節分の日は関東に2年ぶりの大雪が降った。
真っ白な雪が春を告げるというのも趣(おもむき)があってなかなかいい。
今年は節分に初めて柊(ひいらぎ)の枝と鰯(いわし)の頭とマメ殻の飾り物を飾ってみた。
柊は葉っぱのトゲトゲを、豆殻はその音を、焼いた鰯の頭はその臭いを、それぞれ鬼が嫌うことから、邪気を寄せ付けない「魔除け」の効果があると信じられているのだそうだ。
僕が生まれ育った南九州の家では豆まきだけで、そうした風習はなかった。関東の風習なのかと思い、翌日、江戸っ子で江戸の文化のことにも結構詳しい知人に聞いてみたが、山の手では自分も親の代にもそんな習わしはなかったということだった。
ということで節分に柊の枝に焼いた鰯の頭を差す「柊鰯」を飾る風習について調べてみると、関西の奈良県奈良市内では多くの家庭で今も行われているらしい。でも、お隣の京都市内ではまったくといっていいほど見受けられないそうだ。また、関東も今でもこの風習が残っているのは一部地域だけらしい。
通常は柊の枝に鰯の頭を差すのが一般的だが、種をとった大豆のマメ殻を一緒に飾るのは関東付近だけらしいということもわかった。
節分前日、僕は近所に柊の小枝を探しに出かけ、スーパーで見つけた柊にはマメ殻が一緒にくっついていたので、それを買って帰って飾ったわけだが、今住んでいる千葉市がまさにその「一部の地域」だったのだ。
この「柊鰯」の風習は平安時代にはすでに各地で行われていたそうだ。今では細々とした風習になってしまったのだが、それでも現代まで続けられてきたことの不思議とその奥に秘められた家内安全を新年に願う人々の素朴な願いに思いをはせるよき機会となった。
やはり戦後に一時潰え、その後、復活した「恵方巻き」も食べてみた。長いままですべて食べたらそれだけで腹一杯になりそうなので、普段より少し長めに包丁を入れて、方位磁石で今年の恵方である「南南東」を確かめて、そちらを向いてにっこりしながら無言で食べた。
無言で食べている家族の姿がなんともおかしく、笑いをこらえるのに苦労した。
夜は豆まきでベランダなど屋外には煎り大豆、室内には落花生をそれぞれまいた。まいた後の掃除のことを考えてやっているのか、と鬼に足下を見透かされそうだが、そのへんは気合いを入れた「鬼は外~、福は内~」のかけ声ではね飛ばすことにした。
と、まあやることをやってしまうとなんだか清々しい気持になった。
節分の日の雪は僕の身近にいくつかの被害を及ぼした。
翌日、訪ねた知人はその朝、出社時に凍った道路に足を滑らせて背中から落下したとロボットのような足取りで歩きながら悲しそうにその顛末(てんまつ)を語った。
別の知人は背中ではなくて頭から落下してその日は会社を休んだと痛い頭に手をやりながら苦笑いした。
2回、続けに同じような出来事があったら、それは「神か宇宙がその人にそのことを伝えたがっている」ということなのだそうだ。
僕がふと思ったのは、「これは卯年生まれに何かあるのかな」ということだった。ステンと転んだ二人は双方とも今年57歳の卯年だったからである。
その予想は幸か不幸か的中し、家に帰ると息子が熱を突発させて学校を早退してたたくさん毛布をかぶり寝ていた。うちの唯一のウサギは「長男」だったのである。
日頃から世話になっている滑って転んだ57歳のウサギたちには、
「かなり痛かったでしょうが、節分の日に降った縁起のいい雪で滑ったんですから豪快な厄落としだったんですよ」と伝えた。
うちの長男ウサギも”厄落としで出た知恵熱”だったらしく翌日はけろりとして元気に登校していった。
「今年はウサギの人たちはなにか特別な年になるのかもしれないな」と勝手な想像を巡らせている。
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