2008年5月3日土曜日

人の「宿命」は決まっているけれど

 長崎に知る人ぞ知る喫茶店がある。
 「あんでるせん」という店である。
 そこのマスターは訪れた客にマジックを見せてくれるのだが、それが単なるマジックの枠を超えて「超能力」なのではないかと思うほどのスゴい!技なのだそうだ。

 2年ほど前にこの手の話が好きな知人から初めて聞いた。聞いただけで僕は行ったことはない。
 そして、行ってきたという別の人から先週、話を聞きながら「あんでるせん」のマスターは大切な役割を担われているんだな、と気づかされた。

 同じ情報でも受け取る側が変わると感じる点、見える点も変わる。2年間とは別の感覚で話を聞けたことは僕自身、嬉しかった。
 今回の話でもっとも興味深かったのは、
 お客さん手のひらの上に置いた丸めたティッシュが動きだし重さを増しながら生卵になったり、バラバラの絵柄のルービックキューブがポンと投げ上げ、手元に落ちてくる間に6面の色がそろっていたとか、持ち込んだ幼児の手首ほどもある鉄棒を瞬時にU字に曲げたといったことではなかった(これはこれでスゴいことですけどね)。

 今回、話をしてくれた人は、「あんでるせん」のことを知人から聞いて、すぐに行ってみたくなり福岡からバイクに飛び乗り、長崎に向かった。
 ところが、到着した店の玄関には「定休日」の看板が出ていた。
 「遠くからわざわざバイクで来たのに、なんだぁ、ツイてないな~」とガッカリして立ちつくしていると、定休日の看板の下に手書きの張り紙があるのに気づいた。
 近づき、それを読むと、自分の名前がフルネームから始まる以下の文面が記されており、読み終えて背筋に寒気が走るほど驚いたそうだ。

 「○○○○さん(フルネーム)、せっかく来ていただいたのに、本日は定休日です。ごめんなさい。またのお越しをお待ちしております」


 以前に聞いた話も、「あんでるせん」のマスターは、マジックの終盤で、お客さんに名前と思いついた絵を描いてもらい、みんなに見せる。
 マスターは自分の財布の中からあらかじめ自分で絵を描いておいた紙を取り出して広げてみんなに見せるのだが、構図、題材ともにほとんど同じ絵が描かれている。名前もその描いた人の名前が書かれている、ということをやってくれるそうだ。

 「生まれた時からこの日に『あんでるせん』に来ることになっていたんですよ」とマスターは来てくれるお客さんに話をしているそうだ。そういうわけだから、もちろん「あんでるせん」に来て、どんな絵を描くかも決まっている。

 マスターは部屋の机の引き出しの中に「未来日記」を持っていて、何年何月何日、何時にお客として誰が来るのかあらかじめ知っているのかもしれない、と僕は勝手な想像をする。

 マジックで訪れた人々に楽しんでもらうことはもちろんだが、不思議現象を目の前で見せながら、人の一生の不思議、可能性、意義について伝えたいのだと思う。

 そのひとつが、
 「人の宿命は決まっている」
 ということなのだろう。



 「宿命」は確かに変えられないものらしい。
 しかし、「運命」は自分自身で変えることができる。

 それにはちょっとしたコツがあり、
 「運命」というだけあって運ばれてくるモノらしい。

 そして、運命を運んでくる“配達人”は、人だといわれている。

 だから人を大切にすることが「運命を変える」、「運命を開く」コツだ。

 もうひと言つけ加えておくと、「人」とは目の前の「人」のことである。
 自分が好きな人、自分が気に入っている人、自分が憧れている人・・・など、自分の好悪や嗜好、都合で決められた人ではない。

 顔がイヤ、性格がイヤ、趣味がイヤ、考え方がイヤ・・・、そんな人たちもすべて含めて
 「目の前にいる人」が“配達人”である。

 自分の運命を変えて、開いてくれる“運命の人”がどんな姿で、どんな方法で、どんな内容のことを持ってきてくれるのかと考えると、どんな“人”でも愛おしくなりますよ。

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