2007年12月31日月曜日

”終日の出”を拝む


 とうとう大晦日。

 今朝は大晦日らしく外気が澄んでいてピリリと肌寒い。
 7時前に家を出て、近所まで2007年最後の日の出である“終日の出”をひとり拝みにいく。

 太陽は天に上がってからがまばゆいため、その時間が一番エネルギーが強いように感じるが、実は「日の出、日の入りの瞬間」が最もエネルギーが強い。
 昔の人はそのことを良く知っていたから朝日に拝み、太陽のリズムで生活を送ってきた。

 また、これも昔の人は知っていたそうだが、
「太陽からエネルギーをもらう方法」というものがある。

 “もらう”というと、「(エネルギーを私に)ください、ください」「ちょうだい、ちょうだい」と強く念じれば思いが通じるかのように考えてしまうが、そうではない。これだと逆にまったく自分には入ってはこない。
 人はそれぞれが完璧なエネルギー体(良いエネルギー、悪いエネルギーは別にして)だから誰もが身体の内に隙間なくびっしりとエネルギーがつまっている。
 だから「ください」とお願いしてもエネルギーが入ってくる余地がないのだ。

 太陽からエネルギーをもらいたい時は、「わたしのエネルギーをお受け取りください」「受け取っていただけますか?」というふうにお願いするのである。
 すると、受け取ってもらえた分のエネルギーが太陽から自分の身体の中にすっと入ってくる。
 
 これは運が強い人やツキの強い人に会った時に、その人からエネルギーをもらいたい時も一緒である。

 “終日の出”に今年一年を経てこうしてたどりついた“今”を深く感謝する。
 とはいえ、寝起きの目にはその光がとてもまばゆく自然に涙が流れる。たまに横を行き過ぎる早朝ウォーキングの人には「朝から大丈夫?」と思われたかもしれないが、今年の終日の出はこの一瞬なので、恥ずかしいのは横に置いといて「今年も ありがとう」と頭を下げた。

年末恒例の感謝と反省の「般若心経」


 年内の仕事が昨日で終わり、30日は大掃除や追加の年賀状を書く予定を立てていたが、午前中は「写経」を書くことにする。
 写経は「般若心経」を書き写すことで、僕はお寺ではなく神社との縁で5年ほど前から始めてこれまでに800枚ぐらい書いてきた。
 ほんとうは毎日1枚でも1行でも書くのが理想的なのだが、日常の雑事に追われだすとあっという間に筆が遠のくのだからだらしない。来年こそは1日1枚、1日1行と思いながら数年が過ぎ去ってしまった。

 写経というと手を洗い清め、正座で姿勢を正し、きれいな文字で・・・などいろいろ細かな決まり事を言われるところもあるみたいだが、僕が出会った写経はそんな形式、作法のようなものはまったくといっていいほどない。 
 テレビを観ながら書こうが、あぐらだろうが、寝ころんでいようが(ちょっとこの格好では難しいけど)、途中でやめておいて再開しようがかまわない。ただ、水から自分で墨を摺って書くぐらい。まあ、だから僕でも今まで続けられてきたのだろう。
 書いたものは焼く、土に埋める、水に流すという3つの方法で供養や浄化に使っている。

 先日、「写経(般若心経)に出会えてよかったな」と思う話に巡り会った。
 般若心経は、玄奘三蔵がインドから中国に持ってきたといわれる。玄蔵三蔵は「西遊記」の“三蔵法師”として有名なお坊さんだ。
 三蔵法師はインドへ旅した時からすでにかなりすばらしい徳を備えたお坊さんだったらしく、立ち寄る国の王様が一度会うと魅了されて手離したくなくなる。だからいろんな理由をつけては出国を邪魔しようとする。
 このことが、妖怪が行く手をはばみ、悟空、沙悟浄、猪八戒がそれら妖怪を退治しながら脱出して旅を続けていくという物語の元になったそうだ。

 その三蔵法師が旅の途中で身体中から膿をたれながした女に出会う。当時この病気は家族の誰かに口でその膿を吸ってもらうと改善するという言い伝えがあった。だが、その女は身内がひとりもいないため三蔵法師に膿を口で吸いだして欲しいとお願いしたのだ。
 付き人の3人ものけぞるような姿の見も知らぬ女からの突然のお願いを、三蔵法師はなんの躊躇(ちゅうちょ)もなく快諾し、女の肌に口をつけて膿をズルリと吸い出す。
 するとその瞬間、その女は金色の光に包まれ、「観音さま」に姿を変える。
 観音さまは神界で三蔵法師の良いうわさを聞き知って、自分の目で確かめたくてあえて困難な試練を与えてみたのだ。
 それに対して、まったく躊躇することもなく瞬時に救済の行為を行った三蔵法師に観音さまは痛く感動し、
 「おまえはこれまでも大変な苦労をしてここまでたどり着いたことをわたしはよく知っている。ただ、これからはもっとつらく苦しい困難が待ちかまえているだろう。
 しかし、神は越えられない困難を科すようなことは決してしないものだ。おまえならその困難を乗り越えていける。ただし、どうしても耐えられないとくじけそうになることもあろう。その時はこの言葉を唱えなさい。わたしが困難を乗り越えられるようおまえの元に後押ししにまいるから」
 と言った。

 この時、観音さまが“もしもの時のために教えた言葉”が、「般若心経」だった。

 僕は、この話を知って、「あ~、般若心経に出会えてよかったな」とつくづく思った。
 神様はその人が超えられない課題(困難)は与えない。その人の成長に必要で必ず乗り越えられる課題だけなのだ。
 でも、その時々の自分が置かれた状況や気持ちのあり様によっては、自分の力ではどうにもならないことだって必ずある(僕の場合はしょっちゅうだけど)。
 そんな時、わずか278文字の般若心経が困難を前に躊躇する僕を後押しし、勇気づける存在になってくれるのだ。

 今年もそんな場面が多々あったというのに、12月は仕事にかまけてほとんど筆を持つことはなかった。毎年恒例になりつつある感謝と反省の思いを抱きながら墨を摺る。

2007年12月28日金曜日

「対面同席五百生」

 あと数日で今年も終わる。
 今年もいろんな「出会い」があった。
 仕事先で、プライベートで新たな人との出会いがあり、数十年ぶりの懐かしい顔との再会もあった。電車の中で身体がふれたので頭を下げた出会いや、公園のベンチに座ってひと言ふた言、言葉を交わすそんな出会いもあった。

 「出会い」について考えるとき、すぐに思い浮かぶのが、お釈迦様が言った
 「対面同席五百生(たいめんどうせきごひゃくしょう)」
 という言葉だ。

 自分が出会う人は過去に最低でも500回、人生をともに過ごしている人であるという意味である。

 親子だったり、夫婦だったり、恋人同士だったり、敵(かたき)同士だったり、お世話になっていたり、お世話をしていたり・・・・、過去にはいろんな関係があったのだろう。
 どんな形で出会ったんだろう、いつ以来の出会いなんだろうと想像してみるとワクワクしてくるし、出会った人に対してなんだかやさしい気持ちになれる。

 過去に500回の関わりのある人だと考えてみると
 「はじめまして」
 の人はいないのかもしれない。
 全員が実は、
 「久しぶりだね」
 なのだろう、きっと。

 そう考えると、来年もどんな出会いが待っているのか、いまから楽しみである。

2007年12月26日水曜日

クリスマスの夜はベランダから感謝をさけぶ

 昨日はクリスマス・イブだった。
 僕はそんなことなど関係なく朝から出社。
 前日の健全な同窓会のおかげで体調は非常に良好。睡眠もしっかりと取れたので今日からジャクソン・ファイブに入れそうなぐらい身体が軽い。
 休日の仕事だが、明日の朝が締め切りの仕事を1本仕上げてしまえば今年の仕事はほとんど終わったようなものだから気持ちはウキウキだ。

 ひとりで集中してやれたおかげで昼過ぎには仕事にもメドがたち、少し休憩を取ってコーヒーを飲みにいく。
 街は、クリスマスツリーなどブルーやホワイトのLEDライトの美しいイルミネーションで彩られている。
 若い頃はこの日が近づいてくると、彼女がいてもいなくてもなんだか落ちつかなくなってきたものだった。今思うとそんなことも懐かい。
 そんなことを考えながらコーヒーを飲み、店内に流れていたエルトン・ジョンの「キャンドル・イン・ザ・ウインド」を聞き終えてから仕事に戻る。


