2008年1月30日水曜日

節分と「陋巷に在り」と「カラマーゾフの兄弟」。そして恵方巻

 まもなく節分。
 日本では古くから立春が新年の始まりと考えられており、季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると言い伝えられてきた。
 節分の日の夕暮れ時に邪気は人の世界に姿を現して徘徊し、人の元に音もなくやってくるといわれる。
 窓や扉の隙間から、家族の出入りに乗じて家の中に忍び込み、家族が寝入るのをうっすらと笑みを浮かべながら息を潜めて待ちうけている邪気が部屋の片隅にいると考えるとなんとも薄気味悪い。
 そんな邪気を追い払うために、昔から、柊(ひいらぎ)の枝に鰯(いわし)の頭を刺したものを戸口に立てておいたり、豆をまいたりしてきた。

 話は少しそれるが、孔子の時代を舞台にした酒見賢一の小説「陋巷(ろうこう)に在り」では、この邪気の存在が非常にうまく描かれている。
 孔子が最も愛した弟子である「顔回」を主人公にすえて、竈(かまど)の神様などさまざまな神様や邪気のような魑魅魍魎(ちみもうりょう)たちがそれまでは人の目にも見えていたのに、だんだんと見えなくなり始めた時代が舞台という設定もおもしろい。
 孔子は、こうした存在が、人の目に見えなってくるからこそ、「礼」という仕組みをつくった。
 この「礼」を人々が学び、習得すると呪術を使わなくても、魔に引き入れられることなく健康に幸せに暮らせるようになるとして、政治に参画してまで「礼」の普及拡大に人生を捧げていく。

 竈の神様を大切にしない家には病人が必ずいる話や邪気に次第に取り込まれていく過程などについてもかなりリアルに描かれていて勉強になった。
 それになんとっても貧民窟に父親と暮らしているにもかかわらず、素直で晴れやかな心を持つ主人公の「顔回」がとっても魅力的だ。
 20歳前後に「カラマーゾフの兄弟」を読んで、三男・アリョーシャの澄み渡ったようなやさしさと温かさにあふれた心根にふれ、「なんて自分は汚れちまったんだ」と涙したことがあったが、この「顔回」にも同様の清々(すがすが)しさと、時折なんともいえない切なさを感じる。

 この作品ではそこまでは描かれていないが、実在の「顔回」は若くして孔子よりも早く世を去ってしまう。僕はそれを知って友人を失ってしまったような哀しみに見舞われた。2500年以上前の紀元前のことなんだけど、最近のことのように。
 そう思わせる男が「顔回」であり、孔子が数多くの優秀な弟子たちの中でも最もかわいがり、頼りにした理由もそこにあるのだろう。

 昨年は、この「陋巷の在り」との出会いによって、改めて「論語」を読み返してみた。学生時代、センセイがこういう紹介をしてくれたらもっと早く「論語」が好きになっていただろうなと思うけど、この時期に出会うことが「必然」なのだから仕方ない。
 最後に、この「陋巷に在り」は文庫本も出ていてお薦めしたいが、ただ全13巻とやや長い。その辺はご検討を・・・。

 節分の行事として豆まき以上に近年は「恵方巻」と呼ばれる太巻きをまるかじりする関西の節分の風習が全国的に広がっている。
 これも商売繁盛、無病息災、祈願をかなえるための厄落としの意味があり、歳徳神のいる方向である「恵方」を向いて目を閉じて願い事を思いながら丸かじりするのが習わしだ。
 丸かじりして食べ終えるまで誰とも話をしてはいけないという決まりごとがあることも、なんだか微笑ましい。
 ちなみに今年の恵方は「南南東」である。
 この「恵方巻」の文化は戦後にはすっかり廃れていたが、オイルショック後に大阪の海苔業界が海苔の需要拡大のために行ったイベントがきっかけとなって復活し、新商品を探るコンビニエンス・ストアの思惑とも一致して関西だけではなく全国に広がったそうだ。

 2月3日の夜は、豆まきや恵方巻きを孔子が人々の安寧への思いを込めた「礼」のひとつであると考えて実行し、夕暮れ時からあちこちをうろうろしている今では目に見えなくなった邪気たちをしっかりと追い払うことにしよう。

2008年1月29日火曜日

前世の自分と義父の来訪

 最近、立て続けにちょっと不思議な体験をした。
 その前に、ひとつ質問があります。
 「あなたは、前世の自分に会ったこと、ありますか?」

 わけのわからんことを言っているな、と思われることは覚悟のうえで告白するのだが、

 僕は数日前、前世の自分を見た。もちろん初めてのことだけど。

 明け方近くの夢の中に突然、男性が表れた。どんどん近づき、その顔がアップになる。歳の頃は60歳代といったところだろう。
 「誰だろう」と思いながらじっくりと顔を見てみるが、まったく思い当たらない。向こうは僕が見ていることにはまったく気づいていないようだ。
 見ている映像がカメラがゆっくりとなめるような動きで右側に動いていく。すると、右隅からその映像の中に50歳代半ばから60歳代前半ぐらいの女性が表れてきた。

 その女性の顔がはっきりと見えた瞬間、僕は
 「あっ」と思わず声をあげてしまった。
 そこにいるのは僕自身だったからだ。
 性別も年齢も、もちろん姿形も今の僕とはまったく違うけど、100%間違いなく僕自身だということがわかった。
 女性は隣の男性と何か話しながら時折おかしそうに笑っている。でも何を話しているのか無声映画のようにこちらにはまったく聞こえない。
 オダノブナガ―とか、サカモトリョーマーとかではなく、現世のすぐ前ぐらいの僕の前世は、「赤いカーデガンを羽織ったどこにでもいそうな普通の日本人のおばさん」だった。
 自分の前世に憧れや希望を抱くのはそれぞれ自由だが、現実とはそういうものなのだ、きっと。


 もうひとつは、その翌日に起こった。
 息子とふたりで夕食に出かけることになり、ふたりだけという機会は滅多にないので、どこにしようか考えた末、一昨年他界した義父と結婚したばかりの頃になんどかふたりで行ったことのあるレストランを電車に乗って訪ねてみることにした。
 義父は、初孫だったこともあって息子を大変かわいがってくれた。ドライブや大好きな野球観戦など暇さえあればふたりであちこちに出かけていた。
 息子もそんな義父のことが大好きだったようで、思い出話の中には主役級の割合で登場する。
 僕も嫁さんの父親としてもそうだが、男としても尊敬できる人だと思っていた。
 特に、「人の悪口を言わない」というところが好きだった。
 信用できる「いい男」の基準は、人のことをああだこうだと言わない男だと僕は思う。そう確信できるようになったのは義父のおかげでもある。

