2007年12月31日月曜日

”終日の出”を拝む


 とうとう大晦日。

 今朝は大晦日らしく外気が澄んでいてピリリと肌寒い。
 7時前に家を出て、近所まで2007年最後の日の出である“終日の出”をひとり拝みにいく。

 太陽は天に上がってからがまばゆいため、その時間が一番エネルギーが強いように感じるが、実は「日の出、日の入りの瞬間」が最もエネルギーが強い。
 昔の人はそのことを良く知っていたから朝日に拝み、太陽のリズムで生活を送ってきた。

 また、これも昔の人は知っていたそうだが、
「太陽からエネルギーをもらう方法」というものがある。

 “もらう”というと、「(エネルギーを私に)ください、ください」「ちょうだい、ちょうだい」と強く念じれば思いが通じるかのように考えてしまうが、そうではない。これだと逆にまったく自分には入ってはこない。
 人はそれぞれが完璧なエネルギー体(良いエネルギー、悪いエネルギーは別にして)だから誰もが身体の内に隙間なくびっしりとエネルギーがつまっている。
 だから「ください」とお願いしてもエネルギーが入ってくる余地がないのだ。

 太陽からエネルギーをもらいたい時は、「わたしのエネルギーをお受け取りください」「受け取っていただけますか?」というふうにお願いするのである。
 すると、受け取ってもらえた分のエネルギーが太陽から自分の身体の中にすっと入ってくる。
 
 これは運が強い人やツキの強い人に会った時に、その人からエネルギーをもらいたい時も一緒である。

 “終日の出”に今年一年を経てこうしてたどりついた“今”を深く感謝する。
 とはいえ、寝起きの目にはその光がとてもまばゆく自然に涙が流れる。たまに横を行き過ぎる早朝ウォーキングの人には「朝から大丈夫?」と思われたかもしれないが、今年の終日の出はこの一瞬なので、恥ずかしいのは横に置いといて「今年も ありがとう」と頭を下げた。

年末恒例の感謝と反省の「般若心経」


 年内の仕事が昨日で終わり、30日は大掃除や追加の年賀状を書く予定を立てていたが、午前中は「写経」を書くことにする。
 写経は「般若心経」を書き写すことで、僕はお寺ではなく神社との縁で5年ほど前から始めてこれまでに800枚ぐらい書いてきた。
 ほんとうは毎日1枚でも1行でも書くのが理想的なのだが、日常の雑事に追われだすとあっという間に筆が遠のくのだからだらしない。来年こそは1日1枚、1日1行と思いながら数年が過ぎ去ってしまった。

 写経というと手を洗い清め、正座で姿勢を正し、きれいな文字で・・・などいろいろ細かな決まり事を言われるところもあるみたいだが、僕が出会った写経はそんな形式、作法のようなものはまったくといっていいほどない。 
 テレビを観ながら書こうが、あぐらだろうが、寝ころんでいようが(ちょっとこの格好では難しいけど)、途中でやめておいて再開しようがかまわない。ただ、水から自分で墨を摺って書くぐらい。まあ、だから僕でも今まで続けられてきたのだろう。
 書いたものは焼く、土に埋める、水に流すという3つの方法で供養や浄化に使っている。

 先日、「写経(般若心経)に出会えてよかったな」と思う話に巡り会った。
 般若心経は、玄奘三蔵がインドから中国に持ってきたといわれる。玄蔵三蔵は「西遊記」の“三蔵法師”として有名なお坊さんだ。
 三蔵法師はインドへ旅した時からすでにかなりすばらしい徳を備えたお坊さんだったらしく、立ち寄る国の王様が一度会うと魅了されて手離したくなくなる。だからいろんな理由をつけては出国を邪魔しようとする。
 このことが、妖怪が行く手をはばみ、悟空、沙悟浄、猪八戒がそれら妖怪を退治しながら脱出して旅を続けていくという物語の元になったそうだ。

 その三蔵法師が旅の途中で身体中から膿をたれながした女に出会う。当時この病気は家族の誰かに口でその膿を吸ってもらうと改善するという言い伝えがあった。だが、その女は身内がひとりもいないため三蔵法師に膿を口で吸いだして欲しいとお願いしたのだ。
 付き人の3人ものけぞるような姿の見も知らぬ女からの突然のお願いを、三蔵法師はなんの躊躇(ちゅうちょ)もなく快諾し、女の肌に口をつけて膿をズルリと吸い出す。
 するとその瞬間、その女は金色の光に包まれ、「観音さま」に姿を変える。
 観音さまは神界で三蔵法師の良いうわさを聞き知って、自分の目で確かめたくてあえて困難な試練を与えてみたのだ。
 それに対して、まったく躊躇することもなく瞬時に救済の行為を行った三蔵法師に観音さまは痛く感動し、
 「おまえはこれまでも大変な苦労をしてここまでたどり着いたことをわたしはよく知っている。ただ、これからはもっとつらく苦しい困難が待ちかまえているだろう。
 しかし、神は越えられない困難を科すようなことは決してしないものだ。おまえならその困難を乗り越えていける。ただし、どうしても耐えられないとくじけそうになることもあろう。その時はこの言葉を唱えなさい。わたしが困難を乗り越えられるようおまえの元に後押ししにまいるから」
 と言った。

 この時、観音さまが“もしもの時のために教えた言葉”が、「般若心経」だった。

 僕は、この話を知って、「あ~、般若心経に出会えてよかったな」とつくづく思った。
 神様はその人が超えられない課題(困難)は与えない。その人の成長に必要で必ず乗り越えられる課題だけなのだ。
 でも、その時々の自分が置かれた状況や気持ちのあり様によっては、自分の力ではどうにもならないことだって必ずある(僕の場合はしょっちゅうだけど)。
 そんな時、わずか278文字の般若心経が困難を前に躊躇する僕を後押しし、勇気づける存在になってくれるのだ。

 今年もそんな場面が多々あったというのに、12月は仕事にかまけてほとんど筆を持つことはなかった。毎年恒例になりつつある感謝と反省の思いを抱きながら墨を摺る。

2007年12月28日金曜日

「対面同席五百生」

 あと数日で今年も終わる。
 今年もいろんな「出会い」があった。
 仕事先で、プライベートで新たな人との出会いがあり、数十年ぶりの懐かしい顔との再会もあった。電車の中で身体がふれたので頭を下げた出会いや、公園のベンチに座ってひと言ふた言、言葉を交わすそんな出会いもあった。

 「出会い」について考えるとき、すぐに思い浮かぶのが、お釈迦様が言った
 「対面同席五百生(たいめんどうせきごひゃくしょう)」
 という言葉だ。

 自分が出会う人は過去に最低でも500回、人生をともに過ごしている人であるという意味である。

 親子だったり、夫婦だったり、恋人同士だったり、敵(かたき)同士だったり、お世話になっていたり、お世話をしていたり・・・・、過去にはいろんな関係があったのだろう。
 どんな形で出会ったんだろう、いつ以来の出会いなんだろうと想像してみるとワクワクしてくるし、出会った人に対してなんだかやさしい気持ちになれる。

 過去に500回の関わりのある人だと考えてみると
 「はじめまして」
 の人はいないのかもしれない。
 全員が実は、
 「久しぶりだね」
 なのだろう、きっと。

 そう考えると、来年もどんな出会いが待っているのか、いまから楽しみである。

2007年12月26日水曜日

クリスマスの夜はベランダから感謝をさけぶ

 昨日はクリスマス・イブだった。
 僕はそんなことなど関係なく朝から出社。
 前日の健全な同窓会のおかげで体調は非常に良好。睡眠もしっかりと取れたので今日からジャクソン・ファイブに入れそうなぐらい身体が軽い。
 休日の仕事だが、明日の朝が締め切りの仕事を1本仕上げてしまえば今年の仕事はほとんど終わったようなものだから気持ちはウキウキだ。

 ひとりで集中してやれたおかげで昼過ぎには仕事にもメドがたち、少し休憩を取ってコーヒーを飲みにいく。
 街は、クリスマスツリーなどブルーやホワイトのLEDライトの美しいイルミネーションで彩られている。
 若い頃はこの日が近づいてくると、彼女がいてもいなくてもなんだか落ちつかなくなってきたものだった。今思うとそんなことも懐かい。
 そんなことを考えながらコーヒーを飲み、店内に流れていたエルトン・ジョンの「キャンドル・イン・ザ・ウインド」を聞き終えてから仕事に戻る。


 とはいえ、子供たちにとって今がまさにそんな悠長なことなど言ってられないビッグ・イベントの時期らしい。
 サンタクロースにお願いするプレゼントを太いマジックペンでしっかりと記された画用紙が、家族が朝晩頭をさげる場所の棚の上に2週間も前からよく目立つように置かれている。
 そして、クリスマスを迎えた本日の朝はまさに(奇跡的にも!)自分がお願いした通りのプレゼントが枕元に届いていたのだから大騒ぎである。
 その息子は昨夜は興奮して夜中になんども目が覚め、そのたびに枕もとに腕を伸ばしゴソゴソと手探りしていたらしく、ゴソゴソの音が気になって嫁さんはひどい寝不足になってしまっていた。
 でも、そんなことはお構いなしに6時前には目を覚まして、妹まで起こして二人で大にぎわい。
 僕が起きたことに気づいて隣の部屋から顔をのぞかせ、二人は得意げにプレゼントを見せてくれる。
 娘は、欲しくて仕方がなかったままごとセットを広げ、仕事に行く準備で慌ただしい僕に「ちょっと横に座わって」と命令のように声をかけて、赤ちゃんと呼んでいる人形を抱かせようとする。
 「会社だから」と説明して逃げるように家を出る。

 夜、家に戻ってもまだまだクリスマス・プレゼントの熱気はムンムンで子供達は楽しそう。
 「お願いしたとおりのプレゼントでよかったなぁ、最近寝坊ばかりしてるからてっきり目覚まし時計が届くのかと思ってたよ」などとからかっていると、
 「あ、忘れてた」と息子が突然、言って妹を連れてベランダに出ていく。
 何事だろうとベランダを覗くと、
 「サンタさ~ん、プレゼントどうもありがとうございま~す」と二人で並んで夜空に向かって大声で叫んでいる。 
 「はい、わかりましたよ、と言うわけにはいかないよな」と考えながら思わず笑ってしまった。
 昨夜の満月から欠けていこうとする月をながめながら、まあ、これじゃ、来年もサンタさんはやってこざるをえないよなとひとり観念する。

2007年12月24日月曜日

"同窓生サイコー!!”でした

 東京・新橋の日テレ1Fのビア・パブで23日、同窓会&忘年会を開いた。
 今回は子供たちのクリスマス会やだんなさんの仕事の調整がつかないなどの理由で女性は誰も出席できず、男7人での集いとなった。
 幹事としてはなるべく女性たちに来てもらえるように日曜の正午からにしたのだが、うまくいかずとっても残念・・・。
 しかし、“男だけ”と決まってしまうと、それはそれでまたその状況にマッチした盛り上がってしまうからおもしろい。
 集まった中には20数年ぶりの再会という仲間もいて、歳月を経た容姿の変わりっぷりを目の当たりにして驚きと懐かしさと安堵が微妙に入り混じったような笑顔で話に花が咲く。

 社会に出るとさまざまな会合があるが、同窓会はそのどんな会合ともまったく異質で独特のなんともいえない雰囲気がある。

 ある仲間はエロの亡霊に取り付かれたような男になってしまい、「しばらく会わないうちにこんな最低の男になってしまいやがって、とほほ・・・・」とあきれてしまうが、そんな男になってしまったとはいえ、東京に出てきたばかりで困っているときになにかと助けてもらい、励まされたりしてくれたのはこいつだった。

 女性問題でなにやってんだよと思ってると、自分が若い頃につきあった女性の名前をしっかり覚えていたり、別れて死んでしまいたい気分になったときに仕事があるのに寝ずに相談にのってくれた相手だったりする。

 相手を指差すと、3本の指は必ず自分の方を向くのと同じで、なんだか怒りようにも力がふわりと抜けてしまう。

 自分が直接関わっていなくて知らなかった思い出話でも、どこかでその時間や場所、人に影のような記憶がつながっている感じも心地いい。
 そんな記憶をたどった先にある自分はやわらかく気づきやすく、そして限りなく無力だ。
 個人差はあるだろうがこうして集まっているみんなが当時はそんな存在だった。今、えらそうなことを言っても、また、当時そんなに仲が良かったわけでなかったとしても同じ土地のうえで、同じ空気を吸い、同じ時間をすごした仲間が今につながっている。それが同窓生なのだ。 
 まあ、歳をくって生きてるといろんなことはつきものだけど、また近いうちに集まって一緒に飲んで語り合おう!

 同窓生サイコー!!

2007年12月22日土曜日

都市(まち)に緑をふやす議員


 東京・新宿区の根本二郎区議会議員は「都市(まち)に緑をふやす議員」である。

 知人に紹介されて先日初めてお会いして話を聞いていてそう思った。

緑の活動に関わるきっかけは花粉症の原因について友人から言われたひと言だったという。
花粉症になり苦しんでいる人が増えているのはスギの木が悪いからだと言った根本議員に対して、八王子で炭焼き職人を営んでいる旧友は「スギが悪いんじゃない。人が悪いんだよ」と言った。

 日本の山は戦後、建築材の需要を見込んでスギの苗木が大量に植えられ、それが育ってきて使える時期を迎えているが、価格の安い輸入材が大量に入っているため売れる機会を失い人の手入れもおぼつかなくなっているため荒廃の一途をたどっている。
 花粉は間引きに当たる間伐や枝打ちなど手入れをされずに健全に育つことができない“スギの切実な悲鳴”であることを実際に足を運んで山を自分の目で見て根本議員は知ることになる。

 即行動と考えた根本議員は八王子や奥多摩の檜原村の山などで動物のエサになる実をつけ、涵養機能にも優れた広葉樹のドングリなどの植林を始める。
 苗木代は1本1本に協力者の名前のプレートをつけることを条件に1本1000円で寄付を募るアイデアが評判を呼び、賛同してくれた仲間とこれまでに約600本の苗木を植林してきた。

 また、新宿・歌舞伎町周辺でも「新宿花いっぱい運動」を呼びかけ、昨年11月にはモア4番街のオープンカフェなどでハンギングバスケットや花壇、フラワーポットを飾っていく運動を実施した。

 多くの人々が集う通り沿いに花を飾り、目をとめてもらうことでることで人の心がやすらぎ、街の美化や防犯にもつなげていければとの願いもあるそうだ。

 区役所の屋上緑化や玄関前のハンギングバスケットも見せていただいた。玄関前のガードレールが東京・多摩産のスギでできているのにはびっくりした。

 順調そうには見えるが、もちろんすべてがうまくいくわけではない。
 課題をうかがうと、「花はいいけど管理はうちじゃできないよ」というのが地域の大半の大人たちの反応なのだという。
 公への貢献・奉仕の精神がかなり薄れてしまってるんだろうなと残念な気持ちになるが、これが都会の商業地のありのままの実態だ。

 表面を花で飾ってもそこで生活する人、関わる人の心の中に花が咲いていないと、手入れされずに花が枯れてしまうように運動も長続きすることはできないのだ。
 
 根本議員、花が咲いていなのなら、それを咲かさせるのもあなたの役目です!がんばって!

