2008年8月6日水曜日

「天界の禅者大いに語る」の中のいい話

 10日日曜日に立花大敬先生の講演に参加できることになった。
 数ヶ月前から著書を通じて感銘を受けていたが、九州をフィールドとして活動されている方なので、まさかこんなに早く直接話を聞けることになるとは思ってもみなかったからとってもうれしい。

 テーマは「般若心経」についてである。
 
 今年はさまざまな方向からこの「般若心経」に関するシンクロが続いているので、自分にとって何か大切な意味があるのかも知れないと思い、異なる著者の解説に目を通してきたが、そうした意味でも10日は楽しみである。

 大敬先生の古い著書「天界の禅者大いに語る」を昨日、読んでいた。
 東京は朝から天気が不安定で、場所によっては集中豪雨となり、事故が発生するほどだった。
 仕事の訪問先を辞し、町を歩いていると雷が鳴り、空が真っ黒く変わってきたので、コーヒーショップに寄り、窓に面した席に腰掛け、「天界の禅者大いに語る」の続きを読んでいた。
 しばらくすると大粒の雨粒が窓を叩き、それを合図とするかのようにして大雨が激しく降り始めた。
 そんなあまり日常的ではない状況で読んだからではないと思うが、読み終えてしばらく心を落ち着けるために本を閉じ、雨空を眺めていなくてはならないほど胸にしみるいい話があったので、ちょっとご紹介したいと思う。



 これは、内垣日親先生の御本の中にあった話です。
 先生は若い頃、たしか姫金神教という大阪森の宮にある教会で、その教祖について修行しておられました。
 ところが、そのおばあさん教祖は、自由に雨を降らせたり、止めたりされるのです。先生は、それが不思議でしょうがない。いったい、どんな呪文をとなえ、どんな印をむすべば、そんな事ができるのか知りたかった。それで、ある時、思い切って、教祖さんに質問したのです。
 「いったい、どうやって雨を降らせたり、止めたりするんですか」
 すると教祖は言われたのです。
 「ああ、そんなこと、簡単やがな。それはなあ、私が空に向かってなあ、雨を降れ、というたらな、雨が降ってくる。雨よ止まれ、いうたらなあ、雨が止むんや」
 それで、先生はギャフンときてしまったのです。まことにそうにちがいないと納得されたのです。
 この教祖さまは、まことに一点の私心もない、術も策もない、そんなまるで子供のような無邪気なお方であったそうです。
 お金に困っている信者さんが来たら、あるだけのお金をさっとあげてしまう、そんな風なお方であったそうです。
 ひとつだけ、私が最も感動した話を紹介します。
 この内垣先生は、もうその頃には、この教会の副管長になって、教団の一切を取りしきっておられました。
 ところでが、神様から教会を出よ出よといわれる。この教団の神様が言われるのです。出てヨーガの勉強をせよと言われる。それがたび重なるので、内垣先生は、教祖にそのことを相談したのです。
 「私が出たら、この教会は、たぶんつぶれてしまうでしょうがどうしましょうか」
 この教祖はすぐに言われました。
 「よろしい、出ていきなさい。この教会ぐらいつぶれてもかまいません。それであんたが大きくなったらいいのやから」
 どうですか、こんなに私心のないお方なのです。
 そんな<まこと>のお方だから、その人の言葉は<真言(まこと)>になる。そして<真事(まこと)>となり必ず実現するのです


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