 とはいえ、子供たちにとって今がまさにそんな悠長なことなど言ってられないビッグ・イベントの時期らしい。
 サンタクロースにお願いするプレゼントを太いマジックペンでしっかりと記された画用紙が、家族が朝晩頭をさげる場所の棚の上に2週間も前からよく目立つように置かれている。
 そして、クリスマスを迎えた本日の朝はまさに(奇跡的にも!)自分がお願いした通りのプレゼントが枕元に届いていたのだから大騒ぎである。
 その息子は昨夜は興奮して夜中になんども目が覚め、そのたびに枕もとに腕を伸ばしゴソゴソと手探りしていたらしく、ゴソゴソの音が気になって嫁さんはひどい寝不足になってしまっていた。
 でも、そんなことはお構いなしに6時前には目を覚まして、妹まで起こして二人で大にぎわい。
 僕が起きたことに気づいて隣の部屋から顔をのぞかせ、二人は得意げにプレゼントを見せてくれる。
 娘は、欲しくて仕方がなかったままごとセットを広げ、仕事に行く準備で慌ただしい僕に「ちょっと横に座わって」と命令のように声をかけて、赤ちゃんと呼んでいる人形を抱かせようとする。
 「会社だから」と説明して逃げるように家を出る。

 夜、家に戻ってもまだまだクリスマス・プレゼントの熱気はムンムンで子供達は楽しそう。
 「お願いしたとおりのプレゼントでよかったなぁ、最近寝坊ばかりしてるからてっきり目覚まし時計が届くのかと思ってたよ」などとからかっていると、
 「あ、忘れてた」と息子が突然、言って妹を連れてベランダに出ていく。
 何事だろうとベランダを覗くと、
 「サンタさ~ん、プレゼントどうもありがとうございま~す」と二人で並んで夜空に向かって大声で叫んでいる。 
 「はい、わかりましたよ、と言うわけにはいかないよな」と考えながら思わず笑ってしまった。
 昨夜の満月から欠けていこうとする月をながめながら、まあ、これじゃ、来年もサンタさんはやってこざるをえないよなとひとり観念する。

2007年12月24日月曜日

"同窓生サイコー!!”でした

 東京・新橋の日テレ1Fのビア・パブで23日、同窓会&忘年会を開いた。
 今回は子供たちのクリスマス会やだんなさんの仕事の調整がつかないなどの理由で女性は誰も出席できず、男7人での集いとなった。
 幹事としてはなるべく女性たちに来てもらえるように日曜の正午からにしたのだが、うまくいかずとっても残念・・・。
 しかし、“男だけ”と決まってしまうと、それはそれでまたその状況にマッチした盛り上がってしまうからおもしろい。
 集まった中には20数年ぶりの再会という仲間もいて、歳月を経た容姿の変わりっぷりを目の当たりにして驚きと懐かしさと安堵が微妙に入り混じったような笑顔で話に花が咲く。

 社会に出るとさまざまな会合があるが、同窓会はそのどんな会合ともまったく異質で独特のなんともいえない雰囲気がある。

 ある仲間はエロの亡霊に取り付かれたような男になってしまい、「しばらく会わないうちにこんな最低の男になってしまいやがって、とほほ・・・・」とあきれてしまうが、そんな男になってしまったとはいえ、東京に出てきたばかりで困っているときになにかと助けてもらい、励まされたりしてくれたのはこいつだった。

 女性問題でなにやってんだよと思ってると、自分が若い頃につきあった女性の名前をしっかり覚えていたり、別れて死んでしまいたい気分になったときに仕事があるのに寝ずに相談にのってくれた相手だったりする。

 相手を指差すと、3本の指は必ず自分の方を向くのと同じで、なんだか怒りようにも力がふわりと抜けてしまう。

 自分が直接関わっていなくて知らなかった思い出話でも、どこかでその時間や場所、人に影のような記憶がつながっている感じも心地いい。
 そんな記憶をたどった先にある自分はやわらかく気づきやすく、そして限りなく無力だ。
 個人差はあるだろうがこうして集まっているみんなが当時はそんな存在だった。今、えらそうなことを言っても、また、当時そんなに仲が良かったわけでなかったとしても同じ土地のうえで、同じ空気を吸い、同じ時間をすごした仲間が今につながっている。それが同窓生なのだ。 
 まあ、歳をくって生きてるといろんなことはつきものだけど、また近いうちに集まって一緒に飲んで語り合おう!

 同窓生サイコー!!

2007年12月22日土曜日

都市(まち)に緑をふやす議員


 東京・新宿区の根本二郎区議会議員は「都市(まち)に緑をふやす議員」である。

 知人に紹介されて先日初めてお会いして話を聞いていてそう思った。

緑の活動に関わるきっかけは花粉症の原因について友人から言われたひと言だったという。
花粉症になり苦しんでいる人が増えているのはスギの木が悪いからだと言った根本議員に対して、八王子で炭焼き職人を営んでいる旧友は「スギが悪いんじゃない。人が悪いんだよ」と言った。

 日本の山は戦後、建築材の需要を見込んでスギの苗木が大量に植えられ、それが育ってきて使える時期を迎えているが、価格の安い輸入材が大量に入っているため売れる機会を失い人の手入れもおぼつかなくなっているため荒廃の一途をたどっている。
 花粉は間引きに当たる間伐や枝打ちなど手入れをされずに健全に育つことができない“スギの切実な悲鳴”であることを実際に足を運んで山を自分の目で見て根本議員は知ることになる。

 即行動と考えた根本議員は八王子や奥多摩の檜原村の山などで動物のエサになる実をつけ、涵養機能にも優れた広葉樹のドングリなどの植林を始める。
 苗木代は1本1本に協力者の名前のプレートをつけることを条件に1本1000円で寄付を募るアイデアが評判を呼び、賛同してくれた仲間とこれまでに約600本の苗木を植林してきた。

 また、新宿・歌舞伎町周辺でも「新宿花いっぱい運動」を呼びかけ、昨年11月にはモア4番街のオープンカフェなどでハンギングバスケットや花壇、フラワーポットを飾っていく運動を実施した。

 多くの人々が集う通り沿いに花を飾り、目をとめてもらうことでることで人の心がやすらぎ、街の美化や防犯にもつなげていければとの願いもあるそうだ。

 区役所の屋上緑化や玄関前のハンギングバスケットも見せていただいた。玄関前のガードレールが東京・多摩産のスギでできているのにはびっくりした。

 順調そうには見えるが、もちろんすべてがうまくいくわけではない。
 課題をうかがうと、「花はいいけど管理はうちじゃできないよ」というのが地域の大半の大人たちの反応なのだという。
 公への貢献・奉仕の精神がかなり薄れてしまってるんだろうなと残念な気持ちになるが、これが都会の商業地のありのままの実態だ。

 表面を花で飾ってもそこで生活する人、関わる人の心の中に花が咲いていないと、手入れされずに花が枯れてしまうように運動も長続きすることはできないのだ。
 
 根本議員、花が咲いていなのなら、それを咲かさせるのもあなたの役目です!がんばって!

 まあ、そういう僕も最近になってようやく花を買うようになった。
 半年ほど前から母と義父の月命日には花を買って帰るようにしようと思い、うちには仏壇はないので遺影の前に花瓶に差して飾る。
 花といったって大したものではなく、異なる2種類ぐらいの花をそれぞれ3、4本パッと見て気に入ったものを選ぶ。もちろん花の名など知らない。でも見て関わっているうちに名前も少しずつ覚えていくから不思議だ。
 花瓶の中に入れる水は、前にもブログで書いた“ありがとうの水”だ。
 ありがとうの水に入れておくとびっくりするぐらい、たぶん2倍以上花持ちがする。
 
 根本議員にはもうひとつの顔がある。それは焼鳥屋「結」の主人という顔だ。
 多忙なのでお店に顔を出せるのは月曜日だけのようだが、年が明けたら日をみてうかがい次回はカウンター越しに酒を酌み交わしながらいろんな話をまた聞きたいと思う。

日高あいさんからの返事がうれしくて



 日高あいさんの東京・内幸町でのコンサートに行ってから10日ほどたってからあいさんにはホームページがあるということを教えてもらい、早速見てみる。

 自由に書き込みができる「BBSコーナー」に、コンサートを訪れて、あいさんの歌声を聴いてエネルギーをたくさんいただいた感謝の思いを書き記しておいたところ、その日のうちにBBS上にお返事を書いてただいていることを翌日何気なくホームページを見て気づき、びっくりするとともに感激した。

 その夜は新宿の「音ステージ」がある重要な日であったにもかかわらず、返事はすぐに書く、そんな相手のことを思う誠実で思いやりある気持ちにふれて、やっぱり人柄だよな~とうれしくなって「タッチ・ミー」を聴きながらこのブログを書いている。

2007年12月20日木曜日

ゲリー・ボーネル「5次元世界はこうなる」が示すこの世の終わり


 ゲリー・ボーネル&高橋克彦の「5次元世界はこうなる」(徳間書店5次元文庫)は、僕の中で長年、モヤモヤとしながら疑問に思ってきたことをかなり多くの部分でスッキリと晴らしてくれた一冊である。


 「2012年12月22日、この世は大きな変化を遂げる(う~ん、今からちょうど7年後だ)」
 このことはマヤの予言、フォトンベルト説、ヨハネの黙示録、ホピ族の予言など数々の異なる世紀の予言でなぜかこの“年月日”を特定し、“世界に未曾有の大変化が起こる”と述べている。

 僕は昔からジャンルなど構わずランダムに年間120冊ぐらい本を読む。以前はまったく気にしていなかったが、ある時に「あれっ、この2012年12月22日の数字の不可思議な符合はなに!?」と気づいてから、この年月日を気にするようになった。

 では、どういう風にこの世が変わるんだろうかと、文献等で調べていくとその多くが「アセンション(次元上昇)」が起こると予言していることがわかった。
 アセンションとは現在の3次元が次元上昇して5次元になるということらしく、具体的にどういうことが起こるのかというと「相手が考えていることが(言葉や動作など必要とせずに)瞬時に分かってしまう」「自分で思ったこと、考えたことが瞬時に実現する(叶う)ようになる」というのだ!

