2008年4月22日火曜日

テレビを観ない日々

 この1ヶ月ほど我が家ではテレビをほとんど観ない日々が続いている。
 暴君は必ずギロチンにされたり、毒を盛られたりする定めで人生がかなりつらそうなので、僕は家族みんなに意見を聞くことにした。
 不満はそれぞれあるようだったが、きちんと理由を説明して納得してもらい、「1日に2時間以内」とする“時間制限令“を晴れて宣言することができた。
 当然、僕が帰宅する頃には制限時間をすでに使い切っているので、僕はテレビを観ることはない。

 なぜ、テレビを観ないことにしようと提案したのかというと、ニュースやワイドショーなどテレビからもたらせる情報に「ネガティブ」なものが圧倒的に多すぎるからだ。
 最近は、ますますひどくなっているように僕には思える。
 その一方でここ半年の間には、ネガティブな情報はネガティブな現実を引き寄せる(叶える)という危険信号が僕のもとにさまざまな方面からやってきた。「シンクロだな」と感じるのでその知らせを大切にしてテレビの視聴を「制限」することにさせてもらうことにしたのだ。

 かつて為政者によるプロパガンダの世界では大衆を「衆愚化」させるには3S(スポーツ、セックス、スクリーン)が有効であると言われたことがあったが、日本そして世界は戦争と人殺しと罵倒と不愉快と不機嫌と怒りと哀しみで構築されていると思わせるような情報が洪水のように押し寄せている。
 凶悪、悲惨、グロテスクを備えた情報にランキングをつけて、もっともひどい情報から順番に流しているようにしか見えない。
 それを知り、人々が哀しみ、恐れ、怒り、同情することで世界は良い方向に変わっていくのだろうか。 
 子供たちの目に映るこの世界はどのような受け止められ方をされているのだろうか。

 もし、身近に現代のテレビのように、口を開けば不幸な言葉を発し、心を開けば不平不満、愚痴、陰口、悪口、不満に暗く満ちた思いを持ち続けている人がいたら、僕は絶対にその人のそばに近寄らないだろう。
 テレビと同じ日本語を使い、すがすがしくて、聞いていると心がパッと明るくなって魅力的なことをしゃべる人だっている。だったらこの人とずっと会っていたいと多くの人が思うはずだ。

 テレビを見ることに制限をつけてから、家に帰り、服を脱ぎ、リラックスした瞬間、自分の手にテレビのリモコンをにぎって電源をオンにしようとすることがこれまで2度ほどあった。
 こうした「悪しき習慣」に気づかされただけでも、僕にとっては大変ありがたき、きっかけとなっている。

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