2008年9月7日日曜日

大敬先生の「般若心経」講義⑧「ひとつ命」にすべてはつながる


 いよいよこれで最後となります。
 観音様です。
 般若心経の「無智亦無得、以無所得故(むちやくむとく いむしょとくこう)」の10文字のところを読むと観音様が現れて、「よし、よし」と笑みをうかべてうなずいてくださると空海さんはおっしゃっています。

 自分の知恵がない「無智」、
 自分の能力がない「無得」、
 自分のものとすることはない「無所得」。

 宇宙には大きな響きが広がっているそうです。
 そして、その響きに同調するメロディーを描くと願いごとはすぐに叶います。
 逆にこれに反する思いの目標はなかなか叶わないし、叶わない方がいいのです。
 歴史上、名を残していますが、多くの人々の犠牲のもとで地位を築いた織田信長や豊臣秀吉の子孫は不幸でした。願いが叶ったからいいというわけではないのです。

 観音様は、音、響きを感じています。
 その人の持っている個性でその音、響きに同調できるようにすることが大切です。
 自分の能力ではない
 自分の力ではない
 自分の所有ではない
 そんな同調の方法なのだと思います。

 僕は42歳から思いのままの人生を送らせていただいております。
 近頃はそんな思いのままもなくなって、「思い及ばぬ人生」を感じられるようになってきた気がします。
 宇宙全体の思いを感じます。

 「思い及ばぬ人生」が観音様の生き方なのです。
 今日、この場所にいらした方の中にはそんな世界を見通せる人が出てくるのかもしれません。僕は30世紀に向けて自分ができることをしていこうと思っています。

 観音様は、手に蓮(はす)の花をもっています。なぜこの花をもっているのでしょうか。
 蓮の花は別々に咲いているように見えますが、水の中の泥の下では根はつながっています。
 命はひとつなのです。そのシンボルが蓮の花です。

 宇宙の響きもこの蓮の花と同じく、ひとつにまとまろうとしています。
 その流れに合わない願いは、叶いません。
 「ひとつ命」というゴールにすべてがつながっているのです。
 それがわかってくると、ふっと思うことが叶うようになってきます。

 野ギツネになったお坊さんの昔話があります。お坊さんが五百回生まれ変わりをするのですが、因果によってずっとキツネになっています。
 そのことに悩み、苦しみ、さまざまなことを心みますが人間ではなくいつもキツネとして生まれることになってしまいます。
 そして、とうとう、ある時、「自分はキツネでいいや(キツネとして生きていこう)」と思った瞬間、キツネとして生きていくことが終わり、人間として生まれ変わることになるというお話です。

 【呪の章】
 「呪」は口+祝という文字からできています。
 宇宙全体にはある響きが響いています。これに同調できるかが大切なのです。
 では、この宇宙の響きとはどういう響きなのでしょうか。
 それは、「祝福の響き」なんです。

 般若心経の「大神呪(だいじんしゅ)」とは、大いなる祝福のことです。
 「大明呪(だいみょうしゅ)」は、喜びと光明でいっぱいということです。
 「無上呪(むじょうしゅ)」は、高く澄みきった祝福、
 「無等等呪(むとうどうしゅ)」は、すべての人に平等に与えられ、包み込まれているということです。

 同調すると自分がこの響きを響かせられるようになる。これが「無等等呪」なのです。


 【真言の章】
 般若心経の終章はこうです。

 「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆賀 般若心教」
 (ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼうじそわか はんにゃしんぎょう)

 お釈迦様が悟られた時に叫ばれたのがこの言葉だったのです。

 それぞれの意味は、
 「羯諦(ぎゃてい)」は、着いた、
 「波羅(はら)」は、目的地(ゴール)に、
 「波羅僧(はらそう)」は、ゴールに皆一緒に着いた、
 「菩提(ぼうじ)」は、ひとつ命の成就、
 「娑婆賀(そわか)」は、めでたく、ありがたし、
 です。

 これらの言葉は、「完了形」として表されています。

 お釈迦様は悟りによって、人類の最後を確認されました。
 それが「ひとつ命」を悟ることが目標ということでした。
 「ひとつ命」になった、皆が同じ悟りとなったという目標です。

 【成果の章】
 「思いを実現するというのも、欲なのではないのか」と聞かれることがあります。
 悟りを教えないということで失望される方もいます。
 確かに悟ろうとすることも欲です。
 しかし、「ひとつ命」だけを目標にしていたら、人は伸びないのです。
 すべてを欲として認めた上で、仕事、配偶者、人、物事との関わりを、一つひとつ自分なりにきとんとやっていくことが自分を伸びていくことになるのです。
 欲を翼にして悟りをひらくということを、お釈迦様もおっしゃっています。
 自分の目の前にこそ大切なことがあり、きちんと向き合っていく心に「ひとつ命」というゴールがあるのです。

人  人  人  人  人  人  人  人  人  人  人  人  人  人  人  人  人  

 これで立花大敬先生の「般若心経講座」はひとまず終了です。
 このブログを読んでくださっている友人、知人の中には般若心経を読まれている人、書かれている人が数多くいらっしゃり、また僕が縁となり始められた方々もいらっしゃるので、大敬先生のこの貴重なお話は可能な限りありのままの形でお伝えするのが僕の役割だなと思い、メモ帳を横にしながら悪戦苦闘しつつご紹介してまいりました。
 ただ、個人的に新しい仕事が入り、本格的に向き合うことになるなど、身辺が急に慌ただしくなったため(僕はこれも般若心経の、そして大敬先生の講演を聞けた御陰だと思っています)に、ずいぶん時間を要してしまいました。読んでくださっていた方、また、気をかけてくださっている方には心よりお詫び申し上げます。

 また、この連載の途中には、驚き、喜ぶ、しかし、恐縮して冷や汗が背筋を流れるような出来事がありました。
 福岡・北九州での大敬先生の「禅の会」に参加された方から、東京の講演の内容を書きつづったブログがあるとこの禅の会で知り、ブログを読ませてもらいましたという丁重なメールをいただいたのですが、その僕のブログの存在を教えてくださったのがなんと“大敬先生本人“だというのです。
 僕はメールを読みながら初めて自分の身体が固まるという経験をしました。
 とはいえど、講演の紹介を途中で止めるわけにもいかず、暑さとは別のひんやりした汗を流しながら、書きつづり、なんとか本日書き終えました。

 連載の書き出しでもお断りしていますが、表記は一人称で記してありますが、それはなるべくありのままの形でお伝えしたいという思いからで、作業は聞き取ったメモを文章にまとめていく作業ですので誤字、脱字や先生の主旨をきちんとくみ取れていない表現などがきっとあると思います。
 この点、ご了承、ご容赦ください。また、お気づきの点がありましたら、ご面倒でもぜひお教えください。

 私は、大敬先生とのご縁によって学んだこの「ひとつ命」の教えを大切にして目の前のことに真心をもって喜びの気持ちを持って臨み、前に進んでまいりたいと思います。
 読んでくださっている皆様におかれましてもこの心による想いの実現法で幸せをつかんで喜びと光の存在になり、周りの人たちにその喜びと光を分け与えてあげてほしいと願っています。これからもどうぞよろしくお願い致します。

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