 僕はそれを知って、2012年12月22日に何が起こるかを自分なりに理解した。
 「あ、なんだ~、この世が変わるって、みんな死んでしまうことなんだ~」と。
 なぜなら、人は死ぬとすべての人が帰るべきところに戻っていくわけだが、その死後の世界こそまさに
「相手が考えていることが言葉や動作など必要とせずに、瞬時に分かる」
「思ったこと、考えたことが瞬時に実現する(叶う)」
世界だからだ。

 そう思ったからといって、刹那的になって自暴自棄に享楽的に生きていこうと思うほど僕は若くはなかった。
 人はその日、その時を自分なりに今の自分と向き合いながら生きていくしかないということにすでにうすうす気づいていたからだ。

 ということで逆に開き直ったわけではないが2012年12月22日、またその数年前から起こるといわわれるさまざまな予兆がどんなことなのか楽しみにするようになった。

 そんな僕が先月、ゲリー・ボーネル&高橋克彦の「5次元世界はこうなる」と出会った。
 ひとことで言うとなんだか僕がこの道を歩いてくるということを前もって知っていて待ちかまえられていたような作品だった。
 中学1年の夏休み、地元のお祭りに行って友達と待ち合わせた場所に歩いて向かっていると、3年生の5人組が待ちかまえていて「おまえ、生意気らしいな」と胸ぐらをつかまれて、「そんなことはない」と言ったら頬をはたかれ、その上級生の奥に同級生が隠れているのを見つけて、「あいつが先輩に陰口したのか、なんで自分で直接言わないんだよ」と思った。
今回はそんな姑息な手は使われず、まさに正々堂々、直言の書だった。

 著者のゲリー・ボーネルという人は、スウェーデン・ボルグ、エドガー・ケイシーというスピリチュアルの世界の巨人と同様に「人類の智の集積」である“アカシック・レコード”にコンタクトできる特殊能力を持つといわれる現存する人物で、対談相手の高橋克彦は日本の作家である。

 まず、この書でわかったことは、人類すべてが一瞬にして滅んでしまうことはないということである(前の文明は聖書のノアの箱船にも表されているように大洪水で滅んだ。地球と太陽の間にある引力の網に流星が引っかかり、それが含んでいた氷(溶けて水になり)が地球に降り注いだため大洪水となったとの話もある。その流星が現在の“月”で、月は実際に内部はガランドウで、表層の厚い部分だけを地球側に向けて地球の周りを回っている)

 でも、人類は徐々に少なくなっていく。それには「思ったことがすぐに叶うようになる」現象は深く影響している。
 良く思っていること、良き言葉が叶うように、その逆の悪い思い、悪い言葉もどんどん叶うことになる。
 悪く思うこと、悪い言葉が続々とその人の目の前で叶っていくことに耐えられず、また大きく変わる世界の在りようを受け入れられない人が”自死”していくということらしい。

 米国人であるボーネル氏が世界の民族の中で日本人がもっとも生き残る比率が高い、なぜなら一神教ではないためといっていることは興味深い。
 また、日本人がなぜ先祖を大切にするのかということ、現在、世界で人口爆発が起こっていることの理由についてもふれている。いずれもほんと不思議な話だし、少し切ない気持ちにさせられる理由だ。
 キリストの生まれ変わりがすでにこの世に生まれイギリスのロンドン近郊に暮らしていて、まもなくその姿を公に表すという話に至ってはおもわず「えっ」と声をあげてしまった。キリスト教徒はたまんないだろうな~って思う(実際ものすごい抵抗が起こるらしい。だって天から光に包まれて降りてくるわけでもないし、見た目も普通のオジサンだもの)。

 ボーネル氏は10年ほど前に出版した著書に書いていた「光の12日間」についてこの書で再びふれているがこの話もおもしろい。
 2012年の数年前から宇宙磁場が強まる世界(フォトンベルト)に入っていく際に、目に見えるビジュアルの世界でこの世が徐々に光に包まれ始め、現実の劇的な変化を認められず受け入れられない人々が白雪姫のように深い眠りに次々と陥っていくらしい。
 仕事や学校に仲間がこないので、心配して訪ねていくと「寝てます」と家族の人から言われたら「おっと、そろそろ始まったのか~」と気をつけましょう。
 それよりも自分が寝坊ばかりし出したらつねってでもいから起こしてもらうよう家族にお願いしておくのが先かもしれない。

 冗談はさておき、状況がこのままであっても、2012年12月22日に向けて劇的に変わっていこうと、自然なのか宇宙なのかわからないが大いなるモノから必要とされ、自分にとってもこの世に滞在することが必要であれば、間違いなく生かされていくし、そうでなければ駄々をこねても土下座をしてお願いしてもあちらの世界に引き戻されていく。これは状況がどう変わろうと不変なのである。

 その中身を信じる、信じないは横に置いといても、「知的遊戯」として十分に楽しめる一冊だと思う。

2007年12月19日水曜日

しばらく待ってでもまもなく動き出す「200年住宅」がいい!

 前回このブログで現代の住宅ローンにつきまとう“危険さ”について<熱く>私見を述べた。
 すると早速、リンク・ブログの「ダニエルさんちのフランス便り」の友人から「私の家は築103年以上だよ~」というメールももらった。

 さまざまな分野で優れた技術を持ち、誇りとする“日出ずる国“も、こと一戸建て住宅に関してはフランスにはとお~く及ばないことを痛感し肩を落とす。

 そんなやりとりを聞かれてるはずもないのに、お手伝いしているNPO法人の理事長から「国土交通省で200年住宅構想について直接担当役人から話を聞けることになったから一緒に行く?」と声をかけられたので、ぜひぜひと一も二もなく連れてってもらうことにした。

 200年住宅は福田首相の肝いりで来年から本格的に動き出す住宅政策である。
 「今まで30年の寿命だったのにほんとに200年持つ住宅になるのかい!」と言われそうなネーミングだが、“200年”という期間はシンボルのようなもので「200年後には建てた人も住んでいる人も、またそれに関わったすべての人がこの世にいなくなるんだけど、それ以降も資産として残っていく住宅のための環境づくりをみんなでやっていきましょう」ということでつけられたらしい。
「なんだい、たまには国土交通省も洒落た発想をするじゃないか」と担当役人に話を聞きながら胸のうちで感心する。

 これまでの住宅とどのへんが違うのかというと、
 たとえば従来の住宅を建てるなら坪当たり50万円かかったが70万円にすると200年住宅が建てられることが認められると、アップする20万円のうちの半分の10万円を国が補助してくれるということになるらしい。
 そのほかにも税制面で登録免許税や不動産取得税、固定資産税を減額してもらえるのでこれもかなり大きな優遇になる。もちろん銀行も支援することになるので0.3%ぐらいの金利優遇は確実に見込める。

 ローン期間も従来は最長35年なのだが、これが50年まで延長されることになるようで、そうなると2代で支払っていくリレーローンや財産分与などの手法が適用されることになるだろう。

 そして、なにより欧米のように「住宅が資産になる」よう中古住宅市場の環境整備がこの200年住宅を皮切りに本格的に動き出すと思われるので、10年で資産価値がほぼゼロになる現在の状況が打開されることが期待できる。

 イタリアに長く住んでいた商社マンが以前、「イタリアではおじいさんが家を建て、おとうさんが内装を張り、その息子が家を飾ると家づくりのことを教わった」と言っていたのを覚えているが、日本の一般家庭にも将来、それと似たような住まいの格言が生まれるかもしれない。

 本格的に市場で動き出すのは早くても来年中盤以降になるのだろうが、これから住宅を建てるのなら、しばらく待ってでも200年住宅にすべきだ、と僕は思う。

2007年12月17日月曜日

住宅を購入する際はくれぐれも慎重に

 今日は住宅金融支援機構の広報担当の人と会って住宅ローンのことについて話す機会があった。
 同機構は、かつて住宅金融公庫と呼ばれていたが、小泉前首相の構造改革のあおりを受けて民営化されてしまい現在の機構になった。広報担当の人も公庫の時代はのんびりやってたんだろうけど、「民営化してしまいましたんで、いやはや」って感じの話ぶりになんだか今は大変そうな感じ。

 わざわざ広報担当の人が訪ねてきたのは、同機構が押し進めている長期固定金利のローンへの借り換えを呼びかけていることを情報提供の面で協力してほしいということらしかったが、僕はかねてから住宅ローンについて思うことがあったので専門家の人と話せる機会が持てて内心喜んだ。

