2008年3月30日日曜日

神社のこと【氏神様「南方神社」】


 日本人には必ず自分の「氏神様」がいる。
 僕の氏神様は、「南方(みなかた)神社」という社(やしろ)である。
 鹿児島県の南の端にある小さな町の小さな地区にひっそりとある小さな神社だ。
 普段は宮司さんもいない。お守り、お札を売る売店もない。帰省すると僕は必ずあいさつにうかがっているが他の参拝者と顔を合わせたことはこれまで一度としてない・・・、そんな神社である。

 小さい頃は季節の節目、節目で神社を身近に感じることがいろいろとあった。
 まずは正月。他の家庭もそうしているとこともあると思うが、
 「新年は身も心も清めて」という意識が強かったのか幼い頃は下着を新調して新年を迎えさせられた。家族みんなで顔を合わせてお屠蘇(とそ)を年少のものから順に飲み、雑煮を食べ、もちろんお年玉をもらって、ひと心地ついてから初詣に神社へと向かう。
 地元の隣町には立派な構えの「開聞(かいもん)神社」があり、こちらの方が圧倒的に有名だった。駐車場から本殿の手前まで向かう道には明るく華やかな露天が無数に立ち並び、子供心にも心躍り、ここの神社が立派であるということはよくわかっていた。
 でも、年の初めに最初にごあいさつに行くのはやっぱり氏神様である「南方神社」からだった。
 なぜなら、ここが「氏神様」だったからだ。

 本格的な夏が近づく7月には「六月橙(どう)」と呼ばれる夏祭りが行われた。
 普段は殺風景な境内にもこの日ばかりは、地域の住民が思い思いに絵や文字を書いた手作りの提灯がずらりと並び、露天も出てくる。
 お囃子の音が遠くから聞こえてくる夕暮れ時、普段なら家に帰ってくる日没の時間に親からおこずかいをもらい友達と出歩けられるその夜は一年のうちでも楽しみでしかたなかった特別な日だった。

 余談なだ、こうした祭りや大晦日など特別な日以外は、夜の神社の参拝していけないといわれている。
 夜は「神様の時間」とされているからだ。だから人々の参拝はお天道様があるうちにすませる。夜、お願い事をするのは、ワラ人形を下げて訪れる“特別なお願いの人”に限るのである。

 それ以外にも細かい作法をあげると、
 鳥居をくぐる時は入るときも出るときもその下で頭を下げる。神様の結界内に入るわけだからお断りするためで、人の敷地に入るのと同じことである。

 鳥居をくぐる時からなるべく真ん中は避けて歩かないようにすることも作法のひとつ。
 これは鳥居から本殿までの真ん中のスペースは神様たちが歩くスペースになっているからである。だから、参拝する時は、右でも左でもいいので真ん中を少しはずしたところを歩く。

 南方神社に話を戻す。3年に一度、「神舞(かんめ)」という神事が行われていた。和服に鬼のような面をかぶった人々が、白、赤、青、黄色など色とりどりの長い髪を振り乱し笛太古で踊りながら地域内を練り歩く。
 小さな子供が元気になるということで親がその踊り手に抱いてもらう風習もあって、この異形の踊り手が子供にいつも近づいてくる。これが小さいながらに恐ろしく、今もなお鮮烈に記憶に残っている。
 親にとってはこの子供達の記憶が好都合で、子供が言うことを聞かないと、「そんなに言うことをきかないでいると、カンメが来るからね」とおどしに使った。これが何よりも怖く、効き目絶大だった。

 今では、当時怖がっていた子供達が親になり、自分の子供に対して「言うことを聞かないとカンメがくるぞ~」と脅して言うことを聞かせているのだろう。
 これもまた「よき地域文化の継承」なのである。

 氏神様がいつでも地域の人々(氏子)を慈愛の思いを抱きながら見守り、励ましてくれている。
 僕は、出張で知らない町を訪れる時は、できるだけ時間をつくってその町の氏神様を詣(もう)でるよう心がけている。
 そうしながら感じることのひとつは、「氏神様を大切にしていない町は急激にか緩やかにかは別にして、間違いなく“衰えていく”」ということだ。
 氏神様のいま置かれている状況が、その町の未来の行く末を占う“バロメーター”になるのだ。

 自分の町の『氏神様』は大切にされているかどうか、たまにはふらりと訪ねてみるのもいいかもしれない。

2008年3月27日木曜日

お日様をあびよう!

 今年は太陽、特に朝日をあびようと思い、「言葉」にもしているので、向こうのほうから「こんにちは~」と訪ねてきてくれる「太陽情報」にはなんらかのシンクロ・メッセージが込められているように感じている。僕は春の訪れを待つフキノトウのようにじっと耳を澄ます。


 先日ここでも書いたケヴィン・トルドー氏からの「太陽情報」はこういったものだった。

 「お陽さま(お日様)の中を散歩しよう!体は日光を必要としている。サングラスや日焼け止めは使わないこと。日光は目からも入って、体中のエネルギーを刺激する。一日に最低でも三十分間の散歩をすると驚くほど健康になる。
 日光に含まれている太陽エネルギーは、体をアルカリ性にする大きな力(※1)を持っている。陽に当たるとゆううつな気分が晴れて、免疫系が強化される。医学界にだまされてはいけない。
日光は体に良いものであり、絶対必要な恵みだ」


 「太陽が皮膚ガンになるというのは、史上最大のうそだ。
 現在では日焼け止めに含まれている成分こそが、皮膚ガンの最大の原因であると信じられている。アフリカの人々は一日中太陽の下にいるが、皮膚ガンの人はいない。
 これは一部の人が言っているような肌の色素の問題ではない。アメリカに住むアフリカ系アメリカ人は、最も日光に当たらずに生活しているにもかかわらず、最も高い皮膚ガン発生率を持つ」

 ※1 米国のモーター医師はここ100年でもっとも偉大な発見をした。それは「人間の身体のph(ペーハー)バランスが酸性の時、ガンや糖尿病、多発性硬化症が進行し、アルカリ性であれば、ガンのような病気は体内に存在できない」というものだった。
 つまり、手っ取り早く確実に、病になる可能性を知るには、体のph値を調べればいいということになる。
 身体の「アルカリ化」は水や食べ物、それに日光をあびるなど、無理なくできることなので普段の生活の中で心がけていきたいと思う。
 

2008年3月26日水曜日

春のひだまりの中のお地蔵さん参り


 昼前に仕事で世話になっている石川県金沢市の木材輸入販売会社の社長から、「いま、羽田空港について1時間ほど時間があるから昼食を一緒にいかが」と電話があった。
 浜松町駅で大門駅に乗りかえて大江戸線で門前仲町に来てもらい、うまい蕎麦をごちそうになった。
 建築業界は昨年6月の建築基準法の改正が行われたが、その後の国の対応の遅れが原因で近年にない不況に見舞われている。明らかな“官製不況”で、普段は前向きで元気な社長も珍しく表情が暗い。
 蕎麦を食べ、コーヒーでも飲みに行こうと誘われたが、「天気もいいので、散歩がてら下町のお寺にでも参りませんか」と言うと、そうしようかということになった。

 もんなか(門前仲町の通称)の古寺である「永代寺(えいたいじ)さん」に向かう。
 歩きながら、ここにいらっしゃるお地蔵様に、半年間ほど鼻の調子が悪く3件も病院に行ったが治らなかったのをお願いして治してもらった出来事を話す。
 「叶うかもしれないので、お地蔵さんにお願いしてみては」と薦めてみると、
 「そうしてみようかな」という返事がかえってきた。

 お地蔵様へのお願いの仕方を社長に伝えると、
 「知らなかったよ、おもしろいなぁ」と笑う。

 1、お地蔵さんの真言である「おんかかかび さんまえいそわか」を3回唱える。
 2、自分の住所と名前を言う。
 3、お願い事を伝える。
 という手順である。
 いずれも思うだけでなく、言葉にしたほうがいいと僕は思っている。少なくとも真言は「ごあいさつ」なので言葉にしたほうがいいと伝える。

 社長はお地蔵さんの「真言」をメモ帳に熱心に書き込み、永代寺境内の3カ所のお地蔵さんの前で、言葉にしながら長いこと何かをお願いしていた。心のうちがいくらかでも晴れて軽くなることを僕も願う。

 「永代寺さん」での参拝を終えるとすぐそばにある「お不動さん(深川不動尊)」に行く。
 ここのご本尊はその名の通り「不動明王」かと思いきや、実は「大日如来」である。
 なぜかというと、「仏様にも地位がある」ことが背景にある。
 不動明王は「明王」で、「如来」や「菩薩」より仏としての地位が低い。そのため不動信仰では真言密教の大本尊である「大日如来」の怒りの姿が不動明王とされている。そのためご本尊は「大日如来」なのだ。

 ちなみに仏様の地位は、「如来」、「菩薩」、「明王」、「天」の順である。初めて聞いた時もそう思ったし、今も仏様に地位があるなんてなんだか不思議な感じがする。

 不動明王の真言は
 「のうまく さんまんだ ばさらだん せんだんまかろしゃだや そはたや うんたらた かんまん」。
 僕は、3回唱え、住所、名前を言い、「いつもありがとうございます。鼻の調子はその後も順調ですよ。お導きいただき、ありがとうございます」とだけ伝え、境内をのんびり歩く。
 社長はお地蔵様の時と同様、何かをじっくりと時間をかけてお願いしている。
 
 余談になるが、この「お不動さん」の境内は、関東でもっとも気の良い場所のひとつと言われている。
 スピリチュアル・カウンセラーで有名な江原啓之さんも以前、ここと長野県の戸隠(とがくし)をあげていたと記憶している(写真は「お不動さん」の境内の童子像)。

 「今日は良かった」と参拝を終えて話す社長は会った時よりも表情が清々しい感じを受けた。
 時には、こうしたのんびりしていることが好機となることもあろう。

 春のひだまりの中を願い事を抱えたお地蔵さんが杖をついて歩き始める気配がしたような気がした。

2008年3月24日月曜日

春の選抜高校野球に思う

 春の選抜高校野球で千葉の安房(あわ)高校に続き、鹿児島県代表の鹿児島工業高校が初戦を勝った。
 大声で「おめでとう」と言いたいところだが、鹿児島工業が勝った相手は茨城の水戸商業高である。大変世話になっている赤荻先生の地元も地元の学校なのである。

