2008年3月23日日曜日

人の病気の大半の原因は「薬」にあり


 田舎にいる父親が糖尿病の検査および食事療法のための入院を終えて退院したのはいいが、一人暮らしの男の性からか、あっという間に元の食生活に戻ってしまい、検査したら医者が驚くほど血糖の数値が急上昇していたと田舎にいるおばさんから電話があった。

 焼酎をたっぷりと飲み、カロリー計算済みの弁当を食べながら、メシを炊いておかずを買ってきて食べていれば誰でも間違いなくそうなる。

 おばさん達は心配してくれて、
 「焼酎も食べ物も家からすべて引き上げさせるから」と言ってくれていたが、
 70歳を過ぎた男を相手にそれもどうなのかな、とも正直思う。
 人の好意には感謝するし、そばにいてやれない者がとやかく言えないことも重々承知している。

 それを踏まえたうえで、僕は「ひとつだけお願いがあるんだけど」とおばさんに電話で伝えた。
 そのお願いとは
 「墓参りに連れていってほしい」ということだった。
 無理してそうしてもらのではなく、おばさんが行く時にそのついでに寄って父親を連れ出してほしいと頼んだ。
 父は元々が神仏をそれほど信じない性分で、そのせいなのかわからないが、墓参りにも行っている風ではないと前々から感じていた。

 人はひとりでは生きていけない。目に見えるモノ、そして見えないモノを含めての関わりがあってはじめて「生きていける」のだと思う。

 「おかげさま」という言葉があるが、蔭(かげ)となって自分をいつも見守り、応援してくる存在が、「おかげさま」である。
 この本来は誰もについていてくれる「おかげさま」の存在に気づかせてくれるのが、「墓参り」なのである。

 墓には母(父の妻)や祖父祖母(父の両親)がいる。
 生前、母は父のためによく尽くしてきたと思うし、知る人皆がそう言う。そんな母だが、ぜんぜん墓参りにも来てもくれないのだから、父のことをこころよくは思っていなかったとしても当然だし、たとえうっかり忘れていたとしても誰も文句は言えないと僕は思う。向こうの「彼岸」という場所は悩みも苦しみもなくとっても良いところらしいのでなおさらのことである。


 そんな亡き母から忘れられていたかもしれない父が、久しぶりに墓参りに行ったらしい。「彼岸に入ってから2日続けて墓参りに行ってたよ」と妹から電話があった。
 近くにいるおばさんや弟の嫁さんが連れだしてくれたんだな、と手を合わせた。

 そのせいで母が父の存在に気づいたのか、「やれやれ」と言いながら手をさしのべてくれたのかわからないが、僕は1冊の本に出会った。

 その本は、ケヴィン・トルドー著「病気にならない人は知っている」という本である。
 アメリカで実に900万部を突破した記録的ベストセラーで数年前に日本でも翻訳本が出版されている。
 この中でケヴィン・トルドー氏は、「人間は本来、無病で健康である」と説明する。
 では、なぜ病気になるかというとその大半が「処方薬、市販薬」に原因があると述べている。この「処方薬、市販薬」が“毒”であり、それを体内に摂取することで人は病気を招いていると断言している。
 彼は、その代替策として世界中から「自然療法」の情報を集め、全米を初め世界中に発信しているのだ。

 この本の中で、「糖尿病」の記述を見ると、
 主原因は、「処方薬、カンジタ菌、人工甘味料、白小麦粉・白砂糖の大量摂取、トランス脂肪酸の大量摂取」

 治療法は「カンダジ菌除去。肝臓・胆のう洗浄。あらゆる非処方薬、処方薬を服用しない。運動する。消化酵素を摂る。天然リンゴ酢を飲む。調合草薬の摂取」
 と書かれている。

 できることからやるしかないので、僕は父に以下の3点を実行するよう電話した。
 1.散歩も兼ねて歩いて墓参りにいくこと
 2.「リンゴ酢」を飲むこと
 3.薬をしばらく飲まないこと

 すでに1は最近クリアしつつあるようだし、2の「リンゴ酢」も自宅にあるので探して飲み始めるそうだ。3の処方箋はすでに妹や弟嫁、おばさんたちから言われないと飲まずにほっぽらかしていたらしいので、妹らに話をすれば済むことだった。

