個性
「自分の作品に責任なんて持てません。だって私が作っているのではなく、神様に作らせていただいています」
この言葉は、寝食を忘れて作品に没頭したと言われる天才版画家、棟方志功さんの言葉です。
はたから見ると、熱情の画家ピカソと同様に芸術のエネルギーに満ち溢れ、才能の塊のように見える棟方志功さんですが、彼の心の中ではそのような偉大なる力とのつながりが働き、すべてを「お任せ」していたのだなとこの話をうかがった時、私は大いに感動いたしました。
現代は、「個性」を前面に出すことがとても重要なことであるかのように取り上げる風潮があります。
中でも、“個性の最前線”にいつでもいるよう求められているのが、いわゆる「アーティスト」と呼ばれる世界の人たちです。
この世界の人たちは、はたからそう評価されるだけではなく、自らも個性を売り物にしている人が数多くいます。
また、若い人たちも、個性的であることが存在理由であるかのように、「私は、私は」「僕は、僕は」をフルタイムでアピールする人生を送っています。
でも、そんな「個性」について、画家の東山魁夷(かいい)はこんな風に述べています。
「一見、逆説のように聞こえますが、むしろ自分を意識しないとき個性は現れるのではないでしょうか。
自己の主張を強く押し出すといいますが、果たしてそれが本当に自分を認識しているのか、疑問に思うこともあります。個性は自分が認識しているものではないところに現れているように思います。
個性と自己主張は同じものではありません。
私の絵には自己主張の迫力というものはあまり現れていません。でも、自分が受けた感動を素直に表していくと、そこに自分の本当のものが現れているのではないかという気がします」
個性は自己主張とはやはり異なるものなのですね。
すべての人が魂の中に自分の光を持っています。
「神様の器」に近づけば近づくほど、その魂の光が発し出します。
それが個性であるように私も思います。
「個性」は探し出すものではなく、すでに持っているものなのです。
「神様の器」に近づくための方法はいろいろなことがありますが、ひとつは「楽しむこと」にあるように思います。
自分の目の前のことを楽しむことです。
今を楽しめずに、明日に楽しみがあると思うから苦しみが生まれます。
今を楽しめずして、明日に楽しみはないということを多くの神人、聖人が昔から教えてくれています。
「論語」雍也(ようや)篇にも、こうあります。
「これを知る者はこれを好む者にしかず。これを好む者はこれを楽しむ者にしかず」
どんなことも、これを知っているというだけでは、それを好きだという人の力には及ばない。そして、それが好きだという人よりも、それを楽しんでいる人はもっと上である。
2009年8月27日木曜日
自在
「自在」であること。
いつも心がけていることですが、なかなか簡単にはできないことです。
「自在」は、私がいつも考えている「執着」とも深くかかわることでもあります。
「いつも神様の器でありたい」
そう願って日々過ごしていますが、気づくと、神様とは程遠い「私の器」になった自分がドシンと目の前に鎮座していることがしばしばです。
悪いことに「執着」しない方がいいのは、不幸や不運が改善するどころか、「深刻化」か「延長化」しかしないためです。
良きことへの「執着」もまた、そのことが、魂の大切なスペースを占領してしまいます。
このため、成長のための新たな良きことが入ることができなくなり、通過して他の人のところに行ってしまうことになります。
また、「良きこと」と思っていたことも、その瞬間は良きことと思えても、“今”を過ぎれば過ぎるほど熟れ始め、形が変わり、消えて行くことにもなってしまいます。
実は人は、この瞬間にも、死んでいるのです。
そして、次の瞬間には、生まれています。
死んでは生まれ、死んでは生まれの連続が人生なのです。
だから、いつでも生まれ変わることはできます。
やり直すに、何かを始めるに、「遅い」ということはないのです。
自分のやるべきこと、神様からのメッセージ、それらはすべて目の前の“今”にこそあるのです。
今ここに生きている真心込めて生きている人を神様は応援してくれます。
そのように生きていると、自分の「天命を全う」できます。
このことは、神様からのお勤め、お役目が終わらない限りは(天命を全うするまでは)、いかなることがあろうと、生命を奪われることはないという確たる自信を持った生き方ができることにつながるのです。
「自在」を思う時に、思い出すいくつかの話があります。
この中からふたつのお話を今日はご紹介したいと思います。
ひとつ目は、私の好きな良寛さんの逸話です。
庄屋の阿部定珍(さだよし)さんは、良寛さんへの主な施し主でした。
ですから、良寛さんは阿部さんの家に托鉢(たくはつ)にやって来ることがたびたびありました。遅くなると、阿部さんの家に泊めてもらうこともありました。
そんな関係ですから、食事時の、食膳の位置も決まっていました。
良寛さんは無頓着な性格です。食器などがいつもと違っていても、目の前にお膳が置かれていると、「いただきます」と言って、箸を取り、食べてしまいます。
時には、魚の汁物が出されていても、知らないかのごとく食べました。
それに気づいた家の者が、
「あれっ、良寛さま、それは鱈(たら)汁ですよ」
と教えると、そこで初めて、
「あっ、そうですか」
と言って、食べるのをやめたそうです。