 まあ、そういう僕も最近になってようやく花を買うようになった。
 半年ほど前から母と義父の月命日には花を買って帰るようにしようと思い、うちには仏壇はないので遺影の前に花瓶に差して飾る。
 花といったって大したものではなく、異なる2種類ぐらいの花をそれぞれ3、4本パッと見て気に入ったものを選ぶ。もちろん花の名など知らない。でも見て関わっているうちに名前も少しずつ覚えていくから不思議だ。
 花瓶の中に入れる水は、前にもブログで書いた“ありがとうの水”だ。
 ありがとうの水に入れておくとびっくりするぐらい、たぶん2倍以上花持ちがする。
 
 根本議員にはもうひとつの顔がある。それは焼鳥屋「結」の主人という顔だ。
 多忙なのでお店に顔を出せるのは月曜日だけのようだが、年が明けたら日をみてうかがい次回はカウンター越しに酒を酌み交わしながらいろんな話をまた聞きたいと思う。

日高あいさんからの返事がうれしくて



 日高あいさんの東京・内幸町でのコンサートに行ってから10日ほどたってからあいさんにはホームページがあるということを教えてもらい、早速見てみる。

 自由に書き込みができる「BBSコーナー」に、コンサートを訪れて、あいさんの歌声を聴いてエネルギーをたくさんいただいた感謝の思いを書き記しておいたところ、その日のうちにBBS上にお返事を書いてただいていることを翌日何気なくホームページを見て気づき、びっくりするとともに感激した。

 その夜は新宿の「音ステージ」がある重要な日であったにもかかわらず、返事はすぐに書く、そんな相手のことを思う誠実で思いやりある気持ちにふれて、やっぱり人柄だよな~とうれしくなって「タッチ・ミー」を聴きながらこのブログを書いている。

2007年12月20日木曜日

ゲリー・ボーネル「5次元世界はこうなる」が示すこの世の終わり


 ゲリー・ボーネル&高橋克彦の「5次元世界はこうなる」(徳間書店5次元文庫)は、僕の中で長年、モヤモヤとしながら疑問に思ってきたことをかなり多くの部分でスッキリと晴らしてくれた一冊である。


 「2012年12月22日、この世は大きな変化を遂げる(う~ん、今からちょうど7年後だ)」
 このことはマヤの予言、フォトンベルト説、ヨハネの黙示録、ホピ族の予言など数々の異なる世紀の予言でなぜかこの“年月日”を特定し、“世界に未曾有の大変化が起こる”と述べている。

 僕は昔からジャンルなど構わずランダムに年間120冊ぐらい本を読む。以前はまったく気にしていなかったが、ある時に「あれっ、この2012年12月22日の数字の不可思議な符合はなに!?」と気づいてから、この年月日を気にするようになった。

 では、どういう風にこの世が変わるんだろうかと、文献等で調べていくとその多くが「アセンション(次元上昇)」が起こると予言していることがわかった。
 アセンションとは現在の3次元が次元上昇して5次元になるということらしく、具体的にどういうことが起こるのかというと「相手が考えていることが(言葉や動作など必要とせずに)瞬時に分かってしまう」「自分で思ったこと、考えたことが瞬時に実現する(叶う)ようになる」というのだ!

 僕はそれを知って、2012年12月22日に何が起こるかを自分なりに理解した。
 「あ、なんだ~、この世が変わるって、みんな死んでしまうことなんだ~」と。
 なぜなら、人は死ぬとすべての人が帰るべきところに戻っていくわけだが、その死後の世界こそまさに
「相手が考えていることが言葉や動作など必要とせずに、瞬時に分かる」
「思ったこと、考えたことが瞬時に実現する(叶う)」
世界だからだ。

 そう思ったからといって、刹那的になって自暴自棄に享楽的に生きていこうと思うほど僕は若くはなかった。
 人はその日、その時を自分なりに今の自分と向き合いながら生きていくしかないということにすでにうすうす気づいていたからだ。

 ということで逆に開き直ったわけではないが2012年12月22日、またその数年前から起こるといわわれるさまざまな予兆がどんなことなのか楽しみにするようになった。

 そんな僕が先月、ゲリー・ボーネル&高橋克彦の「5次元世界はこうなる」と出会った。
 ひとことで言うとなんだか僕がこの道を歩いてくるということを前もって知っていて待ちかまえられていたような作品だった。
 中学1年の夏休み、地元のお祭りに行って友達と待ち合わせた場所に歩いて向かっていると、3年生の5人組が待ちかまえていて「おまえ、生意気らしいな」と胸ぐらをつかまれて、「そんなことはない」と言ったら頬をはたかれ、その上級生の奥に同級生が隠れているのを見つけて、「あいつが先輩に陰口したのか、なんで自分で直接言わないんだよ」と思った。
今回はそんな姑息な手は使われず、まさに正々堂々、直言の書だった。

 著者のゲリー・ボーネルという人は、スウェーデン・ボルグ、エドガー・ケイシーというスピリチュアルの世界の巨人と同様に「人類の智の集積」である“アカシック・レコード”にコンタクトできる特殊能力を持つといわれる現存する人物で、対談相手の高橋克彦は日本の作家である。

 まず、この書でわかったことは、人類すべてが一瞬にして滅んでしまうことはないということである(前の文明は聖書のノアの箱船にも表されているように大洪水で滅んだ。地球と太陽の間にある引力の網に流星が引っかかり、それが含んでいた氷(溶けて水になり)が地球に降り注いだため大洪水となったとの話もある。その流星が現在の“月”で、月は実際に内部はガランドウで、表層の厚い部分だけを地球側に向けて地球の周りを回っている)

 でも、人類は徐々に少なくなっていく。それには「思ったことがすぐに叶うようになる」現象は深く影響している。
 良く思っていること、良き言葉が叶うように、その逆の悪い思い、悪い言葉もどんどん叶うことになる。
 悪く思うこと、悪い言葉が続々とその人の目の前で叶っていくことに耐えられず、また大きく変わる世界の在りようを受け入れられない人が”自死”していくということらしい。

 米国人であるボーネル氏が世界の民族の中で日本人がもっとも生き残る比率が高い、なぜなら一神教ではないためといっていることは興味深い。
 また、日本人がなぜ先祖を大切にするのかということ、現在、世界で人口爆発が起こっていることの理由についてもふれている。いずれもほんと不思議な話だし、少し切ない気持ちにさせられる理由だ。
 キリストの生まれ変わりがすでにこの世に生まれイギリスのロンドン近郊に暮らしていて、まもなくその姿を公に表すという話に至ってはおもわず「えっ」と声をあげてしまった。キリスト教徒はたまんないだろうな~って思う(実際ものすごい抵抗が起こるらしい。だって天から光に包まれて降りてくるわけでもないし、見た目も普通のオジサンだもの)。

 ボーネル氏は10年ほど前に出版した著書に書いていた「光の12日間」についてこの書で再びふれているがこの話もおもしろい。
 2012年の数年前から宇宙磁場が強まる世界(フォトンベルト)に入っていく際に、目に見えるビジュアルの世界でこの世が徐々に光に包まれ始め、現実の劇的な変化を認められず受け入れられない人々が白雪姫のように深い眠りに次々と陥っていくらしい。
 仕事や学校に仲間がこないので、心配して訪ねていくと「寝てます」と家族の人から言われたら「おっと、そろそろ始まったのか~」と気をつけましょう。
 それよりも自分が寝坊ばかりし出したらつねってでもいから起こしてもらうよう家族にお願いしておくのが先かもしれない。

 冗談はさておき、状況がこのままであっても、2012年12月22日に向けて劇的に変わっていこうと、自然なのか宇宙なのかわからないが大いなるモノから必要とされ、自分にとってもこの世に滞在することが必要であれば、間違いなく生かされていくし、そうでなければ駄々をこねても土下座をしてお願いしてもあちらの世界に引き戻されていく。これは状況がどう変わろうと不変なのである。

 その中身を信じる、信じないは横に置いといても、「知的遊戯」として十分に楽しめる一冊だと思う。

2007年12月19日水曜日

しばらく待ってでもまもなく動き出す「200年住宅」がいい!

 前回このブログで現代の住宅ローンにつきまとう“危険さ”について<熱く>私見を述べた。
 すると早速、リンク・ブログの「ダニエルさんちのフランス便り」の友人から「私の家は築103年以上だよ~」というメールももらった。

 さまざまな分野で優れた技術を持ち、誇りとする“日出ずる国“も、こと一戸建て住宅に関してはフランスにはとお~く及ばないことを痛感し肩を落とす。

 そんなやりとりを聞かれてるはずもないのに、お手伝いしているNPO法人の理事長から「国土交通省で200年住宅構想について直接担当役人から話を聞けることになったから一緒に行く?」と声をかけられたので、ぜひぜひと一も二もなく連れてってもらうことにした。

 200年住宅は福田首相の肝いりで来年から本格的に動き出す住宅政策である。
 「今まで30年の寿命だったのにほんとに200年持つ住宅になるのかい!」と言われそうなネーミングだが、“200年”という期間はシンボルのようなもので「200年後には建てた人も住んでいる人も、またそれに関わったすべての人がこの世にいなくなるんだけど、それ以降も資産として残っていく住宅のための環境づくりをみんなでやっていきましょう」ということでつけられたらしい。
「なんだい、たまには国土交通省も洒落た発想をするじゃないか」と担当役人に話を聞きながら胸のうちで感心する。

 これまでの住宅とどのへんが違うのかというと、
 たとえば従来の住宅を建てるなら坪当たり50万円かかったが70万円にすると200年住宅が建てられることが認められると、アップする20万円のうちの半分の10万円を国が補助してくれるということになるらしい。
 そのほかにも税制面で登録免許税や不動産取得税、固定資産税を減額してもらえるのでこれもかなり大きな優遇になる。もちろん銀行も支援することになるので0.3%ぐらいの金利優遇は確実に見込める。

 ローン期間も従来は最長35年なのだが、これが50年まで延長されることになるようで、そうなると2代で支払っていくリレーローンや財産分与などの手法が適用されることになるだろう。

 そして、なにより欧米のように「住宅が資産になる」よう中古住宅市場の環境整備がこの200年住宅を皮切りに本格的に動き出すと思われるので、10年で資産価値がほぼゼロになる現在の状況が打開されることが期待できる。

 イタリアに長く住んでいた商社マンが以前、「イタリアではおじいさんが家を建て、おとうさんが内装を張り、その息子が家を飾ると家づくりのことを教わった」と言っていたのを覚えているが、日本の一般家庭にも将来、それと似たような住まいの格言が生まれるかもしれない。

 本格的に市場で動き出すのは早くても来年中盤以降になるのだろうが、これから住宅を建てるのなら、しばらく待ってでも200年住宅にすべきだ、と僕は思う。

2007年12月17日月曜日

住宅を購入する際はくれぐれも慎重に

 今日は住宅金融支援機構の広報担当の人と会って住宅ローンのことについて話す機会があった。
 同機構は、かつて住宅金融公庫と呼ばれていたが、小泉前首相の構造改革のあおりを受けて民営化されてしまい現在の機構になった。広報担当の人も公庫の時代はのんびりやってたんだろうけど、「民営化してしまいましたんで、いやはや」って感じの話ぶりになんだか今は大変そうな感じ。

 わざわざ広報担当の人が訪ねてきたのは、同機構が押し進めている長期固定金利のローンへの借り換えを呼びかけていることを情報提供の面で協力してほしいということらしかったが、僕はかねてから住宅ローンについて思うことがあったので専門家の人と話せる機会が持てて内心喜んだ。

 日本の住宅業界には山ほど問題がある。
 まず、日本の住宅の平均寿命が30年であること。欧米の3分1ぐらいしかない。
 でも、住んでいる人はというと日本人の平均寿命は女性が86歳、男性が79歳で世界一である。
 住んでいる人の半分にも満たない寿命の住宅で日本人は暮らしているわけだ。

 僕は4年ほど前から住まいに関するNPO法人の活動をボランティアでお手伝いしている。この中で一般の人々からの相談も引き受けてきたが、住宅を建てること(買うこと)で人生を大きく狂わされる人が数多くいることを知った。
 また、家を建てて良い人とダメな人がいて、ダメな人が家を建てると必ずといっていいほど近い将来、金銭面で行き詰まり破綻に追い込まれしまう実例も多々見てきた。
 日本の住宅の担保は欧米のように建物が担えるわけではない。建物は10年もすれば資産価値はほぼゼロで担保になどならない。だから人の命である”生命保険”がローンを担保するのだ。
 にもかかわらず、住宅の営業マンは建てて良い人、悪い人の見境いもなく「家を建てよう、買おう」とさまざまなトリックを弄しながら甘い言葉を投げかけてくる。
 そのひとつには、「家賃を払うなんてもったいない」「今の家賃分の支払いで家が建てられます。あなたのモノになるんですよ」というものがある。

 現在の住宅ローンがどのようになっているかというと、住宅金利は日本の歴史上最も低い水準にある。でも、それにもかかわらず35年のローンで3000万円を借りると支払う総額は5000万円前後になる。最初の10年はまさに金利の支払期間のようなものなのだ。固定資産税を始めとする出費もひかえている。
 この住宅ローンについて誰から情報を得るかについて、先の住宅金融支援機構が行ったアンケート結果があるが、なんと回答のうちの80%以上が「住宅の営業マン」なのだそうだ。
 家を売りたくて仕方がなくて、売るためなら手段を選ばないような人から最も大切な住宅ローンに関する情報を得て、お願いするなんてサファリパークの草原を牛肉の固まりをしょって歩きまわるようなものだ。鳩にあしたから首を振らないで歩けと言ってもどだいムリな話なのだ。

 給料が年々右肩上がりで、ボーナスもしっかりと支給されて・・・という自分たちの親が過ごしたかつての良き時代はなんとかなったかもしれない。
 でも、当時のままの住宅ローンをはじめとするファイナンス体質のまま、30年周期でスクラップ&ビルドを練り返すような建物が連綿と引き継がれているような時代の流れの中で、病気になったり、給料が大きく落ち込んだり、仕事を失ったりするような事態に陥ったらまさしく”ゲームセット”だ。

 住宅ローンを組んでもらうことが本業であるのは重々わかっていますが、もっと消費者の立場になって情報提供をしていくほうが先々支持されるのではないでしょうか・・・・

 そんなことを大人げもなく、機構の広報の人に熱く語っていた。

 これはどうやら先日、日高あいさんのコンサートにいった時に原因があるような気がする。
 彼女の歌を聴きながら、なぜかふと自殺者のことが頭の中にくっきりと浮かんできた。
 どうしてなのかよくわかんないけど、同じ国で生まれ育った人が毎日100人以上自らの手で自らの命に終わりを告げていることが無性に残念でたまらなく哀しくなったのだ。
 住宅の返済が滞り(それはひとつの現象で、深刻な資金ショートが原因だろうが)世を去る人も多い。それを自己責任と言う人もいることだろう。じゃあ、困っている人や弱者をあっさりと切り捨てるのなら政治とはいったいなんなのだろうか。
 そんなことが頭の中のどこかに残っていて、それに関わる人には何か伝えなくちゃと思ったのかもしれない。

 それでもそんな話を真剣に聞いてくれた広報のお兄さんには明日、お礼とお詫びのメールでもしておかなくては。

 




 







 

2007年12月16日日曜日

第4回読書会を開催。宮城谷昌光「奇貨居くべし」


 今年から仲間達と「読書会(内々では「観想会」と呼んでいる)」を開催している。


 数年前に仕事の縁でつきあいが始まり人としても大いに尊敬している方から昨年末に宮城谷昌光さんの小説を薦めていただいた。
 前々から書評や書店で見かけたり、読んだという人から話を聞いたりしていたが、中国史を舞台とする作品である点などになかなか興味を持てず手にしていなかった。  
 でも、この時は「これは良き機会なのかな」とふと思ったため読み始めたところ、いっぺんに”ハマってしまい”、半年ほどで文庫化している作品はほぼすべて読破していた。
 そういう意味では今年前半は、宮城谷作品にどっぷりとつかった読書生活の日々であり、物事の実りには「天の時、地の利、人の和」の3つがそろうものだという故事を、なんとなく実感できる期間にもなった。

 紹介してくださった方と一緒に飲むたびに話題は宮城谷作品になり、毎回話は白熱して盛り上がり、「どうせなら、しらふで仲間達にも声をかけて大勢でやろうじゃないか」ということで意気投合して、とうとう読書会を開くことになってしまった。

 読書会は、作品を決めて、それを全員が読み、休日の午後3時に集まって自分が心ひかれた場面や感動した一節、疑問に感じた部分などそれぞれが忌憚(きたん)なく作品について意見を述べあうという場になっている。
 顔ぶれは50歳代~30歳代まで年齢はさまざまで、人数は5~8人ぐらいが参加する。
 残念ながら現在は男性ばかりの集まりだが、ぜひ女性の意見も聞いてみたいと思っている。