 日本の住宅業界には山ほど問題がある。
 まず、日本の住宅の平均寿命が30年であること。欧米の3分1ぐらいしかない。
 でも、住んでいる人はというと日本人の平均寿命は女性が86歳、男性が79歳で世界一である。
 住んでいる人の半分にも満たない寿命の住宅で日本人は暮らしているわけだ。

 僕は4年ほど前から住まいに関するNPO法人の活動をボランティアでお手伝いしている。この中で一般の人々からの相談も引き受けてきたが、住宅を建てること(買うこと)で人生を大きく狂わされる人が数多くいることを知った。
 また、家を建てて良い人とダメな人がいて、ダメな人が家を建てると必ずといっていいほど近い将来、金銭面で行き詰まり破綻に追い込まれしまう実例も多々見てきた。
 日本の住宅の担保は欧米のように建物が担えるわけではない。建物は10年もすれば資産価値はほぼゼロで担保になどならない。だから人の命である”生命保険”がローンを担保するのだ。
 にもかかわらず、住宅の営業マンは建てて良い人、悪い人の見境いもなく「家を建てよう、買おう」とさまざまなトリックを弄しながら甘い言葉を投げかけてくる。
 そのひとつには、「家賃を払うなんてもったいない」「今の家賃分の支払いで家が建てられます。あなたのモノになるんですよ」というものがある。

 現在の住宅ローンがどのようになっているかというと、住宅金利は日本の歴史上最も低い水準にある。でも、それにもかかわらず35年のローンで3000万円を借りると支払う総額は5000万円前後になる。最初の10年はまさに金利の支払期間のようなものなのだ。固定資産税を始めとする出費もひかえている。
 この住宅ローンについて誰から情報を得るかについて、先の住宅金融支援機構が行ったアンケート結果があるが、なんと回答のうちの80%以上が「住宅の営業マン」なのだそうだ。
 家を売りたくて仕方がなくて、売るためなら手段を選ばないような人から最も大切な住宅ローンに関する情報を得て、お願いするなんてサファリパークの草原を牛肉の固まりをしょって歩きまわるようなものだ。鳩にあしたから首を振らないで歩けと言ってもどだいムリな話なのだ。

 給料が年々右肩上がりで、ボーナスもしっかりと支給されて・・・という自分たちの親が過ごしたかつての良き時代はなんとかなったかもしれない。
 でも、当時のままの住宅ローンをはじめとするファイナンス体質のまま、30年周期でスクラップ&ビルドを練り返すような建物が連綿と引き継がれているような時代の流れの中で、病気になったり、給料が大きく落ち込んだり、仕事を失ったりするような事態に陥ったらまさしく”ゲームセット”だ。

 住宅ローンを組んでもらうことが本業であるのは重々わかっていますが、もっと消費者の立場になって情報提供をしていくほうが先々支持されるのではないでしょうか・・・・

 そんなことを大人げもなく、機構の広報の人に熱く語っていた。

 これはどうやら先日、日高あいさんのコンサートにいった時に原因があるような気がする。
 彼女の歌を聴きながら、なぜかふと自殺者のことが頭の中にくっきりと浮かんできた。
 どうしてなのかよくわかんないけど、同じ国で生まれ育った人が毎日100人以上自らの手で自らの命に終わりを告げていることが無性に残念でたまらなく哀しくなったのだ。
 住宅の返済が滞り(それはひとつの現象で、深刻な資金ショートが原因だろうが)世を去る人も多い。それを自己責任と言う人もいることだろう。じゃあ、困っている人や弱者をあっさりと切り捨てるのなら政治とはいったいなんなのだろうか。
 そんなことが頭の中のどこかに残っていて、それに関わる人には何か伝えなくちゃと思ったのかもしれない。

 それでもそんな話を真剣に聞いてくれた広報のお兄さんには明日、お礼とお詫びのメールでもしておかなくては。

 




 







 

2007年12月16日日曜日

第4回読書会を開催。宮城谷昌光「奇貨居くべし」


 今年から仲間達と「読書会(内々では「観想会」と呼んでいる)」を開催している。


 数年前に仕事の縁でつきあいが始まり人としても大いに尊敬している方から昨年末に宮城谷昌光さんの小説を薦めていただいた。
 前々から書評や書店で見かけたり、読んだという人から話を聞いたりしていたが、中国史を舞台とする作品である点などになかなか興味を持てず手にしていなかった。  
 でも、この時は「これは良き機会なのかな」とふと思ったため読み始めたところ、いっぺんに”ハマってしまい”、半年ほどで文庫化している作品はほぼすべて読破していた。
 そういう意味では今年前半は、宮城谷作品にどっぷりとつかった読書生活の日々であり、物事の実りには「天の時、地の利、人の和」の3つがそろうものだという故事を、なんとなく実感できる期間にもなった。

 紹介してくださった方と一緒に飲むたびに話題は宮城谷作品になり、毎回話は白熱して盛り上がり、「どうせなら、しらふで仲間達にも声をかけて大勢でやろうじゃないか」ということで意気投合して、とうとう読書会を開くことになってしまった。

 読書会は、作品を決めて、それを全員が読み、休日の午後3時に集まって自分が心ひかれた場面や感動した一節、疑問に感じた部分などそれぞれが忌憚(きたん)なく作品について意見を述べあうという場になっている。
 顔ぶれは50歳代~30歳代まで年齢はさまざまで、人数は5~8人ぐらいが参加する。
 残念ながら現在は男性ばかりの集まりだが、ぜひ女性の意見も聞いてみたいと思っている。

 4回目となる今回のテーマとなる作品は「奇貨居くべし」(全5巻)だった。
 この作品は主人公の呂不韋が一商人から一国の宰相のにまで昇り詰めていく波乱の生涯が描かれている。
 どんな感じで読書会でのやりとりが行われているかその一例を少しだけ紹介すると、

 Aさん:「私は2巻の334㌻の
 『《人は、生きていることを、他人とはちがう表現において証拠立てよ》
  孟嘗君(もうしょうくん)が暗にいっているのは、そういうことらしい』
 の一文にひかれた。これは人ぞれぞれ生きていくテーマが異なり、その人の持ち味、役割があるはずで、それを早く見つけ役立たせていきなさいという意味と受け取った」

 Bさん:「なるほど、なるほど。私は人のやることは同じ生き方のように見えても質と重さが違う。よくよく思考したのち、行動にもそれを表していきなさい、と言っているのだと取った」

 Cさん:「僕は3巻の314㌻のこの一節を子供に伝えていきたいと思った。その部分は、
 『ーーたれにとっても、結婚は重大事である。
  と、鮮乙に教えられていると呂不韋はおもった。
 伴侶になる者が、幸運をもっているのか不運をもっているのかわからず、父祖の徳をうけついでいるのか悪徳をうけついでいるのか、本人でもわからない。さらに、幸運と父祖の徳とを兼有していながら、結婚相手によってそれらが相殺されてしまうこともありうる。だから大志をもつ者としては、結婚を慎重にしなければならない。幸運は長つづきするはずがなく、一方、不運は長い。要するに、いま栄えている家の者と結婚すれば、まもなく衰運にみまわれ、いま零落している家の者と結婚すれば、不振をうけいれることになる。いずれにせよ、人は不幸であり不運であると認識し、そこから出発するつもりで、不運を幸運に転化する努力をおしまない人を伴侶にえらぶべきであろう。その努力とは、めだたない日常生活のすごしかたに、かならずあらわれているはずであり、その平凡な事実が、じつは結婚生活にとってきわめて重要であるとおもったほうがよい』
 この一節です」

 Dさん:「なるほどなぁ、自分の結婚生活について考えてしまうよな、この部分は」 

 Eさん:「その一節に通ずることで、2巻の185㌻に
 『侈傲(しごう)の者は亡ぶ。貴賤を問わず、そうです。なぜ、天子や諸侯は亡びないのか。先祖の威徳がそれらの貴人を助けているからだ。それに気づかず、侈傲でありつづければ、三代で亡ぶ』
 とある。自分を戒めておかないと、できれば徳を積んでいかないと次の代がその報いをこうむるということを教えてくれる。Aちゃん、あんたが社長からよく言われていることじゃないか。徳をつまなきゃ、Aちゃん、やばいよ!」
 Aさん:「ごもっとも・・・・・(絶句)」

 といった感じで、いろんな意見を出し合いながら、3時間ほどみんなで考えを交わしていく。
 自分が読み流してしまったところが取り上げられて「なるほどな」と気づかされることも多々ある。
 
 いずれの宮城谷作品も読んでいて楽しいということが共通しているが、史実に乗っ取りながら人の生き方、考え方、身の処し方など、示唆に富んだ部分が随所にあり、読んでいて自分を鑑みるための良き刺激となってくれる点が大きな特徴だ。