 先日、千葉vs熊本戦となったので「野球好きの義父が生きていれば、きっとどちらを応援していいのか困ったことだろう」と書いた矢先・・・、これである。


 4月の新年度を前に気分一新しようと思い、持ち歩くスケジュール手帳を新調した。
 今年度の予定を書き込みながら気づくことは、お世話になった人の「命日」が多くなったということである。確実に年々増えている。祖父や母親など親族の月命日まで書き込んでいくと手帳はまず、この“命日関連”で埋まってしまうほどだ。
 歳をとるということは「スケジュール手帳が別れの記述で埋まっていくこと」なのかもしれない。

 その反面、生きていくと、出会う人が毎年毎年増えていく。
 一期一会を大事にすればするほど関わりも深まってくるので、さまざまな局面で
 「こっちだけ良ければいい」というわけにはいかなくなる。
 相手との関わりがあると、場面、場面で「相手の顔や心情」が思い浮かぶようになる。
 鹿児島vs茨城の試合もまさにそうで、勝った高校生の顔と負けた高校生の顔が交錯した。

 高校野球は「礼に始まり礼に終わる」。この点、ちょっとベースボールとは違うのだ。
 僕の中の「高校野球の世界」とは、ちばあきおの「キャプテン」「プレイボール」の世界である。
 スポーツだから勝ち負けも大事だけど、
 高校球児よ、「若い日は、皆、何かを目指せ~♪、後ろ向くな~、前だけ向いてゆけよ~♪」である。

2008年3月23日日曜日

人の病気の大半の原因は「薬」にあり


 田舎にいる父親が糖尿病の検査および食事療法のための入院を終えて退院したのはいいが、一人暮らしの男の性からか、あっという間に元の食生活に戻ってしまい、検査したら医者が驚くほど血糖の数値が急上昇していたと田舎にいるおばさんから電話があった。

 焼酎をたっぷりと飲み、カロリー計算済みの弁当を食べながら、メシを炊いておかずを買ってきて食べていれば誰でも間違いなくそうなる。

 おばさん達は心配してくれて、
 「焼酎も食べ物も家からすべて引き上げさせるから」と言ってくれていたが、
 70歳を過ぎた男を相手にそれもどうなのかな、とも正直思う。
 人の好意には感謝するし、そばにいてやれない者がとやかく言えないことも重々承知している。

 それを踏まえたうえで、僕は「ひとつだけお願いがあるんだけど」とおばさんに電話で伝えた。
 そのお願いとは
 「墓参りに連れていってほしい」ということだった。
 無理してそうしてもらのではなく、おばさんが行く時にそのついでに寄って父親を連れ出してほしいと頼んだ。
 父は元々が神仏をそれほど信じない性分で、そのせいなのかわからないが、墓参りにも行っている風ではないと前々から感じていた。

 人はひとりでは生きていけない。目に見えるモノ、そして見えないモノを含めての関わりがあってはじめて「生きていける」のだと思う。

 「おかげさま」という言葉があるが、蔭(かげ)となって自分をいつも見守り、応援してくる存在が、「おかげさま」である。
 この本来は誰もについていてくれる「おかげさま」の存在に気づかせてくれるのが、「墓参り」なのである。

 墓には母(父の妻)や祖父祖母(父の両親)がいる。
 生前、母は父のためによく尽くしてきたと思うし、知る人皆がそう言う。そんな母だが、ぜんぜん墓参りにも来てもくれないのだから、父のことをこころよくは思っていなかったとしても当然だし、たとえうっかり忘れていたとしても誰も文句は言えないと僕は思う。向こうの「彼岸」という場所は悩みも苦しみもなくとっても良いところらしいのでなおさらのことである。


 そんな亡き母から忘れられていたかもしれない父が、久しぶりに墓参りに行ったらしい。「彼岸に入ってから2日続けて墓参りに行ってたよ」と妹から電話があった。
 近くにいるおばさんや弟の嫁さんが連れだしてくれたんだな、と手を合わせた。

 そのせいで母が父の存在に気づいたのか、「やれやれ」と言いながら手をさしのべてくれたのかわからないが、僕は1冊の本に出会った。

 その本は、ケヴィン・トルドー著「病気にならない人は知っている」という本である。
 アメリカで実に900万部を突破した記録的ベストセラーで数年前に日本でも翻訳本が出版されている。
 この中でケヴィン・トルドー氏は、「人間は本来、無病で健康である」と説明する。
 では、なぜ病気になるかというとその大半が「処方薬、市販薬」に原因があると述べている。この「処方薬、市販薬」が“毒”であり、それを体内に摂取することで人は病気を招いていると断言している。
 彼は、その代替策として世界中から「自然療法」の情報を集め、全米を初め世界中に発信しているのだ。

 この本の中で、「糖尿病」の記述を見ると、
 主原因は、「処方薬、カンジタ菌、人工甘味料、白小麦粉・白砂糖の大量摂取、トランス脂肪酸の大量摂取」

 治療法は「カンダジ菌除去。肝臓・胆のう洗浄。あらゆる非処方薬、処方薬を服用しない。運動する。消化酵素を摂る。天然リンゴ酢を飲む。調合草薬の摂取」
 と書かれている。

 できることからやるしかないので、僕は父に以下の3点を実行するよう電話した。
 1.散歩も兼ねて歩いて墓参りにいくこと
 2.「リンゴ酢」を飲むこと
 3.薬をしばらく飲まないこと

 すでに1は最近クリアしつつあるようだし、2の「リンゴ酢」も自宅にあるので探して飲み始めるそうだ。3の処方箋はすでに妹や弟嫁、おばさんたちから言われないと飲まずにほっぽらかしていたらしいので、妹らに話をすれば済むことだった。

 「リンゴ酢」がなぜ家にあったかというと、母親が生前父親の身体のことを心配していろいろな自然薬や漢方薬を見つけては飲ませていて、その時に「リンゴ酢」も取り寄せて父親に飲ませていらしい。母親が他界してからも数年は「リンゴ酢」を常用していたが、いつの間にか理由はわからないが父親が飲むのをやめていたのだ。
 妹に言わせると「リンゴ酢」を飲んでる頃は調子も良かったそうだから、母親を通じて父は糖尿から身を守る術(すべ)と一時は「出会っていた」ことにある。そしていつのまにか手からその「青い鳥」は逃げていっていたのだ。

 「処方箋の服用をやめる」という点については、それぞれの考え方もあるので無理はいえないが、僕自身はこの本との出会いを「シンクロ現象」としてとらえているので、妹に理由を説明してしばらく服用をやめるようにすることを了解してもらった。

 1ヶ月後には病院で健診もあるので、その結果で今回の判断のある程度の正否は明らかになるだろう。妹に同行してもらうことになっているので結果を楽しみに待ちたい。


 それと、この本との出会いは、これまでに読んだ健康に関する新谷弘実著「病気にならない生き方」などの本から得た情報をクロスチェックするうえでも役立った。

 以下の点はこの本でも紹介され、クロスチェックできた健康のための注意点である。

 ・「牛乳は飲むな」
 ・「電子レンジが万病を引き起こす」
 ・「水道水が動脈壁に傷をつける」
 ・「マーガリンのような硬化油が入ったものは食べない」
 ・「ファーストフードを食べるな」

祝、安房高校甲子園初勝利!

 春の選抜甲子園に「21世紀枠」で出場している千葉の安房(あわ)校が初勝利をあげた。しかも、8回まで両チームともに無得点で進み、九回の集中打で得点し、2-0の完封勝利!見事でした。おめでとう!

 相手は熊本の城北高校。亡き義父は大の野球好きで、毎年、県の予選試合から球場をハシゴして観戦するほどの熱の入れようだった。
 出身は熊本なので、今回のように一回戦から熊本vs千葉では頭を抱え、どちらを応援していいのか困ったことだろう。向こうの世界で、一喜一憂している姿が目に浮かぶようだった。

 生まれた場所への思いが強くてなかなかそうなりきれずにいたが、今は自分が今いる(いさせていただいている)場所に素直に感謝する、喜びを持って接することが大切だと僕も思えるようになった。

 というわけで、千葉の球児に声援を送っているのだが、野球をはじめちょくちょくスポーツ大会では鹿児島vs千葉になるケースがある。
 そんな時は、僕も義父同様、複雑な心境を抱えながら、地理的に声援の少ない鹿児島チームを小声で熱く応援する。

 千葉、鹿児島の代表球児たちには人生の晴れの舞台を大いに楽しみ、心ゆくまで満喫してほしいと思う。

2008年3月22日土曜日

お父様たちに喜ばれる「彼氏ができる法則」

 今夜は満月。

 以前、紹介した「彼氏ができる法則」が好評だ。若い女の子たちにそうならうれしいのだが、喜んでくれているのは「お父様たち」である。
 「彼氏ができる法則」とは、相談にくる高校生の女の子たちに茨城・水戸の赤荻先生がしているアドバイスで、
 「あなたはお父さんと会話をしてないだろう?一番身近な男性とまともに話もできないのに、彼氏なんてできるわけがないんだよ。ひと言からでいいからお父さんと話をしてごらん。ちゃんと彼氏があなたの前に現れるから」
 というもの。

 一番身近な男性で、しかも一番近い先祖でもある父親と会話をしないということは、どこかで男性に対する執着・欲が「しこり」になる。だから男性との縁が起動しなくなり、そのため彼氏ができない。でも、父親と話し始めることで男性の気への「受け入れ」が起こり、カッチカチになっていた自分の中の「しこり」が魔法のように溶け、あれっという感じで彼氏ができる・・・ということではないかと僕は考えている。

 実際、赤荻先生のところに相談に訪れ、実践して彼氏がすぐにできなかった女の子はいないそうだから、そういうことなのだろう。


 親子のことをまわりに聞いてみると、息子は母親を受け入れるけど、娘が父親を受け入れないというケースが圧倒的に多いようだ。

 この傾向を示すように、この「彼氏ができる法則」が、お年頃の娘さんを持つ「オジさま」たちに予想以上の喜ばれ方をする。
 もちろん、娘さんに彼氏がいないから、「『できる法則』を聞けて良かった。帰って早く娘に教えてあげなきゃ」という「喜び」ではない。

