなもの、喜びそうなものならば、テレビは放送してしまうところがある。&lt;br /&gt;　そこで、そんな方法を言いたがるような学者や評論家ばかりがテレビに連日のように登場することになるのだ。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　テレビは見ている人が不安に引きずられたり、自分の希望を満たすようなお手軽な解決法を求めたりしているうちは、テレビはそんなものをただ映しつづけるだけである。&lt;br /&gt;　テレビは人々の心を映している。そして多くの人々の心がテレビによって動いてしまう。人々の心に不安があれば不安な時代に向かい、人々の安易な判断が間違っていれば間違った方法へと時代が進む。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　テレビ自体が景気を左右する、社会を左右する“怪物”のような存在にまでなってしまっている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　だから、社会、時代を的確に読むには、テレビによって動いてしまう人々の心を見極め、しかも、自分はテレビという怪物に惑わされない目を持つことが必要と斎藤さんはアドバイスを送っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-353274845894422778?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/353274845894422778/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=353274845894422778' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/353274845894422778'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/353274845894422778'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/06/blog-post_04.html' title='テレビは「怪物」'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-7930529709333519504</id><published>2008-06-03T13:45:00.006+09:00</published><updated>2008-06-04T09:13:44.354+09:00</updated><title type='text'>太陽の光は低級霊を祓（はら）う</title><content type='html'>　５月のゴールデンウィーク前後から始まった早起きが今もなお続いている。&lt;br /&gt;　変化の節目は、竹酢液だったので、その効果かもしれないし、引き出すきっかけとなったのかもしれないので、何が原因なのかは定かではない。&lt;br /&gt;　朝４時半～５時半には目覚まし時計をセットしていなくても自然に目覚め、すがすがしい気分ですくっと起き上がれる。&lt;br /&gt;　これで日中、眠くてしかたないということであれば早起きの意味は薄れるが、以前より思考がクリアになった気さえするほど調子がいい。&lt;br /&gt;　ただし、移動中の電車の中や帰宅後の就寝はまさに気絶したかのような深い眠りが「おいで、おいで」と強烈な手招きをする。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ということで、どうやら長年お付き合いしてきた「朝寝坊体質」から完全に“脱却”したらしい。&lt;br /&gt;　家人からは「何かついているのではないか」冷やかされるが、違う人生に切り替わったような不思議な感じが自分でもしている。&lt;br /&gt;　それでも、「ツイてる」可能性も確かに否めないので、朝から「ツイている！ツイてる！」とつぶやくことが多くなる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　早起きになったことで朝ひと仕事できるようになったり、腹がすいて朝ご飯がおいしくなったりといった変化があるが、なんといっても最大の喜びは&lt;br /&gt;　「日の出を見ることができる」ようになったことである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今の時期は５時が過ぎた頃に朝日が顔を出す。&lt;br /&gt;　僕はそれに合わせて、ここのところ日課となってきた（以前ここでもご紹介している）「息長（おきなが）の呼吸法」をする（曇りや雨の日は太陽が昇っている方向に向かって行う）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　理想的な呼吸は、身体の浄化を促すといわれる。&lt;br /&gt;　少しきたない話になるが、呼吸によってげっぷやおならが出るようになると理想的な呼吸に近づいた証拠である。呼吸が誘導する形で、身体からアクや毒が体外へと排出されて、根本の健康が現われてくるそうだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「ツイている話」「日の出」のことなどを言葉にしていたら、昨日、これに関する“シンクロ”情報が舞い込んできた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この世をただよう低級霊が憑依（ひょうい）することはよくあることで、そうなると突然体調を崩したり、精神的にバランスを損なったり、それこそ「ツカれる」ことが連続して起こったりするようになる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この憑依を祓（はら）うもっとも簡単な方法が「太陽を見る」ことなのだそうだ。&lt;br /&gt;　太陽の光が目を通じて脳内に入ると、いたずらをする低級霊はすぐに離れていくのだという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　太陽の光の中でも「日の出の光」が憑依を取るのにはもっとも効果的ということらしい。&lt;br /&gt;　朝日を拝むことがこんな効果までもたらすなんて聞いていて嬉しくなった。&lt;br /&gt;　以前、太陽は昇る時と沈む時がもっともエネルギーを発するということを聞いたことがあるのでこれにも合致する情報である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　朝日とともに一日が始まる生活をこれからも続けていきたいと願っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-7930529709333519504?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/7930529709333519504/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=7930529709333519504' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/7930529709333519504'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/7930529709333519504'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/06/blog-post_03.html' title='太陽の光は低級霊を祓（はら）う'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-2223620392952236413</id><published>2008-06-02T06:43:00.007+09:00</published><updated>2008-06-03T15:22:00.275+09:00</updated><title type='text'>新たな古神道「十字の秘術」を２つ</title><content type='html'>　新たな古神道の「十字の秘術」を教わったので、早速つけ加えておきます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　方法は前回説明した通り。