 店は昔のままの場所に残っていたが、その夜は僕らしか客はいなかった。
 しばらく息子と義父のことを話していると、気持ちがサワサワしだした。
 はっきり見えるような能力は僕にはないが、何かが、誰かがいる感覚、それが良きものか悪しきものかぐらいの判断はささやかながら感じることができる。

 僕は「義父が近くにいる」と感じた。
 息子に「じいちゃんが来てるみたいだよ」と言うと、ジュースを飲みながら「ほんとに!?」と言って笑った。
 そうやって息子と話していると、突然、ポロポロと涙が出てきた。わけがわからなかったけど自分でも泣きたいような気もした。
 息子からすると大丈夫なのって感じかもしれないが、何もいわずにもくもくと食べている。まあ、変だと思われても少々のことは大目に見てもらうしかない。あえて親子になったのだから。
 他界した人は懐かしい人の口上にのぼることを喜ぶという。良き思い出話ならなおのことである。
 普段は少々多めに飲もうが、そんなにひどい酔い方はしないはずなのにその夜は息子を相手にかなりひどく酔ってしまった。
 義父によっぽどうれしいことでもあったのだろう、これも酒好きの義父の分まで飲まされたためと自分では解釈した。
 帰るのにも苦労するほどだったのに、僕は家に帰ってから汚れたシャツを洗おうと数年ぶりに洗濯をしていた。
 綺麗好きの義父はいつも自分で洗濯をしていたことを後で思い出したが、そのときは酔っていて思い出すどころじゃなかった。しばらくすると洗濯機がガタゴトいうので故障かなと思ってフタを開けてみた。 
 すると、シャツなどの洗濯物の上で、僕の携帯電話がクルクルと回っていた。
 昨年の夏にプールに漬けてしまい、半年もたたずにまたも水である。やれやれと思いながらも、何か厄でも洗い流してくれたのだろうと思い、スッとあきらめることにした。

 数日後、嫁さんの弟に会った。
「この間はお義父さんと一緒に飲んだんだ。息子とふたりでどうやって帰ったのかよく覚えてないぐらいベロベロに酔っちゃってさー」という僕の話を人の好い義弟は半笑いのような表情で聞いてくれていた。

2008年1月22日火曜日

お願い事をするなら「ご先祖様」と「お地蔵様」

 年明けに「神社でお願い事をしてはいけない」と書いたが、お願い事をそれこそ思う存分して構わないのが「ご先祖様」である。
 だから願い事があったら、お墓参りにいけばいい。
 そして、自分の思いの丈を素直にうち明ければ、必ず、まさに“親身”になって聞いてくれる。
 子供には厳しく接してきたのに、孫ができるとベタベタに甘くなるという話をよく聞くが、ご先祖様は子孫がそれこそ「食べちゃいたいぐらいカワイくて仕方がない」らしい。
 だからかもしれないが、子孫の思い、願いを先祖はまっすぐに受け止めてくれて、身近な人や出会った人の口やテレビやラジオ、雑誌などのさまざまな身近なものを借りてアドバイスしてくれるし、実現できるよう懸命に後押ししてくれる。
 ほんとにありがたいことである。

 墓を参ると、神社を詣でた時とはまた違う清々(すがすが)しさを味わうことができる。
 でも、僕は実家の墓を参るにも、遠く離れた故郷にあるため思うようにいくことができないでいる。
 「墓参りにいきたいなー」と無性に思うことがあるが、母が入ってからなおさらそう思うことが増えた。

 先日、墓のことで「あ、そうだった。しまったー」と思うことがあった。
 知人と話していて「あなたはもちろん知ってることだけど、墓にすぐに来れないのに『また、来るね』と言うのは厳禁なんだよ、と親戚の子に教えてあげたんですよ」と言われた。
 「時間」というのは人間が自分らに都合がいいものとして作ってあるだけで、神界には時間軸というものは存在しない。「現在」も「過去」も「未来」もひとつのところに収まっているからだ。
 すべてが“今”なのである。
 「神様からまもなく大地震が起こるという神託があった」という霊能者の預言があるが、この“まもなく”の定義はこちらの人間の世界では今年か来年あたりになるのかもしれない。
 しかし、神界で「まもなく」というのは、今年かもしれないし、来年かもしれなし、1秒後かもしれないし、100年後かもしれない、1000年後かもしれないということになる。
 だから、預言は絶対に”時間通り”当たらないのである(厳密には“いつかは必ず起こる”のだが、当たらないようにみえる)。

 昨年9月に母親の7回忌で帰省した時、毎日のように墓に行った。滅多に会えないので、頻繁に足を運んだ。
 出発の朝は早い便での上京だったのでまだ日が昇る前に車で寄ってもらったが、この時、手を合わせて「また来るね」と言ったような気がする・・・、いや、確実に言った。
 そのことを思いだし、「あ、そうだった。しまったー」と思ったのである。
 こちらと時間の観念が異なるので、「また、来るね」と言うと、“すぐに、明日にでも来てくれる”と思われてしまうのである。
 まあ、事情はわかってはくれてるとは思うけど、余計な言霊(言葉)は発しないにこしたことはない。
 生きてる時もいつも待たせてばかりだったのに、あの世に行ってなお、これである。僕の親不孝グセはなかなか卒業できないようである。


 もうひとりのお願い事をしてよい相手は「お地蔵様」だ。
 かつてお地蔵さん(ここからは愛称の「お地蔵さん」と呼びます)はこの世(人間界)にいらっしゃって多くの徳を積まれ、神界に導かれて神の位になることが決まった。

 しかし、お地蔵さんは、
 「私が行くと、人々の願い事を聞いて、神に届ける者が誰もいなくなってしまいます」
 とおっしゃって神界に行くのを断り、この世に残った。

 人々の願い事を聞き、神に運び届ける生き方を選んだお地蔵さんは、気の遠くなるような神界までの道のりを歩いてゆかれるそうだ。
 それが険しい旅である証(あかし)に、たいていのお地蔵さんは”杖(つえ)”をついている。


 最後に、お地蔵さんにお願い事をする際にひとつ大事なことがある。
 人もそうだが出会ったら、まず相手を呼びかけるのが礼儀だ。でも、「お地蔵さん、お地蔵さん」と呼んでもお地蔵さんは自分が呼ばれているのかすぐにはわからない。
 
