2008年6月27日金曜日

南天と竹酢液、そして「ちょうどいい」

 南天の鉢植えを探していたが半年間ほど見つからなかった。
 南天は「難転(難を転じる)」と通じるため古くからめでたい木とされている。
 今もお祝い事に出てくる赤飯にはその南天の葉が敷かれている。腐敗防止の効能があるためらしい。

 「探していた」といっても縁があればきっと出会えのではないかと信じて、自分が直接出会う中でのみ探し続けていたのだから、そう易々とは見つからない。
 この出会いに「ネットでポン!」はふさわしくない。

 そうした思いがとうとう叶ったのか、縁の花が突然花開いたのか、職場近くのお寺の縁日で見つけ、南天の鉢植えが手元に舞い込んできた。

 それから3ケ月ほどが経ち、どれだけ我が家の難を転じてくれたかは定かではないが、はっきり気づかされたことがあった。
 それは、あれほど気をかけて探していた頃にはまったく巡り会うことのなかった南天が、普段歩いている道々にいくつも植生していたということである。
 道すがら何十回も、何百回もその横を歩いていたはずなのに、まったく目にとまることなく僕は生活していたということになる。
 風に揺れる南天の葉を見ながら、そのことに少しショックを受けた。


 竹酢液(ちくさくえき)を使い始めて2ヶ月ほどになる。
 飲む前に聞いていた通り、免疫力が上がっているようで身体の調子が確かにいい。
 僕にとっての一番の効用は何といっても“早起きになったこと”である。
 今朝も5時前に自然に目覚め、近所の公園で昇ったばかりの朝日に向かいながら「長息(おきなが)の呼吸」をしてきた。数日前からは守護霊にも一日の始まりのご挨拶する習慣も加わった。

 うれしいことも増えた。周囲の人々に喜んでもらえたことである。
 竹酢液250㍉リットルの原液は10リットルの水に2、3滴ぐらいまで薄めて使うため、全然減らない。 話をすると興味を持ってくれる人が多いので、欲しい人には小分けしてプレゼントすることにした。そうこうしているうちに今では僕の周りでは22歳から70歳まで総勢20人ほどが竹酢液を飲んでいる。
 先週も2人の女性からリクエストがあり小分けにして渡したばかりだ。
 この女性とは職場のおばさま方である。
 職場のおばさま方にはずいぶん前に竹酢液の話はしていたのだが、その際には特に目立った関心は示されなかった。
 無理したあげるものでもないのでそのまま何もなく今に至っていたのだが、急に「絶対、飲みたい」と言い出した。どうしたのだろうと思い、理由を訊ねると、なんてことはない「韓国ドラマ」の影響だった。
 李王朝時代を舞台にしたドラマで国王付きの医者が非常に良い漢方薬のとして竹で出来た水、すなわち「竹酢液」を王様に飲ませて病気を治すシーンがあったらしい。
 ここからは勝手な推測だが、お煎餅をかじりながらドラマを見ていると、そのシーンが映し出された。何気なく見ていたが、頭の片隅で「あれっ、竹の水って話、誰かがどこかでしてたよなぁ~、確か・・・、あ、そうだ」・・・といったところだと思う。
 おばさま方にとって、僕の言葉は韓国ドラマの太刀持ち、露払いでしかなかったわけである・・・かなしすぎる。
 とはいうものの、竹酢液をお渡しした翌日からは会社の水はオバサマ方のおかげですべて竹酢液入りの水に切り替わっていた。うれしい限りである。

 先々週、友人と横浜で飲んでいると
 「最近、毎日が楽しくて仕方ない」と友人が言う。
 以前に、「お釈迦さまによると、自分のまわりの環境も人もすべてが自分に『ちょうどいい』ことになっているらしいよ」と話していて、「全部がちょうどいい」と思えるようになったら世界ががらりと変わったらしい。
 身の回りの環境の方は何ひとつ変わっていないのに、自分の心が変わるとある日突然、人はとっても幸せになれるのだ。
 相手を変えようとすると時間がかかる。なら自分が変わった方がずっと簡単だというのも「あり」かもしれない。

 とにかくうれしい話でうまい酒を飲んだ。


 人の思考が変化すると、それまで見えなかった世界が見えるようになったり、未来から訪れる人や出来事が「うれしい」「幸せな」ことばかりになってきたりする。
 だからこそ、普段から「良き思考」と「良き言葉」を持つよう心掛けたいものである。

 ベランダを覗くと、梅雨の晴れ間に陽を浴びた小さな白い花を咲かせていた。
 
 「南天の実になる花と思はれず」(正岡子規)

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