今のお坊さんのことはよく知りませんが、昔のお坊さんは殺生を固く戒めていましたらから、食べ物も肉や魚をまったく口にしませんでした。良寛さんもそうした「決まりごと」の厳しい時代に生きているのですが、目の前に鱈汁が出されてくると感謝していただいてしまいます。
「それには魚が入っていますよ」と言われるので、「はい、そうですか」と素直に箸を置きます。
良寛さんは神様の器になりきれた人ですので、目の前のことはすべて神様からのお役のように、いただきもののように、素直に、歓びを持って、受け入れていきます。
「いけませんよ」と言われたのも、人の口を借りて神様から言われたかのごとく、素直に受け入れます。
とっても、「自在」ですね。
とっても良寛らしい逸話だと私は思います。
もうひとつは、道一和尚さんの話です。
ある日、彦根の清涼寺の道一和尚さんが足にお灸をしていました。
すると、そこに旧知の医者がやってきました。
「和尚さん、今日は不浄日です。不浄日にお灸をすえると悪いことが起こりますよ」
と注意しました。和尚はすぐに、
「ああ、そうですか。では、やめることにしよう」
と言って、灸箱を片付けてしまった。医者は二時間ほど歓談して帰っていきました。
医者が帰ると、和尚はまた灸箱を取り出してお灸をすえにかかりました。
それを見た小僧さんが、
「和尚さん、今日は不浄日ということでしたが、大丈夫なんですか」
と聞きました。すると、道一和尚さんはのんびりとお灸をすえながら笑って答えました。
「心配しなくてもいいんだよ。不浄日はいま、帰ってしまったよ。わしは禅僧じゃ。浄、不浄には惑わされないだけの修行はしてきたつもりじゃよ」
「なるほど、そういうことだったのですね」
道一和尚さんも、よく知る医者から言われたら、そうではない立場にあろうと、「そうか、そうか」と言って、お灸をやめてしまう。「不浄日」が帰り、不浄日が過ぎ去ってしまうと、再びお灸をのんびりと始める。
目の前の今にきちんと向き合い、応えながら、意地を張り固まることなく、自由に、素直に生きています。
ここにも素晴らしい「自在」があります。
先人たちの息吹にふれて、少しずつでも、今この人生で、「自在」を持った生き方ができるようになりたいものですね。
「自在」であること。
いつも心がけていることですが、なかなか簡単にはできないことです。
「自在」は、私がいつも考えている「執着」とも深くかかわることでもあります。
「いつも神様の器でありたい」
そう願って日々過ごしていますが、気づくと、神様とは程遠い「私の器」になった自分がドシンと目の前に鎮座していることがしばしばです。
悪いことに「執着」しない方がいいのは、不幸や不運が改善するどころか、「深刻化」か「延長化」しかしないためです。
良きことへの「執着」もまた、そのことが、魂の大切なスペースを占領してしまいます。
このため、成長のための新たな良きことが入ることができなくなり、通過して他の人のところに行ってしまうことになります。
また、「良きこと」と思っていたことも、その瞬間は良きことと思えても、“今”を過ぎれば過ぎるほど熟れ始め、形が変わり、消えて行くことにもなってしまいます。
実は人は、この瞬間にも、死んでいるのです。
そして、次の瞬間には、生まれています。
死んでは生まれ、死んでは生まれの連続が人生なのです。
だから、いつでも生まれ変わることはできます。
やり直すに、何かを始めるに、「遅い」ということはないのです。
自分のやるべきこと、神様からのメッセージ、それらはすべて目の前の“今”にこそあるのです。
今ここに生きている真心込めて生きている人を神様は応援してくれます。
そのように生きていると、自分の「天命を全う」できます。
このことは、神様からのお勤め、お役目が終わらない限りは(天命を全うするまでは)、いかなることがあろうと、生命を奪われることはないという確たる自信を持った生き方ができることにつながるのです。
「自在」を思う時に、思い出すいくつかの話があります。
この中からふたつのお話を今日はご紹介したいと思います。
ひとつ目は、私の好きな良寛さんの逸話です。
庄屋の阿部定珍(さだよし)さんは、良寛さんへの主な施し主でした。
ですから、良寛さんは阿部さんの家に托鉢(たくはつ)にやって来ることがたびたびありました。遅くなると、阿部さんの家に泊めてもらうこともありました。
そんな関係ですから、食事時の、食膳の位置も決まっていました。
良寛さんは無頓着な性格です。食器などがいつもと違っていても、目の前にお膳が置かれていると、「いただきます」と言って、箸を取り、食べてしまいます。
時には、魚の汁物が出されていても、知らないかのごとく食べました。
それに気づいた家の者が、
「あれっ、良寛さま、それは鱈(たら)汁ですよ」
と教えると、そこで初めて、
「あっ、そうですか」
と言って、食べるのをやめたそうです。
今のお坊さんのことはよく知りませんが、昔のお坊さんは殺生を固く戒めていましたらから、食べ物も肉や魚をまったく口にしませんでした。良寛さんもそうした「決まりごと」の厳しい時代に生きているのですが、目の前に鱈汁が出されてくると感謝していただいてしまいます。
「それには魚が入っていますよ」と言われるので、「はい、そうですか」と素直に箸を置きます。
良寛さんは神様の器になりきれた人ですので、目の前のことはすべて神様からのお役のように、いただきもののように、素直に、歓びを持って、受け入れていきます。