 4回目となる今回のテーマとなる作品は「奇貨居くべし」(全5巻)だった。
 この作品は主人公の呂不韋が一商人から一国の宰相のにまで昇り詰めていく波乱の生涯が描かれている。
 どんな感じで読書会でのやりとりが行われているかその一例を少しだけ紹介すると、

 Aさん:「私は2巻の334㌻の
 『《人は、生きていることを、他人とはちがう表現において証拠立てよ》
  孟嘗君(もうしょうくん)が暗にいっているのは、そういうことらしい』
 の一文にひかれた。これは人ぞれぞれ生きていくテーマが異なり、その人の持ち味、役割があるはずで、それを早く見つけ役立たせていきなさいという意味と受け取った」

 Bさん:「なるほど、なるほど。私は人のやることは同じ生き方のように見えても質と重さが違う。よくよく思考したのち、行動にもそれを表していきなさい、と言っているのだと取った」

 Cさん:「僕は3巻の314㌻のこの一節を子供に伝えていきたいと思った。その部分は、
 『ーーたれにとっても、結婚は重大事である。
  と、鮮乙に教えられていると呂不韋はおもった。
 伴侶になる者が、幸運をもっているのか不運をもっているのかわからず、父祖の徳をうけついでいるのか悪徳をうけついでいるのか、本人でもわからない。さらに、幸運と父祖の徳とを兼有していながら、結婚相手によってそれらが相殺されてしまうこともありうる。だから大志をもつ者としては、結婚を慎重にしなければならない。幸運は長つづきするはずがなく、一方、不運は長い。要するに、いま栄えている家の者と結婚すれば、まもなく衰運にみまわれ、いま零落している家の者と結婚すれば、不振をうけいれることになる。いずれにせよ、人は不幸であり不運であると認識し、そこから出発するつもりで、不運を幸運に転化する努力をおしまない人を伴侶にえらぶべきであろう。その努力とは、めだたない日常生活のすごしかたに、かならずあらわれているはずであり、その平凡な事実が、じつは結婚生活にとってきわめて重要であるとおもったほうがよい』
 この一節です」

 Dさん:「なるほどなぁ、自分の結婚生活について考えてしまうよな、この部分は」 

 Eさん:「その一節に通ずることで、2巻の185㌻に
 『侈傲(しごう)の者は亡ぶ。貴賤を問わず、そうです。なぜ、天子や諸侯は亡びないのか。先祖の威徳がそれらの貴人を助けているからだ。それに気づかず、侈傲でありつづければ、三代で亡ぶ』
 とある。自分を戒めておかないと、できれば徳を積んでいかないと次の代がその報いをこうむるということを教えてくれる。Aちゃん、あんたが社長からよく言われていることじゃないか。徳をつまなきゃ、Aちゃん、やばいよ!」
 Aさん:「ごもっとも・・・・・(絶句)」

 といった感じで、いろんな意見を出し合いながら、3時間ほどみんなで考えを交わしていく。
 自分が読み流してしまったところが取り上げられて「なるほどな」と気づかされることも多々ある。
 
 いずれの宮城谷作品も読んでいて楽しいということが共通しているが、史実に乗っ取りながら人の生き方、考え方、身の処し方など、示唆に富んだ部分が随所にあり、読んでいて自分を鑑みるための良き刺激となってくれる点が大きな特徴だ。

 終了時の飲み会も大いに盛り上がり、師走の忙しい時期になんて贅沢な時間を過ごしているんだろうと至福のひとときの満喫を味わいながら帰路についた。

 




 

2007年12月13日木曜日

日高あいさんのコンサートに行ってきました



 日高あいさんの東京・内幸町ホールで行われたコンサートに行ってきた。

 彼女は、僕と同郷の鹿児島出身で、世界遺産になっている屋久島で生まれ育っている。
 仕事でもお世話になっているSAIさんから昨年、誘ってもらって初めて東京目黒ブルースアレイジャパン・コンサートライブハウスに足を運んでからこれで3度目となる。
 日高あいさんの魅力はなんといってもイタリア留学を経てカンツオーネ歌手としてデビューした経歴が示す通り、透明感あふれる歌声と抜群の歌唱力にある。
 僕はこれまで2度訪れ、縄文杉との対面や四方を囲むコバルトブルーの海など、手つかずの大自然に包まれた屋久島に心底魅了されているせいか、彼女の所作の折々にちらりと見られる自然が育んだと思われる”まっすぐさ”が好きだ。
 今日は偶然(すべては必然で偶然はないんだけど、一応修辞的に)にも2ヶ月ぶりに仕事の打ち合わせでお会いしたOKAMOTOさんが旅行をしてとっても感動したんだという話題になり、その場所がなんと”屋久島”だった!
 数年前に娘さんから「今まで見た中で屋久島の夜空が一番美しかった」といつか行くよう薦められ、自分の目でその屋久島の夜空を見たらやっぱり一番美しかった、という話にはグッときた!
 さらに屋久島に向かう前日に泊まった町がまたまたなんと!僕の生まれ故郷の町だったということで、「自然あふれる景色もすばらしいし、住んでいる人もほんとに親切で、なんていい町なんだろうって思ってたんだ」のひと言を聞いて、僕は今日一日、ほんとに幸せな気持ちで過ごすことが出来た。
 自分のふるさとを褒めてもらえることほどうれしいことはない。
 こちらこそ訪れていただいて、”ほんとにありがとうございました”!
 おっと、脇道にそれたが、日高あいさんの話。
 今回は、元力士の大至さんも参加して熱唱し、大いに盛り上がった。
 個人的には、全編鹿児島弁の「でげてげに せんねん(2000年)=鹿児島弁で「ほどほどにしなさい」という意味」を聞けなかったのが少し残念だったが、節目となるデビュー25周年を経て、来年からさらに活躍してくれるのではないかと楽しみにしている。
 あいさん、きばれよ~
 

エコプロのイチ押しは間伐材のカブト、クワガタだ!


 東京・お台場の国際展示場・東京ビッグサイトで13日~15日まで開催されている「エコプロダクツ2007」に出展している商品の中で、僕のイチ押しは、国産材の間伐材で作ったカブト虫とクワガタである。
 桂浜の坂本龍馬像をバックにカブトとクワガタがなぜたたずんでいるかというと、彼らは高知県産の木材で作られているからだ。
 環境にやさしい間伐材を利用してこの商品を開発、販売しているのは㈱ゼネラル・プレス(http://39sbug.org/)で、「森の木々の力に感謝(サンクス)し、森林によるCO2量削減目標であるマイナス3・8%(我が国の目標値。当初は3・9%)を実現してほしい」と頑張っている。
 だから商品名は「3・9’sBUG(サンクスバグ)」。
 ひとつひとつ手作りだけど価格は1個420円(税込み)と意外にリーズナブル。だけど、教材用とか販促用でまとめて販売する予定らしいので、ご興味のある方は会場で交渉するか、ご確認を。
 うちには2匹が仲良く冬の雨を眺めている。
 
 

”ありがとうの水”海を渡る

 今朝は久しぶりの雨。
 
 こんな朝にはと思い、ビリー・ジョエルとどっちにしようか迷ったけど、これまた久しぶりにユーミンのアルバムを引っ張り出して聴く。

 「海を見ていた午後」が流れている。
 窓の向こうの細い雨を見ながら「冬場の乾燥が激しいから潤いの恵みの雨かな」
 と思ったけど、
 パソコンを開いてブログを見て、フランスにいる<ダニエルさんちの>友人の”水の呪い”がはるか遠くの日本にも作用したのだとわかった。

最近、”ありがとうの水”を飲むようになったという話は、読んでいてジワジワとうれしくなった。
 今朝もコップに氷をたっぷりと入れて水をそそぎ、その水にモゾモゾとありがとうの言葉をつぶやいて飲みながらブログを読んでいてそのことを知ったので、海を隔てた遙か遠くにある別々の国で同じことをしながら水を飲んでるんだな、と思い浮かべるとなんだかおかしいようなうれしいような気持ちになってひとり笑ってしまった。
 
 ”ありがとうの水”は、身近では絶大な効果を発揮していて、毎年この時期になるとひどい寒冷じんましんでかゆみに苦しみ、お風呂からあがると体中に真っ白な保湿クリームを塗りたくっていた息子がほら、すべすべだよ、と太股をなでながら喜んでいる。
 自分もそれほどひどくはないが今年はかゆみに一度も悩まされていない。
 また、前に書いた義弟から教えてもらった白髪が黒くなるという効果だが、なんだか白髪が徐々に黒くなってきたような気がするのは気のせいだろうか。YUさん、黒髪の世界へお先に!

 2月14日には友人がフランスから日本に帰ってくる。多くの友人たちと出迎え、みんなで乾杯したあと、”ありがとうの水”で乾杯をしながら語り合うことを今からとても楽しみにしている。

2007年12月11日火曜日

「水は答えを知っている」


 「水は答えを知っている」(江本勝、サンマーク出版)は、僕にとって「生きがいの創造」(飯田史彦)と同様に、精神世界を意識して見つめるようになった原点ともいえる1冊だ。

 4年ほど前に、奈良県の天河弁財天神社で写経をする人たちが集う機会があり、そこでこの本のことを知って、帰ってからすぐに手に入れて読み、出会えたことを心からうれしく思ったことをいまもありありと覚えている。

 いい!と思うと周りの人にすぐに伝えたくなるし、また自分で実践したくなるタチなので、(以前、ここでも紹介し、現在はかなりの”進化版”!になっているが)透明な水差しを買いに出かけ、油性ペンで大きな文字で「ありがとう」「愛」「感謝」と書いた。
 遊びに来る人はそろって「おっと、新しい宗教に目覚めたか」といった顔をするが、これがねらいで、そこからこの本の話題が始まるというわけだ。ふふふ・・・

 本の内容は、前回少しふれたが、水にさまざまな言葉や音楽を聞かせてその水を冷凍して結晶化させる。すると、その言葉、音楽によって水の結晶がまったく異なる表情を示す。

 ガラスのビンに水を入れ、文字を書いた紙をビンに貼った結晶をたくさん撮影して紹介しているが、「ありがとう」「愛・感謝」の結晶の美しさには目を奪われる。
 それは、英語でもフランス語でも中国語でも共通して美しいこともおもしろい!
 その一方で「ばかやろう」「You fool」「ムカツク・殺す」のように人を傷つける言葉はどれも結晶さえできずにぐちゃぐちゃのままである。
 「しようね」はかわいらしい結晶ができるのに、「しなさい」と命令形になると結晶にならないというのも興味深い結果だ。

 水道から出る塩素が入った水道水はきれいな結晶を結べないが、「ありがとう」と書いたり、声をかけているときれいな結晶を描き始めることもこの本で知った。
 逆に六甲の水のような結晶のきれいなミネラル水でも「ばかやろう」と言っていると結晶が損なわれていくのだからやっぱり不思議だ。

 身体の70%が水である人はやはり水そのものの存在だ。
 良き言葉を投げかけるよう心しなくちゃ! 

村上龍「エクソダス」と子供のイジメのシカト


 先日、読んだ宮本輝、村上春樹に続いて「はじめての文学」シリーズの村上龍を読む。
 村上龍の短編なんてあったんだ~、という感じで読み始めた通り、どの作品も初めて読むものばかり。
 まずは、「まえがき」がなかなかいい。
 本編は龍ならではの切り口、文体によるいつも通り個性的なものばかりで、「主な読者層だと思われる若い人たち」(まえがき)のうち、どの層の若者がどんな感想を抱くのか、どこかでぜひ聞いてみたいものだと思った。
 僕が20歳の時に渋谷で出会った横浜に住む15歳の女の子は「本なんて読むの?」と訊ねたら、「山田詠美が好き。あんな小説が書きたい」と言って笑った。
 派手な衣装が流行った時代で、赤いボディコンに身を包み「歳の割りにずいぶんませたことを言う娘だな」と最初は思っていたけど、話してみると素直でいい娘だった。
 その後、数年経って、共通の知人に彼女のことを訊ねると黒人とつきあい始めて生活が荒れていると教えてくれた。
 あなたのことをたびたび話していたから、言うことを聞くかもしれないからしっかりするように言ってと頼まれ、しばらくしてから連絡を取ったが、その時にはどこで暮らしているのかわからなくなっていて、それっきり会うことはなかった。
 20歳の僕にとって、そして15歳の彼女にとって、村上龍、山田詠美はとっても刺激的な作家だった。
 この本の中で紹介されている「希望の国のエクソダス」(本来は長編だが、一部のみ掲載)の中で、中学生のイジメについて書かれたシーンはかなり秀逸だ。
 その部分は「・・・シカトするほうは、それが人間にとって非常に辛いことだと知って、それをやるんです、イジメの中で一番悪質なのがシカトだと思います」と結ばれている。
 さまざま言葉や音楽を水に伝えて、それを凍らせた結晶がどのような違いを見せるのか、著書「水からの伝言」の中で写真でわかりやすく紹介し、ベストセラーになった江本勝さんは、
 怒りをぶつけた水の結晶が形を大きく損なっているのに対して、感謝の言葉をかけた水が美しい六角形の結晶を描くという自然の摂理の不思議さをビジュアルで誰もがわかるように教えてくれた。
 しかし、怒りをぶつけ形を損なった水の結晶以上にぐちゃぐちゃに損なわれた結晶を描いたものがあり、それが”無視をし続けた<シカトされた>水”であったことを知ったとき、僕は人に対して決してしてはいけないことがあることを学んだ。
 人は水の生き物だ。
 言葉、音楽によってその姿を大きく変えていく水の結晶が伝えてくれる物語の意義は深い。
 
  

2007年12月8日土曜日

朝瀬蘭さんと”メディテーション(瞑想)”してきました



 先日、メディテーション音楽の作曲家である朝瀬蘭さんの演奏を聴いてきた。
 メディテーションとは「瞑想」のことで、この音楽は身体にリラクゼーションをもたらしつつ、集中力を高めてくれるのだという。
 新潟大学大学院医歯学総合研究科の安保徹教授の「スポーツ競技会、試合の前、試験の前、重要なプレゼンテーションの前などにメディテーション音楽を聴くことにより、リラックスしつつも集中力が高まり、持っている力を十分発揮することに繋がることが期待できる」との医学的検証の解説もあり、
 朝瀬さんの曲は聴いた後に血液を調べると顆粒球の比率が増加し、リンパ球の比率が低下しており、このことは「音楽の好き嫌いに関係なく、集中力が高まったことと関係している。しかし、重要なことはその状態にあっても過度な緊張はなく、気持ちはリラックスしているから」と安保教授は説明している。
 タイと日本を行ききし音楽活動をしているという朝瀬さんはとっても美しい顔をした男の人で、メディテーション音楽をやっているだけあってその語り口は柔らかで落ち着きがあり、聞く者に安心感を与えてくれる。
 タイの浜辺の波の音から始まる曲には自分がすっぽりと自然に取り囲まれていくような気持ちになったし、宇宙・無限をテーマにした幻想的で悠久な曲を聴いてると、身体から無駄な力がゆっくりと抜けて、雨の日の午後にひとり閑かに雨音を聞いている木々のような気持ちになった。
 曲の合間に、朝瀬さんから「皆さんでメディテーションをしてみませんか」と言われ、初めてメディテーションを体験することになった。
 会場の照明が落とされ、淡い闇の中でイスの背に身体を付けずに座り、頭のてっぺんを見えない糸で引っ張られるようなイメージで姿勢を伸ばして、手のひらを上に向けて太股の上にゆたっりとのせ、目を閉じる。
 目を閉じる時は「もうこの世でまぶたを開くことはなかもしれないという思いで静かに静かに閉じてください」と朝瀬さんから言われた。
 続いて最も大切なのが”呼吸”なのだそうで、ゆっくりとできる限り長く息を吐く。そして深く吸って、再びゆっくりと長く細く息を吐く。
 何度か繰り返していると、朝瀬さんが言うように指先などがピリピリしてくる。これは普段は呼吸が浅くて届かない血管に血液が巡って喜んでいるサインなのだそうだ。
 曲を聴きながら、静かな落ち着いた声でリラックスを促していく朝瀬さんの声に耳を傾けながら時間が経ってくると、身体はずんと重くなり、しばらくすると今度は逆に軽くなり、気持ちも湖の上を歩けそうなぐらい静かでゆったりとしてくる。
 「あ~、この感じ、とっても気持ちいいな」と心の中で思っていると、なんだかよくわかんないんだけど突然、すっと涙が出てきた。哀しいわけでも苦しいわけでもないのに流れた不思議な涙だった。
 初めてのメディテーションは自分にとって、とても素敵な体験となった。
 本当は生まれたままの姿でするのが理想的なのだそうだが、部屋でひとり素っ裸で涙を流しながら瞑想している姿は、いくら家族でも見つかったら、何を言われるかわからない。
 始めるにしても身近な世論づくりからまずは進めていく必要があるだろう。
 