 娘さんに「かまってもらいたい」「かまいたい」ためのきっかけを見つけた「切ない喜び」である。

 それぞれどのような反応をするかというと、
 娘さんと会話が少ない(ない!?)オジさまの場合・・・・「これはいい話を聞いた。嫁(母親)から娘に伝えてもらおう」と言いながら、「明日から、お父さん・・・って感じで娘が話しかけてくるのかな」と頭の中で想像しているのかニヤニヤしながら酒をグビグビ飲んでいる。

 娘さんとけっこう話をしているオジさまの場合・・・・「いやあ、この間の話、娘に教えてやったよ~、おい、おまえにはちゃんと彼氏ができるから安心しろ!それはお父さんのおかげだなんだぞ!それに、今以上に話をすると、もっと良い男が見つかるらしいんだよな~」と満面の笑顔で勝手につくった「新たな法則」も薦めていたりする(もしかしたらそんなこともありえるかもしれないけどね・・・)。

 結論は、世のほとんどのお父さんが娘がかわいくてかわいくて仕方がないということである。
 親父という生き物は器用じゃないし、照れくさいから話すタイミングをうまくつくれないし、表現も下手だ。だから、なんでもいいから娘と話すちょっとしたきっかけが欲しいのだ。
 仕事で心身ともに疲れたお父さんたちに、娘さんとの会話というひとときの至福の喜びを味わっていただくために、僕はオジさま相手に日夜、「彼氏ができる法則」の普及にいそしむ。

2008年3月20日木曜日

良き友を得るということは・・・

 先日、友人にお釈迦様について素敵な話をひとつ教わった。

 お釈迦様には十大弟子と呼ばれる人々がいて、その中に、「アーナンダ」という弟子がいた。
 アーナンダは、美男子でしかも大変にやさしい心の持ち主だったので、多くの人々から慕われていた。
 お釈迦様にはなんとなく気が引けて相談にいけない人も、いつでもやさしく応じてくれるアーナンダには相談しやすいようで、いつも多くの人々がアーナンダの元を相談に訪れていた。
 しかし、とても心根のやさしいアーナンダは、相談する人の気持ち、その人の心になってしまい、悩みや苦しみをそのまま自分のこととして抱えてしまうために、お釈迦様と30年間も一緒にいるにもかかわらず悟りを開くことができずにいた。
 アーナンダは、お釈迦様が亡くなるその日に自分の未熟に気づき、最後の最後に悟りを開いた人としても知られている。
 本来であればもっと早く悟れたのに、人々の面倒を親身に見過ぎるあまり悟りが大きく遅れてしまった・・・、アーナンダはそんな人だった。

 このアーナンダがある日、生前のお釈迦様にこう訪ねた。
 「お師匠様、私は今日、頭の中でこんなことがひらめきました。私たちは『聖なる道』を追い求めているわけですが、
 もしかしたら良き友を得るということは『聖なる道』の半ばを手に入れたと言ってもいいのではないでしょうか」

 すると、お釈迦様は
 「アーナンダよ、良き友を得ると言うことは『聖なる道』の半ばを手に入れたということではない」と言った。

 それを聞き、アーナンダは
 「あ~、自分はまたトンチンカンなことを言ってしまったようです。すみません」と意気消沈してしまった。

 すると、お釈迦様は次のように言葉を続けた。
 「アーナンダよ、良き友を得ることは『聖なる道』の半ばではなく、『聖なる道』のすべてを手に入れることになるんだよ」と。

 この対話を胸の内で幾度か反芻(はんすう)しながら、
 良き友を得られていることに感謝しつつ、これからも良きつきあいを続けていきたいと改めて心から思った。

彼岸の中日の墓参り

 今日は「彼岸の中日」。
 関東地方の天気は朝から激しい風雨。

 「彼岸明け」にはまだ数日あるが、週末に仕事でも入るといけなくなってしまうので予定通り義父の墓参りにいく。
 傘を飛ばされそうなぐらいの風雨の中、墓地には思った以上に多くの人が訪れているのには感心した。

 今日の天気は、月末からソメイヨシノの開花が始まるらしいから桜が花開く前に前倒しで嵐が招かれたのだろう。

 墓地には蕾(つぼみ)を膨らませ始めた桜の木が数多く立ち並んでいる。

 短い桜の時期はやっぱり穏やかな天気でいてもらいたいとご先祖さんたちも思うのだろう。

 今日はボタ餅だったけど、今度は暖かな春の日差しにあふれた花あでやかな日にでも酒を持ってまた訪れることとしよう。

2008年3月19日水曜日

指宿に海外から観光客が押し寄せる日

 NHK大河ドラマ「篤姫」ブームで故郷の鹿児島・指宿(いぶすき)が活気づいているらしい。
 指宿といえば、昔は新婚旅行のメッカだったが近年ではブライダル業界からは「そんな町が日本にあるのか」と言われるぐらいすっかり忘れさられ、地元ではよそからやってきた新婚さんなど、とんと見かけないらしい。
 一時は池田湖の“イッシー・ブーム”があったが、これも今は昔。
 そうはいえど、日本で一番早く新春に開催される「菜の花マラソン」が指宿にはある。アスリートから“めでたい”大会として喜ばれ、毎回1万5000人以上の人が訪れる。

 今回の篤姫ブームは全国区のNHKドラマによる配信だし、以前の「翔ぶがごとく」と比べても”舞台まで指宿”とくるのだから重みが違う。大いに盛り上がってもらい、ひとりでも多くの人々に指宿の魅力を知ってもらいたい。

 そして、そんな篤姫もいいのだが、指宿の一番のウリはなんといっても、「この地で暮らす人々の温かな人情」である。
 東国原知事がガンバッて宮崎までは観光客を引き寄せてくれているのだから、もう少し足を伸ばしてもらいさえすれば、そこはもう指宿である。
 指宿の市長さんが具体的な企画を手みやげに東国原さんのところにおもむいて、手を組んでもいいぐらいである。
 東国原・宮崎+篤姫で観光客を誘い込み、それだけでは一回切りで終わってこれまでと変わらず芸がないので、「地元の人々の温かな対応でリピータ観光客をつくっていく」くらいの意気込みをみせてほしい。

 本題の前に、前置きが長くなったが、篤姫のあとに続く指宿観光振興の目玉を昨日みつけた。
 絲山秋子さんの小説「逃亡くそたわけ」を文化庁が英仏独露4カ国語で翻訳するそうだ。
 この小説はこのブログでも何度か書いたが、福岡の病院を脱走した若き男女2人が南へ南へ逃走して最後に指宿→長崎鼻にたどりつくという物語である。
 潮が引き海に道が現れ2人が渡っていく先にある知林ヶ島、長崎鼻の海に浮かぶように柔らかな稜線を描きそびえる開聞岳を描写したシーンは美しく、読む者を魅了する。
 知林ヶ島や、長崎鼻から開聞岳をジッと見つめている若者がいたら、かなりの確率で「絲山ファン」ではないかと僕は勝手に想像する。
 4カ国での翻訳本発行までには「たぶん数年かかっちゃう」(絲山さんの弁)らしいが、「指宿の観光活性化計画」をひとり目論む僕は、昨夜のうちに文化庁に4カ国でどのような発行スケジュールになっているのかメールで質問状を送っておいた。回答が楽しみだ。

 この作品は、映画化もされているそうなので、これまで4件ビデオショップをまわって探してみたが見つけられないでいる。DVD化されていないのだろうか。出来が良ければこれも4カ国語に吹き替えして指宿のPRに使えるのではないだろうかと考えたりする。

 海外4カ国から若者を中心とした多くの人々がはるか海を越えて指宿を訪れる日はそう遠くはないのだ、と僕は思う。

2008年3月17日月曜日

シンクロは「死神」

 数日前の夜、映画雑誌を読んでいたら新作映画「Sweet Rain 死神の精度」の記事が出ていた。
 原作は伊坂幸太郎の同名小説で、主演は金城武。
 金城演じる死神は、不気味な容姿に大鎌を持って人々に忍び寄る従来の死神像とはまったく異なる設定になっているらしい。
 その雑誌では、『死神』ってなんなんだろう」との問いも投げかけられていた。

 その翌日、斎藤一人さんの講演録を聴いていたら
 「『死神』」のことを少し話したいと思います」と語り始めるではないか!

 その瞬間、僕は

 「あ、シンクロ(現象)だ。しかも『死神』」

 と背筋をゾクゾクとさせながら思った。


 斎藤さんの話は、こんなような話だった。

 人は必ず死というものを迎える。
 “そして、何度も何度も生まれ変わる”。
 そう考えると、死というものは決して怖いものではない。
 でも、迎えにきてくれる死を「怖いものだ、怖いものだ」と思わせる者があり、これは悪魔の仕業である。

 死は恐れることない。
 ちゃんと生きて、ちゃんと死ぬだけ。
 “そして、何度も何度も生まれ変わる”。

 「死神」はその名の通り、ちゃんとした神である。
 あなた方が死を迎え、それから向かう場所にたどり着くまでさまよわないように迎えにきてくれる「道先案内人」である。

 死神は天使である。姿もまた天使の姿をしている。

 といったような話だった。

 いつのことかはわからないが、いずれは僕も「死神」の世話になるのは間違いない。

 だから、どうせならと思い、お願いした。

 「『天使』の方でお願いします」と。

2008年3月16日日曜日

ガンと緊密な関係にある「低体温症」に気をつけよう

 夕方、電話で話をした妹が「今日は医療関係の講演に行っていい話を聞けた」と喜んでいた。
 その中で僕が興味深かったのは「低体温症とガン発症には因果関係がある」という話だった。
 この話は僕も以前に聞いて気になっていたことだったので、「やっぱりそうなのか」と感じるものがあった。

 世界的にはどうかわからないが、日本人は近年、通常の体温が低くなる「低体温症」の人が増えている。冷え性と同様で、男性よりも女性の方が多いといわれる。

 僕が以前に教わった話はこういったことだった。

 ヨーロッパのある町に大きな沼があった。夏になるとこの沼から大量の蚊が発生し、それが原因で毎年、何十人もの町民がマラリアにかかっていた。40度以上の熱が出るので手当が遅れると死に至ることから町民も頭を悩ませていた。
 そこで、町民みんなでお金を出し合いこの沼を埋めるてしまうことにした。
 実際、埋めてしまうと次の夏からはマラリアになる人がひとりも出なくなった。