「いけませんよ」と言われたのも、人の口を借りて神様から言われたかのごとく、素直に受け入れます。
とっても、「自在」ですね。
とっても良寛らしい逸話だと私は思います。
もうひとつは、道一和尚さんの話です。
ある日、彦根の清涼寺の道一和尚さんが足にお灸をしていました。
すると、そこに旧知の医者がやってきました。
「和尚さん、今日は不浄日です。不浄日にお灸をすえると悪いことが起こりますよ」
と注意しました。和尚はすぐに、
「ああ、そうですか。では、やめることにしよう」
と言って、灸箱を片付けてしまった。医者は二時間ほど歓談して帰っていきました。
医者が帰ると、和尚はまた灸箱を取り出してお灸をすえにかかりました。
それを見た小僧さんが、
「和尚さん、今日は不浄日ということでしたが、大丈夫なんですか」
と聞きました。すると、道一和尚さんはのんびりとお灸をすえながら笑って答えました。
「心配しなくてもいいんだよ。不浄日はいま、帰ってしまったよ。わしは禅僧じゃ。浄、不浄には惑わされないだけの修行はしてきたつもりじゃよ」
「なるほど、そういうことだったのですね」
道一和尚さんも、よく知る医者から言われたら、そうではない立場にあろうと、「そうか、そうか」と言って、お灸をやめてしまう。「不浄日」が帰り、不浄日が過ぎ去ってしまうと、再びお灸をのんびりと始める。
目の前の今にきちんと向き合い、応えながら、意地を張り固まることなく、自由に、素直に生きています。
ここにも素晴らしい「自在」があります。
先人たちの息吹にふれて、少しずつでも、今この人生で、「自在」を持った生き方ができるようになりたいものですね。
2009年8月25日火曜日
岡潔さんが語る「情緒」そして「明治以前の日本人」2
私が岡潔さんのエッセイを読んで一番学びとなることは「情緒」の大切さと合わせて、「明治以前の日本人」のことを教えてくれることにあります。
当たり前のことほど、(当たり前だから)記録として残されていないものです。
日本は「言挙(ことあ)げ」しない国ですからなおさらですね。
明治の初頭に、日本人はぐずぐずしていると亡ぼされるかもしれないという恐怖から、西洋の物質主義を無批判に取り入れた。
以降日本人は、この物質主義の水の中に住み続けている。今の日本人は、初めに時間・空間というものがあって、その基盤の上に自然があって、自然の一部が自分の肉体即ち自分である、一切はこんなにもはっきりしていて、これで一切の説明がつく、としか思えないらしい。これを物質主義といっているのである。
物質主義だから、人は肉体が死ねばそれっきりだとしか思えない。皆そう思って、そのつもりで人生の計画をたてている。
本当は僅々七十年ぐらいでできることなんか何一つないのだから、無理に勝手な理屈をつけて、計画がたったといっているのである。
しかし明治以前の日本人は、死ねばそれきりなどとは思っていなかったのであって、この一生をながい旅路の一日のごとく思っていたのである。そして私もそう思っている。
明治以前の日本人は「死ねばそれきりなどとは思っていなかった」のですね。私はこの話を初めて聞いた時、とってもうれしかったことを今でもよく覚えています。
「そして、私もそう思っている」
私も一緒です。
次の言葉も私の好きな、大切にしている岡さんの日本人へのメッセージです。
「こんな役割が日本人にはあるんですよ!」と岡さんが日本人にエールを送ってくださっているわけです。
ところで、道元禅師であるが、禅では毎朝観音菩薩を拝むのであるが、その時つねに「願うこと」は、「我より先に人を渡さん」という歌をよんでいる。
日本民族を代表して七百年前に道元禅師がこう言明してしまったのだから、私たちはこの誓いを破るわけにはいかない。
それで観音菩薩と同じさとりの位までは行けるが仏になってしまってはいけない。
それで私たち日本民族は、渡せる(即ち仏にできる)ほどの人たちは皆渡してしまって、最後に自分たちが渡ることにするほかない。
そのとき一言「ご苦労さんでした」といってもらえれば望外である。
そして、最後にこの一文を。
「自然が美しければ自分がうれしい」
「人が喜んでいると自分もうれしい」
こうありたいなといつも思っていることです。まだまだですが、ほんのちょっぴり指先が触れられる瞬間があります。いつかは、ギュッと。・・・昔の、本当の日本人に。
日本人は、だいたい明治以前には、自然とか人の世とかをそのまま自分の心の内容だと思っていました。
自然が美しければ自分はうれしいし、他人が喜んでおれば自分もうれしいというふうでした。
そういう広々とした心が本当の自分なのだと、仏教は教えております。それを真我と申します。
仏教がはいる前から日本民族はそう思っていました。
私が岡潔さんのエッセイを読んで一番学びとなることは「情緒」の大切さと合わせて、「明治以前の日本人」のことを教えてくれることにあります。
当たり前のことほど、(当たり前だから)記録として残されていないものです。
日本は「言挙(ことあ)げ」しない国ですからなおさらですね。
明治の初頭に、日本人はぐずぐずしていると亡ぼされるかもしれないという恐怖から、西洋の物質主義を無批判に取り入れた。
