2008年2月4日月曜日

中国毒入り餃子事故で思い出す日本人のガン多発の原因「AF-2」

 中国産食品でまたまた事故が発生した。
 今回は冷凍餃子という加工品であったことも災いし、一度に1000人以上の人たちが被害にあうという深刻な事故となった。
 特に小さな子供に食べさせてしまった親の心中はいかばかりかと察する。
 本来、そうした外部から家庭への侵入物に対して“防波堤”の役割を求められる親がいくら知らなかったとはいえ、自らの手で我が子に毒入りの食べ物を食べさせたことになったのだからたまらない話だ。  
 小さい子供がいる者として身を切られるような気持になる。

 今回の事故で餃子の中に混入していたといわれる「メタミドホス」は有機リン系の殺虫剤で、日本では入手が困難な化学物質だ。
 化学物質には仕事やNPOでのボランティア活動で「シックハウス問題」に長く関わってきたので、その怖さや危険性についてよく知っているつもりだ。毒入り餃子を食べた被害者が中毒症状を起こして入院し、その後、回復に向かっていると報道されているが、回復しても身体の中に一度入った化学物質は体内に残留して他の病気を誘発したり、物質によっては染色体異常を引き起こすものもあり、次代の子供に影響が出てきたりするケースもある。
 

 日本人は3人にひとりがガンで死んでいる。昭和56年に死因の1位となって以降、増加傾向は続き、現在、年間に30万人を超える人がその犠牲になっている。
 しかし、これは世界の中でも特異な数値なのである。欧米では心臓病などが死因の1位を占め、ガンが死因という割合は低い。
 では、なぜ日本人だけにガンが多発しているのか。僕は、昨年、そのわけを知って少なからずショックを受けた。
 「世界一受けたい授業」というテレビ番組でも講師として出演している同志社大学の西岡一名誉教授は著書「噛めば体が強くなる」の中で、世界の人が口にしていないのに、日本人だけが口にしたある化学物質が原因であると指摘する。
 昭和30年代のはじめ、食品の流通革命が進む中で食品を長持ちさせるために殺菌剤フリルフラマイド、通称「AF-2」という優秀な化学物質が登場する。
 大阪大学医学部で発ガン性試験を含む各種の安全性試験が行われ、その結果、「安全性には問題なし」とのデータが厚生省に提出されて、昭和40年、AF-2は食品添加物として認可される(しかし、のちにこの安全性試験はAF-2を開発した上野製薬側が行ったことが判明する)。
 AF-2は魚肉ソーセージやハム、豆腐、魚介練り製品などに使われ、広く日本人の体内に取り入れられていく。
 昭和46年、東京医科歯科大学の外村教授は偶然、AF-2が人の染色体異常を引き起こすことを発見する。しかし、当初は行政からまったく相手にされず、その後、ネズミによる発ガン実験などで発ガン性が確認されるなどの経緯を経て昭和49年になってようやくAF-2の使用が禁止されることになる。
 この9年間にわたり、日本人が摂取してきたAF-2は、わずか1グラムで約200億個の突然変異細胞をつくることが現在では判っている。
 日本以外の国ではその構造が発ガン性などの毒性を持つ可能性があるとして食品添加物に採用されていない。だからこの物質を認可したのは日本政府だけで、体内に取り入れたのは日本人だけである。
 変異原性は遺伝毒性ともいわれ、遺伝子に変化を与え、遺伝病の発生にかかわる可能性があり、西岡名誉教授は「AF-2の強い変異原性は、日本人の遺伝子にかなりの傷を刻み込んだはずだ」と述べている。
 発ガン物質の影響は10年から15年以上遅れてあらわれ、その後しばらく続くと考えられ、日本人のガンは昭和56年には死因の1位になり、その状況はいまも変わらない。
 「AF-2は壮大な人体実験だったといえるのである」「現在の日本人のガンとAF-2の摂取とが、無関係といい切れるだろうか」と西岡名誉教授は疑問を投げかけている。

 「便利さを求めるがゆえに招いた」という意味では、今回の中国餃子毒入り事故もその原因は同根なのではないかと思う。
 「AF-2」の問題が表面化した時、だれもが「知らないうちに、危ないものを食べさせられている」とショックを受け、たちまち全国各地で食の安全性を求める消費者運動が起こった。 現在の消費者団体の多くがこの時に誕生しているものなのだそうだ。
 今回の事件で再度食品の安全を問い直すとともに、40%を切ってしまった食糧自給率のあり方も含めて食のあり方そのものを真剣に考える契機にしたいと思う。

 それと、話は別になるが、1月、薬剤肝炎訴訟で、終始一貫決してぶれることなく毅然たる姿勢で臨んだ女性たちが国の謝罪を引き出した。
 「世の流れが大きく変わり始めているな」とつくずく実感させられた出来事だった。
 厚生労働省は全面謝罪に強く反対したそうだが、国は被害者に謝った。というか、謝ることができてよかったのである。そうした機会をつくってあげた彼女たちは立派だったと僕は思う。

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