 お地蔵さんに願い事をする時は、まず、

 「おんかかかび さんまえいそわか」という真言で呼びかけるのだ。通常3回唱える。

 するとお地蔵様は「はい、お呼びですか。どうなさったんですか。なにかお願い事でもあるんですか」って感じで振り向いてくれる。

 「おんかかび さんまえいそわか」とは
 「たぐいまれな尊いお地蔵さま」という意味であり、昔から先人はお地蔵さまを呼ぶ時にはこの真言を唱えてきた。

 以前に、トイレの神様である「うすしま明王様」の話とその真言「おんくろだろう うんじゃくそわか」、そして帯状疱疹(やけどにも効くらしい)を治す真言などについても紹介したが、
 昔の人は「神さまによって、それぞれの真言があり、お願いごとをする際には、この真言をまずは 唱えることが大切なんだよ」とお年寄りから教えられてきたのだが、僕らの親の世代あたりで潰え、今ではそんな風習などまったくといっていいほど残っていない。

 残念なことだが、そういう出会いと気づきがあった人が、これからは自分で学び、伝えるべき時に伝えていくしかないと僕は思っている。

 「必要なことは願い事はすべて叶う」という原則はあるけど、どうしてもこれは、というお願い事がある時は、「ご先祖様」と「お地蔵様」に明るい顔で会いに行ってください。

2008年1月20日日曜日

カタマタさんは夜、空を飛ぶ

 友人のカタマタさんと金曜日に仕事の打ち合わせを終えて夕食を一緒にした。
 カタマタさんは今年で70歳になる。だから、僕が「友人」なんていうのはおこがましいのだが、本人がそう言ってくれるので、僕も「友人」と呼ばせていただくことにしている。

 よくいる70歳のおじいさんがどうなのか僕にはあまり見当がつかないが、カタマタさんは自分の自慢話や過去を振り返って「あの頃は良かったんだ」的な話をしたり聞いたりすることはあまり好きではないようだ。
 先月も退職者が集って第二の人生で社会貢献しようと謳うNPO組織の会議に人脈づくりのためだからと思い出席したが、上場企業のOBなどが多いから自分の現役時代の成功談義や自慢話など過去の話を延々とする人ばかりだったらしくすぐにイヤになって途中で会場を抜け出してきたらしい。

 実際、そんなに歳はとっていないのに、自分のことばかり話したがる人が増えているんだから、歳を取ってそうじゃない人なんて、そうそうたくさんいるわけないと思う。
 会場を抜け出してきたカタマタさんが、参加者の中で一番高齢だったという話を後から聞いて僕は大笑いしてしまった。
 まあ、そんな性格だから、カタマタさんは、いつも“今”に懸命に生きている。
 「若者だから今を生きている」んだと思っていたが、「今を生きているから若者なのだ」ということがカタマタさんに会って僕は知った。

 その行動力にもよく驚かされる。
 昨年は、ある大手製紙会社の社長を取り上げた新聞記事を読んで感動したため、すぐに激励の手紙を社長宛に書いて送ったところ、3日ほどするとその社長の秘書から電話が自宅に入り、社長専用車で迎えが寄越されて、社長自らが横に座って同社の森林を見学しながら会社の取り組みを説明してくれたこともあった。

 カタマタさんは普段、何をしているのかといえば、地元の小学校で森や海の大切さを小学生3~5年生に教える特別授業の先生としてボランティア活動をしている。
 本人が子供の魂を持っているからなのだと思うが、昨年の夏休みに木工教室に招待されて、その小学校を訪れたが、子供達から大変な人気があることがすぐにわかった。

 まあ、そんなカタマタさんだが、酒は一切口にしない。
 昔は大酒飲みだったそうなのだが、ある日を境に、ピタリとやめたのだという。
 原因はカタマタさんの眠りが人並みはずれて深いためだった。
 忘年会シーズンに酒をたっぷりと飲んだカタマタさんは、車で帰宅(絶対にいけないことですが、20年以上前の話なので勘弁してあげてください)していると社内の暖房と揺れのせいで眠くなってきた。信号に止まり、なかなか進まず、「参ったな」と思っていると・・・、
 車が右に左に信じられないぐらいの大きさで揺れているのだ。「地震だ」と思って周りを見ると、警官を含む5、6人の大人が社外から「起きろ~、起きろ~」「何やってるんだ~」と怒鳴りながら車を揺すっていたのだ。
 あとで警察からその時の状況を聞いたところ、渋谷の繁華街の交差点で信号待ちをしながらそのまま寝入ってしまっていたということがわかった。

 そんなことがあってカタマタさんは酒をピタリとやめたわけだが、小さい頃からよく寝る子供だったそうで、ご飯を腹一杯食べて寝てしまうと、身体を揺すろうが、耳を引っ張ろうが、鼻や頬をつまもうがまったく目を覚まさなかったらしい。
 もちろん家だけではなく、学校でも授業中に寝てしまうと声をかけても揺すっても起きないので、先生もあきらめてしまい、寝かしたままにされていたという。
 まあ、それぐらいだったらいいが、トイレに行きたい状況になっていることに自分で気づかないほど深く寝ているため、いすに座ったまま用を足してしまうことがしょっちゅうだったそうだ。
 これには、さすがに親もどこかに異常があるのではないかと心配して当時の先端医療で脳波などあらゆる検査をしてみたが、まったく問題はなく、結局原因はわからなかった。

 そのカタマタさんの話を聞いて、僕は
 「カタマタさん、人は眠っている間は向こうの世界に戻って魂をリフレッシュさせているので、寝ている間の身体は仮死状態みたいなもんです。
 その抜けている度合いが、一般の人より、カタマタさんが強烈なだけなんですよ」と言うと、

 「いや~、あなたが言うことを聞くと、このことだけに限らず、自分が胸の中で思っていることとほとんど一緒なんですよ。私はそんなことを口にすると人から頭がおかしいと思われるんじゃないかと心配して言わないできたんだけど、話せる人に会えて良かった~」
 と言い、ホホホと笑った。
 
 「僕もなるべく相手を見てこの手の話はするようにしているんですけど」という言葉が口からでかかったが、カタマタさんがうれしそうな表情で笑うのと、その直後に、
 「いやあ~、あたなが言うとおりで、私はね、夜中にちょくちょく身体から抜け出して空を飛んでるんですよ」と言われ、僕は出そうになった言葉を飲み込んでしまった。

 カタマタさんは夜、眠った後に、自分の意識が身体から抜け出して、空から見下ろすような格好で町の上をふわふわと飛びまわっていて、そのことをはっきりと覚えているのだそうだ。
 まあ、そんな冗談をいうような人ではないし、それに、今でもおつき合いしている人が、やはり夜に身体から意識が抜け出して、空を飛んで友人の家に立ち寄り、翌日、自分が見ていたその友人の行動をこと細かに話したら「おまえはあんな夜中にどこに隠れて見てたんだ~」と驚かれたという話も聞いていたので、フムフムと納得しながら話を聞かせてもらった。

