佐藤愛子さんの「私の遺言」を読んだ。
この本は僕にとって“導きの1冊”であると読む前から直感があった。そのためページをめくるのが楽しみで、そして「何を伝えに来てくれたのだろう」と温かい気持ちで終始読み進むことができた。
中身は、意義深いメッセージ、すでに自分に訪れているシンクロ現象の確認、ユニークなこと、新たな発見など、予想を上回るものだった。
佐藤愛子さんが50歳の時に北海道に建てたばかりの別荘で超常現象、体調不良が始まる。
その後、霊能者との交流を重ねながら、30年に渡って繰り広げられる浄化のための戦いをまとめたのが、この「私の遺言」である。
まずはユニークな話から。
これは、佐藤さんと知己の間柄だった作家の遠藤周作との話である。
「遠藤周作さんが亡くなったのは平成八年九月である。その年の一月、遠藤さんから電話でこう訊かれた。
「佐藤くん、君、死後の世界はあると思うか?」
「あると思う」
とすぐ私は答えた。遠藤さんはなぜあると思うのかとは訊こうとはせずにいった。
「もしもやな、君が先に死んで、死後の世界があったら、『あった!』といいに幽霊になって出て来てくれよ。オレが先に死んだら、教えに来てやるから」
「遠藤さんの幽霊なんか来ていらん!」
と私はいい、話はそこまでで終わった。その前にも一、二回、死後のあるなしについて遠藤さんが訊いたことがあったと思う。
遠藤さんが亡くなった翌年の五月の中旬だった。私は夜遅く、江原啓之さんと電話の長話をしていた。心霊についての質問やら相談をする時は、いつも夜の十一時こ頃である(それほど江原さんはスピリチュアリズム研究所の仕事が忙しく、日中は時間がとれなくなっていたのだ)。その時、話の途中で江原さんは突然、
「あ、ちょっと・・・・待って下さい・・・・」
といって言葉を切ったかと思うと、
「今、佐藤さんの部屋に遠藤先生が見えています」
といった。
「多分、遠藤先生だと思います。写真で拝見しているのでわかります。茶色の着物姿で、そこの部屋の壁に懸っている絵を眺めたり、今はデスクの上に書きかけの原稿がありますね、それを見て・・・・人さし指で下の方のも持ち上げてニヤニヤしながら見ておられます・・・」
私は言葉が出ない。私は十畳の洋室を書斎兼寝室にしている。その時はベッドに腰をかけて受話器を耳にあてていた。勿論、私には何も見えず、何の気配も感じない。「遠藤先生がこういっておられます。死後の世界はあった、こっちの世界はだいたい、君がいった通りだ・・・」
私の身体を戦慄(せんりつ)が走った。驚きや怖ろしさではなくそれは間違いなく感動の戦慄だった。私は思い出したのだった。遠藤さんの生前の、あの会話を。
――もしオレが死んだら、教えに出て来てやるから・・・・。
遠藤さんはそういった。そしてその約束を守って出て来てくれたのだ・・・・。
呆然(ぼうぜん)としている私の中には何ともいえない懐かしさと嬉しさがこみ上げてきた。わっと泣き出したいような熱いものがたちのぼってくる。
読みなながら、僕の胸の中にも熱く込みあがってくるものがあった。
愛しい人、かけがえのない人は、死後もこうしてまた見守り続けてくれているのである。
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