大敬先生の2時間の講演の醍醐味を少しでも直接お伝えさせていただくために、講演内容の概要という形で今回はご紹介いたします。
話の流れも内容もほぼ忠実に記したつもりですが、なにせメモからの文章起こしですので誤解、誤表現、誤字等があるかもしれません。ご容赦いただいたうえで、お気づきになられましたら、後学のためにぜひお教え下さい。よろしくお願い致します。
【般若心経講座 ―心による想いの実現法―】
般若心経は、「目標達成のお経」です。
インドから般若心経を持ってきた玄奘三蔵(げんじょう さんぞう、三蔵法師)は長き旅の間、大変な苦労をされたが、苦難に直面すると般若心経を唱えることで乗り越え、目標を達成することができたといわれています。
江戸時代に、塙保己一(はにわ ほきいち)という人物がいました。
9歳で盲目となり、江戸に出てきたが己の境遇、人生に絶望し16歳で自殺するも助けられ生き残りました。
「学問したい」という希望を持ち続けている保己一は按摩(あんま)を習い、始めます。
しかし、お代はお金ではなく、本を読んでもらうとしました。そして、抜群の記憶力でその内容を覚え、学んでいったのです。
その噂を聞いた旗本の松平氏が感心し、保己一を呼んで一日おきに朝4時から8時まで勉強させてあげることを約束しました。
「源氏物語」を聞かせてもったことに感動し、保己一は34歳で文献をまとめる作業を手がけることを決意します。
この時、目標を達成させるために、保己一がやったことは、般若心経を読むことでした。
1000日間、毎日100巻唱えることを神に約束しました。計10万巻唱えることを誓ったのです。
41歳で刊行始めます。弟子も増え、作業は順調に進みました。
しかし、保己一、47歳の時に火事に遭い、それまでの全てが燃えてしまいます。
これには弟子達も深く落胆し、師である保己一に涙ながらに「先生、これでもうすべて終わりです」と訴えます。
しかし、この時、保己一は、
「お前らには手も足も頭もある。それに俺にはない目もあるじゃないか。やり直しや」
と笑顔で述べ、再建を目指します。
そして、74歳で記録や手紙にいたるあらゆる資料をまとめ編纂した「群書類従」をとうとう仕上げることができたのです。
その後も生涯に渡って保己一は、般若心経を1日100回唱えたそうです。
保己一にまつわる有名な話は他にもあります。
ヘレン・ケラーが保己一の伝記を読んで大いに励まされ、発奮したのです。
ケラーは、初来日した際、渋谷の保己一縁の地をまず訪れ、保己一の銅像をさわり、机にふれて
「自分が今あるのは、この人の御蔭です」と言ったそうです。
鍵田忠三郎(かぎたちゅうざぶろう)は、奈良市長も務めた政治家ですが、38歳の時、結核になりました。
当時、結核は不治の病で、医者から「残り2年の寿命」と診断されます。
鍵田は、弱ったからだで四国のお遍路に行くことを決めます。1番札所から歩みます。進んでも、進んでも死にません。でも、28番札所までたどり着いた時、倒れてしまいました。
病状は悪化し、病床で一度息を引き取ります。しかし、間もなく再び息を吹き返しました。
この時のことを鍵田は「大きな命を知る」と述べていますが、臨死体験を経て再び生を得たのです。
起き上がり、検査した時には結核はすっかり無くなっていたのです。
「おまけの人生」と生き返ったと鍵田は述べ、生きている間に般若心経を100万巻あげるとの約束を神と交わします。
保己一にして10万巻なのに、これの10倍です。
この約束によって鍵田は簡単には死なないという運命を得ました。
神様との約束だから、果たすまで長生きすることになるからです。
神様との約束にはこうした工夫も実は必要なのです(笑)
「シェルドレイクの仮説」というものがあります。
これは「直接的な接触が無くても、ある人や物に起きたことが他の人や物に伝播する」という学説で、「経験の場」ができると、次に他の人の経験がたやすくなるということを説いています。
そうした意味で、般若心経は、先人が般若心経による目標達成の“経験の場”を開いてくれているといえます。
般若心経は読むだけでそうした成功体験につながるのです。
http://kutsulog.net/cat0614-1.php
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