厄年は、一般的に男は25歳と42歳、女は19歳と33歳である。
この時には厄祓(ばら)い、厄落としをしなくてはいけない。そのために普通は神社やお寺にお参りにいく。
ずいぶん前のことだが、テレビで細木数子さんが厄祓いには、お金を半紙に包んで四つ辻にそっと置いてくればそれを誰かが拾ってくれるから、それで厄落としになるんだというようなことを話しているのを観て、
「知らない人とはいえ、自分の厄を誰かにそっと握らせるなんてとんでもないことだ」とあきれて、少し腹が立った覚えがある。
しかし、先日、全国各地に伝えられている風習に関する本を読んでいると、昔は各地の村や町では伝統的に小豆ご飯やお餅、お金などを四つ辻や村からちょっと出たところにポンと捨ててくることで厄を落としていた、ということを書いてあり、エエッとびっくりした。餅まきをしたり果物、お菓子を配るところ、地域によっては今でもお金をまくところもあるらしい。
知らなかったとはいえ、また聞こえていないとは思うが、細木さん、失礼なことを言ってしまいほんとにゴメンナサイ。
もう少しつけ加えておくと、民俗学的には「厄祓いとは物をあげること」なのだそうだ。タダでは厄は落ちない。神社でもお寺でも一定額のお布施の奉納が必要になる。江戸時代から明治の頃までは厄祓いの役割を果たす人がいて、「厄をはらいましょう」と言いながら家々をまわってお米やお金をもらって厄を背負っていく人がいたそうだ。もらった人たちはどこかに流れていく。贈与した分だけ厄災がなくなり、自分が清められる、浄化されるという考え方なのである。
厄年について、おもしろいなと思ったのが、
昔は伝統的に12年ごとの干支(えと)、生まれ年が厄年だったという点である。
そのなごりで、めでたいはずの60歳の還暦の時に厄祓いをする風習のある地域が今も数多くあるそうだ。
僕はこの12年ごとが厄年であるという考え方を強く信じる。
特に「本卦還り(ほんけがえり)」と呼ばれる60歳の還暦の年は「越えられそうでなかなか越えられない峠のようなもの」と誰かが表現していたが、僕の母親、義父、会社の上司、知人など身近でこの60歳を目前にしながら59歳の年で世を去った人がほんとにたくさんいる。
人は自然のまま、ありのままの形で生きることができれば120歳の「大還暦」まで本来は生きていけるといわれる。でも一周目のゴールであり、次の一周のスタートラインとなる「60歳」という年齢はきっと目に見えないけどものすごく高く険しい頂になっているのだろう。
今の僕にはその60歳という”ライン”はまるで実感の伴わない遠い海の向こうの世界のような事柄であり、やるべきことは目の前にこそ数多くある。
まずは、ここ数日のうちに厄祓いのための「贈り物」を半紙に包んで誰かにいただいてもらうことにしよう。四つ辻に置くのを誰かに見つけられて、後ろから「ちょっと」と声をかけられませんように・・・、と祈る。
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