2008年8月3日日曜日
「西郷さんの御陰」
先週のことになるが、敬天愛人フォーラム21が主催する講演会にお邪魔してきた。
今回は、奄美大島出身で、島唄の第一人者である朝崎郁恵さんの講演である。
7月はじめに、上野の西郷さんの銅像周辺の清掃に参加したのがご縁で、声をかけていただき、講演会には初めての参加となる。
神田駅すぐの会場に開演時刻7時の20分前にうかがうと、「西郷隆盛会館」にはすでに定員枠に近い30人ほどの参加者が集まり、熱気にあふれていた。
受け付けをすませ空いているスペースを見つけて座り、会場を見回すと女性の参加者が結構多いこと、そして年輩者が多いことに気づく。平均年齢は65~70歳といったところで、僕などはダントツの“若手入り”であることは間違いない。
定刻ちょうどに開会。まずは起立して、国家「君が代」斉唱であった。
「思想的に右も左もなし。西郷さんが歩まれた通り、我々は真ん中を歩んでいく。歌いたくない方は歌わぬももちろん良しとしております」との司会者の断りがあった後、国家斉唱が始まる。それにしても、おじいさま方は良い声をしていらっしゃる!
その後もすぐには講演には入らない。西郷さんの好んだ言葉である「敬天愛人」の教えを、そして上野公園の西郷さんの銅像の台座にも刻まれている「西郷隆盛を称える辞(ことば)」を内(うち)代表世話人が一小節ずつ諳(そら)んじるのに続いて全員が声をそろえて唱えていく。老若男女関係なく、まるで寺子屋の生徒のように。
この日の朝崎さんの歌う島唄は哀切あふれるものであった。歌に先立って朝崎さんから「島唄は島(奄美大島)の歴史を歌っているのだ」との説明があったが、沖縄の島唄の明るさをイメージとは明らかに異なっていた。単に選曲がそうだったのかもしれないけど。
奄美大島は西郷さんの流刑の地である。この地で家庭を築き、本人も一時期はこの地で終生暮らすと考えていた場所である。
そして、どこにいても人をこよなく愛する西郷さんは、島の人々には教育者として思想と教養を伝え、島民に自立自尊の気概の大切さの種をまく役割も担った。
朝崎さんは70を過ぎたが、新たな挑戦を今後も続けていく決意を西郷さんに伝えたくて、今夜は”奉納”のためにここで歌うことにしたと説明した。
公演後の懇親会は大変活気あふれる宴となった。南九州の宴は老若男女関係なく元気あふれ、熱のこもったものになるのだが、そのことを知らない他の地の出身の方は最初は少々驚かれたことだろう。
宴もたけなわになった頃、参加者一人ひとりによる自己紹介が行われ、これがなかなか印象深いものであった。
代表世話人の内さんが奄美大島同様、西郷さんが流刑されたことのある沖永良部島の出身であることもあってか、同島の出身の方や喜界島の方など島出身の方も数多くいらっしゃっていた。
この島の出身の年輩の方々があいさつの中で西郷さんを語る時、必ずといっていいほど、「今の自分たちがあるのは西郷さんの御陰なんです」とおっしゃるのだ。
話をよくうかがってみると、島の家庭の多くは子供の教育をことのほか大切にするのだそうだ。親は自分の食べるものを削ってでも子供を学校にあげようとする。これは、西郷さんが島に来てから芽生えた考え方で、その教えを得た環境で育ったからこそ、自分たちは島を離れても堂々と生きていけるのだと皆さんが笑顔で話してくれた。
西郷さんは、昨年、生誕180年を迎え、今年は181年目である。
それだけの歳月を経てなお、「あなたの御陰で今の私たちがある」と言われる西郷さんという人物を思い、慕いながらうまい酒を酌み交わすことの出来たすばらしきひと夜であった。
http://kutsulog.net/cat0614-1.php
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