2008年4月30日水曜日
怒ってくれる人に感謝しよう
今でもめでたい時には「松竹梅」が用いられるように、日本人にとって「松」は昔から貴重な木だった。
しかし、近年は恐ろしい速さでこの松の木が枯れている。しかも、全国各地で起こっているのだ。
原因は、一般的には「松くい虫による被害」だといわれている。
だが、先日参加した講演会で「松枯れ」の原因は松くい虫にあるのではないという話を聞いた。
「松くい虫は昔からいるのだから、それだけが原因ではないことは明白だ」としたうえで、その人は、
「昔は『松は日本の心だ』などともてはやされていたが一般建築用に木材として使われなくなった現在では放置されまったく「無視」されている。松はその心変わりを許せないと思っている」
と述べた。
僕はそれを聞いて、得心するところがあった。
松に限らず、植物は人の言葉や思いを理解するようで、身近な観葉植物でも感謝の言葉、やさしい言葉で愛でているとスクスクと順調に成長するが、
怒ったり、どなったり、意地悪な、乱暴な言葉を投げかけていると成長が目に見えて遅くなる。
しかし、乱暴な言葉以上に深刻なダメージを受けて、植物が枯れてしまう行為がある。
「無視」し続けることである。
仏教の世界で、もっとも厳しい罰は同じく「無視」である。
これはお釈迦様が生きていたころから存在した罰で、ある弟子が罪を起こし、お釈迦さまから「無視の罰」が下された瞬間、その場で卒倒したという記述も残っている。
当時は、今以上に人との結びつきが強く、生活するうえでも人との関わりなしに生きていくことが困難な時代であっただろうから今とは比にならない「重罰」であったことが想像できる。
だから、「怒ってもらえること」はまだまだありがたいのである。
ただし、お釈迦様は「怒ること」が人としてもっとも良くないことであると忠告している。
だから、「怒られる方」はいいが、「怒る方」は結構ツライ。
自分がせっかく感謝し、やさしいことを続けて積み上げてきたそれまでの「徳」が、怒った瞬間にガラガラと音をたてて崩れていくのだ。
自分のことを怒ってくれる人には感謝しよう。
そして、怒ったらどうなるかを知って、その人のために、これ以降、怒らせないようにしてあげようと思いやるようにしよう。
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