2009年8月9日日曜日

真言(マントラ)の不思議


この1カ月ほど、毎週末に埼玉・秩父に観音様を訪ねています。

観音様にお逢いし、頭を垂れ、まず最初に唱えるのが「真言(マントラ)」です。


真言密教を日本に中国から持ってきたのが空海さんです。

密教は悟りを開いた人への教えとして伝わってきました(悟りを開く前の人には顕教(けんきょう)という教えがあります)。

この密教が伝える真言には大変に不思議な力があります。

空海さんに関わる真言として有名なのが、
「虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)様」の真言です。

「のうぼう あぎゃしゃ ぎゃらばや おんまりきゃ まりぼり そわか」

これを100万回唱えると抜群の記憶力がもたらされ、仏典をすべて理解できるようになると言われています。

空海さんはこれを四国の室戸岬で唱え続け、100万回唱え終えた時、悟りを開きます。

悟った瞬間、最初に目に飛び込んできた洞窟の先に広がる「空」と「海」を見つめて、今日から「空海」として生きていこうと決心します。
私はこの話を聞いて、故郷の青い空と海が思い出され、懐かしさが込み上げてきて、むしょうに帰りたくなったことを覚えています。

ただ、この虚空蔵菩薩様の真言を100万回唱えると誰でも悟りを開けるわけではないようです。実際、空海さんが悟りを開くまで、この真言によって誰一人として悟りを開けた人はいませんでした。

真言は、唱える人の「執着」の度合いによって、叶える力が異なるといわれています。

空海さんは、きっと人並み外れて執着の少ない人だったのでしょうね。


私は、観音様巡りで、般若心経を唱えます。
般若心経の要諦は、最後の真言にあるとおっしゃる方がいらっしゃいます。

「羯諦(ぎゃてい) 羯諦(ぎゃてい) 波羅羯諦(はらぎゃてい) 波羅僧羯諦(はらそうぎゃてい) 菩提薩婆訶(ぼじそわか)」

この真言を唱えるだけで、願い、想いが叶うというわけです。

お経の中には読んでみようとして、まったく読み方がわからない言葉がたくさんありますが、この真言もまさにそうです。

実は、真言には、翻訳したり、講釈したりしてはならないというしきたりが古くからあるのです。

このため、中国の聖人たちは、インドの梵語(ぼんご)の“音”を苦労しながら漢字に当てはめて書き写していきました。

般若心経をインドから中国に持ってきた玄奘三蔵(げんじょうさんぞう=三蔵法師)様の弟子の慈恩大師も、「インドの正音は、秘密の句であり、翻訳すると霊験はなくなる。だから梵語のままにしてあるのだ」とおっしゃっています。

ですから、般若心経の最後の真言も、梵語の“音”をそのまま漢字に当てはめているので、あのように不思議な表記になるのですね。


さて、この真言の不思議な力、願いを叶える素晴らしい力について、日本には数多く面白い話が残されています。
その中からひとつご紹介したいと思います。


真言は、執着の度合いによって叶えられる力が異なってくることとは別に、唱える人がその意味を知っていてもいなくても差し支えないという特徴があります。

知らなくてもひたすらその霊験を鏡のような心になって、一心に信じ切って唱えると素晴らしい効果が発揮されるのです。
そういう意味では「素直」という要素が重要なのかもしれません。


昔、四国にあらゆる病気を治すと評判の老婆がいました。
その治し方が大変不思議で、患者に触れることもなく、老婆が呪文を唱えると、その瞬間に病気がぱたっと治ってしまうのです。

その呪文がまたとてもかわっています。

「大麦小麦二升五合」

と唱えるだけなのです。


そんなある日のこと。お節介な坊さんが現われて、老婆にこう言いました。

「あんたが唱えているのは、金剛経のなかの『応無所在、而生其心(おうむしょじょう、にしょうごしん)』という句があって、それの覚えぞこないだよ」

そうしたところ、老婆のまじないはそれからパタリと効かなくなってしまったそうです。


一心に信じ切っていた想いが、坊さんのひと言によって心の中に羞恥心が生まれ、曇らせて、霊験をなくしてしまったのですね。



悟りを開いて神様のようになっていなくても、真言の叶える力は素晴らしいものがあります。
この世はやはり「人の世」です。悟りに達しなくても、願いがあり、それを叶えるために一所懸命に唱えてきた人がどれだけたくさん過去にいらっしゃったことでしょう。

また、数々の聖人、神人といわれる方々が、真言を唱えることで、“願いが叶う道”を拓いてくださっています。
般若心経もそうですが、唱えると、一瞬にして、この願いが叶う道につながるようになっているのです。

日ごろから執着をなくすよう心がけていくとなおさら願い事が叶うスピードが増していきます。

執着は“私”であり、“私”が入ると“欲”が曇りとなりますから、どうしても真っ直ぐに伝わらなくなります。
日ごろから自分(私)に関わりのある人の幸せだけでなく、今は関わっていない人、いつかは関わるだろう人、今世では関わらないけど、来世以降では関わる人、過去世でお世話になって人(このへんまで含めてくると、「すべての人」になってきます)の幸せを祈る習慣を週一回でも二回でもつくっておくといいかもしれません。

私もすべての人が、そして、ブログで出逢った皆さんが元気で、幸せでありますように、と毎朝晩、祈っています。

良き日々をお過ごしくださいね。