 終了時の飲み会も大いに盛り上がり、師走の忙しい時期になんて贅沢な時間を過ごしているんだろうと至福のひとときの満喫を味わいながら帰路についた。

 




 

2007年12月13日木曜日

日高あいさんのコンサートに行ってきました



 日高あいさんの東京・内幸町ホールで行われたコンサートに行ってきた。

 彼女は、僕と同郷の鹿児島出身で、世界遺産になっている屋久島で生まれ育っている。
 仕事でもお世話になっているSAIさんから昨年、誘ってもらって初めて東京目黒ブルースアレイジャパン・コンサートライブハウスに足を運んでからこれで3度目となる。
 日高あいさんの魅力はなんといってもイタリア留学を経てカンツオーネ歌手としてデビューした経歴が示す通り、透明感あふれる歌声と抜群の歌唱力にある。
 僕はこれまで2度訪れ、縄文杉との対面や四方を囲むコバルトブルーの海など、手つかずの大自然に包まれた屋久島に心底魅了されているせいか、彼女の所作の折々にちらりと見られる自然が育んだと思われる”まっすぐさ”が好きだ。
 今日は偶然(すべては必然で偶然はないんだけど、一応修辞的に)にも2ヶ月ぶりに仕事の打ち合わせでお会いしたOKAMOTOさんが旅行をしてとっても感動したんだという話題になり、その場所がなんと”屋久島”だった!
 数年前に娘さんから「今まで見た中で屋久島の夜空が一番美しかった」といつか行くよう薦められ、自分の目でその屋久島の夜空を見たらやっぱり一番美しかった、という話にはグッときた!
 さらに屋久島に向かう前日に泊まった町がまたまたなんと!僕の生まれ故郷の町だったということで、「自然あふれる景色もすばらしいし、住んでいる人もほんとに親切で、なんていい町なんだろうって思ってたんだ」のひと言を聞いて、僕は今日一日、ほんとに幸せな気持ちで過ごすことが出来た。
 自分のふるさとを褒めてもらえることほどうれしいことはない。
 こちらこそ訪れていただいて、”ほんとにありがとうございました”!
 おっと、脇道にそれたが、日高あいさんの話。
 今回は、元力士の大至さんも参加して熱唱し、大いに盛り上がった。
 個人的には、全編鹿児島弁の「でげてげに せんねん(2000年)=鹿児島弁で「ほどほどにしなさい」という意味」を聞けなかったのが少し残念だったが、節目となるデビュー25周年を経て、来年からさらに活躍してくれるのではないかと楽しみにしている。
 あいさん、きばれよ~
 

エコプロのイチ押しは間伐材のカブト、クワガタだ!


 東京・お台場の国際展示場・東京ビッグサイトで13日~15日まで開催されている「エコプロダクツ2007」に出展している商品の中で、僕のイチ押しは、国産材の間伐材で作ったカブト虫とクワガタである。
 桂浜の坂本龍馬像をバックにカブトとクワガタがなぜたたずんでいるかというと、彼らは高知県産の木材で作られているからだ。
 環境にやさしい間伐材を利用してこの商品を開発、販売しているのは㈱ゼネラル・プレス(http://39sbug.org/)で、「森の木々の力に感謝(サンクス)し、森林によるCO2量削減目標であるマイナス3・8%(我が国の目標値。当初は3・9%)を実現してほしい」と頑張っている。
 だから商品名は「3・9’sBUG(サンクスバグ)」。
 ひとつひとつ手作りだけど価格は1個420円(税込み)と意外にリーズナブル。だけど、教材用とか販促用でまとめて販売する予定らしいので、ご興味のある方は会場で交渉するか、ご確認を。
 うちには2匹が仲良く冬の雨を眺めている。
 
 

”ありがとうの水”海を渡る

 今朝は久しぶりの雨。
 
 こんな朝にはと思い、ビリー・ジョエルとどっちにしようか迷ったけど、これまた久しぶりにユーミンのアルバムを引っ張り出して聴く。

 「海を見ていた午後」が流れている。
 窓の向こうの細い雨を見ながら「冬場の乾燥が激しいから潤いの恵みの雨かな」
 と思ったけど、
 パソコンを開いてブログを見て、フランスにいる<ダニエルさんちの>友人の”水の呪い”がはるか遠くの日本にも作用したのだとわかった。

最近、”ありがとうの水”を飲むようになったという話は、読んでいてジワジワとうれしくなった。
 今朝もコップに氷をたっぷりと入れて水をそそぎ、その水にモゾモゾとありがとうの言葉をつぶやいて飲みながらブログを読んでいてそのことを知ったので、海を隔てた遙か遠くにある別々の国で同じことをしながら水を飲んでるんだな、と思い浮かべるとなんだかおかしいようなうれしいような気持ちになってひとり笑ってしまった。
 
 ”ありがとうの水”は、身近では絶大な効果を発揮していて、毎年この時期になるとひどい寒冷じんましんでかゆみに苦しみ、お風呂からあがると体中に真っ白な保湿クリームを塗りたくっていた息子がほら、すべすべだよ、と太股をなでながら喜んでいる。
 自分もそれほどひどくはないが今年はかゆみに一度も悩まされていない。
 また、前に書いた義弟から教えてもらった白髪が黒くなるという効果だが、なんだか白髪が徐々に黒くなってきたような気がするのは気のせいだろうか。YUさん、黒髪の世界へお先に!

 2月14日には友人がフランスから日本に帰ってくる。多くの友人たちと出迎え、みんなで乾杯したあと、”ありがとうの水”で乾杯をしながら語り合うことを今からとても楽しみにしている。

2007年12月11日火曜日

「水は答えを知っている」


 「水は答えを知っている」(江本勝、サンマーク出版)は、僕にとって「生きがいの創造」(飯田史彦)と同様に、精神世界を意識して見つめるようになった原点ともいえる1冊だ。

 4年ほど前に、奈良県の天河弁財天神社で写経をする人たちが集う機会があり、そこでこの本のことを知って、帰ってからすぐに手に入れて読み、出会えたことを心からうれしく思ったことをいまもありありと覚えている。

 いい!と思うと周りの人にすぐに伝えたくなるし、また自分で実践したくなるタチなので、(以前、ここでも紹介し、現在はかなりの”進化版”!になっているが)透明な水差しを買いに出かけ、油性ペンで大きな文字で「ありがとう」「愛」「感謝」と書いた。
 遊びに来る人はそろって「おっと、新しい宗教に目覚めたか」といった顔をするが、これがねらいで、そこからこの本の話題が始まるというわけだ。ふふふ・・・

 本の内容は、前回少しふれたが、水にさまざまな言葉や音楽を聞かせてその水を冷凍して結晶化させる。すると、その言葉、音楽によって水の結晶がまったく異なる表情を示す。

 ガラスのビンに水を入れ、文字を書いた紙をビンに貼った結晶をたくさん撮影して紹介しているが、「ありがとう」「愛・感謝」の結晶の美しさには目を奪われる。
 それは、英語でもフランス語でも中国語でも共通して美しいこともおもしろい!
 その一方で「ばかやろう」「You fool」「ムカツク・殺す」のように人を傷つける言葉はどれも結晶さえできずにぐちゃぐちゃのままである。
 「しようね」はかわいらしい結晶ができるのに、「しなさい」と命令形になると結晶にならないというのも興味深い結果だ。

 水道から出る塩素が入った水道水はきれいな結晶を結べないが、「ありがとう」と書いたり、声をかけているときれいな結晶を描き始めることもこの本で知った。
 逆に六甲の水のような結晶のきれいなミネラル水でも「ばかやろう」と言っていると結晶が損なわれていくのだからやっぱり不思議だ。

 身体の70%が水である人はやはり水そのものの存在だ。
 良き言葉を投げかけるよう心しなくちゃ! 