 カタマタさんの風貌は、別の仕事の友人によると「キャプテン・サンタ」にそっくりとなるが、僕は白雪姫の7人のこびとにまさにうり二つだと思う。
 まあ、そんなカタマタさんが横浜の上空を両手を広げて楽しそうにクルクルと今夜も飛びまわっているのかな、と夜空を眺めながら思い浮かべると僕はいつもおかしくて仕方がなくなってしまう。

前世の記憶を忘れない方法

 これは、先にこのブログで紹介した森田健氏の「運命におまかせ」の中にある話である。

 中国に「生まれ変わりの村」とされる村があり、ここの村人の多くが前世をはっきりと記憶しているのだそうだ。
 だから前世で覚えたことをそのまま使えるので大工だった人が大工をしたり、前世は女性で今は男性に生まれたけど編み物が上手だったりする。
 そのなかでもユニークなのが、死んで早めに生まれ変わってきたために、自分の孫と同じ学校に通っているという昔、おじいちゃんだった人の話で、一緒に孫と学校に肩を並べて通っている姿を勝手に想像してひとり笑ってしまった。

 この「生まれ変わりの村」の調査取材を進めながら、森田氏は前世を覚えている人の証言にある一致点があることに気づく。

 それは、前世の記憶を覚えているのは、

 「あの世でスープを飲んでいないから」だということだった。

 あの世には、大きな釜でグツグツとスープをつくっているおばあさんがいて、生まれ変わる直前にそのおばあさんから「スープ、飲むかい」と声をかけられるそうだ。
 どうやらこのスープを飲むと前世の記憶が煙のように跡形もなく消えてしまうことになるらしい。

 あたりに立ちこめるとってもおいしそうな故郷のように懐かしい香りがたまんなくて、ほとんどの人が「はい、飲みます」と言って飲んでしまうのだが、この「生まれ変わりの村」の人たちはなぜか「いらない」とすぐに断る。
 なぜかというと、村には「あの世で『スープを飲むかい』と誘われたら、断りなさい」という古くからの言い伝えがあり、子供の頃からそのことを言われ続けているからだ。

 記憶を失わないということは、
 「永遠の命を持つ」ことを意味する。
 「永遠の命」が欲しければ、スープを断りさえすればいいのである。

 とはいえ、僕自身、スープを断った方がいいのかどうなのか、まだ、決めかねている。

2008年1月18日金曜日

「ガンバッテ」を使わないのも結構、難しい

 仕事柄もあって普段から“言葉”には興味を持ち、なるべく気を配るよう心がけてはいるが、昨年、友人ふたりを交えて飲んでいる時、そのうちのひとりが「オレ、“ガンバッテ”って言われるのは嫌いなんだよね」と言った。

 僕も「ガンバル(頑張る)」は“我を張る”から来ているということを知ってから、なるべく使わないようにしているので、彼が言いたいことがどういうことなのかすぐにわかった。

 その彼は“ガンバッテ”の代わりに、「ファイト!」と言うようにしているそうだ。

 僕もこのブログでも1、2回慣用句として「頑張って」と使ったことがあるが、代わりの言葉でしっくりとくるものを探すと結構、難しい。
 また、「ガンバッテ」と言う時の人の思いは、相手への温かいエールである場合がほとんどだと僕は思っているので、人に対して安易に「ガンバッテという言葉は良くないよ」とは言わないようにしている。

 ということで、僕は、今のところ「ガンバッテ」の代わりに、
 子供たちが出かける時には
 「楽しんできてね」
 と声をかけて、握手するようにしている。

 さらにぴったりのいい言葉があったら、いつかどこかで出会いたいと願っている。

2008年1月17日木曜日

森田健「運命におまかせ」の「外応」がおもしろい




 「運命のおまかせ」は読んでみて試してみたくなることをいくつか発見できるおもしろい本だ。
 森田氏はこの著書の中で人生はどのようなことが起こるのかあらかじめ決まっているのだから、いったん人生を自分の(決まっている)運命にすべてをゆだねなさいと説く。
 前半の3分の1ぐらいは、このゆだねることの意義についてこんこんと記されていて、「なんだ~、宗教書によくある何者かへ理屈抜きにゆだねることを説く、いわゆる“ゆだね本”だったのかな」と少しガッカリして途中でページをめくる手が鈍ったが、中盤以降は展開が大きく変わっていく。
 ゆだねたうえで、すべてを決めている(つもり)の運命の目先を上手に変えることで願いを叶えられる方法をいくつか紹介しており、この部分がとても興味深い。

 なかでも「外応」という初めて耳にする考え方は非常におもしろいと思った。
 簡単に説明すると、「外応」とは、自分が「問い」を発すると、周囲がその答えを教えてくれる現象のことをいう。
 著書の中では森田氏が「この新しい商品が売れるかな」という問いを持ち、周囲の様子に注意を向けると、パートの女性が大きな声で笑った。
 森田氏はそれを聞いてうまくいくなと思い、その通り、この商品はヒットする。

 「あなたも何か問いかけてみてください。そして周りの反応に注意を向けてみてください。笑い声が聞こえたり、良いイメージの反応があれば、問いかけた事項はうまくいきます。逆に物が割れたり怒った声が聞こえたりすればうまくいきません」
 と綴られている。

 「ワンブレス・テクニック」というやり方もあり、これはまず問いを持つ。次に1回深呼吸をする。その間に心に浮かんだもの、あるいは直後に見たものなどが、問いへの答えであり、「外応」と原理は同じなのだそうだ。
 「外側が内側を決めます。なぜなら、外側とのつながりが私という個を作るからです。ですので外見が変わればあなたの内面も変わります。逆はありません。内側が現れたのが外面だということを言いますが、あれは嘘です」
 「ウキウキするからお洒落な服を着るのではなく、お洒落な服を着るからウキウキするのです」

 「魔法の言葉」のことを知っているから、森田氏の言っていることにはフムフムと納得できる。

 この本を先週の水曜日に入手し、木曜日には読み終え金曜日にある友人と食事しながら話したところ、その友人は趣味の競馬で日曜日にその「外応」のやり方で競馬の馬券を買ってみると意気込む。
 アドバイスを求められたので、「笑っていたり、楽しそうにしてる人にサインがあるんじゃないかな、きっと」と答えたら、レースの直前にいい笑顔でニコニコしてしゃべている人が近くにいたので、その洋服の色の組み合わせで馬券を買ったところ、100円が9万6000円になる大万馬券が当たったと喜びの電話がかかってきた。
 それにはさすがに僕もびっくり!!
 結果が早すぎる、すごい!何より、良かったね~