 町民が喜んでいると、これまで町にはほとんどいなかったガンになる人が突然増えてきた。町民は不安になり、医療関係組織に調査を依頼した。
 調査した結果、意外なことが明らかになった。
 「マラリアで高熱を出した人はガンになりにくい」という因果関係がわかったのだ。

 ガン細胞は熱に弱く、41度~42度で死んでしまうらしい。
 このことから、体温を上げて内臓を温めるとガンになりづらいということが判ってきた。

 妹が講演で話を聴いた先生は、「低体温症」対策として、温浴や運動、リンパマッサージなどで体温を上げるよう薦めていたそうだ。
 
 そう考えると、風邪などひいた時に、解熱剤をすぐに飲むということが良策ではないのではないかという疑問も生まれる。
 薬についても、化学薬(漢方薬ではない一般的に飲んでいる薬のこと)の多用は痴呆、記憶障害の発症とも関係してくることも指摘し、注意を促していたそうだ。この点については僕も長年そう思っているので、講師が著書でも出していればじっくり読んでみたいと思う。

「低体温症」については、特に女性は十分に気をつけてほしいと思う。

サクラの季節


 近所でヤマザクラが咲き、人々の目を楽しませている。
 桜の代名詞にもなっているソメイヨシノのハッと息をのむような美しさとは異なるが、ヤマザクラには素朴で落ち着きを秘めた美しさがある。
 昨日は休日でとても天気が良く、暖かだったためか、親子連れやお年寄りらがヤマザクラの下に引き寄せられるように足を運び、見上げては、いい笑顔を浮かべていた。

 サクラの語源はいろいろあるようだが、そのひとつに、富士山の頂から花の種を巻き、花を咲かせたとされる富士山麓の浅間神社の神「コノハナノサクヤヒメ(木花咲耶姫)」の「サクヤ」が転じて、サクラになったというものがある。

 今、僕が住む街の氏神様の祭神もこの「コノハナノサクヤヒメ(木花咲耶姫)」である。

 美しくも儚(はかな)いサクラの季節が今年もまた始まろうとしている。

2008年3月14日金曜日

「走ることについて語るときに 僕の語ること」


 右足のふくらはぎを痛めてからというもの、ジョギングをずっと休んでいる。

 5年前に公園で遊んでいる近所の子供たちを集めてリレー式の競走をしていた。
 僕の番が来たので、意気込んで走り出し10㍍ほど走ると右足を細い棒でピシッと叩かれた。そう思った僕は誰だろうと思い、振り返ったがそこには誰もいなかった。
 「今の音、聞いた」って訊ねようかと思うぐらい大きな音がした。
 すぐにもう一度走ろうと右足を地面につけた途端、激しい痛みに見舞われ、走るどころか歩くことさえできないことがその時になってようやくわかった。
 「右足のふくらはぎの筋肉断裂」との診断結果だった。
 「すごい音だっただろう」と病院を出るときに聞いたが誰もが音なんか何にもしなかったと答えた。

 それから松葉杖を必要とする生活を1ヶ月間送った。
 ぴったり1ヶ月目に松葉杖をはずし、ケガをする前の生活に戻った。翌日は病院に松葉杖を返しにいった。
 その翌朝は初夏を思わせるようなよく晴れた休日で、家族で近所の海に行くことにした。
 まだひんやりとした水に素足を入れて浅瀬を歩いていると横を歩いていた子供が足を滑らせ倒れていくのが視野の隅に入った。とっさに僕は手を伸ばしながら一歩足を前に進めた。
 その瞬間、2日前までかばっていた右足のふくらはぎのまったく同じ部分の筋肉が再びピシッと音を立てて切れた。

 それから5年が経ち、先月はじめに痛めたのもまったく同じ部分だった。
 交差点の横断歩道を待ち、信号が青になったので歩こうと左足を一歩踏み出した瞬間、右足のふくらはぎからピシッと前に聞いたことのある嫌な音が耳の奥に響いた。
 「あ、やってしまった」と自然に声が出そうになってその場で立ち止まった。
 でも、今回は歩けた。恐る恐るだが、痛みはあるももののゆっくりなら問題なく歩けた。素人の見立てだが、3分の1ぐらいは切れたが、あとはまだ切れずにつながっている、って感じだ。

 前回は1度きりなら気づかなかったと思うが、2度も同じことが続いたので、これは僕に向けた何かの“サイン”なのかな、とその頃もやはり考えたことがあった。
 そして、5年の歳月を経て、まったく同じ所を痛めたことで、前回のことを思い浮かべ、符合することや重なる状況を回想してみた。
 前回も僕なりに”サイン”の意味への推論を建てたのだが、両方に共通することは、
 「何か新しいことに踏みだそうとする時に鳴らされる警告」
 なのではないかということだ。

 5年前もそうで、今回もまた新たな展開が目の前にどんどん具体的になりながら現れている。
 新しいことは往々にしてそうなのだが危うさもはらんでいる。
 赤荻先生からも、「今年の運勢は悪く来年から飛躍が始まる」「今年はジッと力を蓄え備えていく時期」とのアドバイスをいただいている。

 よく考えた末に出した結論は、
 「こんな時は『念』しかないかな」ということだ。
 「念」という字は「今」と「心」という文字で出来上がっている。
 先々をああだこうだと考えずに、「今、目の前のその時を自分の心を込めて生きる」ということが、「念を持って生きる」ということらしい。

 村上春樹の「走ることについて語るときに 僕の語ること」を読みながらそんなことを昨夜は考えていた。

曇りの日にはときどき

 今朝は目覚めて空を見ると「曇り」。

 こんな日は、朝日を浴びるのも「お休み」。

 明け方に雨が降ったようで地面が黒い。久しぶりの雨に植物たちが喜んでいる声が聞こえてきそうだ。

 花粉症で大変な人も今日はいくらか楽になるといいね。
 
 まあ、こんな日は自分自身も少しのんびりでいこうか、と思う。

2008年3月12日水曜日

「911事件」の真相究明に取り組む人々

 世界情勢には興味があり、片っ端からその手の本を読んだ時期があったが、ここ1年ほどは少し距離ができていた。
 その頃は、関心のある講演会やセミナーにも暇をみて参加してきたが、一度話を聞いてみたいなと思うもののなかなか叶わなかったのが「リチャード・コシミズ氏の講演会」だった。
 リチャード・コシミズ氏はネット・ジャーナリストとして、2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件発生後にこの事件は米国内の一部勢力による自作自演であると断定した人物である。
 その「リチャード・コシミズ氏の講演会」の全容の映像が、インターネットで観ることができると知人から教わり、昨夜、観てみた。
 3時間24分という長時間であるが、想像以上に刺激的な内容だった。

 この中には、ミズーリ州のラジオ局『パワー・アワー』のパーソナリティー、デイヴ・ヴォンクライスト氏が、2002年の2月にインターネットで「ボーイングを捜せ、あなたの視力を試せ」というフランス人のホームページを見て、愛国心から大いなる怒りを感じ、そのサイトの主張への「反論」のために各種資料をあたったのだが、導き出された結論はまったく逆の「911」が何者かの陰謀であることは間違いない、という確信だった。
 講演会では、その調査資料をまとめてDVDビデオにもなった「ボーイングを捜せ」の映像も紹介しながら「911事件」が何者かによる「自作自演」であることを解き明かそうと試みている。

 冒頭に登場する米経済紙「フォーブス」の元アジア太平洋支局長・ベンジャミン・フルフォード氏は「911事件」以外の、ニュースとしては流されていない日本内外の「闇の情報」も紹介しているが、これもまた非常に興味深いものだった。
 ここで、フルフォード氏が、「新聞、テレビをはじめ身に危険がおよぶ真実になると報道していない(できない)」「真相を認めたがらない人が数多くいる」とコメントしているが、この点は僕は仕方がないことだと思う。誰もが不安定な土台の上に自分のうちを建てたくない様に、今、自分が生活している基盤が不安定なものであるとは認めたくないのは人として自然な心情であると思うからだ。

 しかし、真実とはまったく異なり、明らかに悪意を持って、あるいは自らを利するために人を傷つけ、苦しめようとすることは許されることではないし、そうであれば「認めたくない」ですまされることでもない。
 真相の究明に取り組む人々のありのままの姿をまずは見てから結論を出しても遅くないと思うし、そうすることがフェアであると僕は思う。

 もしご興味がありましたら、以下のアドレスで観ることができます。
2007年9月15日 「リチャード・コシミズ東京講演会 ~アジアの平和に必要なのはなにか?~ 」 3時間24分
http://video.google.com/videoplay?docid=-3859363222910740882

朝日を浴びよう!