村上龍「エクソダス」と子供のイジメのシカト


 先日、読んだ宮本輝、村上春樹に続いて「はじめての文学」シリーズの村上龍を読む。
 村上龍の短編なんてあったんだ~、という感じで読み始めた通り、どの作品も初めて読むものばかり。
 まずは、「まえがき」がなかなかいい。
 本編は龍ならではの切り口、文体によるいつも通り個性的なものばかりで、「主な読者層だと思われる若い人たち」(まえがき)のうち、どの層の若者がどんな感想を抱くのか、どこかでぜひ聞いてみたいものだと思った。
 僕が20歳の時に渋谷で出会った横浜に住む15歳の女の子は「本なんて読むの?」と訊ねたら、「山田詠美が好き。あんな小説が書きたい」と言って笑った。
 派手な衣装が流行った時代で、赤いボディコンに身を包み「歳の割りにずいぶんませたことを言う娘だな」と最初は思っていたけど、話してみると素直でいい娘だった。
 その後、数年経って、共通の知人に彼女のことを訊ねると黒人とつきあい始めて生活が荒れていると教えてくれた。
 あなたのことをたびたび話していたから、言うことを聞くかもしれないからしっかりするように言ってと頼まれ、しばらくしてから連絡を取ったが、その時にはどこで暮らしているのかわからなくなっていて、それっきり会うことはなかった。
 20歳の僕にとって、そして15歳の彼女にとって、村上龍、山田詠美はとっても刺激的な作家だった。
 この本の中で紹介されている「希望の国のエクソダス」(本来は長編だが、一部のみ掲載)の中で、中学生のイジメについて書かれたシーンはかなり秀逸だ。
 その部分は「・・・シカトするほうは、それが人間にとって非常に辛いことだと知って、それをやるんです、イジメの中で一番悪質なのがシカトだと思います」と結ばれている。
 さまざま言葉や音楽を水に伝えて、それを凍らせた結晶がどのような違いを見せるのか、著書「水からの伝言」の中で写真でわかりやすく紹介し、ベストセラーになった江本勝さんは、
 怒りをぶつけた水の結晶が形を大きく損なっているのに対して、感謝の言葉をかけた水が美しい六角形の結晶を描くという自然の摂理の不思議さをビジュアルで誰もがわかるように教えてくれた。
 しかし、怒りをぶつけ形を損なった水の結晶以上にぐちゃぐちゃに損なわれた結晶を描いたものがあり、それが”無視をし続けた<シカトされた>水”であったことを知ったとき、僕は人に対して決してしてはいけないことがあることを学んだ。
 人は水の生き物だ。
 言葉、音楽によってその姿を大きく変えていく水の結晶が伝えてくれる物語の意義は深い。
 
  

2007年12月8日土曜日

朝瀬蘭さんと”メディテーション(瞑想)”してきました



 先日、メディテーション音楽の作曲家である朝瀬蘭さんの演奏を聴いてきた。
 メディテーションとは「瞑想」のことで、この音楽は身体にリラクゼーションをもたらしつつ、集中力を高めてくれるのだという。
 新潟大学大学院医歯学総合研究科の安保徹教授の「スポーツ競技会、試合の前、試験の前、重要なプレゼンテーションの前などにメディテーション音楽を聴くことにより、リラックスしつつも集中力が高まり、持っている力を十分発揮することに繋がることが期待できる」との医学的検証の解説もあり、
 朝瀬さんの曲は聴いた後に血液を調べると顆粒球の比率が増加し、リンパ球の比率が低下しており、このことは「音楽の好き嫌いに関係なく、集中力が高まったことと関係している。しかし、重要なことはその状態にあっても過度な緊張はなく、気持ちはリラックスしているから」と安保教授は説明している。
 タイと日本を行ききし音楽活動をしているという朝瀬さんはとっても美しい顔をした男の人で、メディテーション音楽をやっているだけあってその語り口は柔らかで落ち着きがあり、聞く者に安心感を与えてくれる。
 タイの浜辺の波の音から始まる曲には自分がすっぽりと自然に取り囲まれていくような気持ちになったし、宇宙・無限をテーマにした幻想的で悠久な曲を聴いてると、身体から無駄な力がゆっくりと抜けて、雨の日の午後にひとり閑かに雨音を聞いている木々のような気持ちになった。
 曲の合間に、朝瀬さんから「皆さんでメディテーションをしてみませんか」と言われ、初めてメディテーションを体験することになった。
 会場の照明が落とされ、淡い闇の中でイスの背に身体を付けずに座り、頭のてっぺんを見えない糸で引っ張られるようなイメージで姿勢を伸ばして、手のひらを上に向けて太股の上にゆたっりとのせ、目を閉じる。
 目を閉じる時は「もうこの世でまぶたを開くことはなかもしれないという思いで静かに静かに閉じてください」と朝瀬さんから言われた。
 続いて最も大切なのが”呼吸”なのだそうで、ゆっくりとできる限り長く息を吐く。そして深く吸って、再びゆっくりと長く細く息を吐く。
 何度か繰り返していると、朝瀬さんが言うように指先などがピリピリしてくる。これは普段は呼吸が浅くて届かない血管に血液が巡って喜んでいるサインなのだそうだ。
 曲を聴きながら、静かな落ち着いた声でリラックスを促していく朝瀬さんの声に耳を傾けながら時間が経ってくると、身体はずんと重くなり、しばらくすると今度は逆に軽くなり、気持ちも湖の上を歩けそうなぐらい静かでゆったりとしてくる。
 「あ~、この感じ、とっても気持ちいいな」と心の中で思っていると、なんだかよくわかんないんだけど突然、すっと涙が出てきた。哀しいわけでも苦しいわけでもないのに流れた不思議な涙だった。
 初めてのメディテーションは自分にとって、とても素敵な体験となった。
 本当は生まれたままの姿でするのが理想的なのだそうだが、部屋でひとり素っ裸で涙を流しながら瞑想している姿は、いくら家族でも見つかったら、何を言われるかわからない。
 始めるにしても身近な世論づくりからまずは進めていく必要があるだろう。
 

 

 

2007年12月6日木曜日

身体を癒す「水晶の光」見てきました


 何度かこのブログでも取り上げてきた身体を癒すという「水晶の光」の装置をようやく見てきた。
 東京都文京区の会場には、全国から100人ぐらいの人が来ていて円卓に座って開会を待つ。
 ステージの奥には10基の装置が並べられており、ブルーやレッド、グリーンなど7色にゆっくりと変化しながら淡い光を放つ装置は美しく、見ていて飽きない。
 しばらく見とれていたが、おっと、わざわざここまで美しいインテリア商品の話を聞きに来たわけではなかったと我に返る。どんな治癒効果があるのかしっかりと聞いておかねば!とポケットからメモ帳を取り出す。
 福島県いわき市で実際に治療をしているという人が登場したが祝辞のみ。その後、工学博士という人によるミニ講演があったが、鉱物やバクテリアの話で今ひとつ核心の話にならない。
 休憩を挟んで行われた次のミニ講演は「惑星人間学」なる初めて聞く学科。
 講師の先生が「では、まずは皆さんの誕生の日の数字を1~9になるまで足していって、その数字が1の人はですね、太陽の星を持っていおります。う~ん、病気は心臓疾患等に気を付けなくてはいけません・・・」って、それ占星術でしょ!みたいな話で、思わず握っていたペンを落としそうになってしまった!
 結局、講演後はスタッフの紹介、主催者のあいさつで閉幕。医療法や薬事法で治せるとか良くなるとか言っては問題あるんだろうが、どのような方法で治し、どんな効果があるのか聞けずに不完全燃焼・・・。
 福島県いわき市の治療施設に行こうと誘われたが、確かに行けば実際に見ることはできるんだろうけどどうしようかと思案している。
 

誕生日は「感謝の日」

 本日5日は、僕のブログの唯一のリンク「ダニエルさんちのフランス便り」を書いている同級生の長女・ノエミちゃんの誕生日である。
 ノエミちゃん、誕生日おめでとう!
 といっても今夜も飲み過ぎで午前様になってしまい、日が変わってしまってからのメッセージになってしました。ごめんなさい。

 一日一日が楽しく、実り多き11歳の時が訪れるよう、心より祈ってますね~!

 ずいぶん前のことでいつのことだったかはっきりとは覚えてないけど、今は亡き母の誕生日に「おめでとう」と電話を入れると「ありがとう」と言ったあとに、「誕生日って、自分を生んでくれた親に感謝する日なんだって。だからこれから(祖母が暮らしている隣町の)指宿(いぶすき)に行って、ばあちゃん(母の母親)にありがとうって言いにいくんだ」と言っていたのをふと思い出した。

 誕生日というと、自分が生まれた記念すべき日だけど、自分を生んでくれた両親への感謝の日でもあるのだろう。

 

2007年12月5日水曜日

宮本輝vs村上春樹「はじめての文学」は輝の”勝ち”!


 文藝春秋が発行する「はじめての文学シリーズ」の宮本輝と村上春樹を読んだ。
 僕は日本人の作家の中で”短編の旗手”は誰かと問われたら迷わずこのふたりの名をあげる(もうひとり向田邦子も加えたい)。
 もちろん、ふたりには長編にもすばらしい作品は多々あるが、短編には、普通に見る限りはひとまたぎで越えられそうな、なんてことのない地面の裂け目なんだけど、近くに行って下を覗いてみると底などまったく見えない暗く冷たい深淵な谷のような存在感がないとのちのち読み手の心に残らない。そんな谷を覗いてきたような読後感を長く持たせてくれてるのが僕にとってはこのふたりなのだ。
 「はじめての文学シリーズ」に関して、ふたりを読み比べると宮本輝の”圧勝”である。
 村上春樹に僕の好きな「午後の最後の芝生」が入っておらず、宮本輝には僕の好きな「トマトの話」と「五千回の生死」が収められていたという単純な理由からである。
 このシリーズは若い人たちに読書の楽しみを知ってほしいという願いから発行されているらしいが、10代後半~20代前半の頃、しまリスのように時を忘れてこりこりと日々本を読みふけっていた懐かしき日々に僕を引き戻してくれた。

2007年12月4日火曜日

見るだけで幸せになれる「魔法の絵本」


 「見るだけで幸せになれる『魔法の絵本』(中河原啓著)」は、近所の書店でふと目に止まり、「絵画を見ることで病気が治るということは聞いたことがあるけど、どんなもんなんだろう」といったぐらいの軽い気持ちで手に取ってページをめくって最初の絵を見た瞬間、頭の奥がパッと明るく光るような衝撃を受けた。
 著者の中河原さんは21歳の時、植物のざわめきを感じ、植物と対話ができるようになったという不思議な人だ。
 そんな不思議な人が宇宙エネルギーを絵という形で表現した作品が70ページほどの薄いこの本の中に16枚紹介されている。
 そしてそれぞれの絵は「健康になりたいあなたに」「人間関係に悩んでいるあなたに」「自分を受け入れられないあなたに」といった16のテーマに分けられ、見ているだけで効果を発揮するのだという。
 どの作品も色彩鮮やかでエネルギーにあふれているが、僕は書店で最初に見た、黄金色の太陽の光が降り注いでいるように見える1枚目と2枚目の作品が好きだ。
 ちなみに、この絵が効果を発揮するテーマは
 「お金のトラブルから解放されたいあなたに」
 「お金の漏れを防ぎたいあなたに」
 である。
 心中複雑・・・・・
 
 

9日から”オーラ”が見える、気が使える!?