&lt;br /&gt;　左の掌（てのひら）に“文字”を空書して心の中で「日」「月」の２文字を念じる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「勝負事に勝つ」&lt;br /&gt;　左の掌に「勝」という字を空書し、心の中で「日」「月」を念じる。&lt;br /&gt;　仕事の交渉事などには、前回お伝えした「天」とこの「勝」で決まりでしょう！&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「病気を移されない」&lt;br /&gt;　左の掌に「●」という字を空書し、心の中で「日」「月」を念じる。&lt;br /&gt;　●＝クチヘン（左に口）に、ヨンガシラ（目を横にしたような文字）、その下に「走」の土を除いた下の字をヨンガシラにくっ付ける・・・・現代にない漢字なので説明難しい！&lt;br /&gt;　この秘術は、お見舞いに行く時や、子供など身内の看病をする際、インフルエンザなどの感冒が流行っている際に効果を発揮する秘伝である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" 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href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/2223620392952236413'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/06/blog-post_02.html' title='新たな古神道「十字の秘術」を２つ'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>2</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-2519227529058424197</id><published>2008-06-01T06:51:00.009+09:00</published><updated>2008-06-03T15:21:36.114+09:00</updated><title type='text'>「私はまだ、死ぬという大切な仕事がある」</title><content type='html'>　人の記憶はあてにならないことがある。&lt;br /&gt;　前にここでご紹介した「感謝婦人」のことが収録された三浦綾子さんの「忘れえぬ言葉」を読み返してみると、&lt;br /&gt;　三浦さんはクリスチャンだったが、「感謝婦人」はそうではなく、熱心な「天理教徒」だったことがわかった。&lt;br /&gt;　お詫びして訂正いたします。すみません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　久しぶりに読んだ「忘れえぬ言葉」に収められたエッセイはいずれも心にしみるものばかりである。&lt;br /&gt;　新装丁された文庫本が出ていると知って雨の日の休日に、地元の本屋を２件、隣の駅の本屋を２件、電車に乗りひと駅先の本屋を２件、計６件の本屋を巡ったが見つけられず、結局ネットで注文して数日後に手にすることができたことを割り引いても十分に満足のできる一冊であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　本屋巡りをしながら得たものもある。&lt;br /&gt;　「たとえ本ひとつであっても、いかなることをしようと、『出会えない時には出会えない』」ということである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ある人がこう言っていた。&lt;br /&gt;　「人生でつらいことがふたつある。ひとつは、『会いたい人に会えないことである』。&lt;br /&gt;　そしてもうひとつは『会いたくない人に会わなければならないことである』」と。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　いずれも、その通りであると思う。&lt;br /&gt;　でも、それが自分の心のあり様がもたらす結果であるとわかると気持ちはかなり楽になる。&lt;br /&gt;　目の前のことを「楽しもう」と自分で思ってみるとずいぶん景色が変わってくる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　長年にわたり本屋を巡り、それが趣味のようになった人間だと、そこそこ大きな本屋を丹念に探し、求める本と巡り会えないケースが３件続くと、そのあたりにはその日の結果はおおよそわかってくる。&lt;br /&gt;　そこで落胆して「ツイてないな」と思うか、しゃかりきになるか、楽しもうと思考するかを境目として、その日の心持ちも大きく異なってくる。&lt;br /&gt;　また、「楽しんで」いると、そんな時にこそ、別のすばらしい“相手（本）”がちゃんと待っていてくれたりするから、おもしろいものだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今回は、ようやく巡り会うことができた「忘れえぬ言葉」の中から僕が特に忘れえぬ言葉となった作品をいくつかをご紹介したいと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　５０余年という三浦綾子さんの闘病人生の多くを支えてきたのがご主人の光世さんである。&lt;br /&gt;　本人も決して健康とはいえない身体なのに、三浦さんのガンの自然治療のためにと１日２回、汗をかきながらマッサージをしてくれる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それが心苦しい三浦さんは&lt;br /&gt;　「ほんとうにすまないわねえ」&lt;br /&gt;　と、時々言う。&lt;br /&gt;　すると、そのたびに、彼はニコッと笑って、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「イット・イズ・マイ・プレジャー（私の喜びだ）」と答えてくれる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この言葉を聞き、マッサージをされながら三浦さんは涙をこぼしそうになる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　叔母（おば）はご主人に言い出しかねて嘘をついてオペラを観に出かけた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　その日珍しく早く帰っていたご主人は&lt;br /&gt;　「ああいいよ。おれが留守番するから、ゆっくり行っておいで」と快く送り出してくれた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　劇場に着き、オペラの券をハンドバックから出そうとすると手の切れそうな10円札が券のそばに入っていた。&lt;br /&gt;　友達と出かけるとなればお金も必要になるだろうと思い、何もかも知っていて、そっと小遣いをしのばせておいてくれたのだ。&lt;br /&gt;　叔母は叔父の寛大な愛に打たれて家に帰った。が叔父は&lt;br /&gt;　「おもしろかったか」&lt;br /&gt;　と尋ねただけだったという。&lt;br /&gt;　叔母は嘘をついたことを詫び、小遣いの礼を言ったが、叔父はただ笑っていたという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「綾ちゃん、何も言わないことも、言葉の一つなのねえ」&lt;br /&gt;　としあわせそうに述懐した言葉が、今も耳に残っていると三浦さんは綴（つづ）る。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　三浦さんのお母さんは８４歳で亡くなるまで笑顔の絶えない人だった。&lt;br /&gt;　息子が７人いて、その妻達も同じ数だけいた。嫁姑との間にはいろんなことがあるものだが、実の娘である三浦さんと二人っきりの時でさえ、お母さんは愚痴や悪口を一度とさえ言わなかったそうだ。&lt;br /&gt;　そんなお母さんがある日、三浦さんにこう言った。