2008年1月14日月曜日

「音有る大人(親)」を子供は尊敬しない

 

 苦手な人、苦手なことが誰にでもあると思うが、僕は「音に無神経な人、こと」が苦手だ。
 たとえば、扉やドアを閉める時に乱暴に閉めたり、モノを置く時に必要以上に音を立てたり、近くで貧乏揺すりをしたりガムをクチャクチャ噛んだり、駅の階段を下りるときハイヒールのかかとをカスタネットのようにカタン、カタン打ち鳴らしたり・・・といった必要以上に、意味もなく音を立てられること(当人にはあるのかもしれないけど)が苦手なのである。

 そんな場面に遭遇すると、「おい、いい加減にしろよ」とムッとして、ひと言声をかけたくなるし、昔は直接注意したり、顔を近くから覗いて気づいてもらうよう示威行動をしたりして時にはトラブルになったりもしたが、
 最近は、このブログにおつきあいしていただいている方はもうご存知の通り、
 「また、また~、そうやって僕を怒らせようとしてぇ~、そんな手にはのらないよ!」と心の中でつぶやき、
 小さい声ですばやく
 「ありがとう」
 と言うようにしている。

 そのあとは、こうして自分が嫌なことに出会うということは何かあるな、何を僕に伝えにきたのかな、と考える。
 そして、よく考えてみるとたいがいのことは、その理由は察しがつく。

 そんなことを考えていたら、先日、大人という言葉は「音無」、「音が無い」からきているということを知った。
 子供は確かによく音を立てる。だから大人(音無)ではなく、“子供”だったのだ。
 だから、子供は、ドタバタと音を立てることもそうだが、思い通りにならないからといって声を荒げたり、感情をむき出しにして注意する大人(親)を、自然に「大人」とは認めないそうだ。
 自分の感情をコントロールできない感情的な大人をみると「なーんだ、僕らと一緒じゃないか」と子供は見抜いて軽蔑する。それが親なら子供は親思いだから、同情する。
 逆にさまざまなことに感情を制御できている大人をみると、素直にすごく尊敬する。

 それ以上に、大人は「怒らない」ことが大切である。怒鳴らない、腹を立てない、声を荒げない、いらいらしない、それらすべてをまとめて、大人は、特に親はやってはいけない。
 大人と子供、親と子供、上司と部下(夫と妻はどうかわかりませんが)といった関係で、優位に立つ立場の人が怒ると、その方法を身をもって相手に教えてしまうことになる。
 それはたとえ正統な理由があったとしてもである。
 なぜなら、優位に立つ人の教えはどこかでその指導を受ける人に引き継がれていく。
 優位な立場の人が物事を解決する時に「怒る」という手法を取ると、その教えられた子供、部下も問題に直面した時は必ず同じ手法をとることになる。
 怒られて育った部下は、部下ができるとやはり怒りながら指導するし、怒って育てられた子供は、自分の子供にも友達にも嫁さんにも怒って教える手法を必ずとる。それは、「暴力」であればもっと端的に暴力でしつけるという形になる。
 子供は親のことを好きだからなおさら「マネる」。
 これは“連鎖”と呼ばれ、誰かが気づき、断ち切らない限り、永遠と続いていく。
 大人は不平不満や愚痴や悪口や泣き言を言わず、楽しそうに、うれしそうに、幸せそうに行動を見せてあげれば、子供は「どうしてあんなに楽しそうなんだろう」「なんでいつもあんなに生き生きニコニコしてるんだろう」と興味を持つようになる。

 大人は怒ってはいけないのである。

2 件のコメント:

nozomi さんのコメント...

こんばんは。
本日は、ハンマーで殴られたような衝撃を受けました。他人様には「おとなしい人(《音無しな人》ってことだったのか?)」で通っているわたしなのですが、我が子らには日々声を張り上げております。ドアもバンと閉めます、食器もガチャンとやります。どおりで、子どもも同じことをするのか。反省しました〜。すべては子どものせいだと思ってました〜。

そわか さんのコメント...

Nozomiさん、お元気ですか。
僕もずっと怒ってました。昨年、このことを知って挑戦中ですからまだ「1年生」なのです。
さほど親から怒られて育てられた覚えはないのですが、「怒ると問題解決が早い」というふうにいつのまにかどどこかで学んできたのかもしれませんね。「怒ることが愛情」のような観念も含めて。
親が子供の前で絶対に怒ることをしなければ、その子供は「怒る」という解決策をとらないで、別の方法論で生きていくことになるそうです。
そう意識するようになってみると、親の成長のために子供はそういうことをしてくれてるのかな、と思えるようになりました。
親子に限らず、このことは、いろんな関係で当てはまりそうです。
それでも、つい怒ってしまいそうになるのが・・・、修行中、修行中!