 まあ、使い方はよく考えた方がいいと思うのだが、問いに対する答えはすべて自分の身近な未来に必ず示されているという考えはとってもおもしろいと思った。
 問いを持ち、あとは注意深く、心穏やかに答えを待つだけなのだ。

 もう少し検証して、信じられる結果が導かれるようであれば、再度このブログでお伝えしたいと思う。
 なお、この著書には、たとえば「子供が親を選んで生まれてこない」など僕が知り理解していたことと異なる意見がいくつか書かれていたことを参考として最後につけ加えておきたい。

2008年1月14日月曜日

スマナサーラ長老の「怒らないこと」




 アルボムッレ・スマナサーラさんは、日本にもたびたび訪れ講演会活動やNHKなどにも出演されたりしているのでご存知の方もいらっしゃると思うが、お釈迦様の根本の教えを実践し人々に説き続けているスリランカ仏教界の長老である。

 スマナサーラさんには数々の著書があるが、その中で僕が好きなのがこの「怒らないこと」である。
 都内の書店で見かけ、そのタイトルにスルスルと引き寄せられるように手に取った。
 というのも、それより半年ほど前にお釈迦様に関わるある話を聞いていたからだ。
 その話は、
 「人生において、やってはいけないことを唯一あげるとすればそれは何ですか」と訊ねられたお釈迦様はこう答える。
 「怒らないことである」と。

 著書「怒らないこと」では、「怒り」は、お釈迦様の言葉を忠実に伝える古代インド語であるパーリ語で

 dosa(ドーサ)と言われ、
 「穢(けが)れる」
 「濁る」
 という意味であると紹介している。

 また、お釈迦様の
 「蛇の毒が(身体のすみずみまでに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とか(あ)の世ともを捨て去る」
 という言葉をあげて、「怒りが人にとってひどい猛毒」であることをさまざまな場面で教えていて、
 スマナサーラさんは、心臓、肺、腎臓など内臓が一番先に怒りの影響を受け、怒りに身を任せる人は他人よりも老けやすく、自分自身が知らないうちに病気になっていくとはっきりと述べている。

 その他にも、このブログでも何度もご紹介している「ありがとう」の言葉とも「怒る」は深く関わっている。
 日頃から「ありがとう」「感謝します」と幸せ言葉をずっと口にしてきているのに、何かの拍子に、怒りの感情にかまけて不平不満や悪口や愚痴を口にしてしまうと、それまで積み上げてきた「ありがとう」「感謝します」の幸福の積み木がガラガラと音を立てて崩れ去ってしまうのだそうだ。
 でも、神様はやさしいから、ちゃんと解決策も用意していてくれていて「今の言葉は間違えました」「今の言葉、キャンセルします」とすぐに間違いであったことを口にすればパスされるらしい。
 きっと、不幸な言葉を口にしたということに“気づく”ということが大切なんだと思う。


 「怒らないこと」をパラパラとめくって再度読んでいた日曜の夕方、「ちびまる子ちゃん」を放映していて、なにげなく観ていたら、終わり間際に「『笑う門には福来たる』という言葉があるが、これは福が来きたから笑うということではない。笑うところに福がくるということである」というナレーションが流れ、まる子の落とした切手シートが風に運ばれて、いつも笑顔を絶やさない同級生の山田に拾われるというシーンが流れていた。

 昔の人は摂理というものをよくわかっていたんだな~と感心しつつ、
 「怒る」より、やっぱり「ニコニコ」なのだ、とひとり妙に納得してしまった。

「音有る大人(親)」を子供は尊敬しない

 

 苦手な人、苦手なことが誰にでもあると思うが、僕は「音に無神経な人、こと」が苦手だ。
 たとえば、扉やドアを閉める時に乱暴に閉めたり、モノを置く時に必要以上に音を立てたり、近くで貧乏揺すりをしたりガムをクチャクチャ噛んだり、駅の階段を下りるときハイヒールのかかとをカスタネットのようにカタン、カタン打ち鳴らしたり・・・といった必要以上に、意味もなく音を立てられること(当人にはあるのかもしれないけど)が苦手なのである。

 そんな場面に遭遇すると、「おい、いい加減にしろよ」とムッとして、ひと言声をかけたくなるし、昔は直接注意したり、顔を近くから覗いて気づいてもらうよう示威行動をしたりして時にはトラブルになったりもしたが、
 最近は、このブログにおつきあいしていただいている方はもうご存知の通り、
 「また、また~、そうやって僕を怒らせようとしてぇ~、そんな手にはのらないよ!」と心の中でつぶやき、
 小さい声ですばやく
 「ありがとう」
 と言うようにしている。

 そのあとは、こうして自分が嫌なことに出会うということは何かあるな、何を僕に伝えにきたのかな、と考える。
 そして、よく考えてみるとたいがいのことは、その理由は察しがつく。

 そんなことを考えていたら、先日、大人という言葉は「音無」、「音が無い」からきているということを知った。
 子供は確かによく音を立てる。だから大人(音無)ではなく、“子供”だったのだ。
 だから、子供は、ドタバタと音を立てることもそうだが、思い通りにならないからといって声を荒げたり、感情をむき出しにして注意する大人(親)を、自然に「大人」とは認めないそうだ。
 自分の感情をコントロールできない感情的な大人をみると「なーんだ、僕らと一緒じゃないか」と子供は見抜いて軽蔑する。それが親なら子供は親思いだから、同情する。
 逆にさまざまなことに感情を制御できている大人をみると、素直にすごく尊敬する。

 それ以上に、大人は「怒らない」ことが大切である。怒鳴らない、腹を立てない、声を荒げない、いらいらしない、それらすべてをまとめて、大人は、特に親はやってはいけない。
 大人と子供、親と子供、上司と部下(夫と妻はどうかわかりませんが)といった関係で、優位に立つ立場の人が怒ると、その方法を身をもって相手に教えてしまうことになる。
 それはたとえ正統な理由があったとしてもである。
 なぜなら、優位に立つ人の教えはどこかでその指導を受ける人に引き継がれていく。
 優位な立場の人が物事を解決する時に「怒る」という手法を取ると、その教えられた子供、部下も問題に直面した時は必ず同じ手法をとることになる。
 怒られて育った部下は、部下ができるとやはり怒りながら指導するし、怒って育てられた子供は、自分の子供にも友達にも嫁さんにも怒って教える手法を必ずとる。それは、「暴力」であればもっと端的に暴力でしつけるという形になる。
 子供は親のことを好きだからなおさら「マネる」。
 これは“連鎖”と呼ばれ、誰かが気づき、断ち切らない限り、永遠と続いていく。
 大人は不平不満や愚痴や悪口や泣き言を言わず、楽しそうに、うれしそうに、幸せそうに行動を見せてあげれば、子供は「どうしてあんなに楽しそうなんだろう」「なんでいつもあんなに生き生きニコニコしてるんだろう」と興味を持つようになる。