 「リンゴ酢」がなぜ家にあったかというと、母親が生前父親の身体のことを心配していろいろな自然薬や漢方薬を見つけては飲ませていて、その時に「リンゴ酢」も取り寄せて父親に飲ませていらしい。母親が他界してからも数年は「リンゴ酢」を常用していたが、いつの間にか理由はわからないが父親が飲むのをやめていたのだ。
 妹に言わせると「リンゴ酢」を飲んでる頃は調子も良かったそうだから、母親を通じて父は糖尿から身を守る術(すべ)と一時は「出会っていた」ことにある。そしていつのまにか手からその「青い鳥」は逃げていっていたのだ。

 「処方箋の服用をやめる」という点については、それぞれの考え方もあるので無理はいえないが、僕自身はこの本との出会いを「シンクロ現象」としてとらえているので、妹に理由を説明してしばらく服用をやめるようにすることを了解してもらった。

 1ヶ月後には病院で健診もあるので、その結果で今回の判断のある程度の正否は明らかになるだろう。妹に同行してもらうことになっているので結果を楽しみに待ちたい。


 それと、この本との出会いは、これまでに読んだ健康に関する新谷弘実著「病気にならない生き方」などの本から得た情報をクロスチェックするうえでも役立った。

 以下の点はこの本でも紹介され、クロスチェックできた健康のための注意点である。

 ・「牛乳は飲むな」
 ・「電子レンジが万病を引き起こす」
 ・「水道水が動脈壁に傷をつける」
 ・「マーガリンのような硬化油が入ったものは食べない」
 ・「ファーストフードを食べるな」

2 件のコメント:

Zoro さんのコメント...

はじめまして。
1ヶ月ほど前からブログを読ませてもらっています。
随分前に自律神経の調子を悪くしてから僕自身健康に関する事に目が留まるようになり、色々とやってきました。10日ほど前から朝食を抜く健康法を実践するようになり、ようやく慣れてきました。様々な健康法が書籍などで語られている中で、自分が信じた事を継続していく事が大事だなと思うのですが、一方でその内容に縛られすぎるのもと感じます。完璧を目指さず、とにかく継続していこうと思っています。健康で感謝の毎日を歩むためにも。
健康でブログ続けて行って下さい。

そわか さんのコメント...

zoroさん、はじめまして。
お声かけいただき、どうもありがとうございます。
僕もこれまでにいろんな病気をしましたが、「自律神経の不調」にはもっとも手こずりました。
結構、楽天的に生きているつもりなんですが、あの時はさすがにかなり「きつかった」です。

以前、これからの時代に「それを突き進めると自分がどんどん苦しくなること」として3つのことがあるという話を教わりました。
それは「努力」 「頑張る」 「必死」です。

「努力」は、もともとの語源が「奴隷」から派生していて、本人の意思や考えを尊重されることなく使われ続けるということ。

「頑張る」は、人に対しても自分に対してもよく使われる言葉ですが、これは「我を張る」から派生していて競争で相手より一歩でも上に行く、先に行くという時代のなごりが色濃い言葉です。結構無意識に口から出てくるので、僕も使わないようにしようと思ってからもちょくちょく口をついて出そうになるなかなか「生命力にあふれた」言葉です。

「必死」はその名のとおり、そのまま続けてやっていくと「必ず死ぬ」という意味です。「必死にやれ!」と言われているのを聞くとゾクッとします。

振り返ると、「自律神経の不調」に遭遇していた時期に、僕はこの3つすべてをいろんな状況の中で手を変え品を変え自らやっていてような気がします。もちろん、自分の病気への対策についてもそうしていました。
今なら違った対処ができたのでしょうが、その時はそうなることの意味が何かあったのでしょう。そのひとつは経験できたおかげで、人の「自律神経の不調」のつらさがある程度、わかるようになれたということです。だから「頑張って」とは間違っても言いません。これがささやかですが、つらいことを経た「成長」のようなもののような気がします。

zoroさんの情報に縛られすぎず、完璧を求めずに自分のペースで継続していくというスタンスが大切であるということが今になってよくわかります。

zoroさんに喜びにあふれ、楽しみ多き日々が続々と訪れるよう、祈ります。
これからもよろしくお願いいたします。