先日、読んだ宮本輝、村上春樹に続いて「はじめての文学」シリーズの村上龍を読む。
村上龍の短編なんてあったんだ~、という感じで読み始めた通り、どの作品も初めて読むものばかり。
まずは、「まえがき」がなかなかいい。
本編は龍ならではの切り口、文体によるいつも通り個性的なものばかりで、「主な読者層だと思われる若い人たち」(まえがき)のうち、どの層の若者がどんな感想を抱くのか、どこかでぜひ聞いてみたいものだと思った。
僕が20歳の時に渋谷で出会った横浜に住む15歳の女の子は「本なんて読むの?」と訊ねたら、「山田詠美が好き。あんな小説が書きたい」と言って笑った。
派手な衣装が流行った時代で、赤いボディコンに身を包み「歳の割りにずいぶんませたことを言う娘だな」と最初は思っていたけど、話してみると素直でいい娘だった。
その後、数年経って、共通の知人に彼女のことを訊ねると黒人とつきあい始めて生活が荒れていると教えてくれた。
あなたのことをたびたび話していたから、言うことを聞くかもしれないからしっかりするように言ってと頼まれ、しばらくしてから連絡を取ったが、その時にはどこで暮らしているのかわからなくなっていて、それっきり会うことはなかった。
20歳の僕にとって、そして15歳の彼女にとって、村上龍、山田詠美はとっても刺激的な作家だった。
この本の中で紹介されている「希望の国のエクソダス」(本来は長編だが、一部のみ掲載)の中で、中学生のイジメについて書かれたシーンはかなり秀逸だ。
その部分は「・・・シカトするほうは、それが人間にとって非常に辛いことだと知って、それをやるんです、イジメの中で一番悪質なのがシカトだと思います」と結ばれている。
さまざま言葉や音楽を水に伝えて、それを凍らせた結晶がどのような違いを見せるのか、著書「水からの伝言」の中で写真でわかりやすく紹介し、ベストセラーになった江本勝さんは、
怒りをぶつけた水の結晶が形を大きく損なっているのに対して、感謝の言葉をかけた水が美しい六角形の結晶を描くという自然の摂理の不思議さをビジュアルで誰もがわかるように教えてくれた。
しかし、怒りをぶつけ形を損なった水の結晶以上にぐちゃぐちゃに損なわれた結晶を描いたものがあり、それが”無視をし続けた<シカトされた>水”であったことを知ったとき、僕は人に対して決してしてはいけないことがあることを学んだ。
人は水の生き物だ。
言葉、音楽によってその姿を大きく変えていく水の結晶が伝えてくれる物語の意義は深い。
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