&lt;br /&gt;　「母さんはね、街で結婚式帰りの、あの白いビニールの風呂敷に引出物を包んだ人たちを見ると、どこの誰の結婚式かは知らないが、『どうか一生幸せであるように』、とお祈りしないではいられないんだよ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　三浦さんは、見も知らぬ二人の結婚を、一生幸せであってほしいと願う母親が、１６歳で結婚してから大変な苦労をしてきたことを知っていた。&lt;br /&gt;　そんな母であったから、母はきっと、結婚というものの重さを、誰よりも身にしみて感じ取っていたにちがいない。どんな人であろうと、自分が遭ったような苦しみや悲しみに遭わせたくない。母はそう思って生きてきたのだろう。だから、どこの誰とも知らない人の結婚にも、&lt;br /&gt;　「どうか一生幸せであるように」&lt;br /&gt;　と祈る心となったのかもしれない。&lt;br /&gt;　そう作品を結んでいる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　三浦綾子さんは１９９９年１０月、５０余年の闘病生活の末に他界する。&lt;br /&gt;　死の床で遺した言葉はこうだった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「私はまだ、死ぬという大切な仕事がある」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これもまた「忘れえぬ言葉」である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" 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href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/2519227529058424197'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/06/blog-post.html' title='「私はまだ、死ぬという大切な仕事がある」'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-8830754710346071609</id><published>2008-05-30T07:10:00.003+09:00</published><updated>2008-06-01T06:53:01.421+09:00</updated><title type='text'>誰にでもできる穢れを祓う「清めの方法」</title><content type='html'>　人から古い用具類をもらったり、アンティークショップで古物や古着などを買った際に、前の所有者の気や思念が気になったりする場合に自分ですぐにできる「清めの方法」がある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　テレビを見ていると、霊能者や徐霊者が、ついた邪霊を祓（はら）う際の応急措置として息をフッ、フッ、フッと３度吹きかけているのを見たことがある人もいると思うが、あの時に言っている言葉もこれ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　簡単なので覚えておくと便利。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「神火清明、神水清明、神風清明」（しんかせいめい、しんすいせいめい、しんぷうせいめい）&lt;br /&gt;　と呪文を唱え、清めたいものに対して、フッ、フッ、フッと３回勢いよく息を吹きかければよい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-8830754710346071609?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/8830754710346071609/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=8830754710346071609' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/8830754710346071609'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/8830754710346071609'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/05/blog-post_30.html' title='誰にでもできる穢れを祓う「清めの方法」'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-2465284204605928176</id><published>2008-05-29T08:38:00.007+09:00</published><updated>2008-05-30T07:13:04.686+09:00</updated><title type='text'>今日の「すばらしき言葉」</title><content type='html'>　夫婦でも恋人同士でも親友でも、人間関係の難しさ（厳密には難しく感じてしまうこと）に直面することが折々である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　次の言葉は、「実践引き寄せの法則（エスター・ヒックス＋ジェリー・ヒックス著）の中で見えざる全知のマスター・エイブラハムが「離婚することになり、途方に暮れている女性」からの相談に対して、パートナーとの人間関係の本来のあり方として「こう思考できるようにできませんか」とアドバイスした言葉である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　＜本文抜粋＞&lt;br /&gt;　「わたしはあなたと一緒にいるのが好きだし、今あなたのそばにいて、自分がとても素晴らしい存在だと感じている。&lt;br /&gt;　ところで言っておくけれど、わたしはいつだって自分の感じ方には自分で全責任をとれる。&lt;br /&gt;　わたしはなんについてでも自分の考え方の方向を決めて、『本当の自分』と調和し、明るく前向きな気持ちでいる力がある。&lt;br /&gt;　だから、あなたは自分が好きなように自由に生きればいいし、わたしはそれでかまわない。&lt;br /&gt;　わたしはあなたと一緒に生きて、愛し合うことが好きだ。でも、わたしの幸福はわたしの責任だ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「人を幸せにできなかったとして」、または「人に幸せにしてもらおうとして」苦しむ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　でも、幸せは人からあてがわれるものでもないし、人に求めるものでもない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　人は自らの思考と言葉で幸せになる存在なのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そして幸せになるための条件はそのすべてが与えられている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　自分のために、そしてパートナーのためにも時折、思い出したい言葉である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-2465284204605928176?