2008年5月10日土曜日

日航機墜落事故をまぬがれた友人

 田村珠芳さんの講演会で以前、1985年8月の日航機墜落事故の話が出たことがあった。
 この事故では520名の乗客が亡くなり、わずか4名が奇跡的に生き残った。

 また、事故に遭った123便では当日直前になってキャンセルした人が「10人」いたといわれている。

 珠芳さんはこの「10人」のうちの3人がどのように搭乗をキャンセルしたのかについて紹介した。

 Aさんは、ニューヨークから帰国していて羽田空港内を歩いていると数十年ぶりに仲の良かった同級生とばったりと出会う。懐かしい顔を前に次はいつ会えるかわからないからと思い、友人との久しぶりの邂逅を楽しむことにして、大阪行きの便をひとつ延ばした。

 Bさんは、羽田空港に向かう車中でひどい渋滞に巻き込まれてしまった。いらだちながら航空会社にキャンセルの連絡を入れることにした。

 Cさんは、商売で東京に来ていたが、奥さんから「銀行が融資のことで話があるのでどうしても午前中に会えるようして欲しいと言われている」と再三連絡が入り、仕方なく予定をすべてキャンセルして午前中の便で家路に着くことにした。

 3人はこのようにして、そこまでで終わっていても決しておかしくなかった人生を、再び先延ばしする機会を得ることになった。



 そんな話を聞いて1ヶ月ほど経ったある日、この「直前にキャンセルした10人」のうちの“語られていない7人”のひとりに直接話を聞く機会を得た(実際は、話を聞きながら7人のうちの「3人」であることが判明するのだが)。

 この日、日航機墜落事故のことを聞くために会ったわけでもなく、また初めての顔合わせだったわけでもなかった。
 ここ1年ほど仕事でつき合い、この日も新しい企画の話をしていたのだが、何かの拍子に飛行機事故の話題になり、この話を聞くことになった。

 名前は仮にKさんとしよう。

 Kさんは20年ほど前に、魚の買い付けのためにニュージーランドを訪れることになった。
 今でこそ輸入魚は当たり前だが、当時は先駆的な取り組みだったのでKさんは大いに意気込み、機中で期待に胸膨らませていた。
 しかし、このニュージーランドに向かう便がこの航空会社が始まって以来の大事故に遭遇してしまう。
 揺れが続き、おかしな飛び方をするなと思い、Kさんが窓の外を見るとプロペラがすでにまわっていなかった。
 自分自身に落ち着け落ち着けと言い聞かせていると、その間に他の乗客も気づいたようで、すぐに機中はパニック状態に陥った。
 緊急着陸させるとのアナウンスを残し、高度を下げ、空港らしきものが旅客機の窓から見えた時、そこには今まで見たことのない数の消防車が飛行機と併走していた。
 この異常な風景を見てKさんは「ああ、これまでか」という思いが頭をよぎったそうだ。

 しかし、旅客機は幸いなことに炎上することもなく見事胴体着陸を果たすことができた。
 白い消化剤がまき散らされた滑走路に自身の足で降り立った時、Kさんはこう決心し、神に誓ったという。

 「金輪際、死んでも飛行機には乗らない」

 ニュージーランドでの仕事を終えたKさんは、お願いしていた貨物船に乗ってアメリカに渡り、アメリカから再び船で日本に帰国した。

 それから歳月は流れる。
 Kさんが親しくしている四国の漁業会社と仕事を進めたいと同業の社長2人から相談を受け、Kさんは力になることを約束し、一緒に四国・徳島に同行することになった。
 せっかくだからということで、徳島の阿波踊りに合わせて出発することになった。
 チケットは相談を受けた社長が用意することになり、3人分を手配できたと報告に来た。
 「徳島の阿波踊りと重なってチケットを取るのは大変だったよ」
 と言いながらKさんに渡されたチケットは「航空チケット」だった。
 それを見たKさんは
 「オレは前々から死んでも飛行機には乗らないって言ってあるだろう。あんた達は飛行機で行ってくれ、オレは電車で行くから」とふたりに言い、チケットをつき返した。

 「この人にへそを曲げられたら大変だ」と思ったのか、直前にもかかわらず、せっかく入手にしたチケットをキャンセルし、電車で向かうことに変更した。

 3人は徳島に向けて電車の旅を始め、四国行きのフェリー乗り場で食事をすることにした。食堂に置かれているテレビを何気なく見ているとニュースで旅客機が行方不明になり世間が大騒ぎになっているらしいことがわかった。

 人ごとながら大変な事故だなと言い合いながら、ニュースでさらに詳しい情報を聞いていると、航空券をキャンセルした社長が神妙な表情でふたりに向かってこう言った。

 「おい、この飛行機は俺たちが乗ることになっていた飛行機だよ。おれがチケットをキャンセルした便だよ」


 今でも毎年欠かさず、一緒に徳島に旅したふたりからKさんにはお礼の品物が届くそうだ。

 僕がKさんとの話で印象深かったのは、
 Kさんが僕に話したかったことは自分の命が助かったということではなく、別のところにあったということがわかったからである。

 墜落した123便は満席だった。
 Kさんらがキャンセルした席には、キャンセルを待っていた誰かが確実に入れ替わる形で座り、そして入れ替わる形で亡くなっていった。

 Kさんは、この日になると、自分が会ったことも、もちろん名前も知らない自分の身代わりになって亡くなった誰かのことを毎年思い、追悼の思いを抱きながら手を合わせているそうだ。

 「生かされていることに感謝する」

 そのことを改めて実感させられる機会となった。

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