2007年12月31日月曜日

年末恒例の感謝と反省の「般若心経」


 年内の仕事が昨日で終わり、30日は大掃除や追加の年賀状を書く予定を立てていたが、午前中は「写経」を書くことにする。
 写経は「般若心経」を書き写すことで、僕はお寺ではなく神社との縁で5年ほど前から始めてこれまでに800枚ぐらい書いてきた。
 ほんとうは毎日1枚でも1行でも書くのが理想的なのだが、日常の雑事に追われだすとあっという間に筆が遠のくのだからだらしない。来年こそは1日1枚、1日1行と思いながら数年が過ぎ去ってしまった。

 写経というと手を洗い清め、正座で姿勢を正し、きれいな文字で・・・などいろいろ細かな決まり事を言われるところもあるみたいだが、僕が出会った写経はそんな形式、作法のようなものはまったくといっていいほどない。 
 テレビを観ながら書こうが、あぐらだろうが、寝ころんでいようが(ちょっとこの格好では難しいけど)、途中でやめておいて再開しようがかまわない。ただ、水から自分で墨を摺って書くぐらい。まあ、だから僕でも今まで続けられてきたのだろう。
 書いたものは焼く、土に埋める、水に流すという3つの方法で供養や浄化に使っている。

 先日、「写経(般若心経)に出会えてよかったな」と思う話に巡り会った。
 般若心経は、玄奘三蔵がインドから中国に持ってきたといわれる。玄蔵三蔵は「西遊記」の“三蔵法師”として有名なお坊さんだ。
 三蔵法師はインドへ旅した時からすでにかなりすばらしい徳を備えたお坊さんだったらしく、立ち寄る国の王様が一度会うと魅了されて手離したくなくなる。だからいろんな理由をつけては出国を邪魔しようとする。
 このことが、妖怪が行く手をはばみ、悟空、沙悟浄、猪八戒がそれら妖怪を退治しながら脱出して旅を続けていくという物語の元になったそうだ。

 その三蔵法師が旅の途中で身体中から膿をたれながした女に出会う。当時この病気は家族の誰かに口でその膿を吸ってもらうと改善するという言い伝えがあった。だが、その女は身内がひとりもいないため三蔵法師に膿を口で吸いだして欲しいとお願いしたのだ。
 付き人の3人ものけぞるような姿の見も知らぬ女からの突然のお願いを、三蔵法師はなんの躊躇(ちゅうちょ)もなく快諾し、女の肌に口をつけて膿をズルリと吸い出す。
 するとその瞬間、その女は金色の光に包まれ、「観音さま」に姿を変える。
 観音さまは神界で三蔵法師の良いうわさを聞き知って、自分の目で確かめたくてあえて困難な試練を与えてみたのだ。
 それに対して、まったく躊躇することもなく瞬時に救済の行為を行った三蔵法師に観音さまは痛く感動し、
 「おまえはこれまでも大変な苦労をしてここまでたどり着いたことをわたしはよく知っている。ただ、これからはもっとつらく苦しい困難が待ちかまえているだろう。
 しかし、神は越えられない困難を科すようなことは決してしないものだ。おまえならその困難を乗り越えていける。ただし、どうしても耐えられないとくじけそうになることもあろう。その時はこの言葉を唱えなさい。わたしが困難を乗り越えられるようおまえの元に後押ししにまいるから」
 と言った。

 この時、観音さまが“もしもの時のために教えた言葉”が、「般若心経」だった。

 僕は、この話を知って、「あ~、般若心経に出会えてよかったな」とつくづく思った。
 神様はその人が超えられない課題(困難)は与えない。その人の成長に必要で必ず乗り越えられる課題だけなのだ。
 でも、その時々の自分が置かれた状況や気持ちのあり様によっては、自分の力ではどうにもならないことだって必ずある(僕の場合はしょっちゅうだけど)。
 そんな時、わずか278文字の般若心経が困難を前に躊躇する僕を後押しし、勇気づける存在になってくれるのだ。

 今年もそんな場面が多々あったというのに、12月は仕事にかまけてほとんど筆を持つことはなかった。毎年恒例になりつつある感謝と反省の思いを抱きながら墨を摺る。

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