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/2465284204605928176/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=2465284204605928176' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/2465284204605928176'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/2465284204605928176'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/05/blog-post_29.html' title='今日の「すばらしき言葉」'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-3825535044191642782</id><published>2008-05-28T15:17:00.005+09:00</published><updated>2008-05-29T08:39:53.544+09:00</updated><title type='text'>中村天風「積極的な思考、言葉で幸福が叶う」</title><content type='html'>&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SDz6JC2e-PI/AAAAAAAAARg/RVlswxLbBk8/s1600-h/%E5%A4%A9%E9%A2%A8%E5%85%88%E7%94%9F%E5%BA%A7%E8%AB%87.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://1.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SDz6JC2e-PI/AAAAAAAAARg/RVlswxLbBk8/s200/%E5%A4%A9%E9%A2%A8%E5%85%88%E7%94%9F%E5%BA%A7%E8%AB%87.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5205310302624610546" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　「天風先生座談」宇野千代著。&lt;br /&gt;　先日、友人に薦めてもらった１冊。全文１人称で書かれた講演録である。&lt;br /&gt;　中村天風は、安岡正篤と並び称される人生哲学の“巨人”だ。&lt;br /&gt;　名前は良く聞き知っていたが、本としてまとめられたものを読むのは今回が初めてである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　経歴は、1876年東京生まれ。日露戦争で軍事偵察員として活躍。その後、当時、死病であった肺結核を患い欧米を遍歴するも治療のための答えは得られず、失意の帰国途中に立ち寄ったインドでヨガ聖者と出会う。弟子として２年半の修行で病を克服し、帰国後「心身統一法」を説き、多くの著名人から支持され“天風哲学”として広く世間に認められる。96年没。享年92歳。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「天風先生座談」読後の感想は、20世紀前半という時代に、しかも日本に「この世の仕組み」について察知し、わかりやすく語ってくれるる人物が存在したということが無性にうれしくなった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　僕自身はこのタイミングでこの著書を読めたことに深く感謝した。なぜなら数年前なら間違いなく理解は上辺だけにとどまったと確信するから。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　本書の中で＜人はなぜこの世に生まれてきたのか＞について、天風はこう言う。&lt;br /&gt;　「人間はこの世の中に、うまいものを食いに来たんでもなけりゃ、好い着物を着に来たんでもなけりゃ、恋をしに来たんでもねェんだ。それは生きる場合の、ローヤルロードの道筋にある出来事で、この世に万物の霊長として生れ来しゆえんのものは、エレベーション（高める）という、造物主の目的に順応するためだ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　また、＜人が心身ともに健康に生きていくために気をつけること＞として、&lt;br /&gt;　「消極的な感情、情念を持たないようにすること」と説く。&lt;br /&gt;　それは&lt;br /&gt;　①怒ること&lt;br /&gt;　②悲観すること&lt;br /&gt;　③やたらと理由なくして恐れること&lt;br /&gt;　④憎むこと&lt;br /&gt;　⑤恨むこと&lt;br /&gt;　⑥焼きもちを焼くこと&lt;br /&gt;　次に、「煩悶（はんもん）」「苦悩」「憂愁」&lt;br /&gt;　これらのいずれかが心の中に起これば、たちまち血液とリンパの弱アルカリ性が破壊されはじめ、心身の調和が崩れていくのだそうだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そして、欧米の著名な医者にかかっても治らなかった、当時、死病といわれた肺結核がこの聖人のアドバイスのおかげで完治する。&lt;br /&gt;　聖人は天風に、「心が健康に、運命をよき状態に作り直していく方法であり、（病い、苦しみに）捲きこまれない方法として、このようなアドバイスを贈る。&lt;br /&gt;　「無理でもいいから、言って見ろ。俺がお前に、ハウ、ドュウユウ　ドューときいたら、どんなことがあっても、アイ、アム、クワイトウェル（私は絶好調です）と言え」と。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　また、「あとは言葉に気をつけてください。気をつけろ、というのは、絶対に消極的な意思表示をする言葉を口にしないように。参った、助けてくれ、どうにもならない、苦しい、痛い、という言葉を口に出さないようにすることだ」とも言っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そして、感謝に関することについても&lt;br /&gt;　「一番いいことは、もしも自分の望むものが自分のものにならなかったら、現在持っているものを価値高く感謝して、それを自分のものにしてゆきなさい。&lt;br /&gt;　こういう心がけで自分の人生に生きてゆくと、心の中の煩（わずら）いというものがなくなっちまいます。　何事に対しても、現在感謝。ああ、有難い。何に対しても現在感謝」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　宇野千代は「あとがき」で、天風から言われた次の言葉を紹介している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「人間は何事も自分の考えた通りになる。自分の自分に与えた暗示の通りになる。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　折々で読み返したい珠玉の１冊である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-3825535044191642782?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/3825535044191642782/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=3825535044191642782' title='1 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/3825535044191642782'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/3825535044191642782'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/05/blog-post_28.html' title='中村天風「積極的な思考、言葉で幸福が叶う」'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://1.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SDz6JC2e-PI/AAAAAAAAARg/RVlswxLbBk8/s72-c/%E5%A4%A9%E9%A2%A8%E5%85%88%E7%94%9F%E5%BA%A7%E8%AB%87.