 

 

2007年12月6日木曜日

身体を癒す「水晶の光」見てきました


 何度かこのブログでも取り上げてきた身体を癒すという「水晶の光」の装置をようやく見てきた。
 東京都文京区の会場には、全国から100人ぐらいの人が来ていて円卓に座って開会を待つ。
 ステージの奥には10基の装置が並べられており、ブルーやレッド、グリーンなど7色にゆっくりと変化しながら淡い光を放つ装置は美しく、見ていて飽きない。
 しばらく見とれていたが、おっと、わざわざここまで美しいインテリア商品の話を聞きに来たわけではなかったと我に返る。どんな治癒効果があるのかしっかりと聞いておかねば!とポケットからメモ帳を取り出す。
 福島県いわき市で実際に治療をしているという人が登場したが祝辞のみ。その後、工学博士という人によるミニ講演があったが、鉱物やバクテリアの話で今ひとつ核心の話にならない。
 休憩を挟んで行われた次のミニ講演は「惑星人間学」なる初めて聞く学科。
 講師の先生が「では、まずは皆さんの誕生の日の数字を1~9になるまで足していって、その数字が1の人はですね、太陽の星を持っていおります。う~ん、病気は心臓疾患等に気を付けなくてはいけません・・・」って、それ占星術でしょ!みたいな話で、思わず握っていたペンを落としそうになってしまった!
 結局、講演後はスタッフの紹介、主催者のあいさつで閉幕。医療法や薬事法で治せるとか良くなるとか言っては問題あるんだろうが、どのような方法で治し、どんな効果があるのか聞けずに不完全燃焼・・・。
 福島県いわき市の治療施設に行こうと誘われたが、確かに行けば実際に見ることはできるんだろうけどどうしようかと思案している。
 

誕生日は「感謝の日」

 本日5日は、僕のブログの唯一のリンク「ダニエルさんちのフランス便り」を書いている同級生の長女・ノエミちゃんの誕生日である。
 ノエミちゃん、誕生日おめでとう!
 といっても今夜も飲み過ぎで午前様になってしまい、日が変わってしまってからのメッセージになってしました。ごめんなさい。

 一日一日が楽しく、実り多き11歳の時が訪れるよう、心より祈ってますね~!

 ずいぶん前のことでいつのことだったかはっきりとは覚えてないけど、今は亡き母の誕生日に「おめでとう」と電話を入れると「ありがとう」と言ったあとに、「誕生日って、自分を生んでくれた親に感謝する日なんだって。だからこれから(祖母が暮らしている隣町の)指宿(いぶすき)に行って、ばあちゃん(母の母親)にありがとうって言いにいくんだ」と言っていたのをふと思い出した。

 誕生日というと、自分が生まれた記念すべき日だけど、自分を生んでくれた両親への感謝の日でもあるのだろう。

 

2007年12月5日水曜日

宮本輝vs村上春樹「はじめての文学」は輝の”勝ち”!


 文藝春秋が発行する「はじめての文学シリーズ」の宮本輝と村上春樹を読んだ。
 僕は日本人の作家の中で”短編の旗手”は誰かと問われたら迷わずこのふたりの名をあげる(もうひとり向田邦子も加えたい)。
 もちろん、ふたりには長編にもすばらしい作品は多々あるが、短編には、普通に見る限りはひとまたぎで越えられそうな、なんてことのない地面の裂け目なんだけど、近くに行って下を覗いてみると底などまったく見えない暗く冷たい深淵な谷のような存在感がないとのちのち読み手の心に残らない。そんな谷を覗いてきたような読後感を長く持たせてくれてるのが僕にとってはこのふたりなのだ。
 「はじめての文学シリーズ」に関して、ふたりを読み比べると宮本輝の”圧勝”である。
 村上春樹に僕の好きな「午後の最後の芝生」が入っておらず、宮本輝には僕の好きな「トマトの話」と「五千回の生死」が収められていたという単純な理由からである。
 このシリーズは若い人たちに読書の楽しみを知ってほしいという願いから発行されているらしいが、10代後半~20代前半の頃、しまリスのように時を忘れてこりこりと日々本を読みふけっていた懐かしき日々に僕を引き戻してくれた。

2007年12月4日火曜日

見るだけで幸せになれる「魔法の絵本」


 「見るだけで幸せになれる『魔法の絵本』(中河原啓著)」は、近所の書店でふと目に止まり、「絵画を見ることで病気が治るということは聞いたことがあるけど、どんなもんなんだろう」といったぐらいの軽い気持ちで手に取ってページをめくって最初の絵を見た瞬間、頭の奥がパッと明るく光るような衝撃を受けた。
 著者の中河原さんは21歳の時、植物のざわめきを感じ、植物と対話ができるようになったという不思議な人だ。
 そんな不思議な人が宇宙エネルギーを絵という形で表現した作品が70ページほどの薄いこの本の中に16枚紹介されている。
 そしてそれぞれの絵は「健康になりたいあなたに」「人間関係に悩んでいるあなたに」「自分を受け入れられないあなたに」といった16のテーマに分けられ、見ているだけで効果を発揮するのだという。
 どの作品も色彩鮮やかでエネルギーにあふれているが、僕は書店で最初に見た、黄金色の太陽の光が降り注いでいるように見える1枚目と2枚目の作品が好きだ。
 ちなみに、この絵が効果を発揮するテーマは
 「お金のトラブルから解放されたいあなたに」
 「お金の漏れを防ぎたいあなたに」
 である。
 心中複雑・・・・・
 
 

9日から”オーラ”が見える、気が使える!?

 9日は田村珠芳さんの今年最後の講演会に参加する予定だ。
 
 前回、初めて参加し楽しく刺激的な内容の講演で、一部はここでもご紹介させてもらった。

 ちょっとつけ加えておきたいのは、珠芳さんが「来年以降は、さらに”水晶の時代”が本格化する」という話である。
 どういう意味かというと、企業、個人を問わず、隠していることが次々と明らかになる流れがますます加速するということである。
 昨年末の講演で水晶時代を予想したのち、今年はミートホープ、赤福、白い恋人、マクドナルドなど次々と企業の偽装が明らかになった。来年はそんな比ではないというから大変である。
 個人的にも”表れの時代”の到来を強く感じていたので、身も心も清めておかねばと思っている。

 また、質疑応答で日本人と皇室の役割について質問したが、この内容がかなりショッキングだった。  
 「この話は講演が終わり懇親会か何かでお伝えするべき種類のお話だったかもしれませんね」とのこと。
 僕もそう思った。

 日本人については、欧米よりも一足早く中東和平に向けて、イスラエル、パレスチナ、ヨルダンの三国を巻き込んでヨルダン渓谷に流通センターを作り、3国に産業を指導して輸出振興ができるように「平和と繁栄の回廊」プロジェクトを発足させ高い評価を得ているそうだ。
 「欧米は利益を考えて一国を支援してきたが、日本は中東の利益を考え、国が豊かになれば戦争がなくなると考えている」とおっしゃっていた。この話は日本人として大変うれしい。戦争で富を得ようと企てる国の特定のグループからの圧力が強まることは避けられないだろうが踏ん張れニッポン!!

 ところで、9日は講演会とあわせて、「オーラなんて誰だって見えるようになるし、気もすぐに出せるようになる!なんにも特別なことじゃありません!」ということで、”実習”のような時間もあるらしい。

 9日の夜はオーラと気の使い手になっているかもしれない!楽しみ、楽しみ。


  
 

野球日本代表、五輪出場決定おめでとう!台湾代表もいい試合ありがとう!

 
 野球日本代表が北京オリンピックへの出場を決めた!
 代表の皆さん、ほんとにおめでとう!

 昨夜の台湾戦は、アウェーとはいえ審判があまりにも台湾びいきで見ていてやきもきしたが、それも結果的には日本代表を引き立てる演出に終わってしまった。

 まあ、そんなことはお構いなしに選手達は一人ひとりがコンディションの好不調はあったのだろうが、堂々と最善を尽くし勝利を呼び込む、その姿が美しかった!

 台湾の選手もすばらしいプレーを随所にみせてくれてありがとう!北京オリンピックだったからきっとなんとしても出場したかったにちがいない。北京オリンピック自体が開催されるかどうか定かではないが、他の競技で応援するからね~

 

2007年12月3日月曜日

変なオジさん

 
 昼食を食べて、公園のベンチに座って最近クセになってしまった”空眺め”をしていると、突然、空が見えなくなって60歳ぐらいの白髪のオジさん顔が目の前ににゅっと現れた。

 すごくびっくりして座り直し、たぶんハッ!?っという顔を僕はしたと思う。
 でも、オジさんは足を広げた仁王立ちの状態で、目を見開いて僕の顔をかなりおっかない形相でにらんでいる。
 会社の近くの公園だし、会ったことはあるけど忘れてしまった人に違いないととっさに思い、「え・・・っと、誰だったっけ」と頭の中をミキサーのように急回転で回して考えてみるが、まったく誰だか思い出せない。
 
 その間も目の前60~70㌢ぐらいの距離でオジさんはまばたきさえしないで僕の顔をじーっとにらんでいる。

 10秒なのか15秒なのか長い沈黙の前に僕は思い出すのをあきらめて、オジさんと僕をへだてる空間に向けて「はぁ」と声にしてみた。

 すると、返事をするどころか、そのままの顔をぐっと僕の方に20㌢ぐらいさらに近づけてきた。
 その時点で、僕はこのオジさんが知っている人で忘れたわけではなく、ましてや知っている人がからかってそんなことをしているのでもなく、”完璧な変なオジさん”であることがわかった。

 僕はふぅーと息を吐いて、「このオジさんはまた僕に何を伝えに来たのだろうか」と考えた。
 
 3年ほど前から僕は今日のように(公園で突然出現して無言でにらまれるようなことは初めてのことだが)まったく知らない人からすぐそばで独り言のようにつぶやかれたり、なにげに言葉をかけられたりすることがあったが、このうち幾度かが、すでに亡き母親がこの人の口を借りて僕に言っているんだ、と一瞬にしてはっきりわかる経験をした。なぜと言われてもうまく説明することはできないが、いかなる疑問もはさむことのできない正真正銘の母の声であったのだ。
 その内容はたいがいがその時僕がおかれている状況に対する苦言だったり、エールだったりして、その都度、胸に深くしみる言葉だった。

 だから、オジさんが”変なオジさん”だとわかっても、「今日は何を伝えに来てくれたんだろう」と気持ちが切り替えられてしまうとあとはずいぶん落ち着いてオジさんと目を合わせ続けられることができた。

 ”こんなに人と見つめ合うのは何年ぶりだろう”と考えていると、そんな気持ちを見透かしたわけではないだろうが、またまた突然、オジさんはすばやい動きで僕が座っているベンチの左側にドサっと座り込んできた。

 これにはさすがに驚いたが、僕は一切目を合わさずそのまま前を見たまま座っていた。
 オジさんもまた前を向いたまま座っていた。

 それから30秒ぐらい沈黙が続いただろうか。オジさんは僕の方に身体を向け、言葉を発した。
 僕は、「そら、来たぞ」と顔はそのままで耳だけをそばだてると、風貌とはまったく不釣り合いな小さなかわいい声で、  
 「逮捕する」
 と言った。

 思わず、「はぁ~」と言いそうになったが、グッと我慢すると、続いてオジさんはこう言った。

 「タケチャン・・・・」

 僕は再びとっさに理解した。
 これは、母親の口もご先祖の口もまったく借りたオジさんではなかったと・・・

 僕は立ち上がり、前を向いたままちょこんと頭を下げてその場を後にした。

 


 
 

 

2007年12月2日日曜日

自分の原点の1冊ともいえる「生きがいの創造」に感謝


 先日、HASHIちゃんと飲んでいる時、「生きがいの創造」(飯田史彦著=現福島大学教授)の話題になった。
 この本をHASHIちゃんの会社の営業部長が読んでいたことがきっかけで、大きな仕事が良い流れ向かっているのだという。
 話を聞くと、お客さんである大手企業の部長さんにHASHIちゃんと営業部長が自社のプレゼンを終え、接待の場での歓談に移った。
 そこで大手企業の部長さんが持ち出した話題を聞いていた営業部長が「もしかしてそれは『生きがいの創造』じゃありませんか」と尋ねたところ、部長さんは「あなたも読まれていたんですか!」と大いに喜び、その後は肝胆相照らすような仲になって仕事の話も川の流れのようにスムースに進み、しまいには部長さん行きつけの銀座のクラブにまで連れていってもらったという話であった。
 そのHASHIちゃんのところの営業部長”IMUさん”(この人はハマちゃん、スーさんのあの「釣りバカ日誌」の原作を手伝っていたことがあるというユニークな人でなんと本人まで登場している。まあ、いつかじっくりとご紹介したいと思う)にこの本を薦めたのは、何を隠そう僕なのです、エヘン!
 ということでほんとはまったく何にも偉くはないのだが、大変感謝されてしまい、とても恐縮してしまった。
 それでも自分に縁のある人が、薦めた本によってどんなことであってもうまくいって幸せな気持ちになってもらえたことはうれしい。
 実際、僕自身が7年ほど前に初めてこの本を手に取り読んだ時、ものすごく感動し、出会えたことに深く、深く感謝した。
 この本の中には「子は親を選べない」と世間でよく言われるが、欧米の学者のデータを集め、実はその真実はまったく異なり、
 「子供はすべて、ひとりの例外もなく親(両親)を選んでこの世に生まれてくる」ことを紹介している。
 人の一生がすべてを自分で選んでこの世に訪れ、そして出会う人々一人ひとりが自分にとって大きな意味が込められているということをこの本、飯田史彦さんはわかりやすく伝えてくれる。
 僕自身のその後の生き方、考え方に教示を与えてくれた原点ともいえる1冊であると言っても過言ではない。
 ちょっと固めのタイトルとは違い、内容はとっても読みやすい。そして読み終えたあと、自分がいま関わっている人、これから出会う人になぜかとてもやさしい気持ちになれる1冊です。

2007年12月1日土曜日

有楽町の美しきクリスマスツリーと悪口を言わない生き方



 有楽町マリオンの近くを歩いていると美しいクリスマスツリーに遭遇したのでシャッターを切った。

 LEDライト、特にブルーライトの美しさは、町並みをほんとうに一変させた。照明の世界のこの大きな変革が、それを見る人々の心を片時でもいいので癒してくれることを願う。

 先日、東京駅を利用した際、丸の内に続いて八重洲方面の開発が完了し駅前の風景が大きく変わっていることに驚いたが、有楽町もかなり洗練されてきた。

 今夜はこの有楽町で仕事仲間でもある25歳の若きHASHIちゃんと黒豚しゃぶしゃぶ店で待ち合わせし一杯やる。春先から一緒に食事でもしょうといいながら時間がなかなかうまくつくれずに12月を前にしての実現となった。

 まあ、始めは仕事の話をひと通り終えたあと、芋焼酎もだいぶまわり気分も乗ってきたので、話題は当然、男の生きざまについて(ぜんぜん「当然!?」じゃないか~)に切り替わる。

 元プロ野球選手の新庄剛、芸人の陣内智則、元格闘家の須藤元気・・・・、職業はまったく異なるがこの3人に共通することは何か?

