2008年4月14日月曜日

オフィス街で疲れた人々を癒してくれている「虎ノ門・金刀比羅宮」


 
 「虎ノ門のこんぴら様」と呼ばれている東京・港区の金刀比羅宮(ことひらぐう)を訪れる。
 オフィス街の真ん中にある神社で、境内にはスーツ姿の人が仕事の合間にちょっと立ち寄って休憩って感じで携帯で話していたり、喫煙したりしている。
 まあ、 僕もそんなうちのひとりに見えるのかもしれないんだけど・・・。

 こちらの御祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)
 崇徳天皇(すとくてんのう)
 の二柱。

 大物主神は、大国主神(おおくにぬしのかみ)の和魂(にぎみたま)にあたる神様で、記紀神話によれば、国造りの神様であった少彦名神(すくなひこなのかみ)が事を為す前に立ち去られたため大国主神が嘆いていたところ、海の彼方から波間を照らして光輝きながら現れた神様があり、大国主神がその名を尋ねられると、「あなたの和魂です」と答えられた。その神様が大物主神であった。

 大物主神は、国造りの神様として、大和の三諸山(三輪山)にお祀りされた神様で、後に 和光同塵 (わこうどうじん)の御神意をもって讃岐国の金刀比羅宮(本宮)に顕現されました。『日本書紀』では大国主神の異称として、『古事記』では大国主神の 和魂 (にぎみたま)として記されている。

 崇徳天皇は鳥羽天皇の皇子で、保安四年(1123年)に第75代の天皇として即位され、永治元年(1141年)に上皇となられた。
 保元元年(1156年)の保元の乱の厄により讃岐国へ遷られ、その後も讃岐国で過ごされた崇徳天皇は、象頭山中腹に鎮座する金刀比羅宮(本宮)を日夜崇敬なさった。長寛二年(1164年)に崩御される前年には参籠し、荒行をなされたと伝えられている。
 46歳で崩御された翌年の永万元年(1165年)、その不遇な生涯と崇敬の篤さを偲び、金刀比羅宮(本宮)の相殿にお祀りされることとなったそうだ。

 虎ノ門・金刀比羅宮の御神徳は「海上安全」と「商売繁盛」と記されている。

 また、大物主神は「運を開く神様」とも言われているので、とっても頼もしい。

 お願いごとはしてはいけないので、こうして元気に立ち寄ることが叶い、お会いできたことを感謝する。

 お詣りして境内をあとにしてわかったのだが、立錐の余地なくビルが立ち並ぶ周囲とまったくこの地は「気」が異なる。

 「つかの間立ち寄る疲れた人々を癒していただいてありがとうございます」と次回はお礼にうかがいたいと思った。

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