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>1</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-3939968433781027725</id><published>2008-05-27T08:55:00.008+09:00</published><updated>2008-05-28T15:19:54.208+09:00</updated><title type='text'>古神道秘術「お金がどんどん入ってくる財布と巡り会う法」</title><content type='html'>　古神道の秘術の中にも「お金がどんどん入ってくる財布」と巡り会う方法があると教わったので、これは「おもしろい！」と思わずにんまり。&lt;br /&gt;　いつものように難しい方法ではないので、ご紹介しておく。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　方法は至って簡単。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「甲子（きのえね）の日に財布を買うこと（もしくはつくること）」。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　甲子とは干支（かんし）６０通りの中で一番始めに当たる「物事の原点の日」。&lt;br /&gt;　この日を持って新しい財布を手にすると、それまでの苦しい状況ややりくりに困った内実を消し去り、豊かなお金の巡りへと新たな導きがあるのだそうだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ちなみに、近く訪れる「甲子の日」を調べてみると、&lt;br /&gt;　７月２３日&lt;br /&gt;　９月２１日&lt;br /&gt;　である。&lt;br /&gt;　僕は情報を含めて、自分ができる範囲のことなら素直に応じていきたいと思っているので、「善は急げ」で７月２３日で手帳に印をつけておいた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　財布の値段は高い安いはまったく関係ない。&lt;br /&gt;　その他に財布の選び方としては、入れたお金を曲げる財布はNGなので「平財布」がお薦め。小銭は小銭入れとして別にした方が良い選択とのアドバイスを以前受けたことがあるので参考までに。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' 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title='古神道秘術「お金がどんどん入ってくる財布と巡り会う法」'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>1</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-5655345238411463624</id><published>2008-05-27T05:37:00.003+09:00</published><updated>2008-05-27T09:21:45.076+09:00</updated><title type='text'>再び地震予知情報</title><content type='html'>　再び福岡の先生からの地震予知情報を得る。&lt;br /&gt;　今年９月11日～13日の間に静岡県。もしくは前回もそうであったように中国で起こると日本ではない。&lt;br /&gt;　そして、これは前にも言われ大変気になっている大阪での地震予知。日付は来年の１月17日。&lt;br /&gt;　ないならないにこしたことはない。しかし自然が起こすものを止める手だてはほぼない。地震による被害を最小限に食い止める知恵が必要だ。&lt;br /&gt;　阪神大震災でも学んだが、それは被災後の迅速な対応と日頃の備え、そして人々の心の平穏である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-5655345238411463624?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/5655345238411463624/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=5655345238411463624' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/5655345238411463624'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/5655345238411463624'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/05/blog-post_27.html' title='再び地震予知情報'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-4625070212884758859</id><published>2008-05-25T13:51:00.012+09:00</published><updated>2008-05-29T11:52:53.275+09:00</updated><title type='text'>三浦綾子「忘れえぬ言葉」 "感謝婦人”の心にしみるひと言</title><content type='html'>&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SDjyGy2e-OI/AAAAAAAAARY/rIKSW6oriaM/s1600-h/å¿ããã¬è¨è.jpg"&gt;&lt;img id="BLOGGER_PHOTO_ID_5204175567970040034" style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 10px 10px 0px; CURSOR: hand" alt="" src="http://4.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SDjyGy2e-OI/AAAAAAAAARY/rIKSW6oriaM/s200/%E5%BF%98%E3%82%8C%E3%81%88%E3%81%AC%E8%A8%80%E8%91%89.jpg" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　三浦綾子さんのエッセイ「忘れえぬ言葉」の中で“感謝婦人”と呼ばれている女性が紹介されている。&lt;br /&gt;　激痛を伴う脊髄（せきずい）カリエスという病と長年にわたって向き合ってきた三浦さんがこの”感謝婦人”の言葉を聞いたことで自らの病と改めて向き合うことになり、勇気づけられていく様が描かれた一遍である。&lt;br /&gt;　“感謝婦人”という愛称を贈られた女性だけあって、その「感謝の言葉」がいかなるものなのか僕にはまったく予想がつかなかった。&lt;br /&gt;　そして、その言葉を知った時は「ほんとにその通りだよなぁ」と心から感服させられた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;＜本文から抜粋＞&lt;br /&gt;　来る日も来る日も臥（ね）ているだけの私に、母はどれほど心を痛めていた事であろう。私は24歳で発病した。&lt;br /&gt;　・・・病いは重くなるばかりで脊椎カリエスも併発した。友人達が次々と結婚し、子供を2人3人ともうけても、私だけはただベッドの上に臥ているだけであった。&lt;br /&gt;　そんなある日、母からある婦人の話を聞いた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　その婦人はいつも、いつも「感謝です」「感謝です」と二言目には感謝の語を発する人であった。自然その顔は、常に喜びにあふれていて誰からも敬愛されていた。&lt;br /&gt;　たまたま、その人の住む地方に長雨が続いた。&lt;br /&gt;　10日、20日と雨は続きいっこうに止む気配はない。&lt;br /&gt;　人々は「困った雨ですね」という言葉を挨拶代わりに交わしていた。&lt;br /&gt;　・・・そんな最中、一人の人がその「感謝婦人」のことを思った。&lt;br /&gt;　（いくらあの人でもこの長雨ばかりは感謝してはいないだろう）&lt;br /&gt;　そして、彼女に会うなりに言った。&lt;br /&gt;　「なんと長い雨ですこと、困ったものですわね」&lt;br /&gt;　すると&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「長い雨で感謝だと思っています。