 それは「人の悪口、陰口を言わない」ということだ。

 前々からこの3人について周囲の友人、知人などが評するニュースの中に、「人の悪口を言わない」という共通した特徴があることに僕は関心を持っていた。

 その前になぜ、この3人の話題になったのかというと「何が人として大切だと思うか」と訊かれたので、「人の悪口、陰口を言うヤツは駄目だし、嫌いだ」「そういった意味でこの3人がエライなと思うんだ」ということになったのだ。

 人の悪口、陰口を口にしない人はとにかくツイている!だから運もいい!

 「運」とうのはツキの連続のことである。そして「ツキ」は「良き出会い」を大切にしなければ引き寄せることはできない。

 悪口を言う人間にはこの「運」と「ツキ」の”卵”である「良き出会い」が起こらないのだ。

 僕は知らなかったのだがHASHIちゃんから新庄がクイズミリオネアで最後の問題をエンピツを振って1000万円当てたという話を聞き、やはりツキがあり、運を持つ男なんだなぁと納得。さらにその賞金でマイクロバスを買って母校の野球部にプレゼントしたという話には正直驚いた。

 悪口、汚れた言葉をわざと言わせようとしているのではないかと思うことが多いご時世だが、良きことと思った時は少しでもそうなれるよう見習っていきたいものだ、と歳は違うが良き友であるHASHIちゃんとそう約束し、うまい酒を交わした。 

身体が若返る、アトピーが改善する「ありがとうの水」


 妹夫婦が宮崎・都城での小林正観さんの講演会後&会食で正観さんから直接教わった「白髪(しらが)を黒くする方法」を妹から聞くことができた。
 でも、でも・・、それはすでに我が家では小林正観さんの著書を読んで3ヶ月前から実践していたことでした~。
 その方法とはすっごく簡単で、やる気になればこの瞬間からできることだし、しかも費用は無料!。
 正観さんの講演に参加した人に26年間アトピーで悩み苦しんでいたことのある人がいた。この人は治すためにありとあらゆることを試したが駄目だった。そんな時、ある人から「水分をとる時に
 『私の身体の正常な細胞になってくださってありがとうございます』
 と、その水分(お茶だったり、コーヒーだったり、みそ汁だったり)に「感謝の言葉」をかけて飲んでみてください」とアドバイスされる。
 半信半疑だったがすがるような思いでそれを始め続けていると、わずか1ヶ月で26年間悩んでいたアトピーが見る見る家に改善し、治ってしまったのだ。その間はほかのことは全てやめていたので、この感謝の言葉が効いたとしか考えられないということだった。
 この話にはその後があり、「感謝の言葉が水を変質させる」と考えた正観さんは何人かで合宿した時にこの話をし、「アトピー以外にも応用できるかもしれない」と、皆で試してみることになり、今度は
 『私の身体の細胞を若返らせてくださって、ありがとうございます』
 と水分に声をかけて、お茶やコーヒーを摂取した。
 数日続けてみると、みんなから「身体が軽くなった」「身体がよく動くようになった」「しわが減ったようだ」「肌に張りが戻ったような気がする」という感想が続出。
 正観さんは「もちろん『気のせいだろう』という批判もあるでしょうし、『そういうつもりで集まっているんだから何か実験すれば肯定的な結果が出るのは当然』という意見も出てくることは承知してます」と述べているが、その正観さん自身に顕著な結果が実は出ていた。
 半分ほど白くなっていた髪がヶ月ほどで真っ黒になったのだ。
 ということで、我が家では写真のような言葉を書き入れた水差しを夏頃から使っている。
 言葉を言うだけでいいのだが、それだとどうしてもうっかりして普通にごくごくと水を飲んでしまうことが多い。だから片側に「・・・正常な細胞になって・・・感謝します」、別な面には「・・・若返らせていただいて・・・感謝します」と僕の下手な字で書いておいた。
 
 このため、子供達も自分でそそいだコップの水に「・・・感謝しま~す」言いながら飲んでいる。
 そのためなのか毎年空気が乾燥するこの時期になるとひどい寒冷じんましんに悩む息子の手足の肌はつるつるしている。
 都城での会食の時、その話をした時が正観さんが一番うれしそうだったという話を妹からあとで聞いた。
 ”ありがとうパワー”は底知れない。やはり”ありがとう”で良縁を得る「ありがとう結婚」というおもしろい話もあるが、これはまた次の機会で。
 
 
 

”ダニエルさんちの彼女”、ありがとう。

 昨夜は仕事のつきあいが長引き、結局終電に間に合わず、深夜の事務所に戻りパソコンを開く。

 闇に浮かぶパソコンの光を眺めながら、さすがにブログを書く力は残っていなくて、先日、リンク登録したばかりの「ダニエルさんちのフランス便り」をクリックする。



 そこには「ツキを呼ぶことのは」のタイトルで、僕のブログのこと、そして僕に向けられたメッセージが記されていた。

 ”ダニエルさんちの彼女”と僕は海が近く、緑に囲まれた田舎町の学校で3年間を共に過ごした。それから数年ののち、彼女がフランスで過ごしていることを人づてに聞いた。

 それからおよそ20年の歳月が過ぎた今年の9月、通訳の仕事や翻訳した絵本の出版準備などで帰国した彼女を同級生たちと東京で出迎え、再会することができた。
 懐かしい顔ぶれに話が尽きず、やはり今夜のように終電に間に合わず、最後まで残った6、7人で朝まで飲んでそれぞれ始発電車で家路に向かう中、彼女はフランスへと発っていった。



 僕は、その日からの彼女のブログに目を通すようになり、彼女が書くあたたかな視線による軽快なタッチで登場人物の描写が生き生きとした文章がいっぺんに好きになり、更新されるのを毎日のように楽しみにするようになった。


 最近、特に印象深かく、心に残っているのが「ふぅ~」というタイトルの文章だ。
 海の向こうの異国の地にしっかりと根を下ろして生活している彼女の文章は、久しぶりに再会した本人と同様、しなやかな強さとバイタリティーにあふれ、どこかにかわいらしさのあるところが魅力なのだが、「ふぅ~」は異国が抱える現実世界の持つ空気の重みのようなものが小柄な彼女を覆いつぶそうとするかのような重々しさにあふれ、そこで暮らしていくことの厳しい一面があるということを知らされた。

 僕はこの文章を読み終えて、彼女の近くに住んでいて、今すぐふらりと訪ねていって「友達、何人か誘って気分転換に飲みにでもいこうよ」って声かけてあげられたらどんなにいいだろうと思った。

 現在、2冊目の翻訳本に向けて準備が忙しいにもかかわらず、僕が進めているNPO法人のことまで気遣ってくれている内容の文章を読み返しながら、こんなに熱いエールをもらったのはいつ以来のことだろうと思った。そう考えていたら闇に浮かぶディスプレーの光が次第ににじんでぼやけて見えた。

 

2007年11月28日水曜日

小林正観さんと目の前で会食

 メールの整理をしているとつい今しがた妹から電話があり、「さっきまで小林正観さんと会食をしてたのよ。しかも目の前で!」と弾んだ声が携帯電話の向こうから聞こえてきた。

 今日は宮崎県都城市で正観さんの講演会があり、妹夫婦が初めて話を聞きにいくということは知らされていたが、その後、会食があり、しかも目の前の席で直接いろんな話をするなんて聞いていない!
 そう、妹に言うと、「私達だってそうよ」との返事。講演が終わって会食会があることを知り、希望者は参加できると聞いたので部屋に入り、カバンを置くと目の前に正観さんが座ってきたのだそうだ。

 あ~、うらやましい!今年は正観さんの本は4冊読み、1冊、1冊に学び、気づかされ、救われることが確実にあった。本の中身は後日に譲るとして・・・・・

 正観さんの講演会は希望者多く、なかなか簡単に参加できないらしい。でも、宮崎には縁があるらしく年間6回講演会が行われているそうで、義弟からは来年は遊びにきてください。一緒に行きましょうと声をかけてもらった。ぜひ、ぜひ!

 義弟は正観さんに白髪を黒髪にする方法を教わり、その結果を次回、来年始めに直接報告する約束をしたらしい。
 「年々、髪がどんどん白くなる僕にもその方法を教えて」
 そう言おうと思ったら、「そろそろ霧島で電波が悪くなるので、皆さんによろしく、おやすみなさい!」と言ってブツッと電話は切れてしまった。

 もしもし~!!お・し・え・て・よ、お・ね・が・い・・・・・

復活、忌野清志郎がアセンション・ペンダント!


 忌野清志郎が喉頭ガンから復活して、元気な姿を見せてくれた。

 場所が場所だったから心配したけど、さすが~の復活劇!
 友人から連絡があり、復活ビデオの清志郎が「アセンションペンダント」をしてるらしいよ、とのこと。
 確認してみると、確かに!
 今まで多くの人々に熱きエネルギーを与え続けてくれたんだ、ここでちょっと小休止ということで、たっぷりとエネルギー補給してから熱いバラードを再び聴かせてね~
 10代の終わりに聴いていた日比谷野音の懐かしの「ザ・ティアーズ・オブ・クラウン」を聴きながら今夜は過ごすことに。
  「カーラジオからスローバラード
  夜霧が窓をつつんで
  悪い予感のかけらもないさ
  ぼくらの夢を見たのさ
  とってもよく似た夢を」
 ああ、やばい、やばい油断するとあの頃に引き戻されちゃうよ~
 

 

延期だったけど宝石の光で病気を治す治療法!早く見たい!


 以前、「ジャパンホームショーの後はチベット水晶治療の話で」のタイトルでも紹介し、予定していた27日の宝石を使用して病気を治す治療法の説明を聞く機会が先方の都合で延期になってしまった。

 その間に、この治療法の第1人者である医学博士の堀田忠弘氏の「身体は、なんでも知っている」を読んだ。

 堀田医師は1946年生まれで京都府立医科大学を卒業し、1990年に堀田医院を京都市内に開業。
 約15年前から東洋医学をはじめさまざまな療法を研究し、人を肉体、心、魂をもったエネルギー体として総合的にとらえる治療に取り組み、その中で、インドのベノイトシュ・バッタチャリア博士が開発した”宝石の光”によって病気を治す療法に出会い、日本で実践している。

 「光のエネルギー(光線)に過不足が生じると細胞が十分なる生命活動を維持で奇なり、いわゆる病気と呼ばれる状態になる」という病気に対する考察は非常に斬新!で、
 「赤サンゴ」「エメラルド」「ムーンストーン」「アメジスト、ローズクォーツ」「トルコ石、ラピスラズリー」「水晶」「ルビー」など異なる宝石を通して発生させた光を部位や病状によって使い分けて治療していくらしい。
 う~ん、どんな機械を使って、その効果はいかほどなのか早く見たい!、知りたい!

 12月5日には実際の治療現場に立ち会えることになっているので今から大いに楽しみ!

2007年11月27日火曜日

「アメロ通貨」来年発行、オーストラリア人は日本移住計画<田村珠芳さん講演>

 以前ここに記した通り、11月23日、田村珠芳さんの講演会に参加してきた。
 著書「まもなく宇宙人が到着します」を読んで、初めて参加した講演だったが、かなり刺激的な内容もあったが、全体的には僕自身がさまざまな情報をもとに予想している未来予想図を裏づける意見であったので納得できた。
 珠芳さんのエネルギーあふれる話っぷりに2時間半の所定の時間はあっという間に過ぎてしまい、有意義で楽しいひとときを過ごさせていただいた。


 話題が多岐に渡るので何回かにわけて紹介したいと思うが、大きくは「来年2008年から世界は大きく変革の嵐の中に突入することになる」ということだった。

オーストラリアの移住計画
 オーストラリアは地球温暖化による未曾有の大干ばつに見舞われ農作物が前年比マイナス60%という多大な被害を受けている。政府は2200万人の人口のうち1000万人を移住させる計画を実行しており、すでにカナダの国定公園内で町づくりは始められている。

 また、北海道の倶知安(くっちゃん)町の羊蹄山の裾野に一大オーストラリア人向けのリゾート地との名目で大開発が進められているが、これも移住計画の一環である。すでに白亜の一大リゾート施設が出現し、病院などのインフラも充実し、日本に特区ができたかのようだ。
 カナダだけでなく日本へも移住が始まっていることを多くの日本人が知らされずにいる。


「アメロ通貨」、来年発行へ
 現在、世界経済はサブプライムローン問題で大揺れだが、公表されている米国企業も、そして日本のみずほ信託、野村証券もそれは氷山の一角に過ぎず、損害額は予想を超えた莫大な金額であることが今後明らかになってくる。
 そして、こうした流れをきっかけに来年からは金融そのものの流れが大きく変わってくる。
 すでにロシアは石油代金の支払いを相手国にルーブル建てで払うよう圧力をかけているし、イランも日本に対し日本円で払うよう要請し、7月からドルではなく円で払っている。こうしたドル離れでドルは値下がりし、今後ますます下がっていくことは確実。

 こうしたローン問題、ドルの信用失墜によって経済が急速に破綻に向かっているため、アメリカは10%を金(ゴールド)で保証した新たな通貨である”アメロ通貨”を発行する。
 この通貨はアメリカ、カナダ、メキシコ3国で使う通貨で時期は来年動き出す。

 
 珠芳さんは「サブプラムローン問題を皮切りに金融の大きな流れは変わり、金融で成り立った20世紀の崩壊の序曲となる」と断言した。

先進国で最も短命な我が国の住宅寿命


 日本の住宅は先進国の中で最も”短命”であることはあまり知られていない。
 総務庁の調べによるとイギリス141年、アメリカ103年、フランス86年、ドイツ79年に対して、日本の住宅寿命はなんと”30年”である。
 「30歳でマイホームを建てて、定年時期の60歳になったら建て直しをする」・・・、これが我が国の住宅の実態なのである。
 まあ、高度経済成長に背中を押されて毎年給料が上がり、ボーナスもふんだんに出るという時代であれば、なんとかなったのだろうが、現在のように給料は上がるどころが下がりボーナスも出ないような経済環境では、人生に2度どころか1度でも怖くて建てられない。
 写真は住宅の柱材の比較だ。向かって右側が現在、多くの住宅で使われている3寸5分角の柱材だ(1寸が3㌢なので1辺の長さが10・5㌢ある角材)。
 しかも、よく見るとわかるように、5枚の板を接着剤で張り付けた”集成材”という柱である。
 集成材にはおもしろい特徴があり、できたての強度は抜群に高く、同じサイズのムクの木材と比べても強度に優れている。しかし、30年、40年という歳月を経たのち、どうなるのかはまだ誰もわからないのだ。
 にもかかわらず、実に首都圏の9割以上の木造住宅にこの集成材が使われている。住宅メーカーは消費者にきちんと説明しているのだろうか。わかったうえで使っているのであればまだ理解できるのだけれど・・・・。
 右から2番目が4寸(12㌢)角、5寸(15㌢)角、そして一番左側が7寸(21㌢)角である。
 日本の神社仏閣で使われるようなこの7寸角を一般の住宅に使って長持ちする家づくりをしている工務店の事務所を訪れて撮影させていただいた。
 気になる費用だが、さぞ高いのだろうかと思うと、3寸5分の柱から7寸に切り替えてもらって”プラス150万円”、”5寸ならプラス100万円”だそうだ。しかも国産材の柱である。
 
 ”住宅1棟総額における100万~150万円”・・・・・、解釈の仕方はさまざまだが、それで欧米並みの長持ちする住宅を得られるのであれば、前向きに検討できるのではないだろうか。
 日本には世界で唯一、住宅産業界にハウスメーカーというビッグカンパニーが存在する。
 住宅業界の情報が非常にクローズなのはなぜなのだろうか。
 消費者はもう一度、しっかりと自らで住宅のあり方について考えていく必要があるのかもしれない。
 

2007年11月26日月曜日

佐藤富雄さんの好著「いい言葉は人生を変える!」


 佐藤富雄さんの「いい言葉は人生を変える」は好著だ。
 言葉の持つ強烈な実現力や願いを引き寄せ叶えてしまう引力などに長年興味を持ち、さまざまな人々の意見や著書にふれてきたが、本書のおもしろさは、言葉が、それを発する本人の”自律神経”に多大な影響を及ぼすことを指摘している点にある。
 自律神経という器官が担う<無意識の行動>は、言葉によって方向づけられるのだという。
 そのため、いい言葉を使っていると無意識に良き結果(が導き出されると思われることに)に敏感に反応し、その実現に向けて行動を起こすようになる。
 日頃からそう感じているので、自律神経が作用するという観点からの説明の斬新さに感心した。
 しかし、その一方で、「ということは悪い言葉で悪い習慣が根づいている人は、無意識のうちに不幸を志向し不幸の連鎖に陥ることになるのではないか」と思い当たり、少々背筋が寒くなった。
 そう老婆心を抱かされるほど、最近のテレビや新聞、雑誌のたぐいでは”悪しき言葉”が暴力のように氾濫している。
 
 しかし、きっとこのようにネガティブな心配も僕自身の自律神経に良くない影響を及ぼすことになるのだろう。
 やれやれ。気をつけなくては。

小さな丸い虹を見て思わずワンショット


 この二夜、満月をながめていたためか太陽の下にいても空を見上げるクセがついてしまい、午前中から初冬の青空をながめていると、ぽっかりと浮かんだ小さな丸い虹を見つけた。
 初めて見る形に驚き、カバンの中のデジカメで撮影に成功!
 9月に母親の7回忌で九州に帰省し、再び上京するため空港に向かう車の中から早朝6時の空に2本の虹を見て、「生きて会うことはできなくなってしまったけど、やっぱり心配でこうして昔のように見送ってくれているんだ」と思い、胸が苦しくなった。
 初めて見る不思議な形の虹に出会うことができて、やっぱりなんだかふんわりした気持ちになり、今日は1日、幸せな気持ちで過ごすことができた。
 感謝!感謝!