 9日は田村珠芳さんの今年最後の講演会に参加する予定だ。
 
 前回、初めて参加し楽しく刺激的な内容の講演で、一部はここでもご紹介させてもらった。

 ちょっとつけ加えておきたいのは、珠芳さんが「来年以降は、さらに”水晶の時代”が本格化する」という話である。
 どういう意味かというと、企業、個人を問わず、隠していることが次々と明らかになる流れがますます加速するということである。
 昨年末の講演で水晶時代を予想したのち、今年はミートホープ、赤福、白い恋人、マクドナルドなど次々と企業の偽装が明らかになった。来年はそんな比ではないというから大変である。
 個人的にも”表れの時代”の到来を強く感じていたので、身も心も清めておかねばと思っている。

 また、質疑応答で日本人と皇室の役割について質問したが、この内容がかなりショッキングだった。  
 「この話は講演が終わり懇親会か何かでお伝えするべき種類のお話だったかもしれませんね」とのこと。
 僕もそう思った。

 日本人については、欧米よりも一足早く中東和平に向けて、イスラエル、パレスチナ、ヨルダンの三国を巻き込んでヨルダン渓谷に流通センターを作り、3国に産業を指導して輸出振興ができるように「平和と繁栄の回廊」プロジェクトを発足させ高い評価を得ているそうだ。
 「欧米は利益を考えて一国を支援してきたが、日本は中東の利益を考え、国が豊かになれば戦争がなくなると考えている」とおっしゃっていた。この話は日本人として大変うれしい。戦争で富を得ようと企てる国の特定のグループからの圧力が強まることは避けられないだろうが踏ん張れニッポン!!

 ところで、9日は講演会とあわせて、「オーラなんて誰だって見えるようになるし、気もすぐに出せるようになる!なんにも特別なことじゃありません!」ということで、”実習”のような時間もあるらしい。

 9日の夜はオーラと気の使い手になっているかもしれない!楽しみ、楽しみ。


  
 

野球日本代表、五輪出場決定おめでとう!台湾代表もいい試合ありがとう!

 
 野球日本代表が北京オリンピックへの出場を決めた!
 代表の皆さん、ほんとにおめでとう!

 昨夜の台湾戦は、アウェーとはいえ審判があまりにも台湾びいきで見ていてやきもきしたが、それも結果的には日本代表を引き立てる演出に終わってしまった。

 まあ、そんなことはお構いなしに選手達は一人ひとりがコンディションの好不調はあったのだろうが、堂々と最善を尽くし勝利を呼び込む、その姿が美しかった!

 台湾の選手もすばらしいプレーを随所にみせてくれてありがとう!北京オリンピックだったからきっとなんとしても出場したかったにちがいない。北京オリンピック自体が開催されるかどうか定かではないが、他の競技で応援するからね~

 

2007年12月3日月曜日

変なオジさん

 
 昼食を食べて、公園のベンチに座って最近クセになってしまった”空眺め”をしていると、突然、空が見えなくなって60歳ぐらいの白髪のオジさん顔が目の前ににゅっと現れた。

 すごくびっくりして座り直し、たぶんハッ!?っという顔を僕はしたと思う。
 でも、オジさんは足を広げた仁王立ちの状態で、目を見開いて僕の顔をかなりおっかない形相でにらんでいる。
 会社の近くの公園だし、会ったことはあるけど忘れてしまった人に違いないととっさに思い、「え・・・っと、誰だったっけ」と頭の中をミキサーのように急回転で回して考えてみるが、まったく誰だか思い出せない。
 
 その間も目の前60~70㌢ぐらいの距離でオジさんはまばたきさえしないで僕の顔をじーっとにらんでいる。

 10秒なのか15秒なのか長い沈黙の前に僕は思い出すのをあきらめて、オジさんと僕をへだてる空間に向けて「はぁ」と声にしてみた。

 すると、返事をするどころか、そのままの顔をぐっと僕の方に20㌢ぐらいさらに近づけてきた。
 その時点で、僕はこのオジさんが知っている人で忘れたわけではなく、ましてや知っている人がからかってそんなことをしているのでもなく、”完璧な変なオジさん”であることがわかった。

 僕はふぅーと息を吐いて、「このオジさんはまた僕に何を伝えに来たのだろうか」と考えた。
 
 3年ほど前から僕は今日のように(公園で突然出現して無言でにらまれるようなことは初めてのことだが)まったく知らない人からすぐそばで独り言のようにつぶやかれたり、なにげに言葉をかけられたりすることがあったが、このうち幾度かが、すでに亡き母親がこの人の口を借りて僕に言っているんだ、と一瞬にしてはっきりわかる経験をした。なぜと言われてもうまく説明することはできないが、いかなる疑問もはさむことのできない正真正銘の母の声であったのだ。
 その内容はたいがいがその時僕がおかれている状況に対する苦言だったり、エールだったりして、その都度、胸に深くしみる言葉だった。

 だから、オジさんが”変なオジさん”だとわかっても、「今日は何を伝えに来てくれたんだろう」と気持ちが切り替えられてしまうとあとはずいぶん落ち着いてオジさんと目を合わせ続けられることができた。

 ”こんなに人と見つめ合うのは何年ぶりだろう”と考えていると、そんな気持ちを見透かしたわけではないだろうが、またまた突然、オジさんはすばやい動きで僕が座っているベンチの左側にドサっと座り込んできた。

 これにはさすがに驚いたが、僕は一切目を合わさずそのまま前を見たまま座っていた。
 オジさんもまた前を向いたまま座っていた。

 それから30秒ぐらい沈黙が続いただろうか。オジさんは僕の方に身体を向け、言葉を発した。
 僕は、「そら、来たぞ」と顔はそのままで耳だけをそばだてると、風貌とはまったく不釣り合いな小さなかわいい声で、  
 「逮捕する」
 と言った。

 思わず、「はぁ~」と言いそうになったが、グッと我慢すると、続いてオジさんはこう言った。

 「タケチャン・・・・」

 僕は再びとっさに理解した。
 これは、母親の口もご先祖の口もまったく借りたオジさんではなかったと・・・

 僕は立ち上がり、前を向いたままちょこんと頭を下げてその場を後にした。

 


 
 

 

2007年12月2日日曜日

自分の原点の1冊ともいえる「生きがいの創造」に感謝


 先日、HASHIちゃんと飲んでいる時、「生きがいの創造」(飯田史彦著=現福島大学教授)の話題になった。
 この本をHASHIちゃんの会社の営業部長が読んでいたことがきっかけで、大きな仕事が良い流れ向かっているのだという。
 話を聞くと、お客さんである大手企業の部長さんにHASHIちゃんと営業部長が自社のプレゼンを終え、接待の場での歓談に移った。
 そこで大手企業の部長さんが持ち出した話題を聞いていた営業部長が「もしかしてそれは『生きがいの創造』じゃありませんか」と尋ねたところ、部長さんは「あなたも読まれていたんですか!」と大いに喜び、その後は肝胆相照らすような仲になって仕事の話も川の流れのようにスムースに進み、しまいには部長さん行きつけの銀座のクラブにまで連れていってもらったという話であった。
 そのHASHIちゃんのところの営業部長”IMUさん”(この人はハマちゃん、スーさんのあの「釣りバカ日誌」の原作を手伝っていたことがあるというユニークな人でなんと本人まで登場している。まあ、いつかじっくりとご紹介したいと思う)にこの本を薦めたのは、何を隠そう僕なのです、エヘン!
 ということでほんとはまったく何にも偉くはないのだが、大変感謝されてしまい、とても恐縮してしまった。
 それでも自分に縁のある人が、薦めた本によってどんなことであってもうまくいって幸せな気持ちになってもらえたことはうれしい。
 実際、僕自身が7年ほど前に初めてこの本を手に取り読んだ時、ものすごく感動し、出会えたことに深く、深く感謝した。
 この本の中には「子は親を選べない」と世間でよく言われるが、欧米の学者のデータを集め、実はその真実はまったく異なり、
 「子供はすべて、ひとりの例外もなく親(両親)を選んでこの世に生まれてくる」ことを紹介している。
 人の一生がすべてを自分で選んでこの世に訪れ、そして出会う人々一人ひとりが自分にとって大きな意味が込められているということをこの本、飯田史彦さんはわかりやすく伝えてくれる。
 僕自身のその後の生き方、考え方に教示を与えてくれた原点ともいえる1冊であると言っても過言ではない。
 ちょっと固めのタイトルとは違い、内容はとっても読みやすい。そして読み終えたあと、自分がいま関わっている人、これから出会う人になぜかとてもやさしい気持ちになれる1冊です。