以降日本人は、この物質主義の水の中に住み続けている。今の日本人は、初めに時間・空間というものがあって、その基盤の上に自然があって、自然の一部が自分の肉体即ち自分である、一切はこんなにもはっきりしていて、これで一切の説明がつく、としか思えないらしい。これを物質主義といっているのである。
物質主義だから、人は肉体が死ねばそれっきりだとしか思えない。皆そう思って、そのつもりで人生の計画をたてている。
本当は僅々七十年ぐらいでできることなんか何一つないのだから、無理に勝手な理屈をつけて、計画がたったといっているのである。
しかし明治以前の日本人は、死ねばそれきりなどとは思っていなかったのであって、この一生をながい旅路の一日のごとく思っていたのである。そして私もそう思っている。
明治以前の日本人は「死ねばそれきりなどとは思っていなかった」のですね。私はこの話を初めて聞いた時、とってもうれしかったことを今でもよく覚えています。
「そして、私もそう思っている」
私も一緒です。
次の言葉も私の好きな、大切にしている岡さんの日本人へのメッセージです。
「こんな役割が日本人にはあるんですよ!」と岡さんが日本人にエールを送ってくださっているわけです。
ところで、道元禅師であるが、禅では毎朝観音菩薩を拝むのであるが、その時つねに「願うこと」は、「我より先に人を渡さん」という歌をよんでいる。
日本民族を代表して七百年前に道元禅師がこう言明してしまったのだから、私たちはこの誓いを破るわけにはいかない。
それで観音菩薩と同じさとりの位までは行けるが仏になってしまってはいけない。
それで私たち日本民族は、渡せる(即ち仏にできる)ほどの人たちは皆渡してしまって、最後に自分たちが渡ることにするほかない。
そのとき一言「ご苦労さんでした」といってもらえれば望外である。
そして、最後にこの一文を。
「自然が美しければ自分がうれしい」
「人が喜んでいると自分もうれしい」
こうありたいなといつも思っていることです。まだまだですが、ほんのちょっぴり指先が触れられる瞬間があります。いつかは、ギュッと。・・・昔の、本当の日本人に。
日本人は、だいたい明治以前には、自然とか人の世とかをそのまま自分の心の内容だと思っていました。
自然が美しければ自分はうれしいし、他人が喜んでおれば自分もうれしいというふうでした。
そういう広々とした心が本当の自分なのだと、仏教は教えております。それを真我と申します。
仏教がはいる前から日本民族はそう思っていました。
2009年8月24日月曜日
岡潔さんが語る「情緒」そして「明治以前の日本人」
世界的な天才数学者で憂国のエッセイストである岡潔(おか きよし)さんの著書を久しぶりに読み返し、改めて日本人としてこの世にやってきたことへの歓びと感謝の想いにひたり、感じ入りました。
岡さんは日本人の素晴らしさは「情緒」にあるといつもおっしゃっています。
岡さんのおっしゃる日本人は、私が日ごろから目指してはいるけれど、なかなかこの指でふれることのできないでいる美しき情緒豊かな日本人です。
「人と人との間にはよく情が通じ、人と自然の間にもよく情が通じます。これが日本人です」
そう日本人のことを岡さんは端的におっしゃっています。
「たとえば、すみれの花を見るとき、あれはすみれの花だと見るのは理性的、知的な見方です。むらさきの色だと見るのは、理性の世界での感覚的な見方です。そして、それはじっさいにあると見るのは実在感として見る味方です。
これに対して、すみれの花はいいなあと見るのが情緒です。これが情緒と見る味方です。情緒と見たばあいすみれの花はいいなあと思います。芭蕉もほめています。漱石もほめています」
自然環境へ意識を向けるようになった現代にも深く通じる言葉も残してくれています。
「情緒の中心の調和がそこなわれると人の心は腐敗する。社会も文化もあっという間にとめどもなく悪くなってしまう。そう考えれば、四季の変化の豊かだったこの日本で、もう春にチョウが舞わなくなり、夏にホタルが飛ばなくなったことがどんなにたいへんなことかわかるはずだ。これは農薬のせいに違いないが、農薬をどんどんまいてはしごをかけて登らなければならないような大きなキャベツを作っても、いったい何になるのだろう。キャベツを作る方は勝手口で、スミレ咲きチョウの舞う野原、こちらの方が表玄関なのだ。情緒の中心が人間の表玄関であるということ、そしてそれを荒らすのは許せないということ、これをみんながもっともっと知ってほしい。これが私の第一の願いなのである」
芭蕉の有名な句の解釈が私は日本人の情緒に根差した句であることをすでに忘れ、「情けは人のためならず」と同様に、異なる解釈をする人が多くなっているように思います。
秋深き隣は何をする人ぞ
という芭蕉の句がありますが、芭蕉は小我を自分だとは思っておりません。真我こそ自分だと思っていたのです。人と自分との間には情が通じ合う。自然と自分との間にも情が通じ合う。だから、
秋深き隣は何をする人ぞ
という句の本当の意味は、つまり芭蕉が一番強くいおうとしていることは、秋も深まると隣の人が何をしているんだろうと非常になつかしい。なつかしさというあたたかさがあるのです。表面には何をしているかわからないという淋しさもありますが、句の底にあるのはあたたかさなのです。底があたたかくて、表面が冷いーーこれが芭蕉のいう「人の世の哀れ」であります。これが芭蕉の俳句の真髄(心)です。芭蕉は俳諧は万葉の心なりといっています。だから万葉のころもそうだったのです。また万葉は、日本に文字が伝わるとともにすぐに書き残されたものです。だから日本においては上代もそうだったのです。本当の日本人は情が中心であり、それが自分であります。