2007年11月25日日曜日

昨夜は満月。ぜいたくに月見の夜。深夜までのんびり写真撮影

 昨夜は満月の夜だった。
 夕方、日が沈んだ薄暮の中にオレンジ色の巨大な満月がぷかりと浮かんでいるのを駅のホームで見て、今夜は連休なんだから贅沢に月見の夜にしてしまおうと決めた。

 先日、知人から月を見ているとUFOがいくつも飛び立ってるのが見えるよ~という話を聞き、本人が撮った写真まで見せてもらった。

 気になるとすぐに実践したくなるタチなものだから、カメラを望遠レンズに切り替えてスタンバイ、8時から1時間、2時間おきに写真撮影もしていくことにした。

 今夜はUFOを見ることはできなかったが、深夜3時に近所の小学校の校庭からながめる満月は息をのむほどの美しい表情を見せてくれた。

 贅沢な夜でした。

真言。小林正観さん うすしま明王様「おんくろだろう うんじゃくそわか」

 先日、帯状疱疹(ほうしん)を治す言葉「真言」について書いた。
 
 そんな話をしていたら、小林正観さんが著書などがお金が確実に入ってくる法則として”トイレ掃除”を奨励していて、掃除をする際に「おんくろだろう うんじゃくそわか」と真言を唱えながら掃除をするといいことが起こると言っているということを知人に教わった。

 トイレの神様は「うすしま明王様」という神様である。
 うすしま明王様の真言がこの「おんくろだろう うんじゃくそわか」なのだ。

 では、なぜ、うすしま明王様に喜ばれるといいことが起こるのかというと、大変おもしろい話があって、

 家に人が住むことになると、どの家にもそこに神様が必ず来てくださる。
 神様はぜんぶで”7人”いらっしゃり、自分が籍を置く場所を家に早くたどりついた順に決めていく。
 1番最初に家にたどりつた神様は、明るくて見栄えのいいリビング、2番目が玄関、3番目が寝室・・・・といったふうに次々と決められていき、最後は決まってトイレが残ってしまう。
 だから7番目に訪れる神様は必ず最後に残っているトイレを守ることになる。

 では、この神様たち、どうしてこれだけやってくるのに時間の違いがあるかというと持ってくるものが異なるからなのだ。
 1番目の神様は何ももたずに全速力で走ってくる。2番目は紙袋ぐらいを下げて、3番目はハンドバック片手に・・・・とお土産の重さが軽い方が当然早くたどりつける。

 もうおわかりだと思うが、最後、7番目に訪れる神様は気の毒になるほど大きな荷物を背負い、走るなんてとんでもない、歩くのもようやくの様子で家に入ってくる。
 この神様がうすしま明王様。背負った荷物の中にも金銀財宝があふれんばかりに入っている。
 
 このうすしま明王様がいらしゃるトイレをきれいにしておくと、よろこんでくれてお金が確実に入ってくるということになる。


 早速、我が家のトイレには「うすしま明王様、 ありがとうございます」と紙に書いて貼っておいた。

 もちろん、トイレ掃除も「おんくろだろう うんじゃくそわか」と唱えながらやっている。
 

2007年11月23日金曜日

ジョギング2日目で30分完走、なんと2キロ減!


 ジョギング2日目に出発する。
 ここ数日、めっきり冬らしく温度が下がってきたが、ジョギングウェアを着ていると寒さも届かず、顔にふれる空気がピリリとしていて清々しい。
 一緒に走ってくれる息子は小学校ではやっている”瞬足”というシューズをはいてきた。通常のシューズよりもグッと軽量にできており、走り出しの感触はまさに”俊(瞬)足”なのだろう。
 初日は走っている時間が17分間という情けない結果に終わったので、「今日は30分間走ることを目指そう」と伝え、「ただし、お腹や足などが痛かったり、苦しくなったらすぐに伝えること」を息子と約束してスタートを切った。
 走り出して10分を経過しても前回のような苦しさや足の痛みもなく順調そのもので、あっという間に15分を走り、そこでUターン。
 息子も「今日はすっごく楽だ」と軽快な走り。早生まれということもあり、背丈はクラスで前から2番目と小さく、走ることも他の子供と比べればとても早いとはいえない。だからこそ、走り速くなりたいとの思いで一緒に走っているのだ。
 一緒に走れることは、誰かがそばに居るという心強さもあるが、走っている間、いろんな話が出来るという点がとても楽しい。
 僕は自分が小学校の頃の話をした。
 僕は学校で開催される長距離走大会で1年生から3年生まで3年続けて1着だった。でも、4年生の時、当然今回も1着だろうと思って臨んだが2着に終わってしまった。
 この時、1着になったのは谷口くんという隣のクラスの男の子で、後日、それまで10着以内にも入っていなかった谷口くんがなぜ突然早くなったのか、その理由を友人から聞かされた。
 谷口くんは、3年生の長距離走が終わってまもなく、お父さんと一緒に約1年間ずっとジョギングを続けていたのだ。
 僕はそんな話しを息子にして、「来年の運動会が楽しみじゃないか」と言った。
 息子は僕の顔を見て、はにかんだように少し笑い、”瞬足”のスピードをあげた。
 この夜、2人は目標の30分間を1度も立ち止まらず走り切ることができた。僕らにとって2日目にしては上々の結果で、まさにニコニコ顔でのゴールだった。
 ニコニコ顔はその後にもあり、風呂からあがり体重計に乗ると昨日より体重が2キロも減っていた。
 ジョギング効果がそんなに早く出ることはなかなか考えられないので、少し食事に気をつけた効果なのかもしれなかった。
 しかし、どんな理由でも減量できたことは素直にうれしい!でも、その反面、今までどんだけ食べていたんだ!という思いも浮かんできたけど、「う~ん、それは気づかなかったことにしよう」と気を取り直し、夕食の席に着いた。
 

2007年11月22日木曜日

木をどんどん伐ること、使うことが自然環境貢献になるんです

 
 地球温暖化の問題で、二酸化炭素など温室効果ガスの削減が急務になり、二酸化炭素を吸収する森林、木材の役割が非常に重要になっている。

 この森林、木材についてぜひ、これだけは知っていただきたいことがある。

 それは「木はどんどん伐って、どんどん使うことが自然環境に貢献することになる」ということだ。
 日本の山の多くは、成長して使える木がたくさんあるにもかかわらず(シェア8割を占める)輸入材に押されて、使ってもらえないため年々、荒廃が激しくなっている。

 その木は、人間と同様に、年を取ると二酸化炭素の吸収量が減っていく。手入れがされず使われずに腐ってしまえば今度は二酸化炭素の放出源になってしまうのだ。
 だから、成長した木は伐って使い、その伐ったあとにたっぷりと二酸化炭素を吸ってくれる若い苗木を植えていく自然の循環が極めて重要なのだ。

 先日、テレ朝のニュースステーションでも報道していたが、戦後に植えたはいいけど使われずに放置されたスギの森が遠目からは整然と立ち並んではいるが、手入れがまったくされずに日の光が地面に届かないことなどのために他の植物や昆虫などが共生できない森となり、その状況を有識者は「緑の砂漠」と呼んでいた。

 「緑の砂漠」は全国で急速に進んでいる。

 僕も森林・木材業界のお手伝いを仕事でするまでは、木を伐ることは環境破壊の一端かと思っていたが、まったく逆なのである。

 このことをぜひ、多くの人々に知ってもらい、日本の山の木を優先して使ってもらいたい。
 

身体に最も悪い食べ物は「牛乳」


 新谷弘実(しんやひろみ)著書「病気にならない生き方」の”2実践編”を読んでいる。
 最初の著書は100万部を大きく超える大ベストセラーで、興味深く読ませていただいた。
 特に身体に負担をかける食べ物として「牛乳」をあげている点に個人的には最も関心が高かった。
 というのも、このブログ中で以前紹介した恵命我神散の上田先生もやはり最も悪い食べ物として牛乳を指摘し、また、そのほかにもこの3年ほどの間に2人の医療関係者から牛乳の弊害を聞いていたからだ。
 そんなこともあり、世界的な胃腸内視鏡外科医の新谷さんの警鐘が僕の中では最終通牒のように感じられた。
 僕らの世代は給食でも自宅でも「大きくなるから牛乳を飲みなさい」と言われて育てられてきたから周囲にも牛乳愛飲家(愛飲ではないのかもしれないが)が思っている以上にいる。
 僕自身はこの1年半ほどまったく口にしていない。
 ただ、牛乳を飲まなくなり、気を付けるようになってわかったことだが、外食を中心に乳製品として口にする機会がけっこう多いのである。
 それについても徹底して敬遠するというのもひとつの道だが、僕は気にせず食べている。この辺からは性格の問題になるのかもしれない。
 

「まもなく宇宙人が到着します」田村珠芳さんの講演


 23日(金)に田村珠芳さんの講演会に行ってきます。

 田村さんは今年「まもなく宇宙人が到着します」というタイトルの著書を発行され、僕も早速読ませていただいた。



 UFO自体は僕も3度見た(なぜか必ずひとりではなく友人や家族と一緒に)ことがあり存在は否定していないが、田村さんがおっしゃる”宇宙人”は2012年12月のアセンションを象徴的に示していらっしゃるんだろうと受け取っている。

 地球という存在が疲弊し、回復のために人類の活動を小休止する必要があるというのは本当にその通りだと思う。

 23日はどんな話を聞くことができるか大いに楽しみにしている。
 ご報告、こうご期待!

2007年11月21日水曜日

帯状疱疹(たいじょうほうしん)を治す「まじないの言葉」

 昨日、会社の後輩から「母親が帯状疱疹になってしまい大変なんです」という話を聞き、小さい頃、田舎(九州)で帯状疱疹になった人を短期間に治す”まじない”の言葉があったはずだと思いを巡らせた。

 というのも、数年前に病院で勤める妹がなかなか帯状疱疹治らないで苦しんでいるスタッフに「母親から教わって(効くかどうか確信はもてないが)まじないの言葉があるのでもしよかったら」とことわった上で教えたところ、1度やって1週間もしないうちに完治したという話を聞いたので、手帳に記しておいたのだ。

 そのおまじないの言葉は

 「この剣は神の剣 たいかずら たいかずら たいかずら千里山奥のたいかずらも根を切れば葉も枯れる あぶら(お)んけんそわか あぶら(お)んけんそわか あぶら(お)んけんそわか」

 というものだ。
 この言葉を3回唱える。また、唱える際には、錆(さ)びた金物(包丁など)を用意して患部をトントンと切るマネをしながら行う。
 最近は特にそうだが錆びた金物がない場合は、手を使って”手刀”でやってもかまわない。

 「あぶらんけんそわか」に(お)を加えたのは、少しこのまじないについて調べてみたところ、自分の故郷だけではなく、他の地域でも、「やけどをした時」や「歯が痛い時」などに同じ「おぶらんけんそわか」を唱える風習があることがわかり、地域によっては(お)を入れた言葉になっていたからだ。
 僕の故郷では(お)抜きのまじないの言葉であったことを再度記しておく。

 なんらかの真言であることは間違いと思うが、新たなことがわかったらまた書き記したいと思う。

 


 

仕事がとぎれない法則

21日(水)

 本間さんから「あれ以来、連日仕事の依頼が入り、まったく仕事がとぎれないんですよ」と声を弾ませてお礼の電話が入った。

 「あれ以来」とは先週ブログに書いた358のお札のことで、始めた翌日には未収になって半分あきらめていたお金が戻ってきた。そのあとを追うように今度は(建築関係の方ならご存じだと思うが、この住宅着工が半分に激減しているご時世に)仕事がジャンジャン舞い込んできているのだ。

 仕事先で、営業をしてる女性2人にその話を早速教えたら、「今から358のお札を探しに行ってきます」と飛び出していったのだという。

 「良いと思ったことは自分だけのものとはせずに多くの人に教える」こともツキがツキを呼ぶための鉄則。

 358の輪を広げて、幸運を引き入れましょう!

2007年11月20日火曜日

ジョギングとタバコ

19日(月)

 今日からジョギングを始めた。
 理由は簡単。体重が急速に上昇してきたからだ。
 
 7月18日、この日僕はタバコをやめた。20年以上吸い続け、1日に 2箱以上吸っていたのだが、幸い決めた日を境にピタリとやめることができた。
 まわりから良く聞いていたような口寂しくて飴やガムを口にするというよ うなことはなかったが、味覚と臭覚の精度が手動式テレビからハイビジョ ンに買い換えたようにクリアになり、食べるものが突然劇的においしくなった。
 当然、食べる量は増え、みるみるうちに体重は1ヶ月に1㌔ずつ増え始めた。さすがに3ヶ月目に「これはまずい」と思い、食事をセーブするよう気をつけてみたが、慣性の法則を押しとどめられるほどの力は僕にはなく、先日おそるおそる体重計に乗るとやめる前から6㌔!!増えていた。

 「与えると入ってくる」のが自然の法則である。だから欲しい時には、求めるのではなく与えなくてはいけない。呼吸だって息が続く限り吐くと驚くほどたくさんの空気が入ってくる。
 僕にとってタバコは大きな存在だった。正確には今だからわかるのだが「大きな存在だと思い込んでいた」。
 だから入ってくるものが大きいのは仕方ないと言えば仕方ないのだが、肥満はやっぱりイヤだ!
 年をとると身体の燃費が良くなるらしいが、食べる楽しみはやはり捨てがたい。そのためには燃費をあげる機会を別につくるしかない。
 ということでジョギングを始めることにした。

 時間は朝か早く仕事が終わった時は夕方と決めた。8歳の長男がパートナーになってくれたことがなによりも頼もしい。僕は太りたくない。息子は足が速くなりたい。双方の目的は異なるが同じ時期に走りたいという気持ちでひとつになった。

 そして、ジョギング初日となる19日夕方、「まずは30分間ゆっくり走ろう」ということで2人は家の前を出発した。基本的には15分走り、そこでUターンして戻ってくれば30分走ることになる。
 でも走るということはやっぱり甘くなかった。15分まではなんとか走ったが、折り返し前ぐらいから足が急に重くなり始めた。息子はどうなんだろうと思い「大丈夫?」と聞くと息子の方もけっこうつらそうで、「ちょっと肩が痛いかな」との返事。僕は半分「助かった」と思いつつ、息子は肩、僕は足が痛いのだからこれは止まるしかない」と自分につよく言い聞かせて息子に「歩こう」と声
をかけた。
 時計を見ると結局、走った時間は17分間だけだった。とぼとぼ歩きながら、その横を高校生ぐらいの女性がシマウマのように颯爽と駆け抜けていくのを2人でながめていた。
 「どれぐらいしたらあんなスピードで走れるようになるかな」と僕が言うと、息子から「どうなんだろう。1ヶ月ぐらいかな。でもその前に30分走れるようになりたいね」と言われた。
 もっともである。先は長いが続けることをまずは最初の目標にしよう。

恵命我神散の秘められた力を語る(下)

 
少し長いけど、(上)の続きです!