 大人は怒ってはいけないのである。

2008年1月13日日曜日

幸運になる駐車の仕方

 「幸運になる駐車の仕方」を今日知った。

 買い物にショッピングセンターやデパートに行くと、駐車場に車をどのように止めているのだろうか?
 一般的には、車を止めるスペースを決めるとそのスペースの前でハンドルを切ってバックから入れて車を止めていると思う(そうじゃない方はごめんさい)。

 「幸運の駐車の仕方」は、そのまま素直に車の鼻から”前向き“に駐車スペースに入れて止めればいいだけである。
 理由は簡単。自分や家族のみんながおいしく口にするモノ、もしくは便利に助けられて使うモノを買う“お世話になる場所”に向けて車の排気ガスを吹きかけながら平気で車を止めるのは大変失礼なことだからである。
 前向きに車を入れておくと、入る時も出る時も直接、建物に排気ガスを吹きかけることにならない。
 お世話になる人、モノへのちょっとした気配り、気遣(づか)いである。そんなささいなことに思いやりを見せる人は「神に好かれる」。なぜなら神は小さきことに宿るからである。

 と言いつつ、実は僕は車の運転をまったくしない生活を送っている。
 でも、今日このことを知って「これは良いことを聞いた」ととっても感心した。ぜひ、身近な車を運転している人には知ってもらいたいと思い、一筆啓上することにした次第です。

2008年1月11日金曜日

治す意欲、生きる気力

 長年一緒に仕事をしてきた同僚が職場に来なくなってから半年以上になる。
 現在休職している彼はこの半年間、休日以外は毎朝、職場に「もうすぐ行けますから」と電話をかけてくる。
 電話から聞こえてくる声は病気を患っているようには思えないほど元気なものだが、痛風で歩けず、今は正座をした格好で両手で支えて身体を運ぶようにして移動しているという。
 ただ、痛風で半年間も歩けないということはあまりないらしいので、歩けない原因、職場に来ることができない原因はきっと他にあるのだろう。

 村上龍の小説「希望の国のエクソダス」の中に、脳に血液の量が半分しかいかなくなり寝たきりになった中学生がいて、調べてみると学校に行きたくないと強く思っているうちに身体がその思い通りになってしまったことが判明したり、前世代より欲のなくなった(薄い)若者たちが原因不明の病気にかかり死んでいくケースが増えているという記述が出てくる。
 この作品は綿密な取材をベースに書かれたもので、原因不明の病気と若者の意欲、気力の後退が関連付けられるのかどうかはまだ明らかになっていないと思うが、読んでいて「人の強い思いが持っている“実現力”はなんてすごいんだろう」と強烈な印象を持ったことをふと思い出した。

 同僚は周囲の知人の中でも特に心根がやさしい男だが、どこかに厭世的で無気力なところがあり、6、7年前の離婚以降、特にそうした傾向が強くなっていたので心配になることはあった。

 今年に入って学校に行くのが嫌だといってベッドに自分の手を強力接着剤で貼り付けた10歳の子供のニュースが流れていたが、この子にはまだ「僕は行きたくないんだ」という意欲、意思の強さを感じる。
 しかし、急増しているといわれる社会と関わりあいたくない、人と関わりあいたくないという若者、大人の願望の流れについては、かなり危険だと思う。
 自然界には他との関わりをもたずに自分だけで生きていける生物など一匹、一本とていない。
 人もその自然の一部として存在しているのだから、目の前のこととの関わりを極端に避けていくだけだったら、待ち構えているのは自らを自らが否定する「静かなる死」であろう。

 正月明けの仕事始め以降、その同僚から職場にパタリと電話がかかってこなくなった。
 僕も携帯電話に連絡を入れたが出ない。いつもなら、出なくてもしばらくしてから必ず連絡がくるので「どうしたんだろう」と心配していたら、昨日になって同僚のお母さんから入院したという連絡が職場にあった。
 昨日はどうしてもスケジュールを空けられなかったが、今日は夕方に病院を訪れようと思っている。
 
 今の職場、職業に戻る必要などないのだ。まだまだ若いのだからまずは社会や人々との関わりを持てるだけの状態に自分を回復させることが先決だ。
 欲深いのはみっともないけど、ささやかでも希望の灯に気づくぐらいの最低限の欲を残しておかないと人は生存していけない。
 同僚が治す意欲、生きる気力を少しでも取り戻すための力に少しでもなれないものかと思いを巡らせている。

2008年1月10日木曜日

お釈迦様は「私も幸せになりたいんだ」と言った

 2007年の世相を象徴する一文字は「偽」だった。
 「偽」という文字は紀元前1500年頃に中国で成立したといわれている。
 人の為と書いて「偽り」という文字ができたわけだが、その後、約1000年を経た紀元前500年頃に「人の為に施すのは偽り」であるということを明らかにする男がインドに生を受ける。
 お釈迦様である。

 お釈迦様は「自分の功徳のために他人に施しをするのだ」とはっきりおっしゃった。すべては「自分のためである」と言い切ったのだ。

 お釈迦様の教えに帰依(きえ)する人は旅の過程でどんどんと増えていき、最終的には1250人の大集団になったといわれる。
 その集団は、できる限り自分のことは自分でする生活を送っており、どうしても自分ではできない場合には他人に手を借りる生活スタイルをとっていた。

 このどうしても人の手伝いをもらう時のお願いの仕方が、今とはまったく異なっていた。
 自分だけどうしてもできない場合、周りに向かって

 「誰か幸せになりたい人はいませんか~」

 と声をかけていたのだ。
 「私に施しをして功徳を積んで幸せになりたい人はいますか」というお願いの仕方だったのである。

 だから、お願いして手伝ってもらった人が「ありがとうございます」と言うと、
 手伝いをしてあげた人が「いえ、いえ、幸せにしてくださって、こちらこそありがとうございます」と言っていたそうだ。