『草枕』に関しては、私も恥じかしながら、「小我」の解釈をしていたようです。
人として一番大切なことは、他人の情、とりわけ、その悲しみがわかるということです。これについては釈迦も孔子もキリストも口をそろえてそういっています。夏目漱石は『草枕』に初めに「情を棹(さお)させば流される」と書いているではないかという人もありますが、終わりまで読んでください。「憐」という字に終わっていますから。
世界的な天才数学者で憂国のエッセイストである岡潔(おか きよし)さんの著書を久しぶりに読み返し、改めて日本人としてこの世にやってきたことへの歓びと感謝の想いにひたり、感じ入りました。
岡さんは日本人の素晴らしさは「情緒」にあるといつもおっしゃっています。
岡さんのおっしゃる日本人は、私が日ごろから目指してはいるけれど、なかなかこの指でふれることのできないでいる美しき情緒豊かな日本人です。
「人と人との間にはよく情が通じ、人と自然の間にもよく情が通じます。これが日本人です」
そう日本人のことを岡さんは端的におっしゃっています。
「たとえば、すみれの花を見るとき、あれはすみれの花だと見るのは理性的、知的な見方です。むらさきの色だと見るのは、理性の世界での感覚的な見方です。そして、それはじっさいにあると見るのは実在感として見る味方です。
これに対して、すみれの花はいいなあと見るのが情緒です。これが情緒と見る味方です。情緒と見たばあいすみれの花はいいなあと思います。芭蕉もほめています。漱石もほめています」
自然環境へ意識を向けるようになった現代にも深く通じる言葉も残してくれています。
「情緒の中心の調和がそこなわれると人の心は腐敗する。社会も文化もあっという間にとめどもなく悪くなってしまう。そう考えれば、四季の変化の豊かだったこの日本で、もう春にチョウが舞わなくなり、夏にホタルが飛ばなくなったことがどんなにたいへんなことかわかるはずだ。これは農薬のせいに違いないが、農薬をどんどんまいてはしごをかけて登らなければならないような大きなキャベツを作っても、いったい何になるのだろう。キャベツを作る方は勝手口で、スミレ咲きチョウの舞う野原、こちらの方が表玄関なのだ。情緒の中心が人間の表玄関であるということ、そしてそれを荒らすのは許せないということ、これをみんながもっともっと知ってほしい。これが私の第一の願いなのである」
芭蕉の有名な句の解釈が私は日本人の情緒に根差した句であることをすでに忘れ、「情けは人のためならず」と同様に、異なる解釈をする人が多くなっているように思います。
秋深き隣は何をする人ぞ
という芭蕉の句がありますが、芭蕉は小我を自分だとは思っておりません。真我こそ自分だと思っていたのです。人と自分との間には情が通じ合う。自然と自分との間にも情が通じ合う。だから、
秋深き隣は何をする人ぞ
という句の本当の意味は、つまり芭蕉が一番強くいおうとしていることは、秋も深まると隣の人が何をしているんだろうと非常になつかしい。なつかしさというあたたかさがあるのです。表面には何をしているかわからないという淋しさもありますが、句の底にあるのはあたたかさなのです。底があたたかくて、表面が冷いーーこれが芭蕉のいう「人の世の哀れ」であります。これが芭蕉の俳句の真髄(心)です。芭蕉は俳諧は万葉の心なりといっています。だから万葉のころもそうだったのです。また万葉は、日本に文字が伝わるとともにすぐに書き残されたものです。だから日本においては上代もそうだったのです。本当の日本人は情が中心であり、それが自分であります。
『草枕』に関しては、私も恥じかしながら、「小我」の解釈をしていたようです。
人として一番大切なことは、他人の情、とりわけ、その悲しみがわかるということです。これについては釈迦も孔子もキリストも口をそろえてそういっています。夏目漱石は『草枕』に初めに「情を棹(さお)させば流される」と書いているではないかという人もありますが、終わりまで読んでください。「憐」という字に終わっていますから。
2009年8月22日土曜日
「二度とない人生だから」
地下鉄に乗っていると、膝の上に置いてある鞄の上に、小さな虫が飛んできました。
小指の先ほどもない小さなカナブンのような虫でした。
地下鉄の中までどうやって来たの?と思わず、尋ねていました。
寡黙な虫は、誰かの鞄や肩の上にそっと乗っかって、一度乗ってみたかった地下鉄に飛び乗ったのかもしれません。
「二度ない人生(虫生)」なのだから、やりたかったことを思いきってやってみて、楽しみたかったのかなと思ったりしました。
でも、ふと私と一緒で、虫さんもお日様が大好きで、そろそろ、その姿を見たいんじゃないかなと思ったので、
「おとなしく鞄の上に乗っていたら、地上まで私が連れて行くよ。まだ遊びたければ飛んでいけばいいよ」と心の中で虫さんにささやきました。
すると虫さんはぴたりと動くのをやめて、おとなしくなりました。
地下鉄の中で20分ほど時が過ぎ、東京駅に着くまで、虫さんはじっと鞄の同じ場所にとまっていました。
エスカレータに乗り、出入り口まで階段を昇り、地上に出た時も、虫さんはやはり鞄にしっかりとくっついてそこにいました。
お日様があふれんばかりにあたりを照らしていました。