こんなに長く続く雨が、もし一度にどっと降ってごらんなさい。・・・洪水になって、家も人も、畑も押し流されるに決まっています。神さまはその大雨を長い日数に分けて、こうして毎日少しずつ降らせて下さっております。感謝な事ではございませんか。」と晴れ晴れとした顔で答えた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私は長雨に感謝した婦人の心に打たれて、自分の長い病気の事を思った。&lt;br /&gt;　私の病気も長いものであった。・・・&lt;br /&gt;　身動きも出来ないベッドの中に寝返りも出来ず、毎日天井を見るだけの日々であった。・・・一生続く状態かも知れなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そんな中で聞いた「感謝婦人」の言葉は大きかった。&lt;br /&gt;　彼女の考えを持ってすれば、神は痛みや熱や、倦怠感が短時間にどっと襲うことを許されなかった。10年を超える長い年月に分けて、私はその苦しみを少しずつ味わうことになった。考えてみると、それは誠にありがたいことであった。&lt;br /&gt;　症状が一度に悪化すれば、耐え切れるものではない。&lt;br /&gt;　確かに私は長い病気ではあったが、父母がいた、兄弟がいた、親切な友人達がいた。目も見え、耳も聞こえ、口も利け、手足も動く。&lt;br /&gt;　感謝すべきことはたくさんあった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私は人間感謝しようと思えば、それは実に多い事に気がついたのである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　三浦綾子さんは敬虔なキリスト教徒としても有名である。この”感謝婦人”も天理教の熱心な信者だったそうだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　生きていく限りは数々の「幸せなこと」「不幸なこと」に遭遇（そうぐう）する。&lt;br /&gt;　でも、この世には「幸」「不幸」はない。&lt;br /&gt;　その人がどう「思考」するかが「幸」「不幸」を決める。&lt;br /&gt;　そのようなことを2600年前に釈迦は言った。&lt;br /&gt;　同じく天才であるイエス・キリストも昨日ここで紹介したような言葉を人々に投げかけたと言われている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　同じ現象であっても、「言葉」と「思考」が持つ“力”はその人の世界を大きく変える。&lt;br /&gt;　その“力”の一片をわかりやすく見せてくれるこのエッセイと出会えたことに僕は感謝の言葉を贈りたい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a class="listlink" href="http://kutsulog.net/cat0614-1.php" target="_new"&gt;http://kutsulog.net/cat0614-1.php&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-4625070212884758859?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/4625070212884758859/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=4625070212884758859' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/4625070212884758859'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/4625070212884758859'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/05/blog-post_25.html' title='三浦綾子「忘れえぬ言葉」 &quot;感謝婦人”の心にしみるひと言'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SDjyGy2e-OI/AAAAAAAAARY/rIKSW6oriaM/s72-c/%E5%BF%98%E3%82%8C%E3%81%88%E3%81%AC%E8%A8%80%E8%91%89.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-3575698965198436965</id><published>2008-05-24T06:57:00.007+09:00</published><updated>2008-05-25T13:53:20.116+09:00</updated><title type='text'>「自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう」</title><content type='html'>&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SDdAwy2e-NI/AAAAAAAAARQ/sgsHb44R0ks/s1600-h/%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%82%92%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%81%99%E3%82%8B%E2%91%A2.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SDdAwy2e-NI/AAAAAAAAARQ/sgsHb44R0ks/s200/%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%82%92%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%81%99%E3%82%8B%E2%91%A2.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5203699101478090962" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　「人間イエスを科学する（アウグスト・クリ著）」を読む。&lt;br /&gt;　タイトルにひかれたが内容は残念ながら期待はずれ。&lt;br /&gt;　でも、人生同様、本との出会いにも偶然はなく、どこかになんらかの意味がある。&lt;br /&gt;　まあそう言いつつも、肝心のところを見落としているのかもしれない。が、それはそれで受け入れていくしかない。&lt;br /&gt;　この本からは、これまで何度か目にしてきたキリストの言葉を改めて読み、考えさせられたことがよかった。感謝、感謝。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「明日のための心配は無用です。明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に、十分あります」（『マタイの福音書』6:34）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　同様の言葉を釈迦（しゃか）も言っている。&lt;br /&gt;　「明日やります」という人は明日になるとまた「明日やります」と言う。&lt;br /&gt;　そうした意味で、人の人生に「明日」はないといえるかもしれない。&lt;br /&gt;　「今日（今）」を十分に生きる。そうしながら日が沈んで、日が昇るとそこには「明日」ではなく「今日」がある。&lt;br /&gt;　それに、好き嫌いは別にして目の前にある課題が自分のとって大切なことらしいのでなおさら「今」なのだろうと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;「自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう」（『マタイの福音書』5：43,44,46）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　キリストの言葉でもっとも有名な言葉のひとつ。