 さらにユニークなエピソードがあり、
 年輩の女性の弟子が針仕事をしようとするのだが、目が悪いために針に糸をうまく通すことができない。
 どうしてもできないので、その女性は
 「誰か幸せになりたい人はいますか~」と声をかけると、ちょうど前を通りかかった人が
 「私がやらせていただきます」
 と近づいてきた。
 目の悪い女性は針と糸を受け取ろうと近づいてきた人の顔をよく見てみるとなんとその人はお釈迦様だった。
 驚き恐縮して「お釈迦様にこんなつまらないことをお願いするなんて、とんでもありません。失礼いたしました」
 といって針と糸を取り戻そうとすると、
 お釈迦様はこう言った。
 「なんで私がやってはいけないんですか。私だって幸せになりたいんです」と。

 nozomiさんと空気きれいさんから前の書き込みにコメントをいただき、「ありがとう」について昨日考えていたら、昔聞いて「いいな~」と思ったありがとうの使い方のエピソードを思い出したのでご紹介してみました。

2008年1月8日火曜日

願い事を叶える魔法の言葉

 世の中には願い事を叶える「魔法の言葉」というものがある。
 と言うと「ははは、また~」と笑われてしまいそうだが、これは事実である。

 前回の「神社でお願い事をしてはいけない」へのコメントでnozomiさんも書いてくれていたが、その方法は
 願い事を「こうなりました」と過去形で言い切って、そのあとに「感謝します」とつければいいのだ。
  
 たとえば、月末までに臨時収入が欲しい時は「1月末までに臨時収入が入りました。感謝しま~す」、素敵な人との出会いを望んでいるのであれば「今年中に素敵な人との出会いがありました。感謝しま~す」と言葉にすればいいだけである。
 すっごく簡単だし、お金もまったくかからない。

 この魔法の言葉は、五日市剛さんという人から僕は教わった。
 五日市さんは学生時代に旅で訪れたイスラエルであるおばあさんと出会う。
 そして、泊まるところがなくて一泊お世話になった夜にこの「ツキを呼ぶ魔法の言葉」として「ありがとう」「感謝します」のことを教えてもらうことになる。

 ユニークなのは、嫌なことがあったら「ありがとう」、うれしいこと、楽しいことがあったら「感謝します」と言いなさいとおばあさんから言われたという点である。
 この嫌なことがあったら「ありがとう」を言うというところがけっこう大切なポイントなんじゃないかと僕は思う。
 言葉には、言葉として発するとしばらくすると、もう一度その言葉を口にしたくなるようなことが起こる法則がある。
 良いことに出会うと誰でも「ありがとう」「感謝します」と言えるけど、嫌なことが起こって「ありがとう」とはまあ絶対に近いぐらい言えない。言えないどころか不満な思いや不満な言葉をすばやく発してしまうので、またその言葉を発するような嫌なことが起こるのだ。
 だから、嫌なことがあった時、すばやく「ありがとう」と言うと、嫌なことはそこまでで断ち切られ、次には「ありがとう」と言いたくなることが必ず起こる。

 五日市さんの講演会のあとの懇親会で豪華賞品のくじ引きがあり、その直前に、ある女の子がつかつかと五日市さんのところに寄ってきて「五日市さん、握手してください」と言うので、握手したら「1等のプラズマテレビが当たりました。感謝しま~す」とみんなの前で大声で言って、目隠しした人が行う厳正なくじ引きの結果、最後まで残ったのが「感謝しま~す」のその女の子で、本当にプラズマテレビが当たったという話には、「これはおもしろい!」と感心してしまった。

 おもしろい話はすぐに試してみたくなるし、人に教えたくなる性分(たち)なので、自分で始めるとともに、鹿児島にいる妹に電話ですぐに伝えた。
 すると、1ヶ月もしないうちに妹そしてその周囲の人々の間で、びっくりするほどの効果が表れ始め、重要な仕事はまとまり、臨時収入が入り、再婚が叶い、旅行は当たり、懸賞で宝石は当たり・・・とんどん願い事が叶っていったのだ。
 その夏に、妹の職場で一緒に働いている女性から「自分は幼い頃から家庭に恵まれず苦労の多い人生だったが、若い頃に占いの人から歳をとってから幸せになることと出会えるので楽しみに生きていきなさいと言われたことを覚えているが、それがこのことだったのだと思いました」というお礼のお手紙をいただいた時は大変に恐縮したが、心底うれしかった。

 五日市さんのイスラエルでのおばあさんとの出会いやその後の不思議な出来事は、小冊子としてまとめられ書店売りは一切していないのに、なんと30万部以上売れているという。
 出会ってすぐに30冊ほど購入したが、周りで効果が次々と表れるのでうれしくなってどんどん配ってしまい、今は僕の手元には一冊もないので画像は紹介できないが、ネットで購入できるので、読んでみたい方は調べてみてください。

 「ありがとう」「感謝します」を教えてくれたイスラエルのおばあさんは
 「人は言葉通りの人生を歩むのよ」ともおっしゃったという。

 改めて、言葉を大切にしていこうと新年に思う。

2008年1月6日日曜日

神社でお願いごとをしてはいけない

 僕は神社に行くのが好きだ。
 天気の良い休日に近所の神社に出かけたり、仕事場がある東京の下町には神社が多いので出がけに立ち寄ったりする。だいたい週に一度は神社を訪れていると思う。

 神社に行くからといって特別にうやうやしく参拝しているわけではない。
 神社の境内のベンチに座って20~30分ほど参拝する人や首を振りながら歩き回る鳩や青空を眺めたりしながら、ただボ~っとしているだけである。
 でも、それだけで神社を守るように立ち並ぶ鎮守の森や土地から立ち上るパワーをたっぷりともらって、清々(すがすが)しい気持ちになれる。
 これにはちゃんとした理由がある。昔は人が集い新しい町がつくられる際には、真っ先にその町の中で最も気が良い場所を探しだし、その土地に神社が建てられていたからだ。
 だから古くからある神社は気がいいところが多い。

 気の良い場所は「イヤシロチ」といわれる。イヤシロチは気を敏感に感じられる人ならすぐにわかるが、そういった力がなくてもわかる方法がある。身体をいやすために動物がよく集まってきたり、植物の生長を促すために農作物の実りが良かったり、食べ物が腐れづらかったり、そこに住んでいる人がそろって健康であったり・・・などの特徴があるからだ。
 これとは逆なのが「ケガレチ」といわれる土地で、特徴も当然、その逆が表れるおっかない場所である。

 だから、昔の人はケガレチに家を建てたりするような愚挙は絶対に犯さなかった。今はそんなことを教え伝えてくれる人もいないのでお構いなしになってしまっている。
 さらに、昔の人は普通の土地を「イヤシロチ」に変える方法も知っていた。細かなやり方があるが、一部の知っている人は、家を建てる前にはまず地面を掘って大量の木炭を埋めて“イヤシロチ化”を行ったりしている。

