2008年5月25日日曜日

三浦綾子「忘れえぬ言葉」 "感謝婦人”の心にしみるひと言


 三浦綾子さんのエッセイ「忘れえぬ言葉」の中で“感謝婦人”と呼ばれている女性が紹介されている。
 激痛を伴う脊髄(せきずい)カリエスという病と長年にわたって向き合ってきた三浦さんがこの”感謝婦人”の言葉を聞いたことで自らの病と改めて向き合うことになり、勇気づけられていく様が描かれた一遍である。
 “感謝婦人”という愛称を贈られた女性だけあって、その「感謝の言葉」がいかなるものなのか僕にはまったく予想がつかなかった。
 そして、その言葉を知った時は「ほんとにその通りだよなぁ」と心から感服させられた。


<本文から抜粋>
 来る日も来る日も臥(ね)ているだけの私に、母はどれほど心を痛めていた事であろう。私は24歳で発病した。
 ・・・病いは重くなるばかりで脊椎カリエスも併発した。友人達が次々と結婚し、子供を2人3人ともうけても、私だけはただベッドの上に臥ているだけであった。
 そんなある日、母からある婦人の話を聞いた。

 その婦人はいつも、いつも「感謝です」「感謝です」と二言目には感謝の語を発する人であった。自然その顔は、常に喜びにあふれていて誰からも敬愛されていた。
 たまたま、その人の住む地方に長雨が続いた。
 10日、20日と雨は続きいっこうに止む気配はない。
 人々は「困った雨ですね」という言葉を挨拶代わりに交わしていた。
 ・・・そんな最中、一人の人がその「感謝婦人」のことを思った。
 (いくらあの人でもこの長雨ばかりは感謝してはいないだろう)
 そして、彼女に会うなりに言った。
 「なんと長い雨ですこと、困ったものですわね」
 すると

 「長い雨で感謝だと思っています。こんなに長く続く雨が、もし一度にどっと降ってごらんなさい。・・・洪水になって、家も人も、畑も押し流されるに決まっています。神さまはその大雨を長い日数に分けて、こうして毎日少しずつ降らせて下さっております。感謝な事ではございませんか。」と晴れ晴れとした顔で答えた。

 私は長雨に感謝した婦人の心に打たれて、自分の長い病気の事を思った。
 私の病気も長いものであった。・・・
 身動きも出来ないベッドの中に寝返りも出来ず、毎日天井を見るだけの日々であった。・・・一生続く状態かも知れなかった。

 そんな中で聞いた「感謝婦人」の言葉は大きかった。
 彼女の考えを持ってすれば、神は痛みや熱や、倦怠感が短時間にどっと襲うことを許されなかった。10年を超える長い年月に分けて、私はその苦しみを少しずつ味わうことになった。考えてみると、それは誠にありがたいことであった。
 症状が一度に悪化すれば、耐え切れるものではない。
 確かに私は長い病気ではあったが、父母がいた、兄弟がいた、親切な友人達がいた。目も見え、耳も聞こえ、口も利け、手足も動く。
 感謝すべきことはたくさんあった。

 私は人間感謝しようと思えば、それは実に多い事に気がついたのである。



 
 三浦綾子さんは敬虔なキリスト教徒としても有名である。この”感謝婦人”も天理教の熱心な信者だったそうだ。

 生きていく限りは数々の「幸せなこと」「不幸なこと」に遭遇(そうぐう)する。
 でも、この世には「幸」「不幸」はない。
 その人がどう「思考」するかが「幸」「不幸」を決める。
 そのようなことを2600年前に釈迦は言った。
 同じく天才であるイエス・キリストも昨日ここで紹介したような言葉を人々に投げかけたと言われている。

 同じ現象であっても、「言葉」と「思考」が持つ“力”はその人の世界を大きく変える。
 その“力”の一片をわかりやすく見せてくれるこのエッセイと出会えたことに僕は感謝の言葉を贈りたい。

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