「鹿島神宮にとうとう呼ばれたんだ」と思うと前夜は珍しくなかなか寝つけなかった。
近所で仲良くしている二回り年上のおじさんと飲みながら、
「鹿島神宮に行こう」
と約束を交わしてからそろそろ2年になろうとしていた。
それ以外の約束はほとんどすべて果たされているし、年末や夏祭りなどで顔を合わせて一緒に愉快に飲んでいるのだが、「鹿島神宮行き」だけはどうしてもうまく息が合わない。
おじさんの親族の人が鹿島神宮の境内で茶屋を営んでいて、「いつでも行けそうなものなのに、時間が合わせられずに悪いね」とおじさんは言うが、おじさんが悪いなんてこれっぽっちも僕は思っていない。
行けない理由は実は僕の方にあるということに僕はすでに感づいている。
昨年から仕事で関わりができた会社の部長が訪ねてきて、
「ようやくご紹介できる準備が整いましたので、鹿嶋市までお越し頂けませんか」と切り出してきた。
「そうですか、わかりました」と返事をしながら、心の中で僕は、
「ようやく鹿島神宮に呼ばれた」と少し緊張気味につぶやいていた。
鹿島神宮は茨城県鹿嶋市にある長き伝統のある神社で、祭神は、武門の神様
「武甕槌神(たけみかづちのかみ)」である。
この神様は日本の神話で非常に重要な役まわりをする神様として登場する。
天照大神(あまてらすおおみかみ)の命を受けて、出雲の国に国譲りを求めに行くのだ。
出雲の国の主である大国主命(おおくにぬしのみこと)に国譲りのことを伝えると、大国主命はすんなりとその命に服したが、大国主命の長男である「建御名方神(たけみなかたのかみ)」が国譲りに断固反対する。
それでは、武力で勝負を決めようということになり、武甕槌大神と建御名方神が戦うことになる。
しかし、武甕槌大神の強さは圧倒的で、建御名方神は負けてしまい、その場から逃走する。
武甕槌大神はその後を追い建御名方神は結局、(現在の長野県の)諏訪まで逃れ、その地に王国を築く。そして、諏訪大社の祭神となるのである。
僕の氏神様はこの「建御名方神」(鹿児島の南方神社)である。
だから、「鹿島神宮行き」は、時が訪れるまでは期待しても気を焦らせても、叶うことはできないんだろうな、とどこかで確信めいた予感があった。
でも、いつかは「和合(和解)」のための「導き」がきっとあると願い、心待ちにしていた。
だから、鹿嶋市での仕事の話が持ちかけられた時には心からうれしかった。
東京駅八重洲口を8時半に出発するバスに乗り、鹿嶋に向かった。
鹿嶋までは約1時間半ほどで到着する。
鹿島神宮はすこぶる社格の高い神社と言われてい通り、一歩足を踏み込むと誰もがその荘厳な落ち着きのある独特の雰囲気を感じることができるだろう。
平日の午前中の境内には2、3組の参拝者しか見かけない。
境内には巨木の並木があり、音がどこかに吸い取られているような静けさが辺りを包んでいる。
まずは本殿を参拝する。
「お導きいただき、ありがとうございます」と思いを伝える。
巨木の参道を進み、奥宮にも詣る(写真には人も一緒に写っているので比較してもらいたい)。
さらにその奥に進むと「要石」や清水が豊かに湧き出る池があると案内されていたが、仕事の約束の時間に間に合わなくなるのでそこまでで引き戻す。
友人のイトウさんが先日、鹿島神宮を訪れ、双方を見てきて良き場所だったそうなので、次の機会には必ず訪れたいと思っている。
戻る途中で、持ってきた写経を6枚、巨木の根本に埋めさせていただき、般若心経を3回唱える。
僕にとってこの参拝は、魂の「和合(融合)」を授けられたような喜びと幸福にあふれたものとなった。感謝の参拝でもあった。世界の大きな流れが「和合」へと進んでいってほしいと願った。
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