夏の光が、あらゆるものの影をくっきりと黒く刻み込んでいました。
虫さん、今回の冒険はこれで一応、終了です。
次はどんな旅が待っていてくれるんでしょうね。
皇居の周りの緑がすぐそこに見える街路樹の葉の上に私は虫さんをそっと放ちました。
文中に使わせいただいた「二度とない人生」のフレーズは、坂村真民(しんみん)さんの詩のタイトルからお借りしました。
この詩の中の大好きなフレーズである
「一匹のこおろぎでも ふみころさないように こころしてゆこう どんなにか よろこびことだろう」
を思い出したからです。
坂村真民さの「二度とない人生だから」をおしまいにご紹介します。
「二度とない人生だから」
二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛を
そそいでゆこう
一羽の鳥の声にも
無心の耳を
かたむけてゆこう
二度とない人生だから
一匹のこおろぎでも
ふみころさないように
こころしてゆこう
どんなにか
よろこぶことだろう
二度とない人生だから
一ぺんでも多く
便りをしよう
返事は必ず
書くことにしよう
二度とない人生だから
まず一番身近な者たちに
できるだけのことをしよう
貧しいけれど
こころ豊かに接してゆこう
二度とない人生だから
つゆくさのつゆにも
めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめてみつめてゆこう
二度とない人生だから
のぼる日 しずむ日
まるい月 かけてゆく月
四季それぞれの
星々の光にふれて
わがこころを
あらいきよめてゆこう
二度とない人生だから
戦争のない世の
実現に努力し
そういう詩を
一遍でも多く
作ってゆこう
わたしが死んだら
あとをついでくれる
若い人たちのために
この大願を
書きつづけてゆこう
「さて、お待ちどおさま。虫さん、またどこかで逢いましょう」と心の中で虫さんにささやき、その場を後にしました。
すべてはつながっています。
すべては「ひとついのち」です。
「二度とない人生だから」、大いに歓んで、楽しんで、幸せに生きていくんだよ~!
地下鉄に乗っていると、膝の上に置いてある鞄の上に、小さな虫が飛んできました。
小指の先ほどもない小さなカナブンのような虫でした。
地下鉄の中までどうやって来たの?と思わず、尋ねていました。
寡黙な虫は、誰かの鞄や肩の上にそっと乗っかって、一度乗ってみたかった地下鉄に飛び乗ったのかもしれません。
「二度ない人生(虫生)」なのだから、やりたかったことを思いきってやってみて、楽しみたかったのかなと思ったりしました。
でも、ふと私と一緒で、虫さんもお日様が大好きで、そろそろ、その姿を見たいんじゃないかなと思ったので、
「おとなしく鞄の上に乗っていたら、地上まで私が連れて行くよ。まだ遊びたければ飛んでいけばいいよ」と心の中で虫さんにささやきました。
すると虫さんはぴたりと動くのをやめて、おとなしくなりました。
地下鉄の中で20分ほど時が過ぎ、東京駅に着くまで、虫さんはじっと鞄の同じ場所にとまっていました。
エスカレータに乗り、出入り口まで階段を昇り、地上に出た時も、虫さんはやはり鞄にしっかりとくっついてそこにいました。
お日様があふれんばかりにあたりを照らしていました。
夏の光が、あらゆるものの影をくっきりと黒く刻み込んでいました。
虫さん、今回の冒険はこれで一応、終了です。
次はどんな旅が待っていてくれるんでしょうね。
皇居の周りの緑がすぐそこに見える街路樹の葉の上に私は虫さんをそっと放ちました。
文中に使わせいただいた「二度とない人生」のフレーズは、坂村真民(しんみん)さんの詩のタイトルからお借りしました。
この詩の中の大好きなフレーズである
「一匹のこおろぎでも ふみころさないように こころしてゆこう どんなにか よろこびことだろう」
を思い出したからです。
坂村真民さの「二度とない人生だから」をおしまいにご紹介します。
「二度とない人生だから」
二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛を
そそいでゆこう
一羽の鳥の声にも
無心の耳を
かたむけてゆこう
二度とない人生だから
一匹のこおろぎでも
ふみころさないように
こころしてゆこう
どんなにか
よろこぶことだろう
二度とない人生だから
一ぺんでも多く
便りをしよう
返事は必ず
書くことにしよう
二度とない人生だから
まず一番身近な者たちに
できるだけのことをしよう
貧しいけれど
こころ豊かに接してゆこう
二度とない人生だから
つゆくさのつゆにも
めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめてみつめてゆこう
二度とない人生だから
のぼる日 しずむ日
まるい月 かけてゆく月
四季それぞれの
星々の光にふれて
わがこころを
あらいきよめてゆこう
二度とない人生だから
戦争のない世の
実現に努力し
そういう詩を
一遍でも多く
作ってゆこう
わたしが死んだら
あとをついでくれる
若い人たちのために
この大願を
書きつづけてゆこう
「さて、お待ちどおさま。虫さん、またどこかで逢いましょう」と心の中で虫さんにささやき、その場を後にしました。
すべてはつながっています。
すべては「ひとついのち」です。
「二度とない人生だから」、大いに歓んで、楽しんで、幸せに生きていくんだよ~!