 風水で、健康のため、精神のバランスを立て直しため、厄落としのためにまず最初に薦めているのが、
 「朝日を浴びる」ということだ。
 朝日には強烈な浄化作用があり、凝り固まった陰の気、すなわち厄を消滅させ、陽の気に変えてくれる作用があるのだそうだ。
 僕はそのことを聞いてから、ここ数年で今年は一番朝日を浴びている。
 これまでは夜型の生活スタイルだったので朝日には縁が薄い方だった。
 しかし、今年は違う。まあ、「今年は」と言っても2月の節分以降の旧暦の「今年は」だから、まだほんの少しなんだけど。
 日中のギラギラした太陽の光は浜辺に寝ころぶ若者に任せておいて、大人は「朝日」を心ゆくまで阿浴びよう!
 以前にも書いたとおり、太陽のエネルギーがもっとも充ち満ちているのは、
 「昇った直後」と「沈む間際」である。

 そして、太陽からそのエネルギーをもらいたい時には腹式呼吸をしながらまずは自分のエネルギーを与えるイメージをすること。それから太陽のエネルギーを頂く。これの繰り返しだ。
 すべての人は本人がいくら「自分は足りない、まだ欲しい」と強く欲しても、実際には今のその状態が満ち満ちた存在だから、最初に自分から与えない限り、絶対に自分にはビタ一文、爪の先ほども入ってこない。
 これが「自然の摂理」である。

 なので、夕暮れ時期に、せかせか街を歩いたり、必死に仕事をしている群衆の中にあって、夕陽を眺めながらつかの間の浄化のための、エネルギー補給のためのひとときを過ごすなんてのもいいかもしれない。
 とは言うものの、夕暮れ時はいいけど、朝早く起きるのはまだ慣れずに正直、とってもつらい。
 これからは朝日が昇る時間は日増しにどんどんと早くなる。
 あ~、これじゃ小学生の頃の夏休みに毎日行かされていたラジオ体操と一緒だぁ~。
 
 そう言いつつも、窓の外に姿を現した昇る朝日を見るとやっぱりすがすがしく、そして美しい。

2008年3月11日火曜日

「期待はずれな本」と「無意味な本」

 期待はずれの本に出会った時は、僕は「ちょっと、(心身が)くたびれてきてるのかな」と自分自身に目を向けて気を配るようにしている。
 「気をつけてね」と小さな文字で書いた伝言を足首にくくりつけた伝書鳩のように、僕の手の上にやってきて、本の重みと肌触りを確かめながらそう思う。

 世の中には「期待はずれな本」は存在するが、「その人にとって無意味な本」は一冊として存在しない。
 時々、目に前に現れる「無意味じゃないことを他人に説明できない期待はずれの本」が確実に存在するだけだ。

 どんなにつまらなくても、本は自分の手にして自らの目で文字を追うという作業が介在して、つまらないかおもしろいかどうかは判断されることになる。
 世の中には毎日毎日300冊以上の新刊が出ているのに、多種多様な無数にある本の中から自分の手にのせて読むことになったわけだから、その時点ですでに大きな意味を持っているのだ。

 彼らは何かを伝えにきている。その人だけがわかるシンクロ現象の“サイン”を伝えにやってくる。
 先日、僕もはかなりヘビーな期待はずれの本に出会った。
 200ページ足らずの薄い本なので一日もかからずに読んでしまえそうだけど、「タイトルも良し、装丁も良し、表紙の紙質も良し、これはかなりの“やり手”かもしれないなぁ~」と期待に胸膨らませ、意気込んで電車の中で読み始めたら10ページほどで、そっと網棚に置いてしまいたくなるようなシロモノだった。こんだけ大きくはずしたのは久しぶりのことだった。
 でも、見も知らない人の頭の中にあったモノがさまざま人々による工程を経て、本という形になってわざわざ僕のところまでやってきてくれたのだから、何かある。きっと何かある。
 そうなると、まるで宝探しのような気分になってしまう。パラパラとページをめくる、めくる・・・、
 終わり間際にそれは見つかった。
 こんな一行だった。

 「この人間を破壊させようと思うと、神々はまず彼らに怒りを抱かせる」

 という外国の「古いことわざ」だ。

 お釈迦さまがかなり口酸っぱく「これは特に気をつけてくださいよ」と試験前に黒板を叩きながら強調する先生のような調子で弟子たちに注意を促していたのが
 「怒らないこと」だった。
 この感情、この世に訪れた者にとってよっぽど良くないことらしい。

 疲れた時は怒りやすくなるというし、気をつけよう!「男はつらいよ」の寅さんじゃないが、「それをやっちゃあ(言っちゃあ)、おしめえよ~」らしいので。

2008年3月10日月曜日

神様にからかわれた記念日

 昨夜、神様にからかわれた。
 もちろん生まれて初めての体験である。
 神様は僕の夢の中に現れ、いたずらっぽい笑みを浮かべながら、こう言った。
 「おまえのつけている緑色の石はあまりパワーがないのう~」

 白い着物のような服を着て、白く長いあごひげを蓄え、どうみてもその風貌は神様で、だから神様と僕は気づいたわけだ。
 前にブログで書いた通り、男性は厄払いには緑色のモノを身につけると良いということなので、土曜日にうちの奥さんに買ってきてもらった緑色の石の数珠を左腕に着け始めていて、そのことについて神様はわざわざやってきてくれたらしいのだ。
 話しかけられた瞬間、「うわ~、神様だぁ~」とわかった僕は、とっさに
 「どうしてパワーがないってわかるんですか」と聞いていた。
 神様は、「もうひとつの数珠とすれ合って鳴る音でわかるんだよ」と即答した。

 僕はその言葉を聞いて「おっ、神様すごいな」と思った。
 だってその緑色の数珠は仏具屋さんで品切れになっていたので、「緑色の石ならなんでもいいから早く欲しい」と言っていたこともあって近所の輸入雑貨屋さんで買ったものだったし、3年ほど前から肌身離さずつけている水晶の数珠と比べると、明らかに見劣りしていると僕も感じていたから。
 今朝、「雑貨屋さんの石じゃ、神様にはお見通しだったみたい」とうちの奥さんに夢のことを話すと「やっぱり」と苦笑いを浮かべていた。

 「高価なモノはいらないけど、厄落としのためにこれからしばらくの間は身につけるものなのだから、もう少し気を配りなさい」とアドバイスをしにきてくれたのかな、と僕は解釈した。

 今回のような愛嬌たっぷりの姿でなら、ときどき夢枕に立ち寄ってほしいと思う。
 神様、わざわざお越しいただき、いろいろとご心配してもらって、ありがとうございます。いつでもいいんで、またの登場を心よりお待ちしております。
 

2008年3月9日日曜日

すべての人たちに送られている「天からのメッセージ」

 作家の佳川奈未さんは作家デビューする前、離婚して3人の子供を育てていくために雑誌ライターのほか3つの仕事を掛け持ちしながら朝から晩まで働いていた。
 そんなハードな生活が数ヶ月過ぎたある日、身体と心のバランスを保っていたネジがポンと音を立ててはじけ飛び、生きることをどうしても続けられなくなってしまい死を選ぶことを決心する。

 ひとり死ぬためにまだ日の昇る前の早朝の海へと向かう。
 ところが死ぬことができない。
 怖いわけではなく、誰よりも早くいったつもりが自分よりも早く来ている人がその日に限っていて邪魔をするからだ。
 「神様はこんなに生きづらくしておきながら、成功するチャンスどころか、死ぬチャンスも与えてくれないのか」と佳川さんは悲観にくれる。
 海では死ねないので、佳川さんは電車に飛び込んで死ぬことにして、海辺から駅へと歩いて向かう。
 駅にたどり着くと駅前には大きな本屋があった。
 「自分はとうとう作家になる夢も叶わないまま死んでいくんだなぁ」と心でつぶやきながら、なぜか、死ぬ前にもう一度、自分の一番好きな場所だった本屋に立ち寄りたいと思い、中に入っていく。                                     
 ぼーっとしながら、一番近くの棚のそばに立ち、そこに並ぶ本になにげなく目を向けると、一冊の本から
 『ぜったい守ってあげるから!』
 というタイトルの文字がバーンと佳川さんの目に飛び込んできた。
 その文字を見て、佳川さんは呆然とする。
 なぜなら、自分が守ってあげたいと思うものを守れず、そして自分自身も誰にも守ってもらえずひとりもがき苦しんでいた。そして死を覚悟した。 『ぜったい守ってあげるから!』なんて優しく温かなこんな言葉を誰からも言われたことなどなかったからだ。
 なのに、その本がそうやって訴えかけている。そのことが衝撃だった。

 佳川さんは、すぐにその本を手に取り、開き、読んで、その中にあるメッセージに涙がボロボロ流れてきて止まらなかったそうだ。
 そして、“私もこんなふうに誰かを救えるものを書きたい!やっぱり書きたい!”と死のうとして冷え切った佳川さんの心に熱い思いが込み上げてきた。
 結局、それがきっかけとなり、死ぬことを踏みとどまった佳川さんは出版社に書いたものを持ち込みデビュー作が生まれる。
 佳川さん自身、もう一度生まれ変わったのである。

 死を覚悟してなにげなく書店に立ち寄った時、目の前にあった本のタイトルという形に姿を変えた「天からのメッセージ」を佳川さんは受け取ることができた。
 メッセージはそれ以前にもたえず投げかけられていたのだと思う。でも、佳川さんにとってはその日、その時が受け取る“時”だったのかもしれない。

 佳川さんは「いま思えば、その言葉はその本からのメッセージでもあるのですが、まぎれもなく天が私を守ってくれているという尊いメッセージでもあったのです」に述べている。

 こうした応援のメッセージ、見守りのメッセージ、悩みへの答えを示すメッセージ、愛のメッセージは、すべての人に送られている。
 自分だけがわかるような形で送られているので、ニコニコ楽しみにしながら素直な気持ちで気を配って、しっかりと受け止めたいと思うし、ひとりでも多くの人にそうしてもらいたいとも思っている。

2008年3月8日土曜日

約5000人のガン患者や難病患者を治す日本発の治療装置

 先日、仕事の打ち合わせを終えて気楽にいろんな話をしていたら、静岡県の浜松市でガンや難病を治す医者がいるという話になった。

 話を切り出した人は15年ほど前からその医者のことをよく知っていて自身も何度も通ったことがあるそうだ。

 その医者は松浦優之博士という人で、「AWG治療」という治療法でこれまでにガン患者や難病患者を5000人以上治しているらしい。
 特定の周波数を持つマイナスイオン電子を発生する照射機を開発して、マイナスイオン電子波動をガン細胞に作用させてガン細胞を自滅・自壊させる治療法なのだそうだ。
 聞いているかぎりは水につかり、お風呂に入って治す温浴療法のような印象を受けた。

 余命1週間のガン患者が完治したことで評判を呼び、人づてに広がりをみせて今も多くの人々が訪れているらしい。
 国内ではまだ医療機器として認められていないが、富山薬科大学や韓国ハンソ大学などで有効性が認められ世界12ヶ国で特許を取得しているそうだ。

 ガンや膠原(こうげん)病のほか、あらゆる病気に対応した治療装置になっているというから驚きである。
 いずれの病気でも副作用も苦痛もない。しかも、再度確認する必要があるが、一回当たりの治療費が5000円ほどということなので、本当にそうであれば金銭的な負担がかなり軽減され、多くの人々が足を運ぶことができる。