&lt;br /&gt;　僕は後半の言葉に生きる上での玄妙さを感じる。キリストの重要なアドバイスではないかと思う。&lt;br /&gt;　自分を愛してくれる人、褒めてくれる人、都合のいい人を好きになることは誰にでもできる。&lt;br /&gt;　その方がやっぱり楽しい。でも、キリストはそれには「何の報いもないよ」と教えてくれている。&lt;br /&gt;　イヤな人のために、顔も見たくないし、口も聞きたくない人を愛することにこそ「報い」があると言っているのだ。&lt;br /&gt;　それでもそんなイヤな人を“愛する”ことはなかなか難しいの。だから、まずは存在を認める。少し受け入れることにする。心から思ってなくてもそのイヤな人が幸せになりますようにと言葉だけ口にする。そうこうしているとキリストの言う「報い」ってこれなのかなということが起こっていることに気づく。イヤな人のために祈る自分の心が少し豊かになっているのだ。「イヤだと思う自分のことがイヤで、そうじゃなくなっているので、うれしい」って感じも僕は「豊かさ」のひとつだと思う。&lt;br /&gt;　「イヤな人」が現れたら、「『報い貯金』のチャンス！」と自分に言い聞かせるのもひとつの手からもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-3575698965198436965?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/3575698965198436965/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=3575698965198436965' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/3575698965198436965'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/3575698965198436965'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/05/blog-post_24.html' title='「自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう」'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' 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/&gt;　＜人前であがらない、動じないようになる＞&lt;br /&gt;　左の掌（てのひら）に「天」という字を指で書いて、心の中で「日」「月」の２字を念じる。&lt;br /&gt;　誰が、何が現れようと心が動じない。&lt;br /&gt;　（先日、永田町で森義朗元総理と仕事の関係者４人で会った際に試してみたが、効果を完璧。隣の社長さんはものすごく緊張したらしいので事前に教えてあげればよかったと少し反省）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　＜食当たり、食中毒にならないようにする＞&lt;br /&gt;　左の掌に「命」という字を空書きし、心の中で「日」「月」の２字を念じる。飲食やお酒を飲むときに毒を払う。&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-6346285249141712332?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/6346285249141712332/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=6346285249141712332' title='2 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/6346285249141712332'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/6346285249141712332'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/05/blog-post_23.html' title='「十字の秘術」、よく効きます'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>2</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-558439085132619716</id><published>2008-05-22T08:51:00.010+09:00</published><updated>2008-05-23T12:46:17.935+09:00</updated><title type='text'>「欲しいもの」がなくても人はとても幸せですが、「必要なもの」がないと人は幸せではありません</title><content type='html'>　&lt;br /&gt;　スマナサーラさんの「『「やさしい』って、どういうこと？」の中でもうひとつ心に残る話があった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それは、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「『欲しいもの』がなくても人はとても幸せですが、『必要なもの』がないと人は幸せではありません」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　という言葉である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　先日、新宿公園でホームレスの行列と出会ったことを書いたが、スマナサーラさんはその時に僕の胸の中で広がった感情を端的に表してくれたと思った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「健康は必要なのに、病気になったりする。食べ物は必要なのに、十分な食べ物がない人もいる。智慧は必要なのに、智慧がなくていろいろなトラブルを起こす人もいるのです。&lt;br /&gt;　このような世界には、必要なものがなくて苦しんでいる人が、たくさんいるのです。&lt;br /&gt;　そこで自分に必要なものが揃（そろ）っているならば、なんとかしてあげるのです。のどが渇いている人に飲み水を一杯あげる。身体が痛くて歩くのも大変な人には、肩を貸してあげる」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「必要」と「欲しい」をきちんと区別していくよう心がけていこうと改めて強く思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' 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title='「欲しいもの」がなくても人はとても幸せですが、「必要なもの」がないと人は幸せではありません'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6024862598347171638.post-2772475714857448825</id><published>2008-05-21T07:36:00.010+09:00</published><updated>2008-05-22T10:01:06.107+09:00</updated><title type='text'>「生かされている」は殺人者への感謝の言葉</title><content type='html'>&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SDRA77azwzI/AAAAAAAAARA/bMb0ksEhW-M/s1600-h/%E3%80%8C%E3%82%84%E3%81%95%E3%81%97%E3%81%84%E3%80%8D%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%80%81%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8%EF%BC%9F.