お寺の修行で大切なことはさまざまあるが、お経を読む「勤行(ごんぎょう)」と同じぐらい、もしかしたらそれ以上に大切だとされているのが「掃除」である。
お釈迦様とひとりの弟子との間には、この「掃除」に関する物語があり、そのため「掃除」が後生の仏徒の心の中に色濃く残り「掃除」が大切にされているのかもしれない。
また、日本の八百万(やおよろず)の神様は、大好きな人間の行為が二つあるといわれている。
ひとつが「先祖供養」、
もうひとつが「清め」、いわゆる「掃除」である。
こうした伝統文化、風土の国なので、この物語が言い伝えられ、今もなお残り、語り継がれているのだろう。
お釈迦様のお弟子の一人にチューラパンタカ(周利槃特=しゅりはんどく)という人がいた。
お兄さんのマハーパンタカは大変に頭脳明晰だったが、チューラパンタカは生まれつきの愚鈍で、仏の一句を4ヶ月かかっても暗記することができなかった。
一人前の修行僧にしようと面倒をみてきた兄のマハーパンタカも、ある日ついに我慢できなくなり、祇園精舎から弟を追い出してしまった。
途方に一人、しょんぼり立っているいチューラパンタカに気づいたのは、お釈迦さまだった。
お釈迦さまはチューラパンタカを自分の精舎に連れ帰り、一本の箒(ほうき)を与え、次のように教えた。
「チューラパンタカよ、ここに残っていいんだよ。これからは東の方に向かい、“チリを払い、垢を除かん”と言いながら掃除をしなさい」。
チューラパンタカは言われたとおり、この日から太陽を仰ぎ見ながら、この一句を唱え掃除を始めた。
ある日のこと「なぜ、あなたはいつも掃除ばかりしているのだ」と訊ねられたチューラパンタカは修行僧にこう言った。
「私は性来、愚鈍でモノを覚えることができないものですから皆さんのように多くを知りません。
しかし、たったこのひとつだけを覚えて、そのわけを習い、実行しております」
このことを聞いたお釈迦さまは近くにいる修行僧たちに、こう説かれたという。
「悟りを開くということは、決して多くのことを覚えることではありません。
たとえ、僅かなことでも、それに徹底しさえすればよいのです。
見てごらん、チューラパンタカは、箒一本で掃除することに徹底して、悟りを開いたのです」
愚鈍で人々の笑い者であった者でも、一途にちりを拾い、アカを落とすというひとつの務めを一心に続けていく行為の奥にあるひたむきさ、誠実さが、”悟り”にまでたどり着かせるというお釈迦さまと弟子との有名な物語である。
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