 このことを紹介してくれた人に「すごい話ですね」と言うと、
 「先ほど、我々と一緒に話していて先に帰ったあの人がその装置の第一号を製造したんですよ」という言葉が返ってきたのでもっと驚いた。
 次回、お会いしたら詳しい話を聞いてみたいと思う。
 ひとりでも多くの人々が病気の苦痛から解放され、健康になってもらいたいと願う。

海の向こうの雨に濡れたレモン

 海の向こうで僕のブログを見てくれているという方から先日、メールをいただいた。
 お礼の返事を送ると、庭に繁る「雨に濡れたレモン」の写真を送ってくださった。
 黄色く色づく前の黄緑色が鮮やかな果実をびっしりとつけたレモンの木を、僕は生まれて初めて見た。
 雨のしずくに濡れてみずみずしく、自然そのものという一葉で、深夜の部屋で僕はしばらく眺めていた。

 こういう時、ブログをやっててよかったな、としみじみと思う。
 どこかで誰かと「つながっている」ことに心から感謝したくなる。

 写真を自宅のパソコンの待機画面にさせてもらった。疲れた時には自然の生命力に満ちたレモンに癒してもらい、これからもコリコリとブログを綴っていきますので、どうぞよろしくお願いします。

2008年3月7日金曜日

「キリストの言葉」が教えてくれる願いごとを叶える方法

 人類の歴史は「天才」と呼ばれる人を数多く出現させているが、その中には「悟り人(びと)」としての天才もまた多数いる。
 この代表格といえば、やはり釈迦とキリストであろう。
 宗教に熱心な人に聞かれたら怒られるかもしれないが、僕もこのふたりを偉大な宗教者というよりも、この世の仕組みや人がこの世(此岸)にやってきた意味や理由(わけ)がなんであるかをすっかり見抜いた天才であり、まさに超人であると考えている。
 当然、頭脳明晰であったのだろうが、それ以上に出会う人を大切するその愛情深き人柄(!?)に強烈な魅力を感じる。

 ふたりには共通点は多いが、自分で文章を書いたり、本を書いたりしていないという点も一緒である。現在、残されている彼らの言葉といわれるものはすべて生前に近くにいた人々が書き残し、伝えたものである。だから当人たちは誰かになにかをなにが何でも残そう、とは思っていなかったのかもしれない。「その時をその時なりに喜びをもって生きた」のではないかと僕にはみえる。
 「大きな組織をつくりなさい」とか、「組織の維持運営には莫大な費用がかかるのでお金を集めなさい」とか、「時には武器を持って戦うこともよしとする」とか「信じないと地獄に堕ちるぞ」とか、そうしたことを奨励したり、そそのかしたり、強制したりすることなど思いつきもしないような人たちであった。

 そもそも、キリストはキリスト教徒ではないし、仏陀も仏教徒ではない。
 ひとりの「悟り人」である。
 
 釈迦についてはこのブログで書く機会が多いが、今回はキリストの言葉の中から僕がいろんな機会で 考えさせられることの多い言葉を少しだけ紹介したい。


 ヨハネによる福音書の冒頭には次のような有名な言葉がある。
 「初めに言葉ありき。
 言葉は神と共にあり。
 言葉は神なりき。
 この言葉は初めに神と共にあり。
 すべてのものは、これにより出来た。出来たもののうち、ひとつとしてこれによらぬものはなし」

 このブログではタイトルのとおり、「言葉」というもの、「言霊(ことだま)」の力の不思議、魅力を取り上げることが多いのだが、
 キリストはこの「言葉」がすべての物事を担っている、とヨハネ福音書の冒頭でまず述べているのだ。
 「初めに言葉ありき」とは釈迦もまた教えとした言葉である。
 2000年以上前に現存した東西の天才が共通して
 「『言葉』というものがもっとも大切である」といみじくも言っているのである。

 言葉が人の人生を大きく左右することは科学的にもようやく解明されてはじめている。
 心理学者マクセル・マルツは
 「自分が物事を解釈したように感情がつくられ、脳はその感情を読み取り、自らの人生にそれを表現していく」と説明している。
 これはその人が日常、何気なく発している言葉や考え方を、人間内部で言葉の影響を最も受けやすい自律神経が覚えていて、判断や行動をする際にその影響が顕著に現れてくるということを指摘しているのだ。

 良き言葉をあやつる(使う)人は、良きことに無意識に反応するので、その結果、良きことが目の前に現れる。

 悪き言葉をあやつる(使う)人は、悪きことに無意識に反応するので、その結果、悪きことが目に前に現れる。

 今年、精神世界のジャンルで人気の「引き寄せの法則」関連本も同様のことをまとめたものである。
 「類は友を呼ぶ」という“類友(るいとも)の法則”も他人の力や他人の責任ではなく、自分が持つ言葉、感情の習慣がそれに似た人を引き寄せるということを意味している。
 人を引き寄せるばかりではなく、その多くは現象を引き寄せるので「なんでこんなに良いことばかり続くんだろう、ほんとにしあわせ~、ありがとう!」といった現象ばかり続く人もいれば、

 「なんでこんなに悪いことばっか、続くんだ、馬鹿野郎!、オレの人生最悪!アッタマくる!」といった現象ばかり続く人もいる。
 これも自らが引き寄せているというわけ。

 キリストには口癖があることが新約聖書を読むとわかる。
 どんな場面でもキリストはこう言っている。きっと天を仰ぎながら。

 「私の願いをいつも聞いて下さる父よ、感謝します」と。

 僕はこの言葉を知った時、「キリストの願いごとはどんなことでも叶ったんだなぁ、すごい」と妙に感心してしまった。それと同時に、キリストは願いごとを叶える方法を知っていたんだ、とふと思った。
 人のために生きた人だから(本当は自分のために生き、人のために<も>生きた人)、あらゆるものを自分だけのものとせず人々に与えてくれている。

 だから、その「願いごとを叶える方法」もキリストは教えてくれている。
 なのに、今ではその方法が広く伝わっていないというのが逆に不思議で、なんだか他意を感じるが、まあ、そんな意地悪な「他意」のことは隅に置いておいて、

 叶える方法についてキリストは、

 「そこであなた方に言うが、なんでも祈り求めることは、すでに叶えられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう」(「マルコによる福音書)第11章24節」と述べている。

 これは、もうこのブログでは幾度もご紹介しているとおり、
 「<叶えられたと信じて>過去完了形+感謝しま~す!」と言葉にする
 に通じているように思う。
<そうすれば、そのとおりになるであろう>
 なのです。

 とってもシンプルな願い方だけど、
 「祈る場合、異邦人のようにくどくど祈るな」(「マタイによる福音書」第6章7節)とあるように、「願いごとを叶える方法」は特別な人だけができるのではなく、誰にもできるようにとってもわかりやすくなっているはずだから。

 「まずは良き言葉を使いましょう」ということにひとりでもいいから身近な人に気づいてほしいと思う。
 僕は霊的人間ではないのではっきりとはわからないけど、少なくとも身の回りで願いごとを叶える、実現する力が強まってきているように感じるし、「良きこと」、「悪しきこと」の現れがとっても顕著になっていっているように思う。どちからに大きく振られやすい状況、環境になってきているようなので念頭において注意することは大切だと思う。

 でないと、こんなこともキリストは言っている。
 「持っている人はさらに与えられ、持っていない人は、持っていると思っているものまで、取り上げられるであろう」(「ルカによる福音書」第8章18節)

 それはあまりに怖すぎる・・・・・

2008年3月6日木曜日

今年からもう花粉症で悩むことはない

 関東ではここ数日、花粉の量がすごいらしい。
 昼間、連絡を入れるとうちの奥さんも携帯の向こうから鼻をグズグスいわせながら「今日はとってもヒドイ・・・」と冬眠明けのカエルのような声で元気がない。
 でも、花粉歴では数年の先輩で、春だけでなく秋も花粉に悩んでいる僕が今年は今のところなんともない。
 これからが本番だから今の時点でなんとも言えないけど
 現状は鼻の粘膜が壊れてしまい花粉に反応していないからだと思う。

 そもそもはタバコを止めてしばらくして鼻がおかしくなった。
 夏場なのに鼻水が出るし、鼻づまりがひどく「フクビク炎」になるので、耳鼻咽喉科を2カ所ほどまわった。
 飲むと気を失ったような眠気に襲われる「鼻がよくなればいいんだろう、鼻以外はお構いなしだよ、あたいは」と叫んでいるような薬ばかり出すので飲むのを止めた。
 飲みながら「根本を治してないなぁ」と感じたのも止めた理由である。

 タバコを止めてから今月で8ヶ月になるから、この7ヶ月間ほど鼻炎に悩まされ、半年ほどは食べ物の本来の味をぼんやりしか味わえない日々を送ってきた。
 最初の頃は身体がキレイになろうとする「好転反応」なのかなとも思っていたが、長すぎるので、自分なりに結構考え込むこともあり、思いつく限りの対策のようなことを講じてみたが大きな改善はなかった。
 「タバコを再開すると治るのかな~」とふと思ったこともあったが、さすがにもう一度自らの手で火をつけた煙を身体の中に入れることは面倒に思えたので止めた。

 ということで、
 僕は今のままを受け入れることにした。
 それもつい最近も最近、昨日の朝からそう思うことにした。
 手始めに朝、駅に向かい歩きながら周囲の空気に向かって、
 「花粉さん、お疲れさんです。人様にボロクソ言われても子孫繁栄とかあたなにはあなたなりの都合があるんだから気にしなくていいんだよ。しかも、この世は人間だけのものでもないし。とっても大切なことだからとにかく張り切ってくれよ、では、では」。
 
 それから、自分の鼻にも、
 「まあ、調子は以前のようには良くないみたいだけど、鼻から息ができるだけしあわせ、しあわせ。よくやってくれてるよ、感謝してますよ」
 
 ついでに、味覚にも、
 「食べられるだけありがたい。いくらか味までしてくれてるし、まったく味がなわけじゃないんだから、うれしい、うれしい」
 そう思うようになった。いや、まだ「思うようにした」ってところかな。