 神社は本来、この「イヤシロチ」が持つ豊かで良好な気をいただくために訪れるところだった。
 それが今ではお願いする場所になってしまっている。
 でも、実は神社でしてはいけないことは「お願いすること」なのである。
 たいがい、初詣をはじめ、お参りは自分が暮らしている町の神社を訪れるわけだが、神社に祀られている神様はそこに暮らす人を日々刻々たえず見守ってくれている。
 ケガをしないように、病気をしないように、ちゃんと生きていけるように・・・とまるで親のように片時も忘れずに、自分が見守る町で暮らす人々のことを気にかけてくれている。
 なのに、そんな神社の神様に「(もっと)こんなお願い事をかなえてください」「こんなものが手に入りますように」と次々と求めたりしたら、さすがの神様でもあきれるか、怒ったとしても仕方ないと思う。
 神様は与えるべき物事はすでにすべて与えているのである。

 だから、神社には「こうして無事に生かされています、ありがとうございます」「願い事のために頑張れるよう健康でいられています。いつも見守ってくれてありがとうございます」 
 といったような“感謝を言いに、伝えに訪れる場所”なのである。

 感謝にはおもしろい法則があり、感謝を言葉にすると、もう一度感謝をしたくなるようないいことが必ず起こるようになっている。
 これが「言霊(ことだま)は発した人に宿る」ということである。
 感謝するともう一回感謝するようないいことが起こる。だからまた感謝する、といったふうに感謝している人にはずっといいことが起こるようになっている。

 「・・・してください」「・・・を叶えてください」というのはある意味では不平不満であり、不平不満を言葉にしているともう一回不平不満をいうようなことが起こる。そこでまた愚痴や悪口、不平不満を口にするとまた次の不平不満をいわせるようなことが続いて起こり”ずっと不幸な人”になる。良く観察すると、その負の循環に入った人はけっこういるものである。

 というわけで、欲張りな僕は仕事で知らない町にいくと、そのたびに町の氏神様である神社の場所を地元の人に聞いて、まず最初に立ち寄って「こんな事情で町に訪れましたのでよろしくね」と断りをいれたうえで、いい気をたくさんもらい元気になって、”氏神様公認”のような顔をして現場に向かっている。

2008年1月4日金曜日

今年の一冊目は向田邦子「眠る盃」



 昨年12月始めにこのブログの中で「日本人の短編小説の旗手をあげるとすれば宮本輝、村上春樹、そして向田邦子」と書いたところ、友人から学生時代から宮本輝と向田邦子が好きで、向田邦子の「眠る盃」は手元にある本がボロボロになるまで何度も何度も読み返してきたというメールをもらった。

 ということで、僕は新年の一冊目は向田邦子の「眠る盃」を読むことに決めて、メールをもらった夜に本棚から探し出して机の上に置いておいた。


 「眠る盃」は基本的に短編小説の多い向田作品の中でも極めて短い短編のみで構成されている。
 しかし、その作品はいずれも、胞子の状態から丹精込めて育て上げ、使う人のしあわせを願いながらそのひとつひとつを美しいケースの中に収めていく真珠づくりの職人のごとく、日常生活の中にある人生の喜び、哀しみ、すばらしさ、切なさの一片をさりげなく、しかし的確に秀麗な文体で描かれ、読む者は作品を読み終える頃になると自分なりの”真珠”がそこにあることに気づかされる。

 「眠る盃」収録の5つ目に「字のない葉書」という作品がある。
 この作品は文庫本でわずか3ページ強しかない、ゆっくり読んだって5分とかからない“超短編”だ。
 僕は読み終える最後の数行を前に不覚にも泣いてしまった。

 白状すると、泣いたのはこれが初めてではない。
 12月の友人からのメールに「『字のない葉書』を読むと何度読んでも泣く」と書かれていて、「字のない葉書」ってどんな作品だったかな、と思い夜中に本棚から「眠る盃」を探し出しペラペラとページをめくりながら、僕は部屋の片隅に立ったままの状態でポロポロと涙を流していた。
 「字のない葉書」はそんな作品である。

 読まれる方に失礼なので、内容は詳しく書かないが、向田さんの父親と末の妹の物語で父親の子に対する思いを描いた作品である。
 ぜひご一読をお薦めするけど、ただし、本屋での立ち読み、電車や喫茶店で読むのはやめておいた方がいいと思います。

 また、この中には「鹿児島感傷旅行」という作品も収められている。
 向田さんは小学校5、6年生の2年間を親の仕事の都合で鹿児島で過ごした。数十年ぶりに訪れ、当時自宅のあった場所や学校を訪れ、先生や同級生と集まって語らう場面などが描かれている。

 昨年は僕も数十年ぶりの同窓生との顔合わせがあり、また、年明けは帰省とあわせてそうした懐かしき顔ぶれとの会合が開かれているはずだ。

 作品の終盤に以下の一節がある。

 ―――女の子に生まれた面白さを分かちあったのも、この時代の、その夜集った友達なのである。
 今、幸せなのかどうか。それは知らない。間に戦争をはさんだそれぞれの歳月は、一晩の語らいで語り尽くせるものではないし、ひとつ莢(さや)の豆が散らばるように、それぞれの場所で、花を咲かせ実を結べばいいということなのであろう。
 あれも無くなっている、これも無かった―――無いものねだりのわが鹿児島感傷旅行の中で、結局変わらないものは、人。そして生きて火を吐く桜島であった。

 僕も故郷の風景、そして人々とのことを懐かしく思い出しながら読ませてもらった。

新たな年は太陽の光のように燦々としあわせ降り注ぐ

 新しい年が明けた。
 “夜になり朝が来る”いつもと同じサイクル通りの朝のはずなのに「元旦の朝」は小さい頃から毎年特別で新鮮な気持ちにさせられるから不思議だ。

 今年最初に訪れた朝は、暖かで豊かな太陽の光がたっぷりと降りそそぐとびっきり素敵な朝だった。


 作家でカウンセラーの田村珠芳さんは今年は「水晶の年」になると予測した。良きこと、悪きことが表へ表へと表れるようになるという意味なのだろう。
 今年を境に、思いが続々と形づけられる傾向が強まっていくのだろうな、と僕も思う。
 でも、そうなるならしめたもので、日頃から良き言葉を使い、ネガティブな思考を近づけないでおけばいいだ。

 関わるすべての人たちに元旦の朝の豊かな太陽の光のように燦々(さんさん)とたくさんのしあわせが降り注ぐよう心から祈る。

 みんなにとって、よき一年が始まったのである。