ひさしぶりに本の話。
最初にお断りしておきたいのは、この手の書評ですので、かなり独断と偏見というか、そのかたまりのようなものなので、たとえ好きな作家とか作品について失礼なことを言っていてもサッと読み流すなどご容赦ください。
ここ数ヶ月、「小説」を集中して読んでいなかったので、「年明けの1月は今まで読んでいない若手女性作家を読もう」と決めて読み始めた。
「若手」といっても文壇ではデビューが遅いとそう呼ばれるらしいので、実年齢ではないということでご了承を。
4、5年ほど前にも男性作家を読む機会が多いため女性作家だけに限定して当時の若手作家を中心に意図的に読んだ時期があったのだが、この時はすんなりとハマってしまい、まるでお見合いにでもいくような気持でドキドキしながら書店に足を運んだものだった。
現実にはお見合いはしたことはないので想像の世界を勝手に膨らませているんだけど、前回は、好みも趣味もぴったりと合って話題は盛り上がり、意気投合して2ヶ月間ぐらい毎日会う関係になった“女性(作家の作品群)”もいた。
ということで、今回もそんな過去の体験を思い浮かべながら楽しみに読み始めたわけだが、
結論からいうと、残念ながら前回ほど“ときめく出会い“はさほどなかった。
1月に、読んだ作家と作品は以下の通り。
恩田陸「図書館の海」
瀬尾まいこ「幸福な食卓」
藤野千夜「彼女の部屋」
小川洋子「偶然の祝福」
角田光代「対岸の彼女」「トリップ」「今、何している?」
絲山秋子「袋小路の男」
作品の選択があまり良くなかったということもあったかもしれないが、
恩田陸は文章のリズムに合わせられなかったため、瀬尾まいこは女性らしさ以前の女の子らしさが 強すぎる作風に上手についていけず、両作品とも挫折しそうになるのをこらえて読了するのがやっとの状態だった。
恩田さんには「夜のピクニック」というその年の本屋大賞にも選ばれ、映画化もされた作品があるのは知っていたが、タイトルにひかれてこちらを読んだのがよくなかったのかもしれない。
瀬尾さんは市川拓司の「いま、会いにゆきます」の系譜かなって感じ。「映画化はしやすいだろうな」と思ったら友人いわく映画になっているらしいとのこと。この2人、今のところはよほど何かのきっかけでもない限りもう読むことはないと思う。
藤野千夜の「彼女の部屋」は、まずまず読めた。けれど、良くも悪くも収まりがいいだけの感が強い。同じ系譜でもっと腕の立つ女性作家が数多くいるので、存在感を示すためにも何かもうひとつ必要な感じがした。
角田光代の「対岸の彼女」はかなりおもしろくて集中できたため職場への行き帰りで読み終えた。ただ、次に読んだ「トリップ」はリズムが冗長で、期待はずれ。エッセイの「今、何している?」は、自分の中で作者に思い入れもできていないのに手にしたことがよくなかった、と反省。
小川洋子は文章のうまさに驚いた。この作品については、プロットにちょっと懲りすぎているような気がしたけど、これから他の作品も読んでみたいと思う。
最後に、絲山秋子。今回、読んだ中では僕はこの人の作品が一番おもしろかった。「袋小路の男」は学生時代のあこがれの先輩と大学進学、社会人になっても肉体関係なしに離れられずにつきあい続ける女性が主人公の作品で、1人称と3人称でそれぞれ書かれていて点もおもしろい。
北方謙三に「棒の哀しみ」という好きなハードボイルド小説時代の作品があって、この作品もやはり1人称、3人称で別々に書かれていて、20年ぐらい前に読みながらその臨場感に引き込まれたことを覚えている。
というわけで、角田さんの「対岸の彼女」は読んでも損はしない作品、
お薦めは絲山さんの「袋小路の男」という個人的結論でした。
ちなみに数年前に読んだ時の顔ぶれは、
山本文緒、田口ランディ、川上弘美、江國香織、諸田玲子だった。
この中で当時、一番ハマった女性作家というのが山本文緒。この時期、読みたい作品を後回しにして山本作品を既刊本10作品以上一気に読んだぐらい深い入りした。
藤野千夜、角田光代はうまい作家だと思うけど、この山本文緒と同じ系譜にあるように思うし、そうなると山本文緒の方が力量は今のところ数段上のような気がする。
ただし、熱が冷めてしまうその後新刊を読み続けていこうという気にならなのは、のちほど書くが、自分が求める”何か”が足らなかったのかもしれないなと思う。
江國さんはエッセイがとってもうまい。女性の繊細な感性が飛び出ているのがみえるような気がする。
田口さんもエッセイの能力が高く「ひかりのあめふるしま 屋久島」を読んで、「あー、2回も屋久島に行ったのに、行く前に出会いたかったー」と思わず叫びそうになった。
諸田さんは時代小説を書いているが、「お鳥見女房」シリーズはとにかく最高。胸の底がジーンときます。「女・池波正太郎」になるのはこの人だ!と僕は勝手に思っている。
5人の作家の作品でもっともぶっ飛んだのは、川上さんの「センセイの鞄」だった。すごい作家が出てきたものだと感嘆した。でも、そのほかの作品を読んでみたどれも驚くほど肩透かしをくらう。しばらくしてそれが川上さんの本来のスタイルで、「センセイ・・・」は実験的作品だったということがわかりそれ以降読むのをやめた。
ちょっと前に、本好きの友人とメールでやりとりしながら、
「心に残っている好きな作品には何か共通点があるのかなー」と考えていて、
「読んでしばらく時間がたても、自分の中に『余韻』があるからだ」ということに気づいた。
今回、新たに若手女性作家を読んでいて気になったことは、ちょっと愛情が薄いんじゃないかということ。
かなりサラリとした感情の動きの登場人物が多いことも共通している。
露骨に愛情を表す必要はもちろんないんけど、哀しみや切なさのような感情も含めて「愛情」が希薄だとちょっとサビシイ。
スマートな文体かつ愛情織り成す作品という意味では、今も元気で書いている作家のうちからあげると、吉本ばなな(現在は、よしもとばなな)「アムリタ」がもっとも印象深い。
そして、女性作家「余韻ナンバー1」は以前も書いたとおり、やはり「向田邦子」であろう。
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