屋久島の天神さんの満願成就の日にお告げをたまわる
 昭和8年に国から許可されて恵命我神散の製造が始まりました。先代の社長は海軍を満期で除隊し、農機具の会社を経営したが思わしくなく養鶏業、豆腐屋などの仕事をやっていました。42歳の頃、厄年を迎え、これからどんな生き方をしていったらいいのかと考え、故郷の屋久島の天神さんに行きました。楠川の海岸端にある神社で、ここで3週間の断食を行ったそうです。満願の日、家に帰ると奥さんが夢を見たと先代に言います。神様が出てきて島津藩の資金源で一般の人は扱えなかったガジュツを薬として商いなさいというお告げをした夢でした。ガジュツは島津藩のご禁制となっていましたが、戦後は化学薬品に切り替り畑の隅に放っておかれて芽を出しているような有様でした。
 「いまのように化学薬品オンリーになると環境が変わるし、植物の質も動物も変わる。そして人間も変わってしまいます。収集がつかなくなる。大気汚染など、いまでは想像できない時代になる。有害なものを廃止して健康にならない限り、これがないと生きていけない時代が必ず来るから」という神様からのお告げでした。「これがいないと生きていけない時代が来る」というイザナギ、イザナミのお告げでした。
 本当は個人ではなく国がやるべき仕事ですが、使命として先代はやることを決意します。
 恵命我神散は原料が効くのではありません。取り扱い業者も利益追求でなく奉仕の気持ちでやらなければならない。そろばん勘定からすると2000円~3000円するものを200円~300円でなんとか皆様の手に届ける。製品になる前に材料を口にする従業員を見て先代は厳しく叱っていました。「神の御霊がこもって恵命我神散になるんだ。これは単なる漢方薬ではない」と言っていました。これが漢方の効果しか発動しないのなら1箱5万円、6万円の値段をつけないといけないのです。しかし、「そんなことのためにできたものではない、本当はタダでお渡ししていくものだから」というのが先代の思いでした。

水に溶かして49日仏前にもあげてほしい
 恵命我神散を扱っている店はかつて東京に12、3件しかありませんでしたが、今では何百件とあります。販売方法を変えたためそうなったのですが、私はそのやり方に疑問を感じています。化学薬品と一緒に長い時間置くと化学薬品の毒を吸ってしまいます。ですからなるべきなら納品期日を聞いておいてその日に購入することをお薦めします。
 亡くなった人に対してもひと匙恵命我神散を水の入ったコップに入れて差し上げる。49日間供えてあげれば喜ばれます。先代は明日死ぬかもしれない人にでも飲んでもらいたいとおっしゃっていました。
 恵命我神散は血液を清める。そして御霊を浄化させます。多くの人が試されていますが、供えると水が少なくなります。「現象を仏様は表す」と言われます。お経の50分間に溶かしてささげた水がだんだん減っていったと喜ばれた方もいらっしゃいました。
 人の心の中には潜在意識と顕在意識があります。先祖のいい流れに乗るか悪い流れになるかで大きく変わります。マイナスをプラスの流れにするということは生命活動を転換させるということです。そのように先代はおっしゃっていました。
 釈迦は地上5里(20キロ)には「接地層」があるとおっしゃられています。地上が「人智圏」で、それを上空5里で囲うように「接地層」があり、その外に「神智圏」があります。成仏できないとこの接地層にさまよい、神智層にまで行くことができないというわけです。
 恵命我神散の話に戻りますが、ガジュツを天日乾燥して製造していました。支那は湯通し乾燥で製造します。先代は生干し乾燥に切り替え、熊本県球磨郡でやっていましたが、霜でやられてダメでした。その後は煙草の乾燥室で火力乾燥でやります。ガジュツも芽が出てしまうと成分はなくなってしまいます。それ以降、現在も火力乾燥で製造しています。「地方、地方に特産がある」「宝の島にしたい」と先代はいつも言っていました。屋久島を極楽の島にしたいという願いを抱いていました。

ガンは毒の表れで、強いところに出てくる
 活かす力がある人がガンになります。活かす力のない人は頭が楽になります。
 食べ物に賞味期限がありますが、昔はこんなものはありませんでした。賞味期限は食べ物の期限ではありません。食べ物に含まれる「毒」の賞味期限です。しかも、毒が切れた後の方が値段は安くなります。毒を集めたものがガンとして表れてくるのです。
 ガンは一番丈夫なところに出ます。いまの医療ではそれを取り除くので長くもたなくなる。元を治すのが恵命我神散です。ガンになったら1日2箱が目安です。
 できたら口に入れて最低30秒ぐらいそのまま留めておくようにしてもらうと効果が増します。機能を目覚めさせ、ホルモンが出てくるからです。苦くなくなると機能が目覚めたことを示します。
 病気の時も健康の時も一緒の薬は治ったら止めないといけません。しかし、恵命我神散はにがくなくなる。これは慣れじゃありません。整ってきたためです。子供でも平気です。ためしに小さい子供に飲ましますと、袋を自分で持ってきてもっとちょうだいと言ってきます。
 子供が風邪などひいた時にはへそにつけてあげてください。それから首筋からお尻の上まで背骨に沿って軽くなでるように恵命我神散をつけてあげてください。注射なんかよりよほど効果があります。湯上りに軽くさすってあげるようにしてあげてください。

目覚めさせ力を引き出す飲み方をしてください
 口に含んだ時にいつもより苦いな、と感じたら少し多めに飲んでください。
 NPO法人「ガンの患者学研究所」の河竹代表という方がいます。この方は小冊子を作って無料で配布しており、この中で、「痛い、痛い」の前に「ありが」をつけてください。さすってあげる人も「ありがたい」と言ってあげると波動が痛み止めのエンドロフィンを出して和らぐとおっしゃっています。
鏡(かがみ)を見てください。それが自分です。そこから「が(我)」を取ると「かみ」になります。
 鉛の毒を体から消すには、可能な限り鉛を薄めた希釈液を飲むことです。耳掻きの10分の1でも溶かして飲むことも効果的です。入れたか入れないわからないぐらいの量でこれ以上薄められないという状態のものもよいのです。要はあなたの力を引き出すことです。量ではありません。
 目覚めさせ力を引き出す飲み方はざっと飲んではいけない。口にふくみホルモンを出すようにするのが機能をよみがえらせるのみ方です。

役割があるから存在し、生かされている
 人間の中心は左足の延長戦にあります。それは心臓があるからです。右足に軸をおくと、スケートで考えればわかりますが、心臓は大きく動き軸がぶれます。
 また、鼻の穴はふたつありますが、それぞれの穴に役割があります。なければ穴はひとつでも良いのです。右穴は冷やしてものを育てる役割があります。風邪の時は大概が右側がつまっているはずです。冷却できないから熱が上がります。塩水でつまった鼻を通してあげると熱はすぐに下がります。
 左の穴は温めてものを分解する役割を担っています。
 人間はアメーバから進化したものとする学説が一般的です。しかしこれは間違いです。もしそうなら世界にはアメーバはいないはずです。最後につくられたのが人間で、人間は最初から人間です。
 そして人間になるために寿命をいただいています。その場を与えられているのです。これに目覚めないとせっかく人間に生まれた意味がありません。
 同種で殺しあうのも人間だけです。逆戻りしているとしか考えられない行動です。しかし、それでも自然に人間が生かされているということは役割があるということなのでしょう。

仏様、観音様の見ているところ
 「仏様、観音様が半眼でどこを見ていらっしゃるのか」とお坊さんたちに聞いてみたがきちんと答えてくれる方はほんとうに少ない。
 仏様、観音様は鼻の先を見て瞳を閉じてらっしゃるのです。その視線をとるともっとも心の落ち着ける丹田3寸に意識を自然に集めることができます。ちなみに丹田3寸というと世間ではへそ下3寸といわれていますが、これは間違いで本当はへその奥3寸のことです。言葉にすると間違った形で後世に伝わる恐れがあるので、先人は仏像、観音像としてその正しい心の平安の方法を教えてくださっているのです。

2007年11月18日日曜日

恵命我神散の秘められた力を語る(上)

 「恵命我神散(けいめいがしんさん)」という漢方薬がある。

 一般的には胃腸薬として売られている。世界遺産にもなっている鹿児島・屋久島で採れるガジュツという薬草を原材料にして製造されており、長嶋茂雄やみのもんたなど著名な人々も愛飲している知る人ぞ知る生薬である。



 僕は、5、6年前に「二日酔いにてきめんに効く漢方薬だから」と言ってもらって飲んだことがあったが、昨年、「これは胃腸薬として飲まれているが、血液をきれいにする優れた効果があり、医者に見放された癌患者が飲んで治ったという方がたくさんいらっしゃる」という話を知人から聞いて興味を持った。

 それに僕自身、その日のうちに恵命我神散の効果を体感させられることになった。その日僕は3日ほど連続でどうしても飲まなくてはいけない仕事のつきあいを続けていたためかなり体調が悪く、知人には申し訳なかったのだがウーロン茶を飲みながら話を聞いていた。
 そんな中、知人は「海外に行って食事が合わずに何も食べられなくなった人が、ポケットに入れておくだけで食欲が回復する」という話を紹介した。半信半疑だったが少しでも体調が良くなってくれればと思いワイシャツの胸ポケットに分封を入れておくと、なんと10分ほどが経つと徐々に気分が晴れて体調がかなり回復してきたのだ。さほど明確に分かるわけではないが、これはすっごく良い”気”を持った生薬だと確信した。

 それから半月後に、知人にセッティングしてもらい、恵命我神散の創業者の時代から使えているという上田長士(たけし)先生にお会いして、お話をうかがう機会があった。
 80歳を超えられているとは思えない若々しい肌つや、張りがあり芯の通った語り口に引き込まれてしまい、約5時間ほどいろいろな興味深い話をしていただけた。今では忘れ去られてしまった日本の先人であるおじいちゃん、おばあちゃんの教えにもつながる内容で、人によっては参考になるのではないかと思い、話の内容をまとめてみた。



上田先生のお話されたことの概要は以下の通りである。


医者は病人に出す薬を自分では飲まない
 薬は危険です。健康な人にとっても危ないものを病人に飲ますとはいったいどういうことなのでしょうか。
 主治医の多くは病人に出す薬を自分では決して飲みません。
 頭を楽にするのが西洋の薬なのです。

誰もが授かっている「宇宙力」を発揮するには血液の浄化を
 人には自らが授かった自分を治す力があります。
 これは「宇宙力」というもので、私の小さいころ、近所の小児麻痺の子供が軽々と60キロの俵を担いでいるのを見ました。
 恵命我神散にはこの宇宙力を目覚めさせる力があります。この力は血液の力です。そのためには血液をきれいにしないといけない。恵命我神散は血液をきれいにする効果があります。

「煎り玄米」は体の力を高める
 「煎(い)り玄米」は体にいいです。少し疲れて寝込んでしまったお年寄りに食べさせるとすくっと起き上がって歩きまわるようになります。
 10分程度強火で玄米を煎るだけです。お年寄りにはこれをおかゆにして食べさせてあげてください。

調味料で狂った味覚が過食を招く
 食べ物は調味料でごまかすから味覚が狂うのです。本来は適量が自然にわかるものなのです。しかし、調味料で狂うから過食など必要以上のものを口にするようになるのです。

合掌して食事をする民族は非常に少ない
 魚や肉は死物です。しかし、穀物は生きています。だから芽がでます。
魚も肉も穀物も「あなたの命をわたしの命にかえさせていただきます」と感謝する。これが「合掌」です。
 日本人は小さいころから合掌して食事をする。でも、食べ物を食べる前に合掌する民族は非常に少ないのです。

血液が体をつくっている
 いまの世の中の乱れは食の乱れからきています。1日何カロリーといったような考えはなんの役にも立ちません。
 カルシウムが骨をつくっているのではありません。そんな食事をさせられている子供ほど骨がもろいものです。柱の周りにガムテープで木をくっつけているようなものです。
 食べ物はすべて血液になるのです。いい血液が生産されたら骨も髪もよくなるのです。
 素材を使って大工は家を建てる。指物大工は家具を作る。杉を渡してケヤキの家を作れといっても無理な相談です。根本を間違えないようにしないといけません。
 動物や植物が手本を示してくれています。動物は食べる種類が非常に少ない。草食動物は草しか食べません。しかし、それでも草を活力として飛んで走って人間でも及ばない力を発揮します。

噛むとホルモンが出る。回数で種類が変わる
 大本を「素材」といいます。人間は5000種類の酵素を授かっています。しかし、それを刺激するホルモンを出さないと酵素は動き出しません。
 昔の人は「よく噛みなさい」と言っていましたよね。これは口を動かさないとホルモンが出ないからです。口を動かすとホルモンが出る。さらに回数によって出てくるホルモンの種類が変わるのです。素材はひとつでもよく噛むといろんな酵素が出てくるのです。
 だから動物はよく口を動かしているわけです。動き出す酵素で体ができるのです。
 食事をするときはひと口ごとに箸を置いて、最低30回は噛みなさい。
 よくおしゃべりする人は精力がありません。おしゃべりで日中に使い果たしてしまうからです。体はそういう仕組みになっています。

完治した腎不全の女性の「陰徳」
 恵命我神散は体に害のあるものを外に出そうとする力があります。
 いまの人は皆、薬になるのが薬だと思っています。恵命我神散もしばらく水を少しで飲み込み、飲み込みしているといろんなホルモンが出てきます。溶鉱炉と一緒です。そんな力を目覚めさせて治しなさいという役割を担うのもの、万人が授かっている生命活動を生かし、活性化するのが恵命我神散なのです。
 恵命我神散の効果は血液を通じて発揮されます。腎不全で透析を受けている女性が横浜にいました。長年病気のため大変に頑固な性格になっていました。私は難しいことを作っておいて、その難しい病気を宝物のように思っているのではありませんか、とその人に言いました。20年間で家2棟分ぐらいのお金を病気につぎ込んだそうです。私と喧嘩ごしになりながら彼女は普通半月で1箱のところを半日で2箱飲むような勢いで恵命我神散を飲み始めました。
 半月ほどすると私のもとに電話がかかってきて「えらい目にあった」と文句を言ってくる。
 私は「それが病気の正体だよ」と答えました。病気の元を外に出すのが恵命我神散だからです。「他になにか言うことはありますか」と尋ねると「食べ物がおいしくなった」と言うのです。その後彼女の症状は消えていきました。それから彼は恵命我神散のファンになり、「世界で一番良い薬を持ってきてあげるから」と言って昼夜無く困っている人のために恵命我神散を持って駆け回るようなことをされていました。亡くなる5年ぐらい前、衣笠病院で検査したら腎臓はまったく問題ないという診断を受けたそうです。ただ、透析などの治療で肝臓にキズができており、これが元で亡くなってしまいました。
 彼女には娘さんがいました。生みっぱなしでまったく面倒を見てもらえないで育った娘さんでしたが、恵命我神散に出会ってから亡くなるまでの間、人のために尽くした姿を見ていたので、死ぬ前に看病している際「母がかわいくてしょうがいない」と私におっしゃっていました。晩年を人のために尽くした母の「陰徳」が娘さんに通じたのでしょう。