 最初はかなりやけっぱちみたいな感じもあったが、なんだか言葉にしてるうちにそんな気になってくるから不思議だ。

 だから僕は、今年から花粉症で悩むことがなくなった。

 それは、悩む自分がここにいなくなったからである。

2008年3月5日水曜日

植物たちは会話している

 京都大学生態学研究センターが虫に食べられた植物が自ら出す化学物質で虫の天敵を呼び寄せて、我が身を守るという論文を発表した。
 キャベツはコナガ虫に食べられるとSOS信号を発信する。するとコナガ虫の天敵コナガコマユバチが飛んで来て、コナガ虫に寄生して食べてしまうというのだ。
 植物が発信する信号は「みどりの香り」と呼ばれる独特のにおい物質らしい。トウモロコシやリママメも同じSOS信号を出しているそうだ。
 こうして身を守る以外にも化学物質を使って領域を守ったり、ライバルを追い出したり、会話でコミュニケーションも取っているというのだからおもしろい。
 植物と植物が、植物と昆虫がそれぞれ会話をしているなんて想像するだけで楽しくなる。どんな声をしているんだろうか。ディズニーのミッキーやドナルドのような子供が敏感に反応する声なのかもしれない。

 以前、紹介した「見るだけで幸せになれる『魔法の絵本』」を描いた中河原啓さんは21歳の時に突然植物と会話ができるようになったという人だ。だから、植物の声が聞こえる人も中にはいるのだろうが多くの普通の人には植物や昆虫の声は聞こえない。
 「聞こえても困る」ことも結構多いような気もする。僕も以前なら聞こえてもよかったが、最近は「サラダ」というものを率先して食べるようになったので、かなり困る。「良く噛んで食べなよ」とか「どう、おいしいかい?」とか訊ねられるとかなりめんどくさい。しゃべらないのにカニの顔をじっと見ているだけでだんだん不気味に思えてきて食欲が損なわれてくるので、食べる機会がある時には顔を見ないようにしているのだから。

 日本は広いもので、中河原さん以外にも植物の思いがわかるという人の話を先日聞いた(僕自身はまたまた「シンクロ現象」だ~と思った)。
 盆栽歴50年の日本一といわれる名人の話で、この人は植物と長年親密につきあってきてわかったことが3点あるそうで、それは
 1、植物は人間のことが好きで好きでたまんないらしい。
 2、人間から「おはよう」とか「こんにちは」とか声をかけられるととってもうれしいらしい。
 3、人に「えらいねぇ」とか「よくやっているねぇ」とかほめられると、この人のためなら死んでもいいと思うぐらい幸せを感じるらしい。
 ・・・とのことだ。
 だから街路樹や観葉植物に「元気~」「おはよう」「こんにちは」とか声をかけるとすっごく喜ぶらしい。 
 逆に嫌な言葉を投げかけるとすぐに弱っていく。それ以上に早く枯れてしまうのは、「無視されること」なのだそうだ。
 植物は他の場所に生えている植物たちや空ともつながっているので、天気でその人のことを応援してくれたり、自然界がその人を見守ってくれることにも結びついていくらしい。

 「これはいいことを聞いた」ということで、最近は僕も街路樹に「元気~?」とかいいながら歩いている。まあ、人がたくさん歩いているところではさすがに控えるようにしてるけど、いつの日か、ミッキーマウスの声で植物から返事が戻ってこないとも限らない。まあ、その日を気長に待つこととしよう。

宝くじで100万ドル以上当たった100人の行く末

 アメリカの新聞社が10年ほど前に過去に宝くじで100万㌦(約1億円)以上当たった100人のその後の人生について追跡調査したところ、99人が当たる前より不幸になったと答えていることがわかったそうだ。
 具体的な理由は、突然、大金が懐に入ってきたために欲が絡んで妻や子供と争いになり離婚および相続訴訟になったり、兄弟からお金を要求されたり、近所でお金を無心されたり、といっためちゃくちゃな状態になっているケースが多かったそうだ。
 唯一、不幸になっていないという人も幸福になったわけではなく「変わらない」という回答だったそうだ。なぜなら、農家をしながらお金には一切手をつけてない生活を送っていたからだった。
 一概にこのことが日本人には当てはまらないとは思うが、やはり気持の良い話ではない。

 昨年からはまり、出版されている本はもうほぼすべて読んでしまった絲山秋子さんの作品のひとつ「海の仙人」は、宝くじで3億円が当たり会社を辞めて福井県の海辺にひとりで暮らす男が主人公の小説だ。
 これから読まれる人もいるかもしれないので詳しくは書かないが、やはり主人公の男が幸せとはいえない結末を迎えるのは何かの暗示のように思える。

 僕も人生で宝くじを2度買ったことがあるが、もう買うことはないかな、と思っている。
だって、当たっていいのであれば、こんなサイン(情報)に出会うわけない・・・と思うからだ。
 少なくとも宝くじに当たると幸せになることだけはないようだ。

2008年3月4日火曜日

良寛和尚の涙

 幕末の頃、越後に住んでいた良寛和尚のお話をひとつ。
 良寛さんは兄弟から息子(良寛さんにとっては甥(おい)っ子)が家業も継がずにブラブラして働かず、ろくでもない人間になっているので、こちらで機会をつくるから食事でもしながら素行を注意してもらえないかとお願いされる。
 引き受けた良寛さんは数日後、甥っ子とふたりきりの食事の場に向かう。
 良寛さんは食事の間、ひと言、二言世間話をしただけで説教めいたことはなんにも言わない。自分のことについてひと言でも何か言われたら徹底的に反論し、話次第では暴れてやろうと考えていた甥っ子は拍子抜けしてしまう。
 そのまま食事を終え、良寛さんは
 「ごちそうになりました。ありがとうございます」と入って席を立ってしまう。ますます拍子抜けした甥は玄関までなんとなく見送りについていく。
 
 玄関で良寛さんはわらじの紐(ひも)を結んでいる。その時、甥は良寛さんが玄関の土間にじっとかがんだままポロポロと涙を落としていることに気がつくのである。
 甥はその涙を見て「ああ、なんなんだ俺は。これから真人間になろう」と決意し、その後、そのように生きていった。

 「誰も自分のことなどわかってくれない」とすさんだ気持でいる時に、なんにもいわなけど自分のことをただただ信じてくれる人に会えた甥っ子の気持ちはいかばかりか。僕も親に心配、迷惑をかけて生きてきたので、この話を電車で読みながら不覚にも涙がこぼれそうになった。
 非常に貧しい暮らしをしながらも人を愛したことで知られる良寛さんらしい話である。

2008年3月3日月曜日

今年の我が運勢

 赤荻先生に今年の僕の運勢を見ていただき、ご連絡いただいた。
 六白金星でもある今年の僕の運勢は「人生のバイオリズムが最も下方にあり、冷え込んでいる」のだそうだ。
 「今年は準備期間と考えて自己啓発に努めてください」との良きアドバイスいただいた。
 年明けは節分からになるわけだが、どうりで新年から「自己啓発」を後押ししてくれると思われる出会いや情報が続々と現れてくるわけだと妙に納得。
 「来年は南西に回座して良き方へ変化する年。それから3年間は上昇運気」になるそうだから大いに楽しみ。
 そのほかにいろいろなアドバイスいただいたが、将来は小さくても独立した仕事をした方が良いらしい。僕を必要とすることがあればそれも良いかもしれない。人に喜んでいただける仕事が僕のために用意されれば「サイン」が届くものと僕は信じている。
 最後になってしまいましたが、赤荻先生、とってもお忙しいのにお世話になりました。
 本当にありがとうございます。

プーチンという男

 ロシアで2日、大統領選が行われ、メドベージェフ副首相が第3代大統領に就任することが決まった。 
 このメドベージェフ氏を後継者に指名したプーチン現大統領は今後は首相に就任し、実質的に国家指導者として“院政”を敷くことになるらしい。
 石油、天然ガスなどのエネルギー戦略を武器に、ここ数年でロシア経済を立て直し、外交面でも再び大国の地位に押し上げた敏腕大統領・プーチンについては反対勢力を徹底して弾圧する強面の人物評が一般的だが、僕の中のプーチン大統領への認識を一変させられ、新たな人物像を築かされるきっかけになった一冊の本がある。

 その本は、元外務省事務官で現在は作家の佐藤優氏が書いた「野蛮人のテーブルマナー」である。
 佐藤氏は、外務省内部の問題で鈴木宗男氏との深い関係から背任容疑で逮捕され、現在も起訴休職中である。情報収集・分析能力に極めて優れた外交官で、「外務省のラスプーチン」と呼ばれたことでご存知の方もいらっしゃるかもしれない。
 この佐藤氏、外交官としても卓越した能力を持っているようだが、物書きとしての能力も抜群である。
 僕は彼の著書「国家の罠」「自壊する帝国」「日米開戦の真実」を堪能させてもらったほか、新聞ンフジサンケイ・ビジネスアイ連載中の「佐藤優の地球を斬る」も愛読している。
 本好きな者としてこうした才能にあふれた作家の登場を大いに歓迎しているが、こうした有為な人材が外務省から去ったことによる国家の損害の大きさを思うと手放しでは喜べない。

 著書「野蛮人のテーブルマナー」では衆議院議員の鈴木宗男氏との対談が掲載されており、この中でエリツィン大統領時代の首相を務めていたプーチン氏の情報を日本政府の指令で自ら集めた経験を持つ佐藤氏がプーチン氏の性格について述べているところがある。ここでその部分をそのまま記載する。

佐藤 ・・・・・「まずプーチンの性格の特徴は、人の悪口を言わない、物事をキチンと記憶する、気配りする、の3点でした。彼は当初、サンクトペテルブルグ市の助役をしていました。この時の市長のソプチャクとエリツィンとは仲が悪かった。だからソプチャクが市長選挙に敗れた後、プーチンは干されます。 
 それでもなんとかツテを頼って、大統領府に課長補佐の職を得た。これが始まりです。
 メキメキと頭角を現し、先ほどの能力を見込まれて、大統領監督局の幹部になる。政府内の不正や大統領に対する不穏な動きを監視する局です。プーチンはこの仕事を見事にこなした。でも、彼はその時に得たネタで自分の立場を良くしたり、他人を脅すようなマネは一切しなかった。
 次にエリツィンはプーチンをFSB(連邦保安庁)のトップに据えた。これは秘密警察です。実はエリツィンは秘密警察が大きらいなんです。ソ連末期に2度殺されかけていますからね。FSB長官をやっていた時に、プーチンにエリティン大統領から命令が来た。ソプチャクと縁を切れ、という内容でした。それに対してプーチンは、
 「私は過去にお世話になった人を裏切るようなことは絶対にできません」
 と答えた。エリツィンは同じ命令を何度もプーチンに対して行った。それでも、プーチンの返事はいつも同じでかつての上司を裏切らない。そこでエリツィンは、「次はこいつだ」となる。こいつなら権力を譲っても寝首をかかれることはない、と。

