2008年6月7日土曜日

「国宝・薬師寺展」がものすごい人気


 東京・上野の国立博物館で「国宝・薬師寺展」が開催されている。
 平城遷都1300年を記念して行われているもので、国宝の「日光菩薩立像」「月光菩薩立像」が2体そろって寺外では初めて公開されたことが話題を呼んでいる。

 しかも今回は普段、薬師寺では両菩薩像の背にある「光背」がとりはずされたお姿で初めて披露されるということなので、「これはぜひ、拝見したい」と思い、最終期日の8日を直前にし、仕事を前日までにやりくりして時間をつくって木曜の午後、上野に向かった。

 1時半過ぎに会場の国立博物館に到着すると、入場券売場には列ができている。
 「けっこう混んでるな」と思いながら列に並ぼうとすると、前列の横に、
 「130分待ち」
 と書かれたボードを掲げた係員がいる。

 近くの係員に「130分」の事情を訊ねると、来場者が多いために入場制限をしており、入場券を買って門から入っても、建物前から入場は制限されていて、館内に入るまでに約130分は待たなくてはいけない状況にあると教えてくれた。係のお兄さんもかなりお疲れの様子で、主催者側にとっても想定外の混雑になっていることがうかがえる。

 空を見上げるとすぐにでも雨が降ってきそうな空模様。それでも並んで待って観覧したいところだが、夕方には仕事が一本入っている。
 仕事はキャンセルできず、並んで2時間待つと30分も見られない、もしくは何にも見られないことにもなりかねないので、残念だがあきらめることにした。

 国立博物館を後にし、上野公園の中を歩きながら、ディズニーランドのアトラクション並みに多くの人々を「薬師寺展」が引きつけていたことに感心するとともに、見ることはできなかったことは残念だったが「とってもいいことだな」とうれしくなった。
 日本人の“豊かさ”の一面を少し見せてもらえたような気がした。

 そして、僕は、「今回はご縁がなかったが、日光、月光の菩薩像には、いつか必ず薬師寺に直接会いこう」と心に決めた。
 
 まだ時間はゆったりとあるので、のんびり散歩気分で、我が郷土の偉大な大先輩である西郷隆盛の銅像を久しぶりに見に行く。
 修学旅行の中学生や観光客らしい人たちが銅像やその前に立って写真を撮っていてにぎやかだ。
 軍服を着た、いかめつい鹿児島市内の銅像とは対照的に上野の西郷さんは着物に兵児(へこ)帯姿で、右側には愛犬を連れていてなんとなく微笑ましい。
 明治時代、この銅像の披露式に出席した西郷夫人は「これはうちの人じゃなか(い)」と言ったそうだが、これは顔かたちについてもそうだったらしいが、西郷さんは相手にとても細やかに気を配る人で、面前でこんな服装は絶対にしないということを言いたかったための夫人の言葉といわれている。

 西郷さんが好きな言葉として有名なのが「敬天愛人」である。
 僕も西郷さんの人生を学ぶうちにこの言葉にひかれ、10年ほど前から携帯電話のアドレスにも使わせてもらっている。

 目に見えぬ絶対的な存在のことを思い、感じ、向き合いながら生きていくと自分自身が人としていかに生きていくか「自主自尊」の精神が育まれ、自分が巡り合わせいただけるすべての人々に感謝の思いを抱きながら、やさしく、愛おしさが胸に広がったことであろう。
 また、人にやさしく、愛するようになればなるほど、自分自身が豊かになり、目に見えぬ存在にますます感謝と敬意の思いを抱いていく西郷さんの生き方を勝手に思い描く。

 西郷さんの銅像からすぐ近くにある上野公園内の「東叡山寛永寺」で千手観世音菩薩を拝む。
 千手観音の真言は
 「おん ばさら だるま きりく」

 階段を下りて不忍池に向かい、「寛永寺不忍池弁天堂」で弁天様を詣る。
 弁財天の真言は
 「おん そらそばてい えい そわか」

 関わる人の健康や病気回復等の思いを抱きながらの参拝であることは神はすでにお見通し。
 僕はいつも通り、真言3回、住所、名前ののち、
 先日、赤荻先生もブログで書かれていたが、言葉にするのは、ただただ「感謝の言葉」のみである。

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