「世界の終わりとハードボルド・ワンダーランド」村上春樹



17日(土)
 村上春樹の「世界の終わりとハードボルド・ワンダーランド」を読む。
 正確には、20年ぶりに読み返した。当時は分厚いハードカバーで読んだが今回は文庫本2冊を買って電車の中で3日ほどかけて読み終えた(当時、ハードカバーはケース付きでほんとの”ハードカバー”だったような覚えがある。今は九州の実家の本棚の中に収まっているはず)。
 読み進むうちに最も驚いたのが、内容の多くをほとんどといっていいほど覚えていないということだった。
 若い頃は村上春樹の作品が好きで、それこそ新作の発売をまだかまだかと心待ちにして近所の書店の新刊コーナーを確認しに通っていたものだ。
 「国境の南 太陽の西」あたりから発売と同時にむさぼり読むようなことはなくなったが、「村上作品の中でもっとも好きな作品はなに?」と人に尋ねられると、迷うことなく僕はこの「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」をあげていた。
 そんな作品にもかかわらず(いくら20年ぶりとはいえ)、かなりの部分を記憶していないということ、また弾むような気持ちで読み進めないことに、自分が時の流れを経るに従ってどんどん薄情な男になってしまったような気がしてしまった。

 でも、実際には年を重ねるということが感性に大きな変化をもたらすことは避けられない。 「村上作品で、しかも思い入れの深い作品でもやっぱりそうなるのか」というショックは確実に残ったが、他の作家の他の作品ではもっと強烈にがっかりさせられること、時には哀しみさえ覚えながら本を閉じてしまうような状況に追い込まれることはたびたびある。
 僕はだいたい年間100冊~110冊ぐらい本を読むが、この中で、4、5冊ほどは、若い頃に読み、心に残っている作品を懐かしくなって読み返している。
 今年読み返した中にはトルストイの「アンナ・カレーニナ」、谷崎潤一郎の「細雪」があったが、正直言って読んでいる途中で幾度そのままそっと電車の網棚の上に置いていこうかと思ったことか!
 最初の頃は自分の感性の表層に、中年のお腹まわりにジワジワと雪が積もるように増えていく脂肪と同様、感受性を阻害する”厚皮”がついてきたのではないかと真剣に考えたこともあったが、本好きの人たちに訊くていくと結構、皆さん同じような思いをしていることがわかった。
 とはいうものの、20回以上読んでもそのたびに当時の懐かしさや新しい発見に出会える作品だってある。
 その1冊は村上春樹の「午後の最後の芝生」という作品だ。ふと無性に読みたくなり、それが出張先などということもあって家の本棚にはこの作品が収められている「中国行きのスロウ・ボート」の文庫本が4冊も並べられている。
 人との出会いと一緒で、穏やかにゆったりと心通わせながら長い月日をつきあっていける作品に出会う確率はそうそう高くはないのだ。
 
 と、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の中身とは別のことで長くなってしまったが、かつてのようなページをめくるのが億劫なほど心躍るような感情はなくなったが、村上作品の通底を流れる”真摯さ”のようなものにふれて気持ちが和み、そして背筋をしゃんと伸ばさなきゃ、という思いを抱かされた。「僕はこんなところが好きだったんだな」と思って、うれしさもこみ上げてきた。
 しばらく時間を置いてからかもしれないが、村上作品のそんなところにいつかまたふれてみたいと思う。

2007年11月17日土曜日

1兆(丁)円札のすごい効果

16日(金)
 世の中には「お金が自分のもとに集まってくる法則」があるらしい。
 確かにお金にまったくといっていいほど困らない人といつも困っている人がいる。”お金の前に平等はなし”なのだ。

 では、お金が集まってくる法則とは?
 ポイントを簡単にあげると、
1、お金は曲げられないで入れてもらえる”平財布”を好む
1、お金の家、部屋に当たる財布は最初に入った金額を記憶する(ということで、新しい財布にはなるべく多くのお金を入れてあげるようにする。使うと補填されるという仕組み)
1、お金には上下、裏表があり、きちんとそろえて入れてもらえることを喜ぶ
1、小さいお金を大事にするとお金がお礼に来る(たとえば孫の1円玉をひろってきれいにして大切にしてあげると妹の5円玉もお兄さんの10円玉も最終的にはおじいちゃんの1万札までもがお礼に訪ねてくる)
1、ゼロ(桁)が多いところにお金は引き寄せられてくる
1、続き番号で”358”が記されたお札はその他のお札を引き寄せる(385、835、538など順番は異なってもよく、続き番号であればいい)

 (古今東西を問わず、さまざまな書籍や情報から収集した結果)といったことが法則の一端らしい(これ以上に言葉でかなえる方法というのが強烈なのだが、それはまた別の機会に)。

 昨夜、本間さんと飲みながら、そんな話になったので、財布に入れていた1兆(丁)円札(ゼロが12個あって、358の続き番号が入っているおもちゃのお札です!間違って使わないように豆腐の数え方である”丁”になってる)を本間さんにプレゼントした。
 本間さんは「本当に最高に良い一日だ!」と大いに喜んでくれて、翌日朝には早速、財布を新調して1兆円札を入れたと電話が入った。

 そして、午後11時過ぎ、本間さんから電話が入った。
 「遅くに悪いです。でもすぐにお伝えしたくて。
 昨夜も話していた仕事の未回収になっているお金が、先方から『期日を長く過ぎて悪かったね。月曜日振り込みます。残りも月末に振り込ませてもらいます』って今、電話が入ったんですよ。こんな状況(建築基準法改正の影響で住宅着工が前年比の約半分)だからほとんどあきらめていたんだけどね。  
 早速、お札の効果が出ました。本当にありがとうございます」
 という話だった。
 うれしかったな。本当に自分のことのようにうれしかった!
 
 身のまわりでは、びっくりするような効果が次々と出てるからすごいことだ。みんなに幸あれ!
 
 ただし、お金は集まるが、たまるとは言っていないのでご注意を!

2007年11月16日金曜日

ジャパンホームショーの後はチベット水晶治療の話で

木曜日はジャパンホームショーが開催されている東京ビッグサイトに仕事のため足を運ぶ。
中日ということもあって会場には予想以上に人が多い。歩いていると知った人と顔を合わすため、なかなか前に進めない。何人かと話してからは簡単に言葉を交わしてブースをまわるようにした。

先日、転職したばかりの同業者のサクちゃんとはエスカレーターを下っているとすれ違う形で会った。新しい職場にも慣れ、表情も明るく、その奥に落ち着きのようなものも感じられ、ひと安心。近くゆっくり時間をつくって情報交換する約束を交わし別れる。

ショーの見学後は待ち合わせていた藤沢の建設関係会社社長の本間さんと新橋の居酒屋で夕食。
インドから日本に持ち帰ったチベット産の水晶の波動に一工夫することで病気の治療ができるビジネスの説明責任者としてお願いを受け、先日1泊で行われ出席してきたという研修会の話はとても興味深かった。すでに国内で20人ほどの医者がその方法でガンなどの治療を行い、効果をあげているのだそうだ。
「今のところどこも悪いところはないが、一度治療するところを見てみたいものだ」
と言うと、今月27日に都内で開かれる研修会に来てもらおうと思っていたとのこと。
これは楽しみ、楽しみ。内容報告をこうご期待!

2007年11月15日木曜日

同級生との会合

 火曜日は、高校の同級生のタクと朝隈と横浜で飲む。
タクは仕事が忙しく、かなり遅れるとの連絡が入ったので、朝隈と先に芋焼酎を飲みながら語らうことにした。

 朝隈はアニマル・フィギアを中心とする造形アーティストとして、その世界ではかなり高い評価を得ている。それでも、食えるようになったのはここ数年のことで、やはりこの世界は才能だけでは成功の入口にささえたどり着けない。それ以外の”何か”が必要なのだ

 僕は自分が近く設立する予定のNPO法人の理事に就任してほしいと朝隈に頼んだ。以前、似たような依頼を引き受けてイヤな思いをしたことがあった、と言っていたが、引き受けてくれることになった。
といっても準備に約1年、しかも現時点で関係者はみなボランティア。それが分かったうえで引き受けてくれる。やはり持つべきものは友だ!

 タクが来てからは2012年のアセンション、ポールシフトの話や同級生の性病列伝のこと、中日ドラゴンズ日本一(朝隈は熱狂的なドラゴンズ・ファンで優勝の瞬間、涙したのだそうだ)のことなどで盛り上がり、終電が過ぎて個人的には日本一きれいなのではないかと思ったサウナに泊まって3時に就寝、7時にそこから出社した。
 15階の風呂から見える朝日はことのほか美しかった。
 入れ違いに風呂に入ったタク、2度揺すり起こしても微動だにしなかった朝隈、また飲もう!

2007年8月30日木曜日

木内鶴彦「太古の水」の続き:個人的な効用




 前に書いた 「太古の水」についてもうすこしつけ加えておきたいと思う。というのも、前回はまだ使い始めの頃でブログの機能をうまく使いこなせなくて(今もたいして向上していないが)書き終える途中で公開にしてしまったからだ。

 4年ほど前にこの水をつくっている木内鶴彦さんとお会いした。
 木内さんは天体の世界でも有名だが、「臨死体験」に遭遇した人としても知られており、立花隆氏の著書「臨死体験」の中にも登場している。
 僕はこの臨死体験中に木内さんが経験したこと、それを元に「太古の水」を作ったという点に興味があり、その話を中心に本人からうかがった。

 木内さんは臨死状態の時に、時空を超えて過去、未来を自由に行き来する不思議な体験をしたという。
 木内さんは小さい頃、こんな経験をしていた。お姉さんと一緒に家路に着く途中で崖に差し掛かかると、突然木内さんの耳元で「危ない」という大声が聞こえた。とっさに木内さんは姉を突き飛ばした。あいにく、お姉さんはちょっとしたケガをしてしまう。しかも、ケガをしたお姉さんが「危ない」という声などまったく聞いていなかったことから、家に帰ったあと、木内さんは親に散々怒られてしまう。
 本人にすれば、お姉さんを助けたはずなのに、なんで怒られるはめになるのだろうといった気持ちだったそうだ。

 それから20年ほどの時間を経て、大人になった木内さんは職場で腸の奇病に見舞われ、生と死の境界線に足を踏み入れ、その時に臨死体験をする。
 臨死状態にある中、木内さんは過去、未来を瞬時に移行してきたという。それも思った時、場所を自由に行き来することができたのだそうだ。これはまさにその筋で言われている「死後の世界」の特徴とも符合する。

 自由に時空を移動できることがわかった木内さんは、お姉さんを突き飛ばしてケガさせてしまった過去を訪れた。ちょうど空に浮いている状態で、自分とお姉さんを上から見下ろすようなポジションから俯瞰(ふかん)していると、崖の上の大きな石が動きだし、歩いているお姉さんに向かって転がっていくのが見えた。(臨死状態の)木内さんは二人に向かって「危ない!」と大声を張り上げた。
 その瞬間、小さい頃の自分がハッとした表情になり、姉を突き飛ばし、その横を大きな石が転がり落ちていったのだそうだ。
 自分には確かに聞こえたのに、姉はまったく聞こえなかったという大きな声は、自分が小さい頃の自分に注意をうながした”自分自身の声”だったのである。

 このこと以外にも不可思議な臨死体験があり、詳しくは木内さんの著書「宇宙(そら)の記憶」「生き方は星空が教えてくれる」で紹介されているので、ご一読いただきたい。

 そして、「太古の水」もまたこの臨死時に生き物の誕生の瞬間を目の当たりにした際、インスピレーションを得てできた水なのだ。現代の水は生物を創造する力を失っているが、過去の水には強烈な創造の力が存在し、健康の根本を担う水分を良化させれば病気も同じく良化するのではないかと考えたそうだ。

 太古の水による治癒例は全国に数多くあるが、僕自身は十数年の間、苦しみ悩まされてきた過敏性腸症候群が2ヶ月ほどで完治できた。これはなった人にしかわからないつらさ、情けなさを伴う病気であらゆるモノを試してみたが大きな改善を得られなかった。だから良くなった時の思いはなかなかうまく表現できないほど大きな喜びと深い感謝があった。

 身の回りでは職場の後輩の奥さんがつわりがひどくて一時は入院し、10㌔近く体重を落として苦しんでいたが飲み始めると1週間もせずに改善したケースもあった。
 なかでも最もうれしかったのは、仕事で世話になっている会社の専務の小学5年生の息子さんが慢性腎炎で運動も体調によっては休み休みやっていたのに、飲み始めて半年ほど経ったある日、定期検査に行った病院の主治医から息子さんの腎炎がどうも良くなっている。でも、そんなことはありえないからといぶかしがって何度も検査をした。結局、完治していることがわかり、医者からは今まで経験したことのない事例ですと驚いていたそうである。

 身の回りだけでもまだまだ多くの喜びの声があるが、当然のことながら個人差があるし、改善したきっかけがすべて太古の水にあるとは言えないだろう。なので、僕自身は薦めることはせずに個人的な体験としてニュートラルな立場からお伝えするようにしている。

 世の中には科学で立証できないという意味では無数の不可思議があり、数年前からこうした現れは急速に増えている。今後ますますその傾向は強くなっていくようなので、ご興味のある方は注視して、よければお知らせください!





 







 

2007年8月29日水曜日

太古の水

 数年前から愛飲している水「太古の水」が米国ハワイで開かれた国際ガン学会で乳ガンの治癒例として報告されたことを知り、うれしくなった。末期のエイズ患者の回復例も示されたというから驚きだ。日本人の三人にひとりがガンで亡くなり、海外でも増加の一途をたどる時代だからこそ身近な日本で生まれた水の朗報に喜びが増す。

 太古の水は、流星の研究者である木内鶴彦さんが開発した水である。

「アメリカに食い尽くされる日本(森田実・副島隆彦共著)」ではチグリス・ユーフラテス川の水を求め続けるイスラエル、マレーシアから水を貰わないと生きていけないシンガポールの事例をあげながら「これからは世界中で水を巡る争い、戦いが起こるのではないか」との予測が示されている。

東京の森を守る

 東京の森である「多摩の森林、木材」を紹介するイベントが、東京・新宿のオゾン6階で開催されている。

 日本は国土の60%以上を森で覆われているのに、国内の木材はほとんど利用されていないため荒廃が進んでいる。
 それなのに、木材の消費の8割を100カ国以上の輸入材でまかなっているというのだからおかしな話だ。

 多摩産の木材のイベントは、多摩の木材のことを知ってもらい、使ってもらうことで森の循環を促していこうという目的がある。
 また、東京で暮らし、仕事をしている人々にとっては、きれいな空気、水を供給してくれる大切な森でもあり、自然環境の面からも多摩の森林は大変、重要なのだ。

 住宅を新築したり、リフォームしたりして木材を使う機会があれば、輸入材ではなく身近な森の木を使っていくことが、東京に関わる人々の安心、安全に深く寄与している多摩の森林に対する「感謝の還元」になるのではないかと思った。

「ことのは通信」を始めるに当たって

本日、平成19年8月29日から「ことのは通信」をスタートします。
ここを通じておつきあいしていただくことになる皆様、どうぞよろしくお願い致します。

「ことのは」とは”言葉”のことです。
東西の賢人である仏陀もキリストも「始めに言葉ありき」とおっしゃいました。
これは、言葉が持つ不思議な力について述べられたものです。
言葉の持つ力のうちでも最も大きな力が「実現力」です。言葉にすると良きこと悪しきことにかかわらず叶うのです。

そんな言葉への畏敬と感謝の思いをタイトルに込めました。

これまでいろんな不思議な経験をしてきましたが、そのへんもこれからご紹介させていただこうかと思っております。