2008年5月2日金曜日

「ツイてる!」の言葉が運を呼び込む“本当の理由”

 今日は「霊」の話。

 この手の話が苦手な人はここでパスしてください。

 ただ、僕はこの霊に関する話を聞いた時、それこそ頭の上にピシッと雷が落ちたぐらいのショックを受けた。今年一番だったかもしれない。
 ついでに今まで体験したことのないぐらいの数の「霊」が僕のまわりに寄ってきたけれど・・・

 人は好むと好まざるに関わらず、知らず知らずのうちに「霊」の影響を受けている。
 自然霊、未練を残して昇華できずにこの世に残り、さまよっている霊はそれこそ身のまわりにウヨウヨいる。

 僕は清めのための粗塩をいつもカバンに入れて持ち歩いている。そうするようになってもう7年ぐらいになる。
 それまで僕は、自分が「霊媒体質」なんてまったく思っていなかった。最初はどこか身体か心の病気なのかと思っていた。病院にも通ったりもした。
 でも、これは前にも書いたと思うがちょっとした体験で気づき、塩をふったり、言葉を発したりすることで体調が短時間に改善することがわかり、一般的な病気ではないということに気づかされた。
 だから僕は、実際には多くの人々が霊による影響を受けているものの、それに気づかず心身の病気だと思っている事例が無数にあると思っている。

 ちょっと軽いめまいがしたり、身体がだるくなったり、呼吸が浅くなったり、肌寒くて力が抜けたようになったり、気分が落ち込んだり、ふさいだり・・・・といった症状に襲われると、風邪や高低血圧、更年期障害、躁鬱病などの病気だと思い、病院に行く。
 でも何度も通うがなかなかよくならない。そしてズルズルと長期化、悪化し、家族までなんらかの病になっていく・・・というパターンである。

 こうしたパターンは「大昔」からある。だから知る人は知っているがどこの町にも憑(つ)いた霊をはらってくれる専門職の人がいる。「霊をはらうことを職業にしている人」がいるのである。
 お寺や神社もそうした機能を持っていたはずだが、大っぴらにはそんなことはしなくなった。
 最近までよくテレビに出ていた占いが良く当たるといわれる女性に霊をとってもらうようお願いすると300万円は最低請求されると頼んだ人から聞いたことがある。

 でも、こうした「専門職」の人のところに訪ねていく時には、すでに霊の「災い」はかなり進行して、たぶん生きるか死ぬかのところまで追い込まれている場合が多い。

 病気と同様、始まりに早く気づけば改善・回復は早く、あら塩を身体にかけていくだけで気分がスッと楽になる。携帯している塩を渡し、かけてあげるだけで数分で改善する事例を数え切れないほど目の前で見てきている。


 前置きが長くなってしまった。本題に入る。
 僕が先日聞いた話はこんな話だ。
 この世に未練を残した成仏できず昇華できないさまよえる霊がもっとも数多くいる場所のひとつは「水辺」なのだそうだ。
 池や湖、海なら潮の流れが止まりゴミがプカプカ浮いているような場所。
 そんなところには霊がそれこそウヨウヨといる。
 なぜ、水辺にいるのかというと、人の魂には「水に癒される」、「水にひかれる」という傾向があるのだそうだ。
 だから、人気のリゾート地の多くが水辺にある。水辺にマンションができるとすぐに完売する。これは生きている人も、死んだけど半分思いを残して成仏できない霊も一緒らしい。
 夜中、水辺に集まり、水辺にうつる夜の淡い灯りをじっと眺めている霊の姿は考えるとなんだか切ない。

 僕は、霊が憑かない人はほとんどいないと思っている。
 憑いた時に感じる人と感じない人がいるだけである。
 憑いた時にはいろんな自覚症状がある。ズン、なのかドンなのかは人それぞれだが身体が重くなる。それに、これも霊の加減によるが気持ち悪くなる。目が回るような感じもあるし、胸がムカムカすることもあるし、脈が速くなったり、肌寒くなったりもする。
 ここにあげたのはほとんど自分の感覚だが、人に聞いてみてもだいたいこのような感じらしい。

 だから、霊が憑くと気分がすぐれなくなる。時にはすごく気分が悪く、具合も悪くなる。
 すると人はこんな言葉を口にする
 「疲れた(憑かれた)・・・」
 これは冗談ではなく、「疲れた」「だるい」「まいった」「具合が悪い」「気分がすぐれない」「病気かもしれない」「死にそう」・・・ネガティブな言葉ばかりが口からついて出る。

 実はこれが自分の、そして家族の「不幸」の始まりなのである。

 なぜなら、自然霊、未練を残し、成仏できずにこの世をさまよっている霊の多くは
 「強い意志や方向性を持っていない存在」であり、
 このため、憑いた人が求める意志や方向性を応援するようになる。憑いた人の「願いを叶える」「現実化」するためのお手伝いをするようになるのである。

 憑かれた人が、「疲れた」「だるい」「まいった」「具合が悪い」「気分がすぐれない」「病気かもしれない」「死にそう」と言葉にすると、憑いた霊はそれを叶え、現実化するよう、応援し後押しをし始めるのである。
 だからその憑かれた人は自分の言葉通り、疲れ、病気になり、死にそうになっていくのである。

 霊がどのような存在でどのような性格を持っているのかその仕組みを知らない限り、人々は霊に憑かれた時のあの不快感のままを言葉にし、そして不幸になっていく。
 こういった繰り返しが、今まで何百年、何千年と続いてきたんだろうと僕は思う。

 それでは、どうすればいいのか。もうお判りになったことと思う。

 霊に憑かれた時には
 「ツイている!」と言えばいいのである。
 霊に取り憑かれたのか取り憑かれていないのかわからない人でも普段から「ツイている!」のような明るく前向きで幸せを呼ぶポジティブな言葉を口にしていればいいのである。
 そうすると自然霊やこの世で昇華できずにさまよう霊が、その明るく、楽しく、嬉しく、幸せの言葉がそのまま叶うように、現実化するように一所懸命お手伝いしてくれるのである。

 霊は決して悪い意志を持ち、不幸に向かうよう導いていく「恐ろしき、悪意に満ちた存在」ではないのである。
 それを受け取った人が自らの意志と言葉でそれを叶えていっているに過ぎないということをわかっていただけたと思う。

 僕は様々なすばらしき感謝の縁によって、言葉の持つ大切さを教えられ、気づかされ、自分なりに実践してきた。
 今回、その裏側にある深淵な仕組みについて教えられ、大きな衝撃を受けるとともに、長年自分の中で反問してきた様々な疑問の解決にもつながった。

 霊に憑かれたとしても怖がる必要もないし、霊媒師にお金を払って取ってもらう必要もない。
 普段から良き言葉を口にし、良き思いを抱くよう心がけていけば、何も恐れることはないのである。
 僕も携帯している清めに使っていた粗塩をカバンから取り出し、食卓に置くことにした。


 最後に、この話を聞いている間、僕は、かつて経験のないヘビーな憑依(ひょうい)に見舞われた。
 話してくれている人の力が強くて強烈な「引き寄せ」がかかったためだと思う。
 少なくとも20、30体はまとめてくっついてきたような異常な身体の重みと気持ちの悪さにあやうくその場でイスから転げ落ちそうになった。
 隣に座る友人がびっしょりと汗をかき、青ざめた顔をしている僕に気づき、
 「おい、大丈夫か」と声をかけてきた。

 僕は声を出すのもおぼつかないような状態だったが、なんとかこう答えた。

 「ツイてる・・・・」

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