すべては「ひとついのち(ワンネス)」。すべての原因は自分の内にある
この世のものはすべて、「ひとついのち」です。
周りにいる他人も、動物も、植物も、物も、目にするすべてが関わりがあり、つながりを持っていて、自分とひとつのいのちになっています。
このことを「ワンネス」とも言うようです。
「身近な愛おしい人は『ひとついのち』になりたいけど、職場のイヤなあの人は『ひとついのち』なんかじゃない」というのは、その気持ちはわかりますが、やはりちょっと違うようです。
すべては「ひとついのち(ワンネス)」とわかると、自分の身の回りで起こることはすべて自分に<原因>があるということがわかってきます。
でも、すべては「ひとついのち」であることがわかってからでないと、すべての問題の原因が自分であると理解するのはなかなか難しいようです。
「自分という個」と、それに対する「他の個」「その他大勢」という構図では、自分の問題は人や周りのせいにしたくなりますし、人の問題まで自分が原因であるとは許容できないものだからです。
ましてや、他人から「すべての原因はあなたにある」「あなたの周りの問題は、すべてあなたに原因がある」なんて唐突に言われると、無性に腹が立ったり、聞く耳を無くしたりして、とてもじゃありませんが素直には受け入れられないものです。
それでも、この世が「ひとついのち(ワンネス)」であることに気づくように、神人、聖人といわれた人々が説いてきたのには、それ相応の理由があるのです。
自分の目の前に現れをすべて自分のこと(自分が原因である)と認め、お詫びし、感謝し、愛すると、人生が幸せに、良き方向に変わっていくからです。
不思議なほど、目に見えて良き現われが起こるようになるのです。
このすべての原因が自分の内にあるということについて、とてもわかりやすく教えてくれる話があります。中国であった実話です。
ずいぶん前に読んだのですが、どこかに書かれていたのかなかなか見つけられずにいたのですが、ハートさんからブログにプレゼントをいただき、お礼の記事を書く時に、ふと手に取った本にその話を見つけることができました。ハートさん、気づきと導きをいただきましたことに、心から感謝いたします。
この話は、心理学者のカール・ユングの友人で、宣教師として中国に渡り、「易経」などを翻訳しヨーロッパに伝えたリヒアルト・ヴィルヘルムという人が、中国で実際に体験したお話です。
私はこれまでに幾度かこの話を聞く機会があったのですが、立花大敬先生の記事が読んで一番、コトリと心の中に落ちるものがあり、納得できましたので、そのままご紹介させていただきたいと思います。
彼がある地方にいた時、その土地は大旱魃(かんばつ)でした。もう何ヶ月も雨が降らず、田畑の植物は干(ひあ)上がって、枯死(こし)寸前でした。
そこで農民たちが相談して、雨降らしの名人という評判の人を招きました。
数日後、その名人がやってきました。
見たところ、本当にみすぼらしい、ヨボヨボの老人で、ヴィルヘルムにはとても、その老人がそんな特殊な能力の持主のようにはみえませんでした。
その老人は、一軒の家の提供と日に三度の食事の差し入れを要求して、その家にとじこもってしまいました。
中の様子をうかがっても、しんと静まりかえっており、太鼓や鉦(かね)をたたいて祈ったり、お経を上げたり、呪文をとなえたりしているようにはみえませんでした。
ところが、三日目に突然雲があつまって、ド、ドッと大雨が降り、農民たちは大喜びで雨の中で踊りまわったそうです。
ヴィルヘルムは家から出てきた、その雨降らしの名人に、「いったいどうして雨を降らせたのですか」とたずねました。老人は次のように答えました。「私は雨を降らせようとしたわけじゃありませんよ。
この土地にやって来た時、この土地がこんなにも干枯(ひから)びているのは、私の心がうるおいを失って砂漠化しているせいだとわかりました。
それで私は家に閉じこもって、この土地をこんなにしてしまった私のあやまりをおわびしました。おわびの心が深くなってゆくにつれて、私の心にうるおいがもどって来、心の乱れが整理されて調和のとれた姿となってゆきました。
そして、それ(その心の状態)が本物になった時、この土地の不調和の状態もおしまいになり雨が降ったのです。
私は決して雨を降らそうと思ったわけじゃないのですよ」
身の回りで起こったことを変えたい時、その原因は自らの内にすべてはあります。
この中国の老人は枯れた天候でさえ、自らの心がうるおいを失っていたからだと、すべてを自分のことと受け止めています。
自らで、すべての元は自分にあり、と受け止めて(ひとついのちを理解できると自然に、当然自分の責任!と感じられるようになります)、自分の心の内で、お詫びし、感謝し、愛して、豊かな心に変えていけばいいのです。
自分がすべてに責任を負えるから、人生をガラリと明るく澄みきった歓びにあふれたものに、変えていけるんですね。
「目の前に広がる世界は、すべて自分のものなのです」。
「すべては私に責任がある!」と自ら進んで宣言できた時、本当の意味での「自分の人生」が始まるのではないでしょうか。
3 件のコメント:
こんばんは!
以前「日拝」のことでコメントした者です。
たびたびおじゃましていましたが、もう更新されないのかなあ…(´・ω・`) と寂しく思っていました。
今日ふと覗いてみましたら、ほぼ一年ぶり?にあたらしい記事が!
また楽しみにしています。
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