2008年6月18日水曜日

「今昔物語」の中の観音様の話

 日曜日から埼玉・秩父の観音様巡りを始めた。
 仕事に追われているせいもあって準備万全とはいえない中での初日となったわけだが、翌月曜日に古本屋でパッと目に入ったのが、瀬戸内寂聴さんの「愛と救いの観音経」だった。

 観音様は準備不足をやはりお見通しだったらしい。さすがである。

 巡礼の作法には「御本尊を念じ、合掌して読経」とある。
 読経は「般若心経」「観音経」「十句観音経」「本尊名号」「回向文」などとされている。

 僕は「般若心経」はそらんじられるので、初日はそうしていたのだが、寂聴さんの本と出会わせていただいたことで、「『観音経』のこと、観音様のことをもう少し知っておきなさいというメッセージが届いたな」と思った。

 「観音経」は御経というより、観音様のことが紹介されている“物語”である。
 寂聴さんは本書の中で「観音経」について
 「『観音経』の中では、およそ私たち人間が考え得る幸福のすべては、観音さまを信じさえすれば与えられるということになっています。また苦しみという苦しみ、不幸のことごとくは、観音さまを信仰しさえすれば救ってくれると説かれています。何という頼もしい観音の威神力でしょう」
と説明している。

 また、
 「私たち凡夫は何といっても、現実に信仰の御利益をこの世で与えてくれることを望んでいます。それが卑しい、つまらない願いで、本当の信仰はそんなものではないと、理屈でわかっていても、やっぱり、苦しい時の神頼みで、その願いがこの世でかなえられることを心の中では切望しています。それをかなえてくれるのだからこんな嬉しいことはないわけです」
 観音様には現世利益を求めてお願い事をしても許されるのだということを僕は初めて知った。


 ここで観音様にまつわる話が数多く収められている「今昔物語」の中から、寂聴さんが取り上げた物語をひとつご紹介する。

 
 今は昔、丹後の国に成合(なりあい)という山寺があった(今、京都府宮津市府中)。
 ここに貧しい僧が修行のためにこもっていた。
 寺は高い山にある上に、この年は雪が深く、寺はすっぽりと大雪に覆われ、人の往来がまったくできなくなってしまった。
 孤立した僧は食料も尽き果て断食して数日が過ぎ、あとは餓死を待つばかりとなった。
 僧はひとり凍える寒さの中、気力も体力も尽き果て、しのびよる死を感じながら、観音様に助けてくださいと必死に祈った。
 「観音様、観音様、たった一度、観音様の御名を唱えるだけで、ありとあらゆる願いをかなえて下さるとかねがね教えられてきました。私は年来、観音様を心から信じ奉ってきましたのに、仏前で餓死するとはあまりにも情けないことです。高位高官を望むとか、重い罪の報いを許して下さいというならば難しいでしょうが、ただ今日一日の命をつなぐだけの食物を、ほんのわずかいただきたいんです。お慈悲でございます。どうかそれをお恵みください」
 と祈りながら、ふと、寺のすみの壊れた壁から外を見ると、そこには狼に殺された猪がいるのを見つけた。
 「これこそ観音様が恵んでくださったものだ」と思ったものの、自分は年来、御仏を信じ奉ってきた出家の身である。
 「いまさら飢えたとはいえ獣が食べられようか。仏法では、この世に生きとし生けるものはみな前世で父母だと教えられている。自分は餓死寸前とはいえ、どうして父母の肉をむさぼり喰うことができようか。まして生き物の肉を食べた者は、仏に見捨てられ仏縁を断たれて、死んで悪道に墜(おと)されるという。だからこそすべての獣は人を見ると逃げ去るのだ。生類の肉を喰えば、如来も菩薩も見捨てて遠く去っていかれるというではないか」
 と繰り返し反省した。

 しかし、人間の心の弱さ、愚かさには勝てず、後世の罰の苦も考えず、今の飢えの苦しみに耐えられず、ついに刀を抜いて猪の左右の腿(もも)の肉を切り取って、鍋に入れて煮て食べてしまった。
 その味はこんなにおいしいものがこの世にまたとあろうかというもので、つい今までの飢餓の苦しさもすっかり忘れ、満ち足りた気分になった。
 けれども、飢えがおさまってしまうと、やはりとんでもない重罪を犯したことが悔やまれて、泣き悲しんでいた。
 やがて雪がやみ、里の人々が僧のことを心配して山の上の寺に上がってくる足音や話し声が聞こえてきた。
 僧はあわてて、ともかく猪を煮散らした鍋を片づけて隠そうと気を焦らせるが、人々がそこまで来ていて間に合わない。鍋には食い残したものが入ったままだった。僧はたいそう恥ずかしく情けない気持ちになった。
 そこに人々はどやどや入ってきた。
 「ああ、生きていてよかった。ずいぶん長くなるから餓死しているんじゃないかと心配していました。お坊さん、この大雪をどうやって過ごされたのですか」
 と言って寺の中を見回ってみると、鍋の中に木片を入れて煮て食い散らかしてある。
 「お坊さん、いくら腹が減って飢えたからといっても、木を煮て食う人がありますか」
 と気の毒がっていると、里から来たひとりが突然、「あっ」と大きな声をあげた。
 人々がその声の方を見ると、男が観音様を指差している。なんと観音様の左右の腿(もも)が無残にも生々しく削り取られているのだ。
 これは僧が切り取って食ったのだろうと、里の人はあさましく思って、
 「お坊さん、同じ木を食うなら寺の柱でも切って食べたらどうですか。どうしてまた観音様の御身体を切り取って傷つけなさったのです」
 と詰め寄り、なじった。

 僧が驚いて観音様を見ると、人々の言う通り、左右の腿が痛々しく切り取られている。
 その時、僧は
 「さて、あの時煮て食った猪は、観音様が自分の飢えを憐れんで助けてやろうと、猪の姿になり、御身を食べさせてくれたのか」
 と気づき、ありがたさと貴さに胸潰れる思いで、人々に向かって「実は・・・」と事の次第を正直に語り始めた。
 これを聞く者たちは、皆感動して涙し、観音様のお慈悲を貴くありがたく思わない者はなかった。

 僧は仏前に坐り、観音様に向かって謹んでこうお願いした。
 「もしこのことが、観音様のお示しになったありがたい霊験(えいげん)でありますなら、どうか元のお姿にお戻り下さい」
 すると、祈る目の前で、その傷ついた左右の腿が元のように完全に成り合わされて修復されていった。
 それを見た人々は、再び深く感動してありがたさに泣かなかった者はなかったという。

 この霊験によって、この寺は「成合(なりあい)」と呼ばれるようになった。そして、この観音様は今も変わることなくおいでになるそうだ。

 観音様がどのような神様であるかをよく表した物語である。

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