今日は「灌仏会(かんぶつえ)」。お釈迦様の誕生日である。
関東地方の天気は朝から雨。遠くでは雷の音まで聞こえてくる。
古くからの言い伝えでは、お釈迦様が生まれた日もやはり雨が降っていた。
でも、この季節特有の冷たい雨ではなく、産湯として甘くて温かい「甘露」の雨が降っていたそうだ。
地には花々が咲き乱れてお釈迦様の誕生を祝い、空には龍が現れ・・・と、かなりすごいことになっていたそうだ。
お釈迦様は生まれるとすぐに、東西南北の四方に向かってそれぞれ七歩踏みだし、右手で天を、左手で地を差して
「天上天下唯我独尊=てんじょうてんげゆいがどくそん」と言った。
「私は世界のうちで最高のものである。私は世界のうちでもっとも優れたものである」というような意味であるが、正しい理解は、「やがてブッダ(覚者)になって人々を苦の世界から救う存在となるから尊い」ということである。
ちなみに、「ブッダ」というとお釈迦様を思い浮かべる人が多いと思うが、実はそうではない。
ブッダの教えを聞き実践するものはかならずブッダになることができると言われ、かかわるすべての人にブッダになるチャンスがあるのである。
今日、お寺に行くと花々を飾った「花まつり」が行われている。
境内には右手で天を差し、左手で地を差したお釈迦様の仏像があり、甘茶をひしゃくでかけて祈ることができるように用意されているはずだ。
これらは生誕時に起こった奇跡に由来したものだ。
それぞれにすべて意味があるということである。
「花まつり」はお釈迦様の生誕を祝うとともに、子供の健康を祝い、祈る行事でもある。
昨日は、生花ではなく、久しぶりに鉢植えの花を買ってみた。
ささやかな「花まつり」気分である。
関東地方の天気は朝から雨。遠くでは雷の音まで聞こえてくる。
古くからの言い伝えでは、お釈迦様が生まれた日もやはり雨が降っていた。
でも、この季節特有の冷たい雨ではなく、産湯として甘くて温かい「甘露」の雨が降っていたそうだ。
地には花々が咲き乱れてお釈迦様の誕生を祝い、空には龍が現れ・・・と、かなりすごいことになっていたそうだ。
お釈迦様は生まれるとすぐに、東西南北の四方に向かってそれぞれ七歩踏みだし、右手で天を、左手で地を差して
「天上天下唯我独尊=てんじょうてんげゆいがどくそん」と言った。
「私は世界のうちで最高のものである。私は世界のうちでもっとも優れたものである」というような意味であるが、正しい理解は、「やがてブッダ(覚者)になって人々を苦の世界から救う存在となるから尊い」ということである。
ちなみに、「ブッダ」というとお釈迦様を思い浮かべる人が多いと思うが、実はそうではない。
ブッダの教えを聞き実践するものはかならずブッダになることができると言われ、かかわるすべての人にブッダになるチャンスがあるのである。
今日、お寺に行くと花々を飾った「花まつり」が行われている。
境内には右手で天を差し、左手で地を差したお釈迦様の仏像があり、甘茶をひしゃくでかけて祈ることができるように用意されているはずだ。
これらは生誕時に起こった奇跡に由来したものだ。
それぞれにすべて意味があるということである。
「花まつり」はお釈迦様の生誕を祝うとともに、子供の健康を祝い、祈る行事でもある。
昨日は、生花ではなく、久しぶりに鉢植えの花を買ってみた。
ささやかな「花まつり」気分である。
4 件のコメント:
父の命日だったので、わたしも鉢植えのお花を買いました。普段は、枯れて行く花を見るのが嫌いなので、切り花など絶対に買わないのです。でもあまりにもお天気がよくて、家の中に春風が欲しくなりました。今日は、1日に何度もお線香に火をつけて、一日中お願いごとをしていました。ふふふ
お釈迦様と縁の深い日を命日とされたのですね。
彼岸に行くと花がうれしいらしいので、お父様もきっと喜ばれたことでしょう。
僕もそのことを知ってから母や義父の月命日にはなるべく花を飾るようになりました。
もう7年ほど前の話になりますが、花が好きだった母は生前さまざまな花々で庭を飾っていました。それを楽しみにしているようでした。
その母が亡くなり、四十九日の喪が明けてしばらくすると父は庭にある花という花をすべてトラックに積み込んで処分してしました。
一緒に花を楽しんでいた叔母たちは怒り心頭で止めさせるように言ってほしいと連絡してきましたが、僕には父の気持ちがわかるような気がして、結局何も言い出せませんでした。
そんな父もいつかは花を飾ってもらうと喜ぶようになるのだと考えるとおかしみを感じます。
でも、今のままの印象ではどうも「盆栽」を飾られてしまうような気がします・・・、う~ん、心配。
ふと気づきましたが、「命日」というのは、息を引き取った日ではないのですか?新しい命が始まる日?
nozomiさん、こんばんは。
「命日」は”此岸(この世)”で亡くなった日ですよね。
それはまた”彼岸(あの世)”に戻る日でもあります。
ということは、こちらに誕生する日は、あの世での旅立ちの日でもあるということになります。
あの世を出発する時は、「かわいそうに、あんな大変なところにまた行くんだね」とやはり親しい人(魂)は泣いてくれるそうです。
「輪廻転生」は何回ぐらいあるんだろうと興味がわいて、調べたことがあるのですが、300~400回と言う人もいれば、10万回という人もいて、結局、よくわかりませんでした。
それでも、この世で出会う人とは過去世で何十、何百回と会っているのは確かなことらしいです。
だから、自分が会う人は初めてのような気がしても「よっ、久しぶり!」です。本当は。
でも、実際にそう言ったら、かなりびっくりされるとは思いますが(笑)
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