2008年4月19日土曜日

ジョン・アーヴィングが小説を書き続ける理由


 ジョン・アーヴィングの「ピギー・スニードを救う話」を読んだ。

 前回、アーヴィングの作品を読んだのはいつのことだったろうかと思い、記憶をさかのぼってみると、1987年に「サイダーハウス・ルール」の単行本を読み、それから気の遠くなるほど待ちに待った「オウエンのために祈りを」が12年ぶりに出たはいいけど上巻を読んでガッカリして投げ出して以来だから実に9年ぶりであることがわかった。
 ということはちゃんと読んで作品から数えると実に21年ぶりになるんだと知ったらなんだか驚きを超えて、感傷的な気分にさえなった。

 アーヴィング作品の魅力にどっぷりと漬かっていた頃があった。
 まだ若く甘酸っぱい希望に満ちていたその頃の僕は、彼のユーモアと哀しみが入り交じる物語性の濃い文体を基軸に、登場人物が不幸に見舞われ人生に翻弄されながらも強く前向きにたくましく生きていく作品の多くに魅力された。

 「ガープの世界」「ホテル・ニューハンプシャー」「熊を放つ」「158ポンドの結婚」「ウォーターメソッドマン」そして「サイダーハウス・ルール」――は3年ぐらいの間に日本で出版され、僕は本屋に通い、次々と読んでいった。

 最後に読んだ、「サイダーハウス・ルール」で主人公が、屋根の上から遠くに建つ夜の観覧車を眺めるシーンは、夜、自宅に帰る電車の中から見える葛西臨海公園の観覧車を見ながら思い出すことさえある。

 その間には映画化された作品もあり、幾度も劇場に足を運んだ。
 映画の中で僕が一番好きなのは「ホテル・ニューハンプシャー」だ。
 主演のジョディ・フォスターは若くしなやかで、弟役のロブ・ロウも若さあふれて美しく、ナスターシャ・キンスキー、マシュー・モーディンが脇を固めながらもグッと輝いていた。

 暗闇の劇場に腰掛けてみている僕自身も、スクリーンの中の彼らと同じように若く多感だったこともこの作品を選んだ理由に間違いなくなっていることだろうから、誰かに客観的にお薦めする上ではあまり当てにならないかもしれない。

 今回、読んだ「ピギー・スエードを救う話」はアーヴィング唯一の短編&エッセイ集である。
 表題の「ピギー・・・」はピギー・スエードという名の頭の弱い豚飼いと“私”<アーヴィング>の物語である。
 ピギーはすさまじい体臭を放ち、会話もできない町の笑い者である。
 ある日、そんなピギーの豚小屋が火災になり、ピギーは姿を消す。
 “私”は消火を終え、灰塵と化した現場を眺めながら、ピギーはこんな田舎町を捨ててフロリダに旅立ったんだ」「会話ができなかったのもヨーロッパ人だったためで自分の国に帰ったんだ」と大声で仲間に伝えようとする。
 でも、しばらくすると消防隊長が焼け跡から死体を発見し、「おい、アーヴィング、おまえはピギーがヨーロッパにいるという説だから、この何やらを引っ張り出すくらい平気だよな」と“私”に現実を突きつける。

 アーヴィングはこの作品の最後に、自分が作家としてなぜ書き続けているのかについて、祖母との会話に返答する形で、こう結んでいる。


 「おやおや、ジョニー。だからスニードさんが生きてた時分に、もうちょっと人間らしい扱いをしてやっていれば、そんな面倒くさいことをしなくてもよかったろうに」
 それができなかった私は、いまにして考える。作家の仕事は、ピギー・スニードに火をつけて、それを救おうとすることだ。何度も何度も。いつまでも。
 僕は久しぶりに彼の作品に巡り会った理由がこの一節を知るためにあったのだと直感した。

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