2009年8月15日土曜日
「シャボン玉」
今日15日は終戦記念日でした。
正午はちょうど電車の中にいましたので、車内で、戦没者の方々への追悼と感謝の想いを胸に、黙とうを捧げさせていただきました。
作家の神渡良平さんが作詞家の野口雨情さんのことを書いている一文を知人が教えてくれました。
この文が、お盆の時期、64回目を迎える終戦記念日とタイミングを同じくして届いたことは、「シンクロ」であろうと強く感じ、大切に受け取らせていただきました。
詩人の野口雨情は若い頃、長い間、芽が出なかった。詩人仲間の三木露風(ろふう)も相馬御風(そうまぎょふう)もどんどん頭角を現し、新聞雑誌に原稿を書き、ラジオにも出演したものの、雨情だけは鳴かず飛ばずだった。
雨情は諦めて樺太に渡り、商売を始めたが、うまくいかず、夜逃げ同然で内地に逃げ帰って、小樽で小さな新聞社に入った。しかし上司とうまくいかず、精魂尽き果ててしまった。そんなある日、初めての子を授かった。女の子だった。
雨情はすっかり元気を取り戻し、その子に緑と名付け、眼に入れても痛くないほどに可愛がった。ところがその子はわずか一週間しか生き長らえることができず、天国に召されてしまったのだ。
失意のどん底に落とされた雨情は新聞社を辞め、札幌に出た。新しい職場を得たものの、うまくいかず、また辞めた。三つ目の職場でもうまくいかず、そこも辞めた。そして負け犬となって故郷の茨城県磯原町に帰り、酒に入り浸る生活になってしまった。自分のことを「花の咲かない枯れススキ」と自嘲(じちょう)していたのだ。
ところが、ある夜、夢の中に娘が現れ、眼に涙をいっぱい浮かべて泣いていた。その顔を見た瞬間、
「これはいかん。このままでは、あの子に合わせる顔がない。わずか一週間しか生きることができず、自分の人生にすら挑戦できなかった娘! それに比べたら自分はどうだ。父母から健康な体をいただき、すでに二十数年の人生を送っていながら、自らの人生を諦め、酒に逃げていた! 何とか、立ち直らなきゃ・・・」
と思った。そこから雨情の立ち直りが始まった。
「緑、お父さんはお前の代わりにいい仕事をするからな。どうか天国から見守って、励ましてくれ!」
こうして作った童謡が人々の心を打ち、作詞家として知られるようになっていった。異国の地に売られていった女の子の寂しい心情を歌った「赤い靴」、カラスのお母さんの愛を歌った「七つの子」も雨情の作詞によるものだが、「シャボン玉」もまた、幼くして死んだ娘に再起を誓った歌である。
シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた
シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
生まれて直ぐに
こわれて消えた
風、風、吹くな
シャボン玉、飛ばそう
以上が、皆さん、ご存じの「シャボン玉」のいわれです。
読み終えて、ふと懐かしくなってひとり口ずさんでいたら、不覚にも涙が込み上げてきました。
緑ちゃんは、さぞかし、お父さんのことが心配で、心配で仕方なかったのでしょうね。
雨情さんが緑ちゃんへの想いの丈を込めてつづった「シャボン玉」の詩が、心の中で幾度もこだまする今日という一日でした。
今日15日は終戦記念日でした。
正午はちょうど電車の中にいましたので、車内で、戦没者の方々への追悼と感謝の想いを胸に、黙とうを捧げさせていただきました。
作家の神渡良平さんが作詞家の野口雨情さんのことを書いている一文を知人が教えてくれました。
この文が、お盆の時期、64回目を迎える終戦記念日とタイミングを同じくして届いたことは、「シンクロ」であろうと強く感じ、大切に受け取らせていただきました。
詩人の野口雨情は若い頃、長い間、芽が出なかった。詩人仲間の三木露風(ろふう)も相馬御風(そうまぎょふう)もどんどん頭角を現し、新聞雑誌に原稿を書き、ラジオにも出演したものの、雨情だけは鳴かず飛ばずだった。
雨情は諦めて樺太に渡り、商売を始めたが、うまくいかず、夜逃げ同然で内地に逃げ帰って、小樽で小さな新聞社に入った。しかし上司とうまくいかず、精魂尽き果ててしまった。そんなある日、初めての子を授かった。女の子だった。
雨情はすっかり元気を取り戻し、その子に緑と名付け、眼に入れても痛くないほどに可愛がった。ところがその子はわずか一週間しか生き長らえることができず、天国に召されてしまったのだ。
失意のどん底に落とされた雨情は新聞社を辞め、札幌に出た。新しい職場を得たものの、うまくいかず、また辞めた。三つ目の職場でもうまくいかず、そこも辞めた。そして負け犬となって故郷の茨城県磯原町に帰り、酒に入り浸る生活になってしまった。自分のことを「花の咲かない枯れススキ」と自嘲(じちょう)していたのだ。
ところが、ある夜、夢の中に娘が現れ、眼に涙をいっぱい浮かべて泣いていた。その顔を見た瞬間、
「これはいかん。このままでは、あの子に合わせる顔がない。わずか一週間しか生きることができず、自分の人生にすら挑戦できなかった娘! それに比べたら自分はどうだ。父母から健康な体をいただき、すでに二十数年の人生を送っていながら、自らの人生を諦め、酒に逃げていた! 何とか、立ち直らなきゃ・・・」
と思った。そこから雨情の立ち直りが始まった。
「緑、お父さんはお前の代わりにいい仕事をするからな。どうか天国から見守って、励ましてくれ!」
こうして作った童謡が人々の心を打ち、作詞家として知られるようになっていった。異国の地に売られていった女の子の寂しい心情を歌った「赤い靴」、カラスのお母さんの愛を歌った「七つの子」も雨情の作詞によるものだが、「シャボン玉」もまた、幼くして死んだ娘に再起を誓った歌である。
シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた
シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
生まれて直ぐに
こわれて消えた
風、風、吹くな
シャボン玉、飛ばそう
以上が、皆さん、ご存じの「シャボン玉」のいわれです。
読み終えて、ふと懐かしくなってひとり口ずさんでいたら、不覚にも涙が込み上げてきました。
緑ちゃんは、さぞかし、お父さんのことが心配で、心配で仕方なかったのでしょうね。
雨情さんが緑ちゃんへの想いの丈を込めてつづった「シャボン玉」の詩が、心の中で幾度もこだまする今日という一日でした。
2009年8月14日金曜日
滅多に生まれられない
お盆ですね。
大切な、愛おしい、切ない、「送りし人」をお迎えして、偲び、懐かしみ、感謝していると、この世とあの世との距離がぐんと近くなったような気がしてきます。
慌ただしい日常からつかの間離れて、心落ち着けて自分と向き合えるという意味では、やはりこの世にいる者にとっても大切な数日であります。
そんなお盆のひとときを心穏やかに過ごしながら、
お釈迦様と弟子のアーナンダが交わしたお話を思い出しましたので、ひとつご紹介いたします。
お釈迦様はある時、アーナンダと共に道を歩いていました。
立ち止まってしゃがみこんだお釈迦様は、地面の土をつまんで爪の上にのせ、アーナンダに振り向いて、こう言いました。
「アーナンダよ、この爪の上にのっている土と、地面にある土は、どちらが多いと思いますか」
アーナンダは、お釈迦様の爪の先についた土と足元の地面の土をじっと見比べて、さも当たり前という表情でこう答えました。
「お釈迦様、それは地面の土の方が間違いなく多うございます。爪の上の土はほんのちょっぴりです」
すると、お釈迦様は、アーナンダに、やさしい笑顔を向けて、
「アーナンダ、その通りですね。この世に命をいただいて、生まれてくるものは、この地面の土ほどたくさんあります。
しかし、人間として生まれてこられるものは、この爪の上の土ほどしかないんです。
人間には滅多に生まれられないんです。
ですから、命というものは本当に大切にしていかなければならないんですよ」
とおっしゃいました。
生きていると、つらく、悲しく、苦しいことがたくさんあると思いますが、この世に人として生まれてくるのは大変に難しいようです。
自ら願い、祈って、永年待ち続けて、ようやくこの世にやってこれるそうです。
ですから、この世に来ている人は、全員が、「自ら願い求めてやってきた人」ばかりなのですね。
修行のため、魂の成長のために、その理由の記憶を今は損なっていますが、
「自分がなぜあんなにも激しく、切なくこの世にやってきたかったのはなぜなのか」
「自分がこの世にやってきてやろうとしていたことは何なのか」
そうしたことを考えてみる機会としてこのお盆という季節を過ごしてみるのも時にはいいかもしれませんね。
ここで、ご縁をいただいた皆さんのあふれるほどの幸せと、天命を見つけ、全うされることをいつも祈っています。
お盆ですね。
大切な、愛おしい、切ない、「送りし人」をお迎えして、偲び、懐かしみ、感謝していると、この世とあの世との距離がぐんと近くなったような気がしてきます。
慌ただしい日常からつかの間離れて、心落ち着けて自分と向き合えるという意味では、やはりこの世にいる者にとっても大切な数日であります。
そんなお盆のひとときを心穏やかに過ごしながら、
お釈迦様と弟子のアーナンダが交わしたお話を思い出しましたので、ひとつご紹介いたします。
お釈迦様はある時、アーナンダと共に道を歩いていました。
立ち止まってしゃがみこんだお釈迦様は、地面の土をつまんで爪の上にのせ、アーナンダに振り向いて、こう言いました。
「アーナンダよ、この爪の上にのっている土と、地面にある土は、どちらが多いと思いますか」
アーナンダは、お釈迦様の爪の先についた土と足元の地面の土をじっと見比べて、さも当たり前という表情でこう答えました。
「お釈迦様、それは地面の土の方が間違いなく多うございます。爪の上の土はほんのちょっぴりです」
すると、お釈迦様は、アーナンダに、やさしい笑顔を向けて、
「アーナンダ、その通りですね。この世に命をいただいて、生まれてくるものは、この地面の土ほどたくさんあります。
しかし、人間として生まれてこられるものは、この爪の上の土ほどしかないんです。
人間には滅多に生まれられないんです。
ですから、命というものは本当に大切にしていかなければならないんですよ」
とおっしゃいました。
生きていると、つらく、悲しく、苦しいことがたくさんあると思いますが、この世に人として生まれてくるのは大変に難しいようです。
自ら願い、祈って、永年待ち続けて、ようやくこの世にやってこれるそうです。
ですから、この世に来ている人は、全員が、「自ら願い求めてやってきた人」ばかりなのですね。
修行のため、魂の成長のために、その理由の記憶を今は損なっていますが、
「自分がなぜあんなにも激しく、切なくこの世にやってきたかったのはなぜなのか」
「自分がこの世にやってきてやろうとしていたことは何なのか」
そうしたことを考えてみる機会としてこのお盆という季節を過ごしてみるのも時にはいいかもしれませんね。
ここで、ご縁をいただいた皆さんのあふれるほどの幸せと、天命を見つけ、全うされることをいつも祈っています。
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