2007年12月1日土曜日

有楽町の美しきクリスマスツリーと悪口を言わない生き方



 有楽町マリオンの近くを歩いていると美しいクリスマスツリーに遭遇したのでシャッターを切った。

 LEDライト、特にブルーライトの美しさは、町並みをほんとうに一変させた。照明の世界のこの大きな変革が、それを見る人々の心を片時でもいいので癒してくれることを願う。

 先日、東京駅を利用した際、丸の内に続いて八重洲方面の開発が完了し駅前の風景が大きく変わっていることに驚いたが、有楽町もかなり洗練されてきた。

 今夜はこの有楽町で仕事仲間でもある25歳の若きHASHIちゃんと黒豚しゃぶしゃぶ店で待ち合わせし一杯やる。春先から一緒に食事でもしょうといいながら時間がなかなかうまくつくれずに12月を前にしての実現となった。

 まあ、始めは仕事の話をひと通り終えたあと、芋焼酎もだいぶまわり気分も乗ってきたので、話題は当然、男の生きざまについて(ぜんぜん「当然!?」じゃないか~)に切り替わる。

 元プロ野球選手の新庄剛、芸人の陣内智則、元格闘家の須藤元気・・・・、職業はまったく異なるがこの3人に共通することは何か?

 それは「人の悪口、陰口を言わない」ということだ。

 前々からこの3人について周囲の友人、知人などが評するニュースの中に、「人の悪口を言わない」という共通した特徴があることに僕は関心を持っていた。

 その前になぜ、この3人の話題になったのかというと「何が人として大切だと思うか」と訊かれたので、「人の悪口、陰口を言うヤツは駄目だし、嫌いだ」「そういった意味でこの3人がエライなと思うんだ」ということになったのだ。

 人の悪口、陰口を口にしない人はとにかくツイている!だから運もいい!

 「運」とうのはツキの連続のことである。そして「ツキ」は「良き出会い」を大切にしなければ引き寄せることはできない。

 悪口を言う人間にはこの「運」と「ツキ」の”卵”である「良き出会い」が起こらないのだ。

 僕は知らなかったのだがHASHIちゃんから新庄がクイズミリオネアで最後の問題をエンピツを振って1000万円当てたという話を聞き、やはりツキがあり、運を持つ男なんだなぁと納得。さらにその賞金でマイクロバスを買って母校の野球部にプレゼントしたという話には正直驚いた。

 悪口、汚れた言葉をわざと言わせようとしているのではないかと思うことが多いご時世だが、良きことと思った時は少しでもそうなれるよう見習っていきたいものだ、と歳は違うが良き友であるHASHIちゃんとそう約束し、うまい酒を交わした。 

身体が若返る、アトピーが改善する「ありがとうの水」


 妹夫婦が宮崎・都城での小林正観さんの講演会後&会食で正観さんから直接教わった「白髪(しらが)を黒くする方法」を妹から聞くことができた。
 でも、でも・・、それはすでに我が家では小林正観さんの著書を読んで3ヶ月前から実践していたことでした~。
 その方法とはすっごく簡単で、やる気になればこの瞬間からできることだし、しかも費用は無料!。
 正観さんの講演に参加した人に26年間アトピーで悩み苦しんでいたことのある人がいた。この人は治すためにありとあらゆることを試したが駄目だった。そんな時、ある人から「水分をとる時に
 『私の身体の正常な細胞になってくださってありがとうございます』
 と、その水分(お茶だったり、コーヒーだったり、みそ汁だったり)に「感謝の言葉」をかけて飲んでみてください」とアドバイスされる。
 半信半疑だったがすがるような思いでそれを始め続けていると、わずか1ヶ月で26年間悩んでいたアトピーが見る見る家に改善し、治ってしまったのだ。その間はほかのことは全てやめていたので、この感謝の言葉が効いたとしか考えられないということだった。
 この話にはその後があり、「感謝の言葉が水を変質させる」と考えた正観さんは何人かで合宿した時にこの話をし、「アトピー以外にも応用できるかもしれない」と、皆で試してみることになり、今度は
 『私の身体の細胞を若返らせてくださって、ありがとうございます』
 と水分に声をかけて、お茶やコーヒーを摂取した。
 数日続けてみると、みんなから「身体が軽くなった」「身体がよく動くようになった」「しわが減ったようだ」「肌に張りが戻ったような気がする」という感想が続出。
 正観さんは「もちろん『気のせいだろう』という批判もあるでしょうし、『そういうつもりで集まっているんだから何か実験すれば肯定的な結果が出るのは当然』という意見も出てくることは承知してます」と述べているが、その正観さん自身に顕著な結果が実は出ていた。
 半分ほど白くなっていた髪がヶ月ほどで真っ黒になったのだ。
 ということで、我が家では写真のような言葉を書き入れた水差しを夏頃から使っている。
 言葉を言うだけでいいのだが、それだとどうしてもうっかりして普通にごくごくと水を飲んでしまうことが多い。だから片側に「・・・正常な細胞になって・・・感謝します」、別な面には「・・・若返らせていただいて・・・感謝します」と僕の下手な字で書いておいた。
 
 このため、子供達も自分でそそいだコップの水に「・・・感謝しま~す」言いながら飲んでいる。
 そのためなのか毎年空気が乾燥するこの時期になるとひどい寒冷じんましんに悩む息子の手足の肌はつるつるしている。
 都城での会食の時、その話をした時が正観さんが一番うれしそうだったという話を妹からあとで聞いた。
 ”ありがとうパワー”は底知れない。やはり”ありがとう”で良縁を得る「ありがとう結婚」というおもしろい話もあるが、これはまた次の機会で。
 
 
 

”ダニエルさんちの彼女”、ありがとう。

 昨夜は仕事のつきあいが長引き、結局終電に間に合わず、深夜の事務所に戻りパソコンを開く。

 闇に浮かぶパソコンの光を眺めながら、さすがにブログを書く力は残っていなくて、先日、リンク登録したばかりの「ダニエルさんちのフランス便り」をクリックする。



 そこには「ツキを呼ぶことのは」のタイトルで、僕のブログのこと、そして僕に向けられたメッセージが記されていた。

 ”ダニエルさんちの彼女”と僕は海が近く、緑に囲まれた田舎町の学校で3年間を共に過ごした。それから数年ののち、彼女がフランスで過ごしていることを人づてに聞いた。

 それからおよそ20年の歳月が過ぎた今年の9月、通訳の仕事や翻訳した絵本の出版準備などで帰国した彼女を同級生たちと東京で出迎え、再会することができた。
 懐かしい顔ぶれに話が尽きず、やはり今夜のように終電に間に合わず、最後まで残った6、7人で朝まで飲んでそれぞれ始発電車で家路に向かう中、彼女はフランスへと発っていった。



 僕は、その日からの彼女のブログに目を通すようになり、彼女が書くあたたかな視線による軽快なタッチで登場人物の描写が生き生きとした文章がいっぺんに好きになり、更新されるのを毎日のように楽しみにするようになった。


 最近、特に印象深かく、心に残っているのが「ふぅ~」というタイトルの文章だ。
 海の向こうの異国の地にしっかりと根を下ろして生活している彼女の文章は、久しぶりに再会した本人と同様、しなやかな強さとバイタリティーにあふれ、どこかにかわいらしさのあるところが魅力なのだが、「ふぅ~」は異国が抱える現実世界の持つ空気の重みのようなものが小柄な彼女を覆いつぶそうとするかのような重々しさにあふれ、そこで暮らしていくことの厳しい一面があるということを知らされた。

 僕はこの文章を読み終えて、彼女の近くに住んでいて、今すぐふらりと訪ねていって「友達、何人か誘って気分転換に飲みにでもいこうよ」って声かけてあげられたらどんなにいいだろうと思った。

 現在、2冊目の翻訳本に向けて準備が忙しいにもかかわらず、僕が進めているNPO法人のことまで気遣ってくれている内容の文章を読み返しながら、こんなに熱いエールをもらったのはいつ以来のことだろうと思った。そう考えていたら闇に浮かぶディスプレーの光が次第ににじんでぼやけて見えた。