――プーチンが後継と指名されると、その時点でもう把握していたんですね。
佐藤 だから、後にプーチンが大統領になって、最初に出した大統領令は、初代大統領(エリツィン)に関しては、今後も一切の名誉が保全され、警護もつけ、最低限生活に必要なものをすべて保障するというものだった。プーチンもやがて権力を委譲する時が来ますから、自分の任期中に大統領をやった人間が引退した後にボロボロにならないようなシステムを作る必要があった。・・・・・・

 まさに今日、その「プーチンが権力を委譲する時が来た」のである。佐藤氏の人物評は極めて冷厳であり、時には辛辣過ぎる感もあるが、その佐藤氏にしてプーチンの人物評はこれほど高い。
 こんな男がロシア政府の国家指導者として君臨し、今後も裏から指揮していくのである。
 僕はこの文章を読んで、最初に佐藤氏があげた「人の悪口をいわない、物事をキチンと記憶する、気配りする」という点だけみても、我が国の今の国会議員の有り様と比べ、複雑な思いを抱かされた。
 信義を重んじるためにその地位さえ捨てる気概を持ち合わせた者は強い。仲間であればこれほど頼りになる者はいないが、相手であれば侮れず、まったく油断できない存在となる。
 こうした見地から現在の日本政府、外務省が対ロ戦略を組んでいて欲しいものだと思う。また、正面からがっちりと向かい合って互角に、いやそれ以上につきあいのできる度量ある大和の国の政治家の誕生を期待せずにはいられない。

2008年3月2日日曜日

神社、お寺ではまず最初に住所と名前を伝え「自己紹介」を

 昨日、神社に参拝してお祓(はら)いをしてもらいながら、
 「鏡が今日はとってもきれいだなぁ。最近新調したのかなぁ。
 前にある人から『神社の多くは鏡を祀(まつ)っている。鏡には参拝した人の顔が当然映る。なぜ鏡なのか。「かがみ」に映った自分の姿から「が(我)」を取ると、「かみ(神)」がそこに映っているからだ」って聞いたことがあったよなぁ』などとぼんやり考えていると、電気が走ったようにふと気づくことがあった。

 それは、神社、お寺に行った際、まず最初に「自己紹介」をすることが大切だということである。
 お祓いをしてもらったことがある人なら宮司さんのあの妙な節回しの言葉をよ~く聞いていて気がついている方もいるかもしれないが、この時、必ず厄払いやお宮参り、商売繁盛などの訪れた理由のあとに、住所と名前を神様に伝えている。
 4、5年前にも、写経を用いて古いお地蔵さんの力をお借りして供養をする時にも、やはり先に自分の住所と名前を告げると教わっていたことも宮司さんの祝詞(のりと)を聞きながらはっきりと思い出していた。
 先日、お地蔵さんには住所、名前を伝えてお願いしたが、僕も普段、神社やお寺にうかがった時には、住所、名前を伝えることなどすっかり忘れていた。この話をした知人からは「お参りする人の9割以上がただお願いだけをしているだけじゃないの」と言われたが、きっとそうだろうと思う。
 もしかしたら神様は「願い事はわかったけど、今の人は誰だったのでしょう」と首を傾(かし)げているかもしれない。
 まあ、氏神様なら氏子を覚えていてくれるだろうけど、人と人が出会った時も自己紹介から始まるものなので、神様にも住所、名前を伝えてからお話しましょう。
 そのへんにちょっとした秘密があるような気がする。

トイレは「あの世とこの世の出入り口」

 トイレの話についてはこれまで何度か述べてきた。
 トイレを掃除すると臨時収入が入るという小林正観さんのお話の効果はかなり信憑性が高いようで、僕もトイレの神様である「うすさま明王様」に「おんくろだのう うんじゃくそわか」と真言を3回唱えながら、毎朝、お水を供えている。

 そんなおかげで、トイレに関する話に興味を持つようになり、先日もおもしろい話を聞いた。
 昔から妊婦がトイレをきれいにするとかわいい赤ちゃんが生まれるという伝承がある。安産にもなるという言い伝えもある。
 風水でもそうだが、家相のうえでもトイレを鬼門(丑寅の方向「北東」)に置くことはいけないとされている。鬼門は悪鬼が襲ってくるとされる方角で、そんな危険なところにトイレを置くなんてとんでもないという考えがあったのだろう。このことからもトイレは昔から「特別な場所」だったという証がみえてくる。

 長野の一部地域では大晦日から正月にかけてトイレをきれいに掃除してトイレの前に家族で座ってご飯を供え、「お世話になりました」と感謝の言葉を述べる「トイレの年取り」の儀式が今も行われているそうだ。トイレの年取りが終わってから家族の年取りを行うということからもトイレの重要性がわかる。

 それ以外にも各地に正月にご飯やうどんを供えたり、お盆に柿の葉に赤飯をのせて供えたり、灯明を灯すなどトイレを特別に祀る行事が今でも行われているそうだ。
 
 そんな中でも、僕が特に興味を持ったのが、
 「年老いた者は特にトイレをきれいにしなくてはいけない」という言い伝えである。
 年老いてトイレをきれいにしておくと、病気になった時に下の世話をかけなくてすむからなのだそうだ。
 この話を教えてくれた姑さんは90歳を超えて亡くなったが本当に下の世話をかけることなく静かにおだやかな最期を迎え、その話をしてくれたおばあさんも90歳近い高齢で亡くなったが、家族に聞くとやはり下の世話をかけることなくおだやかに旅立たれたとのことだったそうだ。

 昔からトイレは「あの世とこの世の出入り口」だという考え方が伝承として根強くあることがわかり、僕の中ではますますトイレの存在感がズシリと増した。

 トイレ掃除はなるべきひと目につかないようにやるということも大切らしいからおもしろい。ちょっとした徳を積む修行なのかもしれないな、これは。

2008年3月1日土曜日

女性は厄年には蛇をモチーフにしたモノを持つと良い

 一般的な厄年である男が25歳と42歳、女が19歳と33歳以外に、「12年ごとの年男、年女の年も厄年」とするケースがあると聞いて、あちこち調べてみたが、やはりそうした風習の場所は結構あるということがわかった。
 そう考えると、厄年は一生の内に幾度もあるということになる。知らなきゃ知らないで済むが、いざ知ってしまうと気になるし、興味も出てくる。

 前に風水では厄年の時は「緑色の石」を持つと良い、と書いた。
 性別のことは教わらなかったので、男女ともにそうなんだろうと勝手に思い込んでいたら、女性は別であることがわかった。
 女性の場合は、身につけられる「蛇のモチーフのモノ」がいいのだそうだ。蛇のネックレスとかピアスとか指輪ってところだろうか。
 しかも、血縁のある女性からもらうことという条件がつく。
 男性の「緑の石」の場合はもらう相手は身内であればよく、これを25歳か42歳の厄年の場合であれば前後厄を含めて3年間身につけることになる。
 前にも書いたが、厄年は運気上昇のチャンスでもあるらしいので、他の年とはどんな違いがあるのか観察しながら楽しみとして日々過ごしたいものである。

お金は「入口」より「出口」を考えると入ってくる法則を持つ

 ここ数日、「お布施(ふせ)」のことが頭に浮かび、あれこれ考えていた矢先、本を読んでいると、この「お布施」という文字が目にポンと飛び込んできた。その瞬間、「おっ、これはシンクロ現象だな」とすぐにわかった。「僕にいったい何を伝えにきたんだろう」と注意して読んでみると、
 お金の話だった。
 
 お釈迦様や弟子たちは「喜捨(きしゃ)」によって生活していた。喜捨とはお布施、人々からの施しのことである。
 お釈迦様は弟子が喜捨を人々から受ける「托鉢(たくはつ)を始めるに当たって、
 「お金持ちの家を訪ねてはならない。貧しい人の家をまわりなさい」とおっしゃった。
 てっきりお金持ちの家をまわるものと考えていた弟子はそれを聞いて驚き、その理由を訊ねると
 「貧しい人はこれまで自分が貧しいからという理由に縛られて他人に施しをしてこなかった人たちである。それゆえに貧しさという苦界の中に沈んでいた。私たちが喜捨をいただくのはその貧しい人たちを苦界から救うためなのです」との答えが返ってきた。
 「喜捨」はお金が余っているから出すのではなく、まず先に生活に支障のないくらいのお金を出す。そうして相手に喜んでいただくとことで、結果として自分にも返ってくるようになっているということをお釈迦様はおっしゃっているのだ。
 「長者の万灯(ばんとう)より、貧者の一灯」という言葉の通り、一万円のゆとりのある人が、その中から千円出すのと、千円のゆとりのしかない人が工面して百円出すのでは、同じ一割でも百円の方が尊い、とお釈迦様は言っている。
 人は誰もがこの世に生まれた時には息を吐いて産声をあげる。そして亡くなる時に「息を引き取る」というように息を吸ってこの世を去る。お金も同様で、多くの人々が通常、「入り」のことばかりを悩み考えるが、実は「出る」方をどうのように考え、実践していくかが大切なのだそうだ。

 「投げかけたものが帰ってくる」これが宇宙の法則である。
 「感謝します」と言葉にして言うとしばらくすると、再び自分の口」で「感謝します」と言ってしまう現象が目の前に現れるのと同じ理屈である。悪口や愚痴、不平不満も同じなので、かなり怖いのですが・・・・
 喜捨、お布施とは本来、そういう種類の役割を持つものだったらしいのである。
 まあ、僕のお布施も“尊い”方の「貧者の一灯」になるのは確実なので、天気も良いし神社にでも足を運ぶとしよう。