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://1.bp.blogspot.com/_uGKeT1Ab5po/SDRA77azwzI/AAAAAAAAARA/bMb0ksEhW-M/s200/%E3%80%8C%E3%82%84%E3%81%95%E3%81%97%E3%81%84%E3%80%8D%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%80%81%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8%EF%BC%9F.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5202854867826361138" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　久しぶりに本の話。&lt;br /&gt;　本は相変わらず読んでいるけど、紹介するとなると、どこから手をつけていいのか悩む。&lt;br /&gt;　先日、読んでいて「あ、そうなんだ～」とびっくりさせられることがあったのが、この&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　アルボムッレ・スマナサーラ著「『やさしい』って、どういうこと？」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　スマナサーラさんはスリランカ仏教界の長老でお釈迦様のことをわかりやすく伝えている人。&lt;br /&gt;　僕は彼の著書をたくさん読んでいるわけではないが、以前「怒らないこと」を読んで感銘を受けた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この本も１００㌻ほどの薄いものだが随所に新たな発見があって楽しく読ませてもらった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　タイトルにある「やさしい」ことは、とても大切なもののように思えるが、実は、“自分”が何かをしてもらったり、“自分”の言うことを聞いてもらったりしてくれる相手が「やさしい人」であったり、逆に「自分がやさしくしているのにうまくいかない、わかってくれない」と悩む人もいる。&lt;br /&gt;　いずれも、自分の型にはまってくれる人が「やさしい」、そうじゃない人は「やさしくない」という評価・判断が一般的になり、「やさしさ」は“エゴ”そのものになっているのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　スマナサーラさんは、「やさしさ」は必要不可欠なものだけどとしたうえで、&lt;br /&gt;　他人に「やさしさ」を求めることが、「自分の要求を満たしてくれと、他人に頼むこと」である。つまり、やさしさは「他人を自分のために使用すること」なのである。だから、あってはならないと諭す。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そこで、スマナサーラさんは、お釈迦様もそうおっしゃっているが、「私」と「他」の対立から、苦しみが生まれている。では、「私」がなくなれば苦しみはなくなる。「私が、私が」というエゴを捨てて、より客観的に、より普遍的に物事を見て、自分は無数の生命でできた「生命のネットワーク」の中のひとつとして今があると考えてはどうだろうかと問いかける。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「無数の生命のなかで、この自分という一つの生命が、他人からやさしくされたいと思っている」&lt;br /&gt;　「自分という生命のなかで、この自分という一つの生命が、他人からやさしくされたいと思っている」&lt;br /&gt;　「この生命は、自分だけ独立して自由勝手に気ままに生きているのではない。他の生命の協力によって成り立っているのだ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　このあとに、記されていた次の一文を読んで、僕はかなりびっくりさせられ、考えさせられることになった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「ここで私は、『生かされている』という単語は使いたくないのです。それは間違いの世界です。&lt;br /&gt;　『生命は成り立っている』のです。無数の生命の協力によって、今ここにいる自分という生命が成り立っているのです。他の生命もまた、他の生命によって成り立っているのです」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さらに、スマナサーラさんは次の章「『生かされている』は殺人者の感謝の言葉」で続ける。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「どんな生命でも無数の生命の協力によって『成り立って』います。『生かされている』という言葉に私が反対なのは、この言葉を使うと相手側が『上』になるからです。『生かしておいてやろう』と言う誰かがいることになるからです。&lt;br /&gt;　しかし『生かしておいてやろう』と言うなら、『殺したいところだけど、生かしておいてやろう』ということです。これは因果法則を知らない人の傲慢な言葉です。&lt;br /&gt;　『私は神に生かされている』というなら、『神は私を殺したい』ということです。それで神に感謝するとは、どういう話でしょうか。&lt;br /&gt;　そもそも一切の生命は対等であって、『生かしておいてやろう』と言う権利は誰にもないのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　スマナサーラさんはこの本の最後に、「エゴの治療法」として、&lt;br /&gt;　まずは「私（自分）」の、次に「私の親しい人」の、そして「生きとし生けるもの」の、さらに「私の嫌いな人」の、最後に「私を嫌っている人」の幸せを願う言葉を記し、これを３回ずつ読んでほしいと述べて結んでいる。&lt;br /&gt;&lt;a href="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/"&gt;&lt;img height="15" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ" src="http://philosophy.blogmura.com/spiritual/img/spiritual80_15.gif" width="80" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6024862598347171638-2772475714857448825?l=kansya385.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kansya385.blogspot.com/feeds/2772475714857448825/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=6024862598347171638&amp;postID=2772475714857448825' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/2772475714857448825'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6024862598347171638/posts/default/2772475714857448825'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kansya385.blogspot.com/2008/05/blog-post_21.html' title='「生かされている」は殺人者への感謝の言葉'/><author><name>そわか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/15864634115820941270</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' 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