2008年5月18日日曜日

ホームレスと蓮の花



 休日の夕方、新宿公園の中を横断していると、人が大勢並んでいた。静かだから気がつかずにパッと目の前に現れた時は少し驚いた。
 公園横に出入り口が隣接している地下鉄・大江戸線の都庁前駅の方まで伸びているから200人以上は確実にいる。
 僕が公園を抜けようと思っていた出入り口にちょうど列の先頭が並んでいて、そこには炊き込みご飯のようなものが入ったカップが山のように積まれていた。
 ボランティアグループによってホームレスの人々への食事の支給が準備されていたのだ。

 寒さはすでに過ぎ去ったとはいえ、6時半過ぎの薄暮の中に行列をつくって並ぶ人々の中には20、30歳代だろうと思われる若い人の顔もたくさんあった。
 前後で会話をするわけでもなくほとんどが無表情で長蛇の列をつくっているホームレスの人々の横を抜けて赤信号の交差点に立っていると、なんだか胸の奥が苦しくなりこらえきれずに涙が流れた。

 幸も不幸もその人自身が決めることであり、安易な同情が解決を生まないばかりか、(不幸の)延長化、継続化を促すことにしかならないことをわかっていても、無表情で黙って列に並んでいた若い人々の顔を思うと自然に感情が揺さぶられた。
 今にあきらめ、納得してホームレスをやっている人もいるのかもしれないが、心ならずもそうした生活を送っている人もたくさんいるのではないかと思う。
 僕は同情抜きに、人は幸せになるために生まれてきたのだから、今よりもっと幸せになれます、豊かになれますと心の中で強く願った。

 その前の週に訪れた別の公園では、中央の泥沼に咲き始めたばかりの「蓮の花」を見た。
 仏教画等で、お釈迦様が台座として腰掛けられていることでも有名なこの花は、実際に見ると宗教的な荘厳さをたたえた美しさがある。
 蓮の花は濁った泥水の中でしか育たない。
 清い水ではあの美しい花を咲かせることはできないのだ。
 また、泥水が濁っていれば濁っているほど美しい花を咲かせるのだそうだ。
 だから、課題なのか試練なのか修行なのかはわからないが、そうした先にはその分だけ美しい花